Lotus 1-2-3
PC-9800シリーズ用MS-DOS版Lotus 1-2-3 | |
開発元 |
ロータスソフトウェア IBM (1995年 -) |
---|---|
初版 |
1983年1月26日[1] 1986年9月5日[2] |
最新版 |
9.8.2 / 2002年 |
対応OS | MS-DOS, OS/2, Windows, Mac OS |
サポート状況 | サポート終了 - 2014年9月30日[3] |
種別 | 表計算ソフト |
ライセンス | プロプライエタリ |
Lotus 1-2-3︵ロータス ワン・ツー・スリー︶は、ロータスソフトウェア︵旧ロータス・デベロップメント、現在はIBM傘下︶が開発・販売していたパソコン用表計算ソフトである。
本ソフトウェアは、ロータス・デベロップメント社を代表する商品のひとつであった。日本においては単に﹁ロータス﹂または﹁1-2-3﹂︵ワン・ツー・スリー、もしくは日本語でイチ・ニ・サン︶と呼称されることも多い。
名称の﹁1-2-3﹂は、1.表計算機能、2.グラフ機能、3.データベース機能 の3つの機能を併せ持つことに由来する。
Lotus 1-2-3は、MS-DOS用表計算ソフトの代名詞的存在となり、当時世界で最も売れたパソコン用アプリケーションソフトウェアとなった。特に北米市場ではIBM PC/ATおよびその互換機のキラーアプリケーションとなり、日本市場においても一時期はワープロソフトにおけるジャストシステムの一太郎と同様に、PC-9800シリーズを中心とするMS-DOSパソコン向け表計算ソフトのシェアトップを占めた。しかし、x86プラットフォームにおける主要なオペレーティングシステムがMS-DOSからMicrosoft Windowsへ移行するに従い、早期にWindowsに対応したMicrosoft Excelの攻勢の前に劣勢に立たされ、シェアを失った。
2006年12月時点での最終バージョンは﹁release 9.8﹂︵日本では﹁2001﹂︶であり、その後バージョンアップは行われていない。またロータス・スーパーオフィスも含め、Microsoft Windows Vista以降のWindows OSには対応しなかった[4]。マイクロソフトによるMicrosoft Windows XPのサポート終了にともない、単品販売のMillennium Editionとスーパーオフィスは営業活動を2013年9月11日には終了し、2014年9月30日にサポートも終了した[3]。
日本では、2003年10月よりソースネクストから価格を1980円に引き下げて販売されたが、2008年時点で既に単品販売は終了しており、その後はロータス・スーパーオフィスの形で2970円で発売されていた︵サポートは引き続きIBMが行う︶。
最終的な累計出荷本数は、全世界で500万本以上とされる[5]。
IBM PC用MS-DOS版Lotus 1-2-3
Lotus 1-2-3 は1983年、ミッチ・ケイパー発案のもと、ジョナサン・ザックスにより開発された。アメリカ合衆国においては、家庭におけるパソコンの用途のひとつとして、表計算ソフトが普及していた。Lotus 1-2-3︵以下1-2-3︶以前にはApple II等で利用できるビジコープ社の VisiCalc がベストセラーとなっており、16ビットパソコンであるIBM PCにおいても同様のアプリケーションが期待されていた。
マイクロソフトはIBM PC対応、すなわちPC DOS上で動作するアプリケーションとして Microsoft Multiplan を開発、販売しており、また8ビットパソコンにおいて人気のあった VisiCalc や SuperCalc などの移植も行われていたことから、IBM PCプラットフォームにおける先行ソフトは既に存在していた。
ロータス・デベロップメント︵以下ロータス︶は先行ソフトに対し優位に立つ為、他を圧倒する性能を追求し、1-2-3を開発した。1-2-3は豊富な機能、高速な再計算、強力なマクロ、アドインによる拡張性をセールスポイントに掲げ、先行していた他の表計算ソフトを圧倒してMS-DOS用アプリケーションソフトウェアのスタンダードとなることに成功した。
同ソフトの人気はIBM PC/ATとその互換機の売り上げを押し上げ、パソコン市場をIBM一色に塗り替えることに寄与した。高機能であるがゆえにメモリは256KBを要求されたが、1-2-3の人気はむしろ標準的なPC環境の高性能化を後押しした。マイクロソフトがIBM PCにバンドルされる﹁PC DOS﹂と同様のOSを﹁MS-DOS﹂として互換機メーカーに供給、および市販したことから、互換機上でも1-2-3を使うことができた。MS-DOSがCP/M-86との競争に勝利した理由の一つには、間違いなく1-2-3の存在があった。また、1-2-3の人気は、IBM純正機よりも、互換機の売り上げをより押し上げ、IBMのシェアは徐々に低下していった。当時、﹁PC/AT互換機﹂よりも﹁1-2-3互換機﹂︵1-2-3 compatible︶という呼称の方が一般的であったほどである。
また、Macintosh版もリリースされたが、ミッチ・ケイパーは Symphony や Jazz のような統合ソフト︵integrated software︶に期待しており1-2-3の将来性に否定的で、移植にも消極的であった。移植が行われてからもMS-DOS版との互換性の低さやGUIに適合しないインターフェースが利用者の不評を買い、Macintosh市場では存在感を示すまでに至らなかった。
マイクロソフトは、MS-DOS市場におけるMultiplanの敗北の反省に立ち、新規デザインの表計算ソフト Microsoft Excel ︵以下Excel︶を開発し、来るべきOS/2時代での捲土重来を期した。次期プラットフォームはOS/2ではなくMicrosoft Windows︵以下Windows︶となったが、ExcelはWindowsの普及と歩調を合わせて販売本数を順調に増やしていった。しかし、1-2-3はWindowsへの対応が遅れ、プラットフォームを移してからもExcelとの性能差は開き続けた。特に初期のWindows版及びMacintosh版は、一見するとGUIアプリケーションにもかかわらず、マウスによる操作はほぼ行えず、キーボードによる操作を要求するなどの致命的な問題を抱えていた。そんな中、ロータスがグループウェア Lotus Notes を主力に据えたこともあり、Windows版の開発は停滞、Macintosh版の開発は中止と、Excelとの差は埋めようがないほどにまで広がっていった。
ロータスはMicrosoft Officeに対抗すべく、オフィススイート Lotus SmartSuite︵日本国内向けは﹁スーパーオフィス﹂︶をリリースしたり、価格を引き下げたりして対抗したものの、オープンソースや他社の安価なソフトとの狭間で埋没し存在感を出せず、2013年6月11日に販売が終了した。年間継続サポート用のパーツに関しては2013年9月11日で提供が終了し、2014年9月30日に全製品のサポートが終了した[6]。
歴史[編集]
特徴[編集]
MS-DOS時代においては、他のソフトに比べて先進的な機能を有していた。本項ではMS-DOS版のみについて述べる。処理速度[編集]
処理速度を向上させる為、アセンブリ言語で開発されていた。アセンブリ言語は、個々のハードウェアへの依存度が高く扱いも難しいが、コードは小さく、処理は速くできる。互換機メーカーや周辺機器メーカーの方が1-2-3に合わせて設計を行い、むしろIBM純正機との互換性確保の基準として扱われたこともあり、機種依存はほとんど問題とはならなかった。 また、Multiplanは旧機種との互換性にこだわっていた分、性能が犠牲になっていた。1-2-3はPC/AT以降(日本市場では加えてPC-9801)に特化することにより、描画スピードやメモリの利用効率の面で他の表計算ソフトを圧倒していた。特筆すべきは再計算の速さで、一説によると、環境にもよるがMultiplanの10倍程度であったともいわれている。機能[編集]
本体のみでデータベース作成やグラフ描画が可能だった。ミッチ・ケイパーはこれ以前に VisiCalc を拡張する VisiPlot や VisiTrend を開発しており、それらの機能を一本のアプリケーションに統合することで利便性を高めたのである。マルチタスクでないMS-DOS環境において、アプリケーションを終了することなくワークシート表示とグラフ描画を同時に行えるなどの利点があった。文章の表示にも優れていたため簡易なワープロとしても使用可能で、表を含む様な文書の場合、ワープロソフトより文書作成が楽な場合さえあった。︵ただしジョナサン・ザックスは、世界初の統合ソフトである Context MBA の動作の遅さの原因がワープロ機能にあると看破し、あえてワープロに要求される機能を盛り込まなかった︶ その上、アドインにより様々な機能を追加することができ、更に強力なマクロ機能も有しており、応用範囲の広さに対する評価が非常に高かった。アドインやマクロは利用者自らによる作成にとどまらず、第三者の手によって開発され、商用ソフトとして市販されたり、PDSやシェアウェアの形で配布されることが多く、ユーザーにとっては更に利便性が高まり、それが1-2-3の人気をより押し上げる結果にもつながった。ユーザーはそれらにより独自の環境を構築することができ﹁1-2-3さえあれば他のアプリケーションは必要ない﹂とまで言われるほどだった。 後に1-2-3を模倣し、性能面で上回り、付加価値となる独自機能をも有していたアプリケーションも現れたが、既に高い信頼を得ていた1-2-3の牙城を崩すには至らなかった。インターフェース[編集]
基本的なインターフェースはVisiCalcを模倣していた為、VisiCalcのユーザーは、ルックアンドフィールの違いに戸惑うことなく利用することができた。ワンキーメニュー呼び出し、ポップアップメニュー、F1キーによるヘルプ呼び出しなど、他のアプリケーションの標準的な操作方法は1-2-3により固まったといってよい。また、グラフィック機能を積極的に利用し、グラフを美しく描画することができた。IBM標準のグラフィックカードは、高解像度だがテキストしか扱えないMDAと、カラーグラフィックを扱えるが解像度の低いCGAだったが、1-2-3を快適に利用する為、解像度の高いHerculesが広く利用されていた。日本語版のバージョン履歴[編集]
DOS版[編集]
●1986年9月5日 - ﹁1-2-3 リリース2J﹂︵NEC PC-98用︶を発売[2]。︵以下、﹁リリース﹂を﹁R﹂とする。︶日本語版独自の機能として、MS-DOS無償再販許諾の制度を利用したMS-DOS 2.0、および日本語入力ソフト﹁松茸86﹂をバンドル。また、罫線による作表、ローソク足チャートなどのグラフの追加がある[7]。同年10月、IBM 5550用発売。 ●1987年10月 - ﹁1-2-3 R2.1J﹂︵PC-98用︶発売[8]。同年11月、IBM PS/55用発売。翌年、富士通FMR、松下PanacomM、東芝J-3100、日立B16シリーズ用発売。 ●1989年2月 - ﹁1-2-3 R2.1J plus﹂発売[9]。 ●1990年2月 - ﹁1-2-3 R2.2J﹂発売[10]。 ●1991年9月 - ﹁1-2-3 R2.3J﹂発売[11]。 ●1993年9月 - ﹁1-2-3 R2.4J﹂発売[12]。 ●1995年7月 - ﹁1-2-3 R2.5J MS-DOS対応版﹂発売[13]。OS/2版[編集]
●1990年6月 - ﹁1-2-3 R3J﹂発売[14][15]。PS/55用OS/2 J1.0対応。 ●1993年12月24日 - ﹁1-2-3 OS/2対応﹂発売[16]。OS/2 J2.0以上対応。Windows版[編集]
●1991年11月15日 - ﹁1-2-3/Windows R1.0J﹂発売[17]。Windows 3.0日本語版に対応。 ●1992年6月2日 - ﹁1-2-3/Windows R1.1J﹂発売[18]。 ●1993年7月16日 - ﹁1-2-3 R4J Windows対応版﹂発売[19]。Windows 3.1日本語版に対応。 ●1994年9月22日 - ﹁1-2-3 R5J Windows対応版﹂発売[20]。 ●1995年12月23日 - ﹁1-2-3 R5J Windows95対応版﹂発売[21]。 ●1997年4月11日 - ﹁1-2-3 97﹂発売[22]。 ●1998年6月5日 - ﹁1-2-3 98﹂発売[23]。 ●1999年7月2日 - ﹁1-2-3 2000﹂発売。 ●2001年7月27日 - ﹁1-2-3 2001﹂発売。出荷本数[編集]
●全世界 ●1983年1月 - アメリカ合衆国にて発売。初年度6万本販売[24]。 ●1987年1月 - 200万本[25]。 ●1996年7月 - 2200万本[26]。 ●日本 ●1986年9月 - 日本にて発売。 ●1989年8月 - 20万本[27]。 ●1991年7月 - 50万本[11]。 ●1993年2月 - 100万本[26]。 ●1996年1月 - 400万本[26]。 ●1996年7月 - 500万本[26]。参考文献[編集]
●ダニエル・イクビア/スーザン・L・ネッパー著、椋田直子訳︵1992︶﹃マイクロソフト-ソフトウェア帝国誕生の軌跡-﹄ISBN 978-4756101181, アスキー ●相田洋、大墻敦著︵1996︶﹃新・電子立国 第3巻 世界を変えた実用ソフト﹄ISBN 978-4140802731, 日本放送出版協会 ●脇英世︵1994︶﹃ビル・ゲイツの野望 マイクロソフトのマルチメディア戦略﹄ISBN 978-4062072618, 講談社脚注[編集]
(一)^ AnVi OpenSource Knowledge Trust.. “Dependency”. 2016年6月15日閲覧。
(二)^ ab﹁パソコンソフト世界最大の米ロ社上陸に揺れる、発売早々国内トップ。﹂﹃日本経済新聞﹄ 1986年10月14日朝刊、20面
(三)^ abIBM. “ソフトウェアの営業活動終了およびサポートの終了: Lotus SmartSuite、Lotus Organizer、および Lotus 123”. 2013年7月13日閲覧。
(四)^ “スーパーオフィス製品の Microsoft Windows Vista に対するサポートについて”. IBM. 2014年10月4日閲覧。
(五)^ “さよならロータス1-2-3”…全世界累計500万本出荷からの転落、日経トレンディネット、2013年7月10日。
(六)^ Colin Barker (2014年10月3日). “さようなら、﹁Lotus 1-2-3﹂--サポート終了で31年の歴史に幕”. ZDNet Japan. 朝日インタラクティブ. 2014年10月4日閲覧。
(七)^ Edward Warner (1986年9月8日). “Lotus Perseveres to Unveil Japanese Version of 1-2-3”. InfoWorld. pp. 9 2016年5月2日閲覧。
(八)^ ﹁ASCII EXPRESS: ロータスが1-2-3のバージョンアップ版とアドイン日本語ワープロ﹁4Word﹂を発表﹂﹃月刊アスキー﹄第11巻第10号、1987年。
(九)^ “表計算ソフトの新しい世界 : 第2部 徹底比較研究 : 代表的表計算ソフト”. 日経パソコン: 198. (1989-07-24).
(十)^ ﹁ASCII EXPRESS : ロータス、1-2-3をバージョンアップ﹂﹃月刊アスキー﹄第14巻第3号、1990年。
(11)^ ab﹁ロータス、﹁1-2-3﹂強化版を発売。﹂﹃日経産業新聞﹄ 1991年7月6日、5面。
(12)^ ﹁ロータスが新版、﹁MS-DOS﹂対応ソフト―表計算のシート上で。﹂﹃日経産業新聞﹄ 1993年8月4日、6面。
(13)^ Q&A集 1-2-3 R2.5J MS-DOS対応版 発売日・パッケージ内容を教えてください - ウェイバックマシン︵1999年10月1日アーカイブ分︶
(14)^ ﹁ロータスが発売、表計算ソフト1-2-3―日本語OS/2版。﹂﹃日経産業新聞﹄ 1990年6月29日、6面
(15)^ ﹁ASCII EXPRESS : ロータスがOS/2対応のLotus 1-2-3 R3Jを開発﹂﹃月刊アスキー﹄第14巻第5号、1990年。
(16)^ ﹁ロータスが発売、﹁OS/2﹂対応表計算ソフト﹂﹃日経産業新聞﹄ 1993年11月24日、7面。
(17)^ ﹁ロータス、﹁1-2-3﹂発表、日本語版W3.0対応。﹂﹃日経産業新聞﹄ 1991年9月19日、9面。
(18)^ ﹁ロータス、﹁1-2-3﹂最新版―書体設定など多様に。﹂﹃日経産業新聞﹄ 1992年6月2日、6面。
(19)^ ﹁ロータス、ウィンドウズ3.1対応ソフト4製品を投入―﹁表計算﹂など対象。﹂﹃日経産業新聞﹄ 1993年6月16日、6面。
(20)^ ﹁ロータス、﹁オフィス﹂改良版2種―ソフト間の連携を強化。﹂﹃日経産業新聞﹄ 1994年8月24日、6面
(21)^ ﹁ロータス、﹁95﹂対応版、来月に―32ビット構造にし高速化。﹂﹃日経産業新聞﹄ 1995年11月16日、8面
(22)^ Q&A集 1-2-3 97 発売日・パッケージ内容を教えてください - ウェイバックマシン︵1999年10月10日アーカイブ分︶
(23)^ Q&A集 1-2-3 98 発売日・パッケージ内容を教えてください - ウェイバックマシン︵1999年11月17日アーカイブ分︶
(24)^ “The secret history of the IBM PC gamble”. Infoworld: 47. (1991-08-12) 2017年2月18日閲覧。.
(25)^ “SPREADSHEETS”. Infoworld: 43. (1987-02-09) 2017年2月18日閲覧。.
(26)^ abcd﹁﹁ロータス1-2-3﹂、累計500万本突破。﹂﹃日経産業新聞﹄ 1996年7月17日、9面。
(27)^ ﹁特集 : 表計算ソフトの新しい世界﹂﹃日経パソコン﹄1989年7月24日、186-223頁。
関連項目[編集]
- ロータス・スーパーオフィス
- HP200LX(ROM化された1-2-3を搭載したPC/XT互換ハンドヘルドコンピュータ)
- ダイナブック (東芝)(シリーズ内のDynabook EZにおいてROM化された1-2-3を搭載していた)
- 管理工学研究所(リリース2の日本語化を担当)