野口源之助
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のぐち げんのすけ 野口 源之助 | |
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生誕 |
大森信一 弘化元年5月2日(1844年6月17日) 肥前国彼杵郡長崎 |
国籍 | 大日本帝国 |
雇用者 | 神奈川運上所、神奈川裁判所、神奈川県、開拓使東京出張所、函館県、函館師範学校、東京農林学校 |
代表作 | 『大日本禽鳥集』 |
親 | 小森蓮翁 |
野口 源之助︵のぐち げんのすけ、弘化元年5月2日︵1844年6月17日︶ - 没年不詳︶は明治時代の英語通詞。神奈川県訳官、開拓使御用掛、函館県職員、函館師範学校教諭、東京農林学校教授。ノグチゲラの名前の由来とする説がある。
記載論文におけるノグチゲラの図版
1887年シーボームが記載したノグチゲラは、1886年︵明治19年︶琉球諸島で標本を採集したプライヤーの意向でノグチなる人物に献名されたものである[3]。採集の帰途、横浜行の広島丸で同室しているノグチがそれと思われるが、同年函館県を退職した源之助が通訳として同行したものとも考えられる[1]。
1973年ベイツが記載したノグチアオゴミムシとノグチナガゴミムシもジョージ・ルイスの採集人ノグチに献名されたものである[4][5]。このノグチの正体も不明が、ルイスは慶応元年︵1865年︶1月源之助の近所大浦1番地・33番ろ地を借り入れており、源之助と接点があった可能性がある[1]。