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菅健次郎

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菅健次郎
管健次郎略歴 明治28年5月6日、甲賀郡岩根村の水口藩士菅家に生まれる。膳所中学校、第五高等学校を経て大正10年東京帝国大学法科を卒業し、鉄道省に奉職した。学才に優れると共に講道館柔道七段を授けられる文武両道であった。 大正12年両国運輸事務所営業主任のとき関東大震災に遭い、寝食を忘れて食料と難民の輸送に献身し、その重責を全うし、翌13年に千葉運輸事務所長となると顕著な業績が認められ、在外研究員となり昭和3年米国に渡り自動車運輸の重要性に着眼し、2年有半の欧米視察の後、省営自動車開業の任に当たり、昭和5年、岡崎多治見間の開通を見た。その後、自動車課長になり、全国4,300kmの路線を建設した功績を認められ、満鉄交通監督官となった。その後華北交通会社の自動車局長となり、昭和19年に日本に戻ると、帝国薪炭統制会理事に就任し自動車燃料界にも献身した。 終戦後母国再建のため代議士に立候補することを決意するが、病に侵され昭和21年4月1日、52歳で永眠した。
旧国鉄バス水口営業所近くの顕彰碑

  [1]28189556[2] - 21194641[3]

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[2]192110[2]

192832調[4][4][5]

19305122057.1km[6][7]1931651119327325[8][7]3[7][ 1][4]

[10]

[1][7]194015退[11]退[11][3]

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14 12 pp. 29371932

331936

 pp. 9121940

 : 1948-1949

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 滋賀県甲賀郡水口町出身の鉄道参与官、青木亮貫からの依頼もあって、鉄道省で調査検討をされた結果、水口町を通る亀草線の開通へつながった[9]

出典[編集]



(一)^ ab 1940.

(二)^ abc, pp. 1920.

(三)^ ab. . (1957325) 

(四)^ abc1022018928149 

(五)^ , p. 74-75.

(六)^ 35419301217

(七)^ abcd, p. 17-20.

(八)^ 201441 

(九)^  1942, pp. 102105.

(十)^ ,  : 221986315-16NAID 120006779283 

(11)^ ab 1943.

[]


 1940 NDLJP:1446443/168

 14 14 1943 NDLJP:1230025/813

1940doi:10.11501/1072879https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1072879/26 NDLJP:1072879

 1942 NDLJP:1101678/77