藤沢嵐子

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藤沢 嵐子
読売新聞社『家庭よみうり』387号(1954年)より
基本情報
出生名 藤澤 嵐子
別名 早川 嵐子(結婚後の本名)
生誕 1925年7月21日
出身地 日本の旗 日本東京府
死没 (2013-08-22) 2013年8月22日(88歳没)
日本の旗 日本新潟県長岡市
学歴 東京音楽学校本科声楽部中退(1944年)[1]
ジャンル タンゴ
職業 歌手
担当楽器
レーベル 日本ビクター
共同作業者 早川真平とオルケスタ・ティピカ東京

  1925721 - 2013822[2][3]1950  [3][4]

[]


19434[5]寿[1]退

19473

NHK[ 1]

[ 2]1951

19533

195019501960

NHK5

1971退19801981

1984[ 3]199196退

退

2013822[4]

主な歌唱作品(邦題)[編集]

NHK紅白歌合戦出場歴[編集]

年度/放送回 曲目 対戦相手
1957年(昭和32年)/第8回 さらば草原よ 笈田敏夫
1958年(昭和33年)/第9回 ママ恋人が欲しいの ジェームズ繁田
1959年(昭和34年)/第10回 ベサメ・ムーチョ 笈田敏夫
1960年(昭和35年)/第11回 ジーラ・ジーラ アイ・ジョージ
1961年(昭和36年)/第12回 さらば草原よ 高英男

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 当時早川には妻子がいたが後に離婚。嵐子と再婚し、公私共にパートナーとなった。二人の間に子は無い。
  2. ^ 大連時代や原の元で歌っていた時期もタンゴは歌っていたが、数あるジャンルの中のひとつに過ぎなかった。
  3. ^ 友人である歌手の石井好子が「辞めるなら、せめてちゃんとしたコンサートを開いて辞めて」と懇願したが聞き入れず、あくまで残っていた仕事を淡々とこなし、辞めた(とはいえ、最後のステージは構成者側の判断で日頃より多めの曲目を歌っている)。石井は多忙なスケジュールを縫い、最後のコンサートを鑑賞。号泣しながら客席から藤沢に花束を手渡しした。

出典[編集]



(一)^ ab 1970.

(二)^ .

(三)^ ab .   (2013828). 2013828[]

(四)^ ab882013828202388

(五)^  488819435355NDLJP:2961393https://dl.ndl.go.jp/pid/2961393/1/12 

[]


"".  +Plus. 202388

 451970146NDLJP:2526523https://dl.ndl.go.jp/pid/2526523/1/165 

NOISE19908

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 - UNIVERSAL MUSIC JAPAN