鉄嶺市
(鉄嶺から転送)
中華人民共和国 遼寧省 鉄嶺市 | |
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鉄嶺県の凡河新区にある市政府ビル | |
遼寧省中の鉄嶺市の位置 | |
簡体字 | 铁岭 |
繁体字 | 鐵嶺 |
拼音 | Tiělíng |
カタカナ転写 | ティエリン |
国家 | 中華人民共和国 |
省 | 遼寧 |
行政級別 | 地級市 |
面積 | |
総面積 | 12,985 km² |
人口 | |
総人口(2010) | 3,051.184[1] 万人 |
経済 | |
電話番号 | 24 |
郵便番号 | 112000 |
ナンバープレート | 遼M |
行政区画代碼 | 211200 |
公式ウェブサイト: http://www.tieling.gov.cn/ |
鉄嶺市︵てつれい-し、満洲語‥tiyeliyen dabagan︶は、中華人民共和国遼寧省に位置する地級市。
市街区の市政路にある銀州区人民政府ビル︵もと鉄嶺市人民政府ビル︶
2市轄区・2県級市・3県を管轄する。
地理[編集]
鉄嶺市は遼寧省北部、松遼平原の中央に位置し、南は瀋陽市・撫順市、北は吉林省四平市、東は撫順市清原満族自治県、吉林省遼源市と接する。西は瀋陽市法庫県・康平県、内モンゴル自治区通遼市ホルチン左翼後旗である。 市内には京哈線と哈大線の鉄嶺駅が置かれ、馬蜂溝を外港としている。歴史[編集]
春秋戦国時代は東胡の居住地であり、燕の恵王により遼東郡が設置された[要出典]。漢代の遼東郡望平県に比定される[2]。唐代は渤海が越喜靺鞨の勢力地を支配下に治め富州︵現在の鉄嶺城︶と改称された。遼により富州は銀州と改称され、金代に新興県は存続する[3]。元代に新興県は廃止され、咸平府に編入された。明代になると鉄嶺市の南に鉄嶺衛が設置されたが、後に鉄嶺衛は北に移転された[2]。 1664年に清朝により鉄嶺衛が廃止され鉄嶺県︵tiyeliyen hiyan︶が設置され、盛京将軍奉天府に属した[2]。日露戦争後には日本人居留地が増加し、日本軍の駐屯も実施された。1914年に奉天省遼瀋道に編入された。 国共内戦では中国国民党に対する武装ゲリラ戦が行われ、1948年10月28日に解放軍が入城した。民族[編集]
漢族・満族・朝鮮族・蒙古族・回族・シベ族・ウイグル族・オロス族など31民族が住む[1]。開原市と西豊県は少数民族が多く、それぞれ54.5%と40.8%を占める[要出典]。満族は開原市と西豊県に多く、朝鮮族は開原市と鉄嶺県・清河区・銀州区に多い[要出典]。行政区画[編集]
鉄嶺市の市街区から南南西11キロ離れたところに新区︵鉄嶺県凡河新区︶の建設が進んでおり、以前銀州区市政路にあった市政府は2010年から新区のダイヤモンド広場︵鑽石広場︶・如意湖前に移転していて、旧市政府の建物は銀州区政府の建物になっている。 2011年に瀋陽市・撫順市とともに市の電話区域番号は024-になった。鉄嶺市の地図 |
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年表[編集]
この節の出典[4][5]
鉄嶺専区[編集]
●1955年11月11日 - 鉄嶺県・開原県・西豊県・昌図県・康平県・法庫県・新賓県・清原県を編入。鉄嶺専区が成立。(8県) ●1956年5月23日 (8県) ●撫順市撫西区・章党区の各一部が鉄嶺県に編入。 ●撫順市章党区の一部が清原県に編入。 ●撫順市五龍区の一部が新賓県に編入。 ●1956年7月3日 (8県) ●撫順市章党区の一部が鉄嶺県・清原県に分割編入。 ●撫順市撫西区の一部が鉄嶺県・清原県に分割編入。 ●1958年12月20日 ●鉄嶺県・開原県・西豊県・昌図県・康平県・法庫県が瀋陽市に編入。 ●新賓県・清原県が撫順市に編入。鉄嶺地区[編集]
●1968年12月26日 - 瀋陽専区が鉄嶺専区に改称。(7県) ●遼中県が瀋陽市に編入。 ●台安県が盤錦墾区に編入。 ●新賓県・清原県が撫順市に編入。 ●1969年12月18日 - 新民県が瀋陽市に編入。(6県) ●1970年7月13日 - 鉄嶺専区が鉄嶺地区に改称。(6県) ●1979年8月30日 - 鉄嶺県の一部が分立し、鉄嶺市が発足。(1市6県) ●1981年9月21日 - 鉄嶺県・法庫県のそれぞれ一部が合併し、鉄法市が発足。(2市6県) ●1984年6月30日 ●鉄嶺市が地級市の鉄嶺市に昇格。 ●鉄法市・鉄嶺県・開原県・西豊県・昌図県・康平県・法庫県が鉄嶺市に編入。鉄嶺市[編集]
●1984年6月30日 - 鉄嶺地区鉄嶺市が地級市の鉄嶺市に昇格。銀州区が成立。(3区6県) ●鉄嶺専区鉄法市・鉄嶺県・開原県・西豊県・昌図県・康平県・法庫県を編入。 ●鉄法市および法庫県の一部が合併し、鉄法区が発足。 ●開原県の一部が分立し、清河区が発足。 ●1986年9月12日 - 鉄法区が市制施行し、鉄法市となる。(2区1市6県) ●1988年12月27日 - 開原県が市制施行し、開原市となる。(2区2市5県) ●1992年12月12日 - 康平県・法庫県が瀋陽市に編入。(2区2市3県) ●1998年 - 開原市の一部が清河区に編入。(2区2市3県) ●2002年2月20日 - 鉄法市が調兵山市に改称。(2区2市3県)経済[編集]
石炭・電力・冶金・機械工業・化学などの重工業が発達している[6]。中華人民共和国による解放後、鉄鋼工場が建設された[7]。 全市粮食生産量は25億キロ、うちトウモロコシが20億キロで全省生産量の三分之二を占める[要出典]。トウモロコシの副産物であるフルフラールの中国最大の工場がある。また牧畜業も盛んで、牛肉・豚肉・鹿肉・羊肉などを生産する。 農産物・綿布の集散地でもあり、町から出荷される鉄嶺綿布が有名である[3]。教育[編集]
大学[編集]
●遼寧職業学院 (中国語ウェブサイト)観光[編集]
次のような見どころがある。- 銀岡書院(清朝からの教育機関、周恩来も幼時にここで学んだ)
- 鉄嶺大劇院(中国の漫才・二人転が毎晩演出され、趙本山もここで出発した)
- 唐代に建立された円通寺の白塔
- 李成梁の春花楼
- 龍首山・龍尾山公園
- 明の洪武年間(1368年 - 1398年)に建設された城壁[3]
- 柴河水庫(1974年に竣工したダム)
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銀岡書院
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鉄嶺大劇院
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龍首山風景区の入り口
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柴河水庫
出身者[編集]
●李成梁 - 遼東総兵 ●李如松 - 備倭総兵、朝鮮遠征軍司令官 ●劉粋剛 - 中華民国空軍のエース・パイロット、﹁飛将軍﹂ ●阮振鐸 - 満洲国の要人。文教大臣、交通大臣、経済大臣、外交大臣を歴任した。 ●趙本山 - 二人転の名手で、彼はテレビで中国東北部の農民をよく演じるので﹁鉄嶺市は中国で一番の田舎である﹂と冗談にいう。友好都市[編集]
●湖北省咸寧市 ●江蘇省淮安市 ●江西省上饒市 栃木県鹿沼市脚注[編集]
(一)^ ab人口民族︵鉄嶺市人民政府︶︵2013年5月閲覧︶ (二)^ abc﹃精選中国地名辞典﹄、572-573頁 (三)^ abc押野﹁鉄嶺﹂﹃アジア歴史事典﹄6巻、439頁 (四)^ 县级以上行政区划变更情况 - 中華人民共和国民政部 (五)^ 辽宁省 - 区划地名网 (六)^ 張治国監修﹃最新中国地名事典﹄︵日外アソシエーツ, 1994年5月︶、339頁 (七)^ 青木千枝子﹁ティエリン﹂﹃世界地名大事典﹄7巻︵朝倉書店, 1974年3月︶、820頁参考文献[編集]
●押野昭生﹁鉄嶺﹂﹃アジア歴史事典﹄6巻収録︵平凡社, 1960年︶ ●﹃精選中国地名辞典﹄︵塩英哲編訳, 凌雲出版, 1983年3月︶外部サイト[編集]
●鉄嶺市人民政府︵中国語︶