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第四次マイソール戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第四次マイソール戦争

ティプー・スルターンの死体の前で勝利を喜ぶデーヴィッド・ベアード
戦争マイソール戦争
年月日1799年
場所南インド
結果:*イギリスの勝利、ティプー・スルターンの戦死
*マイソール王国の領土さらに半減、および旧王朝の復活と同国の藩王国
交戦勢力
マイソール王国
カルナータカ太守
イギリス東インド会社
ニザーム藩王国
指導者・指揮官
ティプー・スルターン
アブドゥル・カリーム
ミール・グラーム・フサイン
ミール・ミーラーン
ミール・サーディク
グラーム・ムハンマド・ハーン
ウムダトゥル・ウマラー
ジョージ・ハリス
アーサー・ウェルズリー

デーヴィッド・ベアード
ジェームズ・スチュアート
損害
甚大 不明

Fourth Anglo-Mysore War,   


戦争に至るまでの経緯

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リチャード・ウェルズリー

179210217985[1]

1793[2]

1797使[3]

[3][3]

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179891[6]

[7]17952

1792[8][8]

17987[8][8][7]




戦争への準備

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アーサー・ウェルズリー

[5][5]23[5]

[5]


 



戦争の経過

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戦争の勃発

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179923[9]11[4][10]

沿[4]37,00016,0006,420

[4]

マイソール側の連敗

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725[4]

[4][4]

12[4]

7[4][4]

36退[4]

32725

シュリーランガパトナの包囲とティプー・スルターンの死

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シュリーランガパトナへ突入するイギリス軍
死せるティプー・スルターン

45[4][11]

[11]

[11][11]

6[11]

54

513[6]30

戦争終結後における処理とその後の経過

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第四次マイソール戦争による領土の変遷



6303[12] 

78[6][13][14]

[14][14][13]

18017

301805

18004 1802

脚注

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  1. ^ ガードナー『イギリス東インド会社』、p.179
  2. ^ ガードナー『イギリス東インド会社』、p.180
  3. ^ a b c 辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』、p.213
  4. ^ a b c d e f g h i j k l ガードナー『イギリス東インド会社』、p.187
  5. ^ a b c d e ガードナー『イギリス東インド会社』、p.186
  6. ^ a b c 辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』年表、p.44
  7. ^ a b ガードナー『イギリス東インド会社』、p.181
  8. ^ a b c d ガードナー『イギリス東インド会社』、p.184
  9. ^ 1
  10. ^ 1
  11. ^ a b c d e ガードナー『イギリス東インド会社』、p.188
  12. ^ MYSORE The Wodeyar Dynasty GENEALOGY
  13. ^ a b チャンドラ『近代インドの歴史』、p.76
  14. ^ a b c ガードナー『イギリス東インド会社』、p.192

参考文献

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  • 辛島昇編『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』山川出版社、2007年
  • ブライアン・ガードナー著、浜本正夫訳『イギリス東インド会社』リブロポート、1989年
  • ビパン・チャンドラ著、粟屋利江訳『近代インドの歴史』山川出版社、2001年

関連項目

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