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1990-1991シーズンのNBA

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1990-1991シーズンのNBA
シカゴ・ブルズ 
期間 1990年11月3日-1991年6月14日
TV 放送 NBC, TBS
観客動員数 16,876,125人
サラリーキャップ 1190万ドル
平均サラリー 92.7万ドル
ドラフト
レギュラーシーズン
トップシード ポートランド・トレイルブレイザーズ
MVP マイケル・ジョーダン
スタッツリーダー  
  得点 マイケル・ジョーダン
チーム平均得点 106.3得点
プレーオフ
 イースタン  優勝 シカゴ・ブルズ
   デトロイト・ピストンズ
ファイナル
 チャンピオン  シカゴ・ブルズ
ファイナルMVP マイケル・ジョーダン
←1989-90

1991-92→


1990-1991NBANBA45

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12()(3)(4)(5)(6)(7)(9)(10)(11)(13)(14)(16)(18)(19)(20)(21)(23)(24)(27)(29)(30)(31)(35)AJ(37)(38)(39)(40)(43)(44)(45)(47)(51)(54)

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  1990NBA

その他[編集]

  • CBSによる17年に渡る放送が終了し、新たにNBCと4年6億ドルの契約が結ばれた。CBS時代と比べると約4倍の巨額契約だったが、それほどに当時のNBAが魅力的なソフトに成長した証であり、またNBAも「NBAエンターテイメント」制作による試合のハイライトシーンや選手のプライベートを綴ったテレビ番組、「インサイド・スタッフ」をNBCに提供。これがNBCの人気番組の一つとなり、NBCにとっても旨みのある契約となった。この頃にはNBAの試合は世界77ヵ国、2億世帯が視聴するまでになった。
  • 日本では11月2日に東京体育館で開幕戦のフェニックス・サンズユタ・ジャズ戦が行われ、第1戦は119-96でサンズが勝利し、第2戦は102-101でジャズが勝利した。これは海外で行われた初のNBA公式戦だった。またこの年から漫画雑誌週刊少年ジャンプで『SLAM DUNK』の連載が始まり、日本でのNBAブームの広がりに一役買った。

シーズン[編集]

オールスター[編集]

イースタン・カンファレンス[編集]

アトランティック・デビジョン
Team W L PCT. GB
ボストン・セルティックス 56 26 .683 -
フィラデルフィア・76ers 44 38 .537 12
ニューヨーク・ニックス 39 43 .476 17
ワシントン・ブレッツ 30 52 .366 26
ニュージャージー・ネッツ 26 56 .317 30
マイアミ・ヒート 24 58 .293 32
セントラル・デビジョン
Team W L PCT. GB
シカゴ・ブルズ 61 21 .744 -
デトロイト・ピストンズ 50 32 .610 11
ミルウォーキー・バックス 48 34 .585 13
アトランタ・ホークス 43 39 .524 18
インディアナ・ペイサーズ 41 41 .500 20
クリーブランド・キャバリアーズ 33 49 .402 28
シャーロット・ホーネッツ 26 56 .317 35

ウエスタン・カンファレンス[編集]

ミッドウエスト・デビジョン
Team W L PCT. GB
サンアントニオ・スパーズ 55 27 .671 -
ユタ・ジャズ 54 28 .659 1
ヒューストン・ロケッツ 52 30 .634 3
オーランド・マジック 31 51 .378 24
ミネソタ・ティンバーウルブズ 29 53 .354 26
ダラス・マーベリックス 28 54 .341 27
デンバー・ナゲッツ 20 62 .244 35
パシフィック・デビジョン
Team W L PCT. GB
ポートランド・トレイルブレイザーズ 63 19 .768 -
ロサンゼルス・レイカーズ 58 24 .707 5
フェニックス・サンズ 55 27 .671 8
ゴールデンステート・ウォリアーズ 44 38 .537 19
シアトル・スーパーソニックス 41 41 .500 22
ロサンゼルス・クリッパーズ 31 51 .378 32
サクラメント・キングス 25 57 .305 38

スタッツリーダー[編集]

部門 選手 チーム AVG
得点 マイケル・ジョーダン シカゴ・ブルズ 31.5
リバウンド デビッド・ロビンソン サンアントニオ・スパーズ 13.0
アシスト ジョン・ストックトン ユタ・ジャズ 14.2
スティール アルヴィン・ロバートソン ミルウォーキー・バックス 3.0
ブロック アキーム・オラジュワン ヒューストン・ロケッツ 3.9
FG% バック・ウィリアムス ポートランド・トレイルブレイザーズ 60.2
FT% レジー・ミラー インディアナ・ペイサーズ 91.8
3FG% ジム・レス サクラメント・キングス 46.1

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MIP: , 

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All-NBA First Team:
F - , 

F - , 76ers

C - , 

G - , 

G - , 

All-NBA Second Team:
F - , 

F - , 

C - , 

G - , 

G - , 

All-NBA Third Team:
F - , 

F - , 

C - , 

G - , 

G - , 

NBA All-Rookie Team:
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NBA All-Defensive First Team:
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NBA All-Defensive Second Team:
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調6350

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  1回戦 カンファレンス準決勝 カンファレンス決勝 ファイナル
                                     
1 ブルズ 3  
8 ニックス 0  
  1 ブルズ 4  
  5 76ers 1  
4 バックス 0
5 76ers 3  
  1 ブルズ 4  
Eastern Conference
  3 ピストンズ 0  
3 ピストンズ 3  
6 ホークス 2  
  3 ピストンズ 4
  2 セルティックス 2  
2 セルティックス 3
7 ペイサーズ 2  
  E1 ブルズ 4
  W3 レイカーズ 1
1 トレイルブレイザーズ 3  
8 スーパーソニックス 2  
  1 トレイルブレイザーズ 4
  5 ジャズ 1  
4 サンズ 1
5 ジャズ 3  
  1 トレイルブレイザーズ 2
Western Conference
  3 レイカーズ 4  
3 レイカーズ 3  
6 ロケッツ 0  
  3 レイカーズ 4
  7 ウォリアーズ 1  
2 スパーズ 1
7 ウォリアーズ 3  

Magic vs Michael[編集]


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退退西退""2A.C.258調63422

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11Q1552Q23P4Q1391-89143P92-91293-91

1910112931603619
Team 1 2 3 4 Tot.
レイカーズ 29 22 24 18 93
ブルズ 30 23 15 23 91

第2戦[編集]

第1戦の敗北を受け、フィル・ジャクソンHCはすぐに対策を打ち、第2戦ではジョーダンをディバッツに、ピッペンをマジックにマッチアップさせた。この変更が功を奏し、特にピッペンのディフェンスはマジックとレイカーズを苦しめ、マジックはこの日14得点に抑えられ、一方ピッペンは20得点10アシストを記録した。一方ブルズのオフェンスはジョーダンが試合最初の20分僅か2得点だったが、その間ホーレス・グラントが14得点を記録し、ブルズに試合の流れを引き込んだ。第3Qに入るとジョーダンはファウルトラブルのため一時的にベンチに下がったが、ブルズの勢いはさらに増していき、第3QはFG17/20、38得点とブルズのオフェンスが爆発。ジョーダンがコートに戻った時にはブルズのリードは16点にまで広がっていた。ジョーダンが帰ってきたブルズの勢いはさらに加速し、ブルズの11連続得点でリードはさらに広がった。そして試合終盤、ペネトレイトからダンクに行ったジョーダンが、パーキンスのブロックをかわすためにボールを左手に持ち替え、落下しながらスクープショットを決めた時点で、ブルズファンで埋め尽くされた館内の熱気は最高潮に達した。ジョーダンの驚異的な跳躍力と滞空時間をまざまざと見せ付けたこのプレイは、"The Move"と呼ばれ、ジョーダンの最も有名なシュートの一つに数えられている。試合は107-86でブルズが圧勝。FG50/81、FG成功率61.7%とブルズのオフェンス力が爆発した試合となった。前半大人しかったジョーダンも、終わってみれば33得点7リバウンド13アシスト、FG15/18の数字を残していた。

Team 1 2 3 4 Tot.
レイカーズ 23 20 26 17 86
ブルズ 28 20 38 21 107

第3戦[編集]

ロサンゼルスのグレート・ウェスタン・フォーラムに戦いの場を移した第3戦、ジョーダンは不調に陥っていた。しかし大事な場面で最も輝いたのは、やはりジョーダンだった。90-89のブルズリードで迎えた試合残り10.9秒、ディバッツがマジックのルーズボール気味のパスを受け取り、大きく姿勢を崩しながら放ったレイアップが決まって91-90とレイカーズが逆転。さらにピッペンのファウルも引き出し(このファウルでピッペンはファウルアウト)、バスケットカウント・ワンスローとなってレイカーズが92-90の2点のリードを奪った。窮地に追い込まれたブルズが頼るのはジョーダンしか居なかった。ボールを持ったジョーダンは一気にコートを駆け上がり、ゴールから14フィートの位置からジャンプショットを放った。シュートは決まり、92-92で試合はオーバータイムへ突入。レイカーズは96-96の同点以降は無得点に抑え込まれ、さらに残り1分でディバッツがファウルアウト。一方、ジョーダンはオーバータイムでチームの総得点の半分をあげ、ブルズが第3戦を104-96で勝利した。

Team 1 2 3 4 OT Tot.
ブルズ 25 23 18 26 12 104
レイカーズ 25 22 25 20 4 96

第4戦[編集]

97-82でブルズが3連勝を飾り、早くも優勝に王手を掛けた。この試合はブルズのディフェンス力が光り、第2Qと第3QのレイカーズはFG12/41、試合全体でもFG成功率36.6%に抑え込まれた。そして試合中にはさらなる不幸がレイカーズを襲った。チームの主力であるジェームス・ウォージーとバイロン・スコットが怪我で試合を離脱し、以後の試合も欠場を強いられたのである。

Team 1 2 3 4 Tot.
ブルズ 27 25 22 23 97
レイカーズ 28 16 14 24 82

第5戦[編集]

ウォージーとスコットを失い、勝敗でも1勝3敗と窮地に追い込まれたレイカーズは、マジックとバックアップが奮闘。ベンチから出場の新人エルデン・キャンベルは21得点を記録し、マジックは16得点11リバウンド20アシストでプレーオフ通算30回目のトリプル・ダブルを達成した。しかし彼らの奮闘もブルズの前には十分ではなかった。レイカーズは第4Qまで93-90とリードを守ってきたが、ここからジョーダンとジョン・パクソンを中心にブルズが猛攻を見せ、9連続得点を決めて一気に逆転。その後追いつかれることなく、ブルズが108-101で勝利し、創部25年目にして初の優勝を果たした。ジョーダンは30得点10アシスト5スティール、ピッペンは32得点13リバウンド7アシスト5スティール、パクソンは20得点を記録した。

Team 1 2 3 4 Tot.
ブルズ 27 21 32 28 108
レイカーズ 25 24 31 21 101

プロ7年目にして悲願の優勝を遂げたジョーダンは、シリーズ平均31.2得点6.6リバウンド11.4アシスト、FG成功率55.8%を記録し、ファイナルMVPを獲得。シーズンMVP、ファイナルMVP、得点王の三冠を達成したのは、1970-71シーズンカリーム・アブドゥル=ジャバー以来の快挙であった。このファイナルはブルズのディフェンスが光ったシリーズだった。シーズン平均106.3得点を誇ったレイカーズのオフェンスは、このシリーズ91.6得点に抑え込まれ、100得点オーバーとなったのは第5戦のみだった。第4戦でレイカーズが記録した82得点は、1954年にショットクロックが導入されて以来、レイカーズがファイナルで記録した最小得点であり、また過去10年のファイナルでも最も低い数字だった。特にピッペンのマジックへの厳しいディフェンスはブルズ優勝に大きな貢献を果たし、マジックはこの5試合で22のターンオーバーを喫した。

シャンパンを浴びながら優勝トロフィーを抱きしめるジョーダンは、「今は何も考えられない。この時間を楽しみたい」と、これから訪れる栄光の時代のことなど全く考えていない様子だった。ブルズとジョーダンはこの優勝を出発点に空前絶後の黄金期を迎えることになるのだが、その最初を「マジック対マイケル」という究極の世代抗争を制して後は、同世代ライバルたちとの壮絶な戦いが待っていた。

一方このシーズンもファイナルで敗退し、優勝から3年遠ざかっているレイカーズだが、マジック、ウォージー、スコットの主力3人はそれぞれ30歳前後を迎え円熟期に達しており、インサイドもパーキンスにディバッツと充実したメンバーが揃っていた。未だリーグ屈指の実力を誇るレイカーズは、今後も新世代チームの前に立ちはだかる大きな壁として、リーグに君臨するはずだった。しかし80年代のNBAを支えてきたレイカーズの時代はあまりに突然で、そして悲しい形で終幕を迎えることになる。

結果[編集]

シカゴ・ブルズ 4-1 ロサンゼルス・レイカーズ ファイナルMVP:マイケル・ジョーダン (シカゴ・ブルズ

日付 ホーム スコア ロード
第1戦 6月2日 ブルズ 91-93 レイカーズ
第2戦 6月5日 ブルズ 107-86 レイカーズ
第3戦 6月7日 レイカーズ 96-104 (OT) ブルズ
第4戦 6月9日 レイカーズ 82-97 ブルズ
第5戦 6月12日 レイカーズ 101-108 ブルズ

ロスター[編集]


 
32 | 42  | 4  | 14  | 12  | 45 A.C. | 20  | 43  | 34  | 41  | 10 

[]


 1976-91 224.3退

 1976-91 8082000退

 1977-91 2

 1977-91 70801979NBA退

 1978-91 退

 1978-91 12退

 1979-91 退

 1980-91 1980NBA1退

 1980-91 2退

 1980-91 

 1980-91 退

 1981-91 8019863退

[]


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