高林陽一
高林 陽一︵たかばやし よういち、1931年4月29日 - 2012年7月15日︶は、日本の映画監督・映画プロデューサー。京都府京都市生まれ。父親は着物のデザイナー。
経歴[編集]
1955年、立命館大学法学部政治学科中退。1960年、銀座ヤマハホールで8m/mの自主映画の個人映写会を開き、若手実力派映画監督として注目される。同年の﹃石っころ﹄が評価された[1]。1963年、16m/m第1作の﹁砂﹂がベルギー実験映画祭で特別賞を受賞。 1964年、飯村隆彦、石崎浩一郎、大林宣彦、金坂健二、佐藤重臣、ドナルド・リチー、足立正生らと実験映画製作上映グループ﹁フィルム・アンデパンダン﹂を結成。1964年に発表した﹁ひなのかげ﹂はニューヨーク近代美術館所蔵作となり脚光を浴びる。また小川紳介や松本俊夫らの監督と親交を結んだ[1]。﹁すばらしい蒸気機関車﹂は、記録映画ながら日本ヘラルド配給で劇場公開されてプロデビュー。次いで劇映画に進出し、1975年のATGとの提携作﹁本陣殺人事件﹂、1976年の﹁金閣寺﹂などを監督した。﹁本陣殺人事件﹂﹁往生安楽国﹂では高沢順子を起用した 映画監督、プロデューサー、脚本を手掛ける他、﹁ねらわれた学園﹂︵角川春樹事務所、1981年︶、﹁廃市﹂︵ATG、1983年︶、﹁縄と乳房﹂︵にっかつ、1983年︶などで俳優として映画出演した。 2012年7月15日、肺炎のため死去[2]。81歳没。主な監督作品[編集]
映画[編集]
●すばらしい蒸気機関車 ●餓鬼草紙(1973) ●最後の蒸気機関車 ●本陣殺人事件(1975) ●金閣寺(1976) ●西陣心中(1977) ●往生安楽国(1978) ●ナオミ(1980) ●ザ・ウーマン ●蔵の中 ●雪華葬刺し ●赤いスキャンダル - 情事 - ●魂遊び - ほうこう - ●愛なくして︵2003年︶ ●ベンチのある風景 ●涯︵はて︶への旅︵2007年︶テレビ[編集]
●いい旅チャレンジ20,000 km︵フジテレビ、1980年4月5日~9月27日︶[3]。大林宣彦と交代で演出[3]。受賞歴[編集]
●第26回全日本CMフェスティバル・フィルムCM部門全日本CM大賞(1986)主な著書[編集]
●﹁魂のシネアスト 高林陽一の宇宙﹂︵ワイズ出版︶ ●﹁あの遠い日の映画への旅﹂︵キネマ旬報社︶主な受賞歴[編集]
●﹁石っころ﹂モンテカティーニ・アマチュア国際映画祭金賞、サレルノ映画祭銀賞︵1960年︶ ●﹁砂﹂ベルギー国際実験映画祭審査員会特別賞︵1963年︶ ●﹁餓鬼草紙﹂マンハイム国際映画祭グランプリ︵1973年︶ ●﹁金閣寺﹂文化庁優秀映画奨励賞、芸術選奨新人賞︵1976年︶ ●﹁愛なくして﹂山路ふみ子映画賞功労賞︵2004年︶ ●﹁涯てへの旅﹂モナコ国際非暴力映画祭 監督賞、新人監督賞︵2008年︶関連項目[編集]
●島村佳江脚注[編集]
- ^ a b http://www.cinematrix.jp/takabayashi/director.html
- ^ 訃報:高林陽一さん81歳=映画監督[リンク切れ] 毎日新聞2012年7月15日閲覧
- ^ a b 「CHALLENGE20,000km 『走る列車こそ大いなるスタジオなんだ!』 いい旅チャレンジ20,000km」『週刊TVガイド』1980年5月9日号、東京ニュース通信社、56-57頁。