荻原満
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基本情報 | |
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国籍 |
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出身地 | 宮城県仙台市青葉区 |
生年月日 | 1965年12月19日(58歳) |
身長 体重 |
175 cm 78 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1987年 ドラフト外 |
初出場 | 1992年8月1日 |
最終出場 | 1992年8月11日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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コーチ歴 | |
この表について
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荻原 満︵おぎわら みつる、1965年︿昭和40年﹀12月19日 - ︶は、宮城県仙台市出身の元プロ野球選手︵投手︶。左投左打。
来歴・人物[編集]
仙台商業高時代はエースで6番を打ち、1983年︵昭和58年︶夏の甲子園に出場した[1]。3回戦に進むが宇部商業高の秋村謙宏に完封負けを喫する[2]。 高校卒業後は、東海大学へ進学し硬式野球部に入部。佐藤真一と同期であった。首都大学野球リーグでは在学中3回優勝。1985年︵昭和60年︶秋季リーグでは最高殊勲選手、最優秀投手となる。リーグ通算48試合登板、28勝5敗、防御率1.61、ベストナイン2回受賞[1]。 1987年︵昭和62年︶春に左肘を手術したこともあり、同年オフにドラフト外で読売ジャイアンツに入団[1]。 1988年︵昭和63年︶は1A・マイアミ・マーリンズに野球留学した。1992年︵平成4年︶に初登板を果たすが、結果を残せず同年限りで現役を引退した[1]。 引退後には打撃投手となり、2004年︵平成16年︶から一軍サブマネージャー。2006年︵平成18年︶には大学の先輩である原辰徳監督の復帰に伴って監督付広報に就任する。 2023年から東北工業大学のコーチに就任[3]。 妻は元水泳選手・長崎宏子の姉。詳細情報[編集]
年度別投手成績[編集]
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1992 | 巨人 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 12 | 2.0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 3 | 2 | 9.00 | 2.50 |
通算:1年 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 12 | 2.0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 3 | 2 | 9.00 | 2.50 |
記録[編集]
背番号[編集]
- 53 (1988年 - 1992年)
- 120 (1993年 - 2003年)
脚注[編集]
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 個人年度別成績 荻原満 - NPB.jp 日本野球機構