鍋沢ワカルパ
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鍋沢 ワカルパ︵なべさわ ワカルパ、1863年2月27日︵文久3年1月10日︶[注釈 1] - 1913年︵大正2年︶12月15日︶は、アイヌ文化伝承者である[1][2]。
経歴・人物[編集]
日高地方の平取紫雲古津にユーカラ伝承者の家系として生まれる[1][2]。ワカルパの弟は同地の首長を務めていたウトムリウクであった[1][2]。1913年︵大正2年︶に上京し[1]、当時アイヌ語を研究していた金田一京助の自宅に半年間滞在し[1][2][3]、金田一家とともにアイヌ語を日本語に翻訳して記録した[4]。その記録されたユーカラやアイヌ語が﹃虎杖丸の曲﹄・﹃蘆丸の曲﹄として刊行された[2][4][3]。 その後は白内障を患い失明するも[2][4]、ワカルパは絶望せずユーカラ伝承や釧路[2]、国後に伝わる昔話の研究や執筆に携わり金田一から﹁アイヌのホメーロス﹂と呼ばれた[1][2]。晩年は当時流行していたチフスの収束祈願に貢献したが[4]、自身も感染して急逝した[4]。著書[編集]
- 『虎杖丸の曲(クツネシリカ)』
- 『蘆丸の曲(シュプネシリカ)』
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ 生年には諸説がある。