佐藤重臣
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佐藤 重臣︵さとう しげちか、1932年9月2日 - 1988年2月27日︶は、日本の映画雑誌編集者、映画評論家、映画コレクター、映画上映活動家。﹁アングラのジューシン﹂と呼ばれた。
佐藤が編集長を務めていた頃の﹃映画評論﹄。1967年4月号の表紙。
1966年3月号より、品田雄吉の後任として編集長となり、海外のアンダーグラウンド映画や、日本の若松プロダクションの映画を雑誌の中心とする。また、1968年︵昭和43年︶には﹁日本アンダーグラウンド・センター﹂︵事務局長はかわなかのぶひろ︶を結成し、内外のアングラ映画を紹介。また﹁新宿少年団﹂を結成してハプニング活動を行っていた秋山祐徳太子とも知合い、パフォーマンス・イベントのプロデュースも行った。他に大和屋竺監督の﹁毛の生えた拳銃﹂など、多数の映画に出演もしている。
1975年︵昭和50年︶に﹃映画評論﹄は休刊となり、その後はフリーの映画評論家となる。
1980年︵昭和55年︶には﹃フリークス﹄﹃ピンク・フラミンゴ﹄を上映し、話題を呼んだ。
1987年︵昭和62年︶には日本映画学校生徒により、﹃フリーク大将 天下御免﹄という佐藤を題材としたドキュメンタリー映画が制作された。
1988年︵昭和63年︶2月27日、脳出血のため死去した。満55歳没。
略歴[編集]
1932年︵昭和7年︶9月2日、福島県西白河郡釜子村︵現‥同県白河市東釜子︶に生まれる。両親が離婚し、4歳のときに父と一緒に東京に引っ越す。 東京第一師範学校男子部附属国民学校︵現‥東京学芸大学附属世田谷小学校︶、麻布学園卒業。 中学3年の時に山際永三︵のち映画監督︶に出会って映画研究会を作り、手書き同人誌﹃ソフト・フォーカス﹄を刊行。高校時代には淀川長治主催の﹁映画友の会﹂に参加、アメリカ映画の配給会社セントラル映画社︵CMPE︶でアルバイトをし、試写会に入り浸る。映画仲間として知合った副島輝人、そして山際と映画評論同人誌﹃シネ・エッセイ﹄を刊行する。 1951年︵昭和26年︶、日本大学芸術学部映画学科入学。1954年︵昭和29年︶には山際と雑誌﹃現代映画﹄を創刊するが、1号のみで終わった。この頃、まだ新潟在住だった佐藤忠男が上京した際に、知り合う。佐藤忠男によると当時の重臣は﹁純情な映画青年で、のちの﹃アングラの帝王﹄の雰囲気はなかった﹂とのこと[1]。 1956年︵昭和31年︶に大学を中途退学。﹁キネマ旬報﹂﹁映画評論﹂﹁映画批評﹂などに映画評論を投稿。1958年︵昭和33年︶、佐藤忠男の推薦で、﹃映画評論﹄誌と経営者が同じ高田俊郎だった合同通信社に入社し、﹃映画評論﹄の編集に携わる。 1962年︵昭和37年︶には江藤文夫の誘いで﹁映画芸術﹂編集部へ。この頃、﹁週刊読売﹂記者だった長部日出雄と知合う。1964年、飯村隆彦、石崎浩一郎、大林宣彦、高林陽一、金坂健二、ドナルド・リチー、足立正生らと実験映画製作上映グループ﹁フィルム・アンデパンダン﹂を結成。 フリーライターを経て、1965年︵昭和40年︶に長部とともに、再度﹃映画評論﹄編集部へ。佐藤重臣コレクション[編集]
佐藤は、上映用プリントのコレクションを行い、1972年︵昭和47年︶から﹁サトウ・オーガニゼーション﹂として上映活動を開始、1976年︵昭和51年︶から﹁黙壺子フィルム・アーカイブ﹂と名称を変更した。この活動には、安岡卓治が映写技師として関わっていた。上映の根拠地はアートシアター新宿であった。 没後、佐藤のコレクションは、アートシアター新宿の活動を継承した芝居小屋アール・コリンが継承、上映活動を行っている。ビブリオグラフィ[編集]
フィルモグラフィ[編集]
- 『裏切りの季節』:監督大和屋竺・若松孝二、製作若松プロダクション、配給N.S.P.、1966年12月13日公開 - 出演[2]
- 『避妊革命』:監督足立正生、製作若松プロダクション、配給日本シネマフイルム、1967年2月21日公開 - 出演・ブルーフィルム男優役[2]
- 『性犯罪』:監督若松孝二、製作若松プロダクション、1967年公開 - 出演・コールガールを買う男役[2][3]
- 『毛の生えた拳銃』:監督大和屋竺、製作若松プロダクション、1968年5月公開 - 出演[2][3]
- 『無人列島』:監督金井勝、製作かない・ぷろだくしょん、1969年4月25日公開 - 出演[4][5]
- 『狂走情死考』:監督若松孝二、製作若松プロダクション、1969年9月公開 - 出演[3]
- 『GOOD-BYE』:監督金井勝、製作金井プロダクション、1971年公開 - 出演[3]
- 『温泉みみず芸者』:監督鈴木則文、製作東映京都撮影所、配給東映、1971年7月3日公開 - 出演・役人D役[2][3][4][5]
- 『(秘)女子高校生 課外サークル』:監督若松孝二、製作若松プロダクション、配給東映、1973年2月3日公開 - 出演[2][3]
- 『さらばパラノイアの群れ』:監督蔵田實、製作恋慕プロダクション、1973年6月2日公開 - 出演[2][4][5]
- 『カレンダー・レクイエム 黄色い銃声』:監督伴睦人、製作伴映画工房、1974年4月24日公開 - 出演[2][4][5]
- 『実録たまご運搬人 警視庁殴りこみ』:監督土方鉄人、製作騒動社、1975年10月3日公開 - 出演[2][4][5]
- 『アクマストキングIII 特攻任侠自衛隊 ATTACK★GANG ARMY』:監督土方鉄人、製作騒動社、1977年6月22日公開 - 出演[2][4][5]
- 『家獣』:監督青山定司、 製作:シネマギルド花魁譚、1979年10月3日公開 - 出演[3][4][5]
脚注[編集]
参考文献[編集]
外部リンク[編集]
- 佐藤重臣 - 日本映画データベース
- 佐藤重臣 - KINENOTE
- 佐藤重臣 - allcinema
- 佐藤重臣 - 日本映画情報システム(日本映画製作者連盟)