逆機
表示
![]() |
逆機︵ぎゃくき︶とは、機関車の向きが逆であること。また、この向きで蒸気機関車のような片運転台の機関車が転車台やデルタ線のない線区において、列車を牽引したり推進したりすることである。バック運転ともいう。
主にタンク機関車のように後方に窓のある機関車、テンダー機関車の一部[1]が行っていた。
タンク機関車やガーラット式機関車は炭水車がないため、逆機での運転は容易である。これに対してテンダー機関車は炭水車があるため、急制動をかけると重量の関係で炭水車に横圧が発生して座屈脱線が起きる危険性があったり、最高速度が制限されるなど問題点がある。実例としてドイツのプロイセン邦有鉄道P8型蒸気機関車は、炭水車との連結部の問題から正方向時には100 km/hほど出せたのに対し、逆機時は50 km/hの制限を受けていたケースがある[2]。
逆機が行われることのある列車の例[編集]
逆機が行われたことのある列車(運行を終了したものも含む)の例[編集]
![]() |
![]() | ウィキペディアはオンライン百科事典であって、情報を無差別に収集する場ではありません。 |
●倉吉線
●倉吉線ではC11形を運行していたが、同線には転車台がなく、また終点である山守駅とその前にある泰久寺駅は1線しかないため、両駅への蒸気機関車の乗り入れができなかった。そのため、往路は2線ある関金駅まで逆機で運行、同駅構内で機回しを行い復路を運行した。
●上山田線
●飯塚 - 上山田間14.4 kmにおいて、テンダー機関車のD60形およびD51形牽引による旅客列車があった。下り飯塚発上山田行き列車は逆機で牽引。1973年︵昭和48年︶にディーゼル機関車に交代した[3]。
●SLニセコ号
●蘭越駅に転車台がないため、下り蘭越発札幌行き列車は逆機で牽引された。
●SL函館大沼号
●森駅に転車台がないため、上り森発函館行き列車は逆機で牽引された。
●SLえちご阿賀野号
●津川駅に転車台がないため、1996年︵平成8年︶の運行時のみ上り津川発新津行き列車は逆機で牽引された。1997年︵平成9年︶以降は、新津方にディーゼル機関車が連結され、上り列車は回送扱いとなった。
●SLもおか
●真岡駅および茂木駅に転車台が設置され、使用を開始する以前は、上り茂木発下館行き列車が逆機で牽引された。
●かわね路号
●新金谷駅に転車台が設置され、使用を開始する以前は、上り千頭発金谷方面行き列車が逆機で牽引された。
●SLシーサイド号[4]
●氷見駅に転車台がないため、1日2往復のうち1往復目の復路と2往復目の往路では逆機で牽引された[5]。
●SL飛騨路号[4]
●飛騨古川駅に転車台がないため、上り飛騨古川発高山行き列車は逆機で牽引された。
●SLときめき号[4]
●七尾駅に転車台があるものの金沢 - 穴水間での運行であったため、1989年︵平成元年︶以後は穴水 - 七尾間の復路のみC57 1との逆機重連が見られた[6]。
●SL北びわこ号[4]
●木ノ本駅に転車台がないため、上り木ノ本発米原行き列車は逆機で牽引されたが、2003年︵平成15年︶11月8日以降は回送となった。
●SL江の川号[4]
●石見川本駅および口羽駅に転車台がないため、往路もしくは復路では逆機で牽引された[7]。
●SL豊の国号
●三重町駅に転車台がないため、下り三重町発大分行き列車は逆機で牽引された。
●さくら︵下り列車︶
●早岐 - 佐世保間において、早岐機関区所属のC11形による逆機運転が行われていた。特急列車では唯一の例である。
脚注[編集]
(一)^ 日本においては、炭水車の両端が低く設計されたC56形がその一例である。
(二)^ のちに炭水車を更新した車両ではこの問題が改善され、逆機時に85km/hまで出せるようになった。
(三)^ いのうえ・こーいち﹁忘れ得ぬ鉄道情景④ 逆向の大型機 上山田線のD60﹂﹃鉄道ファン﹄第61巻第10号、交友社、2021年10月号、116 - 119頁。
(四)^ abcdeJR西日本が本線運転に使用していたC56 160での運用は上記︵SLシーサイド号、SL飛騨路号、SLときめき号、SL北びわこ号、SL江の川号︶以外の出張運転でも、往路もしくは復路が逆機となる場合が多かった。
(五)^ 途中、転車台のある高岡駅で方向転換が行われた。
(六)^ C56 160が単機で運行していた1988年︵昭和63年︶は、単機回送で七尾 - 穴水間を往復し、あらかじめ七尾駅で方向転換をし、穴水駅からの復路に就いた模様。
(七)^ 口羽発着の列車のみ、往路は逆機で牽引された模様。
関連項目[編集]
- タンク機関車
- テンダー機関車
- 国鉄E10形蒸気機関車 - 最初からバック運転を前提に設計されており、運転機器がキャブの右側に配置されていた。
- 推進運転