高知県民の歌
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高知県民の歌 | |
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作詞 | 西村貞夫 |
作曲 | 濱田正形 |
採用時期 | 1952年9月6日 |
言語 | 日本語 |
﹁高知県民の歌﹂︵こうちけんみんのうた︶は日本の都道府県の一つ、高知県が制定した県民歌である。作詞・西村貞夫、作曲・濱田正形。
解説[編集]
1953年︵昭和28年︶10月に高知県を含む四国4県で開催される第8回国民体育大会︵四国国体︶に合わせて県歌制定委員会が組織され、歌詞の公募を実施した[1]。公募に際しては応募資格が﹁県出身もしくは在住者﹂に限定されていたが、当初の入選者は東京都からの応募で﹁高岡郡須崎町︵現在の須崎市︶出身﹂と申告していたところ同年に制定された﹁徳島市民歌﹂︵3代目︶の一般公募で同姓同名・同住所の人物が佳作に入賞していたことを不審に思った第三者が﹁出身地を詐称しているのではないか﹂と審査委員会に申し立てを行い[2]、審査委員会が須崎町役場に照会した結果﹁該当する人物が町内に居住していた記録が無かった﹂として入選を取り消され、佳作第一席に選定されていた長岡郡久礼田村︵現在の南国市︶からの応募作が繰り上げで入選となった[3]。 歌詞の決定後、作曲部門の公募が引き続き実施され応募作79編から最終候補5曲を選定し、JORK︵現在のNHK高知放送局︶でラジオ放送して公開投票に諮った[4]。その結果、最多の支持を集めたのは高岡郡蓮池村︵現在の土佐市︶の小学校教員・濱田正形の作品で、9月6日に高知市中央公民館で発表音楽会が開催された[5][6]。 制定意義は﹁美しい自然と、神話や伝説に満ちて由緒深い歴史をたたえながら、県民の剛健な気宇と理想を唄いあげた﹂ものとされている[6]。備考[編集]
作詞者の氏名は制定当時の新聞記事や1970年代までの文献では﹁西村卓夫﹂と記述されているが[3][6][7][8]、県のサイトや1980年代以降の文献では﹁西村貞夫﹂とされている[1][9]。また、前述のように応募資格が﹁県出身もしくは在住者﹂に限定されていたが県のサイトでは県外︵大分県︶からの応募であったかのような記述が見られ[9]、長岡郡久礼田村︵現在の南国市︶からの応募とする制定時の報道とは食い違いを見せている[3]。参考文献[編集]
- 国民文化協会『事典 シンボルと公式制度 日本篇』(国際図書、1968年) NCID BN09461711
- 西崎嘉太郎/日本青少年音楽教育センター 監修『日本うたの地図』(しなの出版、1970年) NCID BN12728412
- 藤沢優『世界の国旗・国歌総覧 付・日本都道府県別県旗県歌総集』(岩崎書店、1976年)NCID BN01573937
- 中山裕一郎 監修『全国 都道府県の歌・市の歌』(東京堂出版、2012年) ISBN 978-4-490-20803-0