里塚
里塚 | |
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北緯42度59分28.03秒 東経141度27分45.44秒 / 北緯42.9911194度 東経141.4626222度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 北海道 |
市町村 | 札幌市 |
区 |
清田区
|
人口 | |
• 合計 | 10,614人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
004-0801~04(条丁目) 004-0809(番地) |
市外局番 | 011[2] |
ナンバープレート | 札幌 |
里塚緑ヶ丘 | |
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北緯42度59分15.37秒 東経141度28分24.06秒 / 北緯42.9876028度 東経141.4733500度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 北海道 |
市町村 | 札幌市 |
区 | 清田区 |
人口 | |
• 合計 | 6,452人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
004-0805 |
市外局番 | 011[2] |
ナンバープレート | 札幌 |
里塚︵さとづか︶は、北海道札幌市清田区にある地名。ここでは里塚に隣接している里塚緑ヶ丘︵さとづかみどりがおか︶についても記述する。河川は、三里川があるのみである。
歴史[編集]
札幌の中心からの距離が3里であることを示す塚が築かれていた地域であるため、古くは三里塚︵さんりづか︶と呼ばれていた[3]。 その後、﹁三﹂の字をとって﹁里塚﹂と改名されたが、﹁三里塚小学校﹂﹁三里塚公園﹂のように一部の施設に旧称が残る。なお﹁三里塚神社﹂の所在地は美しが丘に区分される。 塚の現物は一度失われたが、2005年の三里塚小学校開校100周年に先立って、2004年に復元された。ただしその所在地は平岡に区分される[4]。沿革[編集]
●1875年︵明治8年︶ – このころ開拓が始まる。大木が繁っていたため、当時の主要産業は木炭製造だった[3]。 ●1901年︵明治34年︶ – このころに畑作が定着する[3]。 ●1905年︵明治38年︶ – 三里塚教育所︵後の三里塚小学校︶が設置される。 ●1921年︵大正10年︶ – このころからリンゴ栽培が盛んになる[3]。 ●1933年︵昭和8年︶ – 三里塚教育所が三里塚尋常小学校に改称される[3]。 ●1944年︵昭和19年︶ – ﹁里塚﹂と命名される[3]。 ●1945年︵昭和20年︶ – このころ、地名の由来である三里塚が消失する[4]。 ●1965年︵昭和40年︶ – 里塚霊園造成開始[3]。 ●1982年︵昭和57年︶ – このころ﹁里塚・真栄地区土地利用転換計画﹂が制定され、宅地開発が進む[3]。 ●1992 – 1993年︵平成4 – 5年︶ – 宅地開発された里塚の番地区域が﹁美しが丘﹂に区分される[3]。 ●1997年︵平成9年︶11月4日 – 清田区が成立。里塚の番地区域が﹁里塚緑ヶ丘﹂と﹁平岡公園東﹂に区分される[3]。 ●2004年︵平成16年︶ – 三里塚小学校の開校100年を記念して、平岡南公園内に三里塚が復元される[4]。 ●2018年︵平成30年︶9月6日 - 北海道胆振東部地震により、1970年代後半に宅地造成された地区︵約2ha︶が液状化現象で陥没した[5]。住所[編集]
町丁 | 郵便番号 |
---|---|
里塚1条1丁目~4丁目 | 004-0801 |
里塚2条1丁目~7丁目 | 004-0802 |
里塚3条1丁目~7丁目 | 004-0803 |
里塚4条1丁目、3丁目 | 004-0804 |
里塚○番地 | 004-0809 |
里塚緑ヶ丘1丁目~11丁目 | 004-0805 |
主要道路[編集]
- 国道36号
- 厚別東通
- 青葉平岡通
- 大曲通
主な施設[編集]
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三里塚小学校
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三里塚神社(美しが丘)
-
三里塚(平岡)
交通機関[編集]
詳細は事業者・営業所・路線記事を参照。 ●北海道中央バス︵大曲営業所、白石営業所、千歳線、新千歳空港連絡バス︶ ●ジェイ・アール北海道バス︵空知線︶ ●北都交通︵新千歳空港連絡バス︶脚注[編集]
(一)^ ab札幌市 (2017年3月15日). “人口統計”. 札幌市. 2017年3月20日閲覧。 (二)^ ab“市外局番の一覧”. 総務省. 2017年3月30日閲覧。 (三)^ abcdefghij各地区の概要 札幌市清田区役所 (四)^ abc三里塚 札幌市清田区役所 (五)^ “谷に盛り土 液状化誘発 釜井・京大斜面災害研センター長が札幌・里塚調査 緩い地盤、地下で地滑り”. 北海道新聞. (2018年9月9日) 2018年9月20日閲覧。外部リンク[編集]
●札幌市清田区役所平岡 平岡公園 平岡公園東 美しが丘 北広島市 里塚・里塚緑ヶ丘 真栄 有明