馬場義也
馬場 義也︵ばば よしや、1888年︵明治21年︶10月22日[1] - 没年不詳︶は、日本の内務官僚。神奈川県平塚市長。
経歴[編集]
岩手県盛岡市出身[2]。1916年︵大正5年︶、東京帝国大学法科大学政治科を卒業し、高等文官試験に合格した[2]。福井県属、同今立郡長、北海道庁理事官、同空知支庁長を歴任した[2]。関東大震災後、帝都復興院事務官となり[2]、のち復興局事務官、同地方事務官となった[1]。 1927年︵昭和2年︶、山形県書記官・警察部長に転じ、さらに岐阜県書記官・警察部長、北海道庁部長・警察部長を務めた。 退官後の1933年︵昭和8年︶に平塚市長に選出された。 1935年︵昭和10年︶に退任した後は、大同映画株式会社社長を務めた[3]。脚注[編集]
参考文献[編集]
- 人事興信所編『人事興信録 第10版(下)』人事興信所、1934年。
- 『神奈川県名鑑』横浜貿易新報社、1935年。