関連議論
過去ログ
- 2005年5月8日 (日) 間での議論 - ウィキポータル、カテゴリ
- 2007年1月31日 (水) 13:44 までの議論 - テンプレートの導入について、Category:中国史の人物、フランスの政体の記事名について、近代以前の日本の人物の生没年に関して、再選考、公家の名乗りについて、イギリスの歴史Template、日本の歴史スタブの提案、グレゴリオ暦の月日記事とユリウス暦の月日について、ウィキポータル分類についての議論参加のお願い、記事「江戸時代」について、ユトレヒト同盟
- 誰も書いていないのですが私の提案に反対意見はない、もしくは実行してもいいと言うことなのでしょうか。確認をお願いします。--やりたこ 2007年6月14日 (木) 08:04 (UTC)[返信]
- この手の問題提起はウィキプロジェクト 日本史のノートで行なった方がよいかと思います。--ウィキワッチー 2008年7月17日 (木) 20:49 (UTC)[返信]
人物記事の右衛門佐について、適切な記事名への改名が必要と考えています。意見をいくつかいただいていますが判断が分かれているため、引き続き日本史に詳しい方のご意見をお待ちしております。ノート:右衛門佐までお願いいたします。--Happy B. 2007年12月31日 (月) 01:43 (UTC)[返信]
- 右衛門佐局へ改名しました。ご意見をお寄せくださったお二方、ありがとうございました。--Happy B. 2008年1月26日 (土) 18:00 (UTC)[返信]
現在世界の一体化にて、「記事量が長大であるため、どうにかしよう」ということで分割提案がなされています(ノート:世界の一体化#改めて分割提案)。「分割がそもそも必要か」「そもそも百科事典的か」など根本的な話もされるかと予想されますので、みなさまご参加よろしくお願いします。--青子守歌(会話/履歴) 2008年3月4日 (火) 19:06 (UTC)[返信]
- 最終的なまとめにて、分割案の最終確認を行なっています。一応、期限は2008年5月6日 (火) 0:00(JST)となっていますので、何か問題があると思われる場合は早めに反対表明をお願いします。賛成(問題なし)の場合も、そのように言っていただけると助かります。よろしくお願いします。--青子守歌(会話/履歴) 2008年5月4日 (日) 16:59 (UTC)[返信]
すみませんがご相談したいことがあります。現在立花道雪のノートページにて、記事の改名に関する議論が行われております。問題となっているのは、生前に使っていなかった氏名の方が周知されている人物であっても、記事名は生前使われていた物にするべきか、という部分です。
他の記事を見ても方針が統一されておらず、たとえば北条早雲と聖徳太子は周知されている名が記事名ですし、真田幸村と島左近は生前使われていた名が記事名です。
日本史という分野の中でさえ統一されていないのはまずいと思うのですが、この問題について過去になにか方針が出されたことがありますでしょうか? もし無いのであれば、統一された方針を出すべきだと思うのですが、いかがでしょうか?--蒲生直義 2008年10月12日 (日) 08:27 (UTC)[返信]
過去に明確な方針が出されたことはないと記憶しています。個々の事例に即して、個別判断がなされているのが現状でしょう。もちろん統一した方針があるに越したことはありませんが、私は悲観的な見通しを抱いています。
人々を啓蒙するという百科事典の本来的あり方を重視するならば、学術研究の場で一般的となっている呼称︵要するに、学者さんが普通に使っている呼称︶をウィキペディアの項目名に採用することが、きわめて妥当なことだと私は考えています。上の例でいきますと、今日の学術研究レベルでは、北条早雲=﹁伊勢宗瑞﹂、聖徳太子=﹁厩戸王子/皇子﹂と称するのが一般的となっていますので、百科事典の本旨に基づけば、おのおの後者を項目名として採用すべきだろうと思います。
しかし一方で、﹁多くの人が参照する百科事典なのだから、その項目名は人口に膾炙しているものを採用すべきだ﹂という主張が多く見受けられたりもしています。この場合、学術研究レベルで一般的な呼称であっても、世間一般に流布していなければ、積極的に項目名とする必要はない、という結論が導き出されます。
両者の考え方の間には、百科事典に対する思想・価値観に大きな違いがあると思っています。かたや﹁百科事典→知らないことが書いてあるので学ぶことができる﹂、かたや﹁百科事典→知っていることが書いてあるので安心できる﹂、という根本的な違いです。ゆえに両者の主張は互いに平行線をたどるだけであり、いずれか一方に収斂することはほぼないだろうと考えられます。
大きな価値観の違いがある中で、項目名についての統一的な方針を策定することは難事業です。しかも、得られる果実はさほど大きくない。であれば、意味の少ない難事業に膨大なエネルギーを費やすくらいなら、他の楽しくて有意義な活動︵記事内容の加筆充実︶にエネルギーを注いだ方がマシじゃろ、と数年にわたるウィキペディア生活を過ごしてきた私なぞはそう思うわけなのです。
立花道雪の件で言えば、その名前が生前使われていたかどうかよりも、戦国史を中心とする学者さんたちが今どう呼んでるかが重要だと私は考えます。この考え方はWikipedia:検証可能性、Wikipedia:中立的な観点、Wikipedia:独自研究は載せないのいずれの方針にも適うものだと思うのですが、いかがでしょうか。--shimoxx 2008年10月12日 (日) 17:26 (UTC)[返信]
ご意見ありがとうございます。やはりこの問題に関しては、個別判断が行われていたのですね。呼称に関してはShimoxxさんが言われている﹁学術研究の場で一般的となっている呼称をウィキペディアの項目名に採用する﹂が適切で納得が行きました。ただ、統一した方針を策定するのは難事業であまり有意義ではないという意見については、どうにも腑に落ちません。神経質すぎるかもしれませんが、記事名という重要な項目で各記事が不統一なのは、百科事典として欠点ではないかと思えるのです。とはいえ難しい問題であるということについては同意見ですので、すぐにでも統一された方針をだすべきじゃないのかという意見は下ろします。立花道雪の問題に関しましても、いただいたご意見が非常に納得が行くものでしたので、参考とさせていただきます。ありがとうございました。--蒲生直義 2008年10月13日 (月) 10:53 (UTC)[返信]
レアケースと思われますが、学界で通用している呼称と一般に通用している呼称とが一致しているにもかかわらず、余り一般的でない呼称が項目名とされた人物記事の例として項籍が挙げられます。初版の段階で姓+諱の原則に従って﹁項籍﹂とされた事自体は全く正当ではありますが、その後の改名提案の議論でコーエーSLGでの呼称を﹁項籍﹂の根拠とする意見が出るなど、議論のプロセスに瑕疵がある例としてもご紹介しておきます︵ノート:項籍#項羽と項籍︶。--Fish40 2008年11月1日 (土) 12:32 (UTC)[返信]
日本史の人物記事では大河ドラマをはじめとするドラマやその配役、小説・漫画などの情報の取扱いが問題となっています︵これらの情報を人物記事と分離する試みとして、例えばノート:日本史の人物を演じた俳優一覧、ノート:徳川家康/過去ログ1#分割提案︶。
当該人物の研究における必須の文献が挙げられず、代わりに人物の事績とも後世の歴史的評価とも無関係のフィクション情報が羅列されている現状は異常であると考えます︵例えば徳川家康#徳川家康が登場する作品、ノート:徳川家康/過去ログ1#分割提案以降︶。また、これらのフィクション情報はまとまった文章で論じる事もできず冗漫な羅列に陥るのが常であり、徳川家康#徳川家康が登場する作品のような節は単独記事とした場合には削除の方針・ケースEで削除の対象となるはずです︵上記分割提案が実現する見込みは薄いでしょう︶。このような節はいわば人物記事に付属することで削除を免れているとも言えるでしょう。さらに、フィクション情報の避難所として立てられたはずの日本史の人物を演じた俳優一覧もケースEに該当するとして削除依頼が提出されるという事態に陥っています︵Wikipedia:削除依頼/日本史の人物を演じた俳優一覧。情報の性質上羅列する他なく、存続の見込みは薄いと思われます︶。
以上の問題を解決するため、歴史上の人物記事にフィクション作品の情報を原則として載せない旨の拘束力ある合意がなされるべきと考えます。詳細は今後詰めていくものとして、とりあえずはフィクション作品の情報を原則として除く旨の取り決めがあって然るべきと思われます。
なお、中国史においては特に三国志関連の人物記事で﹃三国演義﹄や横山光輝氏の作品やコーエー作品群の情報などをどう扱うべきかが問題となりそうですが、現状では概ね適切に抑制されているように思われます︵但し、例えばノート:曹豹︶。殊に﹃三国演義﹄は歴史的に評価の高い作品でもあり、その情報を一定の範囲内で掲載する事は差し支えないと考えます。また、﹁レッドクリフ﹂の情報の取扱いは今後問題となり得ると思われます。--Fish40 2008年11月1日 (土) 12:32 (UTC)[返信]
基本的に賛成です。歴史の記事ではありませんけどノート:ミスリルで同じような話題が出ました。その主題の受け取られ方に非常に強い影響力を持っていると認められる場合のみに許すとすべきでしょう。﹃演義﹄は無論認められます。--らりた 2008年11月1日 (土) 13:04 (UTC)[返信]
ポータルのノートよりも、適切なウィキプロジェクトにおいてなされるべき提案かと思います。ただ﹁拘束力のある合意﹂というものはウィキプロジェクトで取り決められた事項についても存在しえないものであったと記憶しています。--Kangoshiyouichi 2008年11月1日 (土) 13:23 (UTC)[返信]
﹁ウィキプロジェクトで提案されたものは強制力は持ちませんが、その分野の指針となります。しかし、ノートで検討されていない提案は、指針としては仮または暫定の状態になります。異議や不明な部分があった場合はノートで十分検討したのち提案するようにしてください﹂︵Wikipedia:ウィキプロジェクト︶
という訳で、強制力はなくても指針なのですから拘束力はあるでしょう。少なくとも﹁指針を無視する合理的な理由を示せ﹂くらいは言えるでしょう。プロジェクトでやるならWikipedia:ウィキプロジェクト 歴史でしょうけど、もうこれ以上場所を変えなくても良いでしょう。プロジェクトのノートにこっちで議論してますと書いておいて、このノートで合意が出来たらプロジェクトに反映させれば。--らりた 2008年11月1日 (土) 13:30 (UTC)[返信]
そのような意味での拘束力でしたら、特に異論はありません。--Kangoshiyouichi 2008年11月1日 (土) 13:40 (UTC)[返信]
私もこの合意の主旨には賛成です。ただ、後世におけるその人物の描かれ方を知りたいという欲求はあると思われますので、以下のような作品については人物記事に記述してもよいのではないかと思います。
●その人物を主題に描いた、文学的にも評価の高い創作物︵例‥徳川家康における山岡荘八﹃徳川家康﹄など︶
●その人物の存在を世間に知らしめるのに貢献した創作物︵例‥天璋院における宮尾登美子﹃天璋院篤姫﹄及びそれを原作とする大河ドラマ﹃篤姫﹄など︶
●その人物について新解釈を与えた創作物︵例‥上杉謙信における八切止夫﹃上杉謙信は男か女か﹄など︶
但し、いずれにしても一覧として掲載するのではなく、記事︵文章︶の中で掲載すべきであり、かつ、それが文学的に評価が高いこと、存在を世間に知らしめるのに貢献したこと、新解釈を与えたこと、などを評価した出典が必要だと思います。
あくまで、記事の読み手の立場に立って考えるべきだと思います。その人物が少しでも出ている作品の一覧を読みたい、と思う人は――非常に限られるのではないでしょうか。--M.F 2008年11月1日 (土) 13:34 (UTC)[返信]
色々といっぺんにやろうとして混乱させて申し訳ありません。記事は削除されてしまいましたが、自分はまず歴史の人物記事に配役情報などは必要ないと考えています。ただ排除しても、また同じような事が繰り返されると予想されるので、別記事があれば棲み分けできるかと考えた次第です。フィクション作品情報掲載の指針が示されて、情報の羅列、それによる記事の肥大化を抑制できればそれが何よりです。
まず原則としてFish40さんのおっしゃる﹁人物の事績とも後世の歴史的評価とも無関係のフィクション情報は掲載しない﹂、らりたさんの﹁主題の受け取られ方に非常に強い影響力を持っていると認められる場合のみに掲載を許す﹂これが最も基本的な指針になると思います。
﹁掲載される場合﹂は、単なる作品名の羅列では、それがある事によってまた他の作品名の羅列を招くと思われるため、M.Fさんのご意見のように﹁文学的に評価が高いこと、存在を世間に知らしめるのに貢献したこと、新解釈を与えたこと、などを評価した出典が必要﹂であれば良いかと思います。つまりお三方のご意見のいずれにも賛成です。--Nihonsi 2008年11月4日 (火) 18:01 (UTC)[返信]
提案に賛成です。また、皆さんのご意見どおりであれば、﹁演じた俳優﹂などはなくなり、場合によってごく一部のフィクション作品名が項目へのリンクと共に記載されるのみということになりますので、妥当かと思います。Fish40さんが心配されているレッドクリフであれば、これが大ヒットして非漢字文化圏で有名になったと信頼できる出典に掲載されれば、赤壁の戦いの中でのみ言及するということでいいと思います。--ろう(Law soma) DC2008年11月5日 (水) 06:59 (UTC)[返信]
提案に賛成です。このローカルルールは人物のみならず、組織や団体とかにも適用させてしまっても良いのではないでしょうか?新選組あたりですと﹁新選組を題材にした作品﹂という節がありますし。--KoZ 2008年11月5日 (水) 08:04 (UTC)[返信]
︵賛成︶本来、人物の項目にフィクションの記載を行うのではなく、フィクションの項目に人物の記載を行うのが望ましいかと思います。実際、フィクションの項目によっては﹁登場人物の一覧﹂のようなものがありますので、そこで説明すれば足ります。あと、参考までに‥Wikipedia:特筆性。Kurz 2008年11月5日 (水) 09:38 (UTC)[返信]
︵反対︶賛成意見が多い中、大変恐縮ですが、私は反対です。
なおこの反対は、過剰なフィクション的記述を分割すべきでないという意見ではなく、﹁統一的な規範ないし合意﹂というものを設けるべきではないという意味での反対です。個々の記事に於いて確かに度が過ぎるフィクション寄りの記述が見られる場合︵たとえフィクション要素の方が史実の人物像の記述部分よりも遙かに分量が多い記事とか︶も多いのですが、そういった記述はケースバイケースで処理すべきもので、統一基準を設けることにメリットがあるとは必ずしも思えません。Wikipediaが歴史事典ではなく百科事典である以上、ある程度のフィクション記述はむしろ有益な場合も少なくありません。聖徳太子、諸葛孔明、鎌倉権五郎、石川五右衛門、宋江、河内山宗俊、ラスプーチン等々…史実の人物の事績以上に、虚像が後世に与えた影響の方が大きいと見られる人物もいますし、何より﹁フィクション﹂の定義が曖昧かと思います。日記や文書等々一次史料の中に虚偽・誤謬が見られる例もあるわけで…。何が﹁史実﹂かも論者によって変わってくるものではありますので一概に峻別できる性質のものではないかと。なお私自身も、例えば﹁演じた俳優﹂などの記述がWikipediaに必要な項目とは思えないので︵外部リンクで十分フォローできる範囲なので︶有名な偉人の項目に関してそれらの記述を別記事に分けることに関して自体は、全く反対するつもりはありません。
それより何より、前節でshimoxxさんが述べられていることと大分重なりますが、統一的な方針を示すことが必ずしもWikipediaにとって有益とは限らないというのが心配の種ではあります。正直、Wikipediaのこれまでの通例として、統一方針を示してしまうことで、それを極々狭義に捉えて杓子定規に︵あるいは自分勝手に︶解釈して、﹁統一方針﹂を大義名分に無闇に一括修正・分割する困ったユーザーが出てくることが容易に予想できるので……。そうなるとたいして意味のない︵百科事典を充実させるという方向ではない︶論争で膨大なリソースと時間を費やされてしまうことが目に見えるようです。もちろんこういうコミュニティを疲弊させる迷惑ユーザーというのは、統一方針を示そうと示すまいと出てくるものではありますが、それに相手をする立場としては余計な統一方針などない方がまだしも︵不必要な大義名分を与えない分︶柔軟性を保てます。﹁主題の受け取られ方に非常に強い影響力を持っていると認められる場合のみに掲載を許す﹂などの例外規定や基準の柔軟性で何とかなると思われる方もいるかもしれませんが、これまでの不毛な論争を見るにつけ、こういった但し書きがそれほど有用であるようには思えません……。
そんなわけで、統一的な方針自体はむしろ邪魔にしかならず、ケースバイケースで処理するほうがベターなような気がしてなりません。あくまで個人的意見ではありますが。 --トホホ川 2008年11月5日 (水) 13:10 (UTC)[返信]
賛成。M.F氏の提案している三ヶ条を基本的なガイドラインとする、というところではないでしょうか。創作ものの記述などをむやみに消す必要もないですが、行き過ぎを抑制するにはある程度の指標はほしいところです。--てぃーえす 2008年11月5日 (水) 14:09 (UTC)[返信]
本件ではいくつかの問題が同時に存在していると思います。その中ではトホホ川さんのご指摘にも、重要な示唆が含まれていると思います。また、下記の点についてはトホホ川さんを含め、皆さんが共通の問題意識を持っていらっしゃるのではないかと推察いたします。
●人物記事の中の作品リストなどで、その人物が登場する作品のリストが作られはじめると、作品がその人物を説明する上でどれだけ重要性︵特筆性︶があるかという検討がなされないまま、機械的反復のように追加され、その結果として作品を追加した人のわずかな自己満足と、その人物との関係が薄い作品を大量に含んだ、その人物を理解する上で役に立たない膨大なリストが残されてしまい、しかもそれが人物記事の中で分量的に大きい割合を占めてしまうこと。
これを確認した上で、私の考えを書かせていただきます。
(一)人物記事にフィクション作品を掲載することを禁止すべきか?
私はフィクションだからという基準で禁止すべきとは思いません。後世においてその人物がどのように伝えられているかということは、重要な特筆すべき事項でもあると思います。皆さんの議論の中でも、人物記事においてフィクション作品に触れることの重要性が否定されているわけではないと思います。逆に一次資料・二次資料であっても、リストのような形で単純に列挙するのであれば、同じような問題が発生するおそれがあります︵今回は議論の対象になっていませんが、たとえば坂本龍馬#文献のように︶。
(二)一次資料とフィクションとの境は曖昧ではないか?
Wikipedia:検証可能性に あるとおり、Wikipediaに書くことができるのは﹁真実であるかどうか﹂ではなく﹁検証可能かどうか﹂です。一次資料に真実性があるかどうか、一次資料であるかフィクションであるかという議論は無意味だと思います。私が﹁文学的に評価が高いこと、存在を世間に知らしめるのに貢献したこと、新解釈を与えたこと、などを評価した出典﹂が必要だと主張しているのは、この基準に基づくものです。
(三)ケースバイケースと統一的合意
ケースバイケースにすべきというのは、一次・二次資料とフィクション作品が紹介される割合がどの程度の比率になるのかという点についての話だと思います。一方、その人物がちょっとでも登場する作品︵ノンフィクションを含む︶のリストを作ることは、どの人物についても無駄︵むしろ読み手にとっては有害︶だというのは共通の認識ではないでしょうか。この部分については、基本的な合意を作ることに意義があると思います。一方、ケースバイケースで対応すべき範囲を束縛しない程度の合意であるべきだとも思います。ということは、禁止事項を並べるというよりは、要件や行動規範のような合意であるべきなのではないでしょうか。
また、統一的合意がかえって画一的な動きを促しかねないという点については、私も危惧するところです。ただ、読み手の立場に立って考えれば、記事が画一的になっていくことと、役に立たない記述の割合が大きい記事になることと、どちらが問題なのかといえば後者のほうが問題だということは明らかで、﹁リストを肥大化させていく行為﹂は﹁画一的に修正する行為﹂よりもさらに迷惑な行為ではないかと思います。
百科事典の記事を充実 させるということは、記事の分量を増やすことではなくて、読み手にとって有益な記事にしていくということだと思うのです。--M.F 2008年11月5日 (水) 15:40 (UTC)[返信]
﹁史実の人物の事績以上に、虚像が後世に与えた影響の方が大きいと見られる人物﹂が存在する事には首肯できます。そのような人物についてのフィクショナルな情報のうち掲載に値する重要な事項については﹁フィクションの情報を載せない﹂という原則に対する例外で厚く手当てされるべきと考えています。
また、虚像自体や虚像が構築されるプロセスに重要な歴史的意義が認められる人物は、その虚像がしばしば学術的考察の対象ともなっており︵例えば、ご指摘の諸葛孔明については近時では東洋史学者・渡邊義浩氏の仕事[2]、[3]など︶、そうした虚像と未だ評価の定まらないサブカルチャーが作り出した虚像とは区別できるのであり、フィクションである事を理由に十把一からげに排除されるべきでない事は言うまでもないでしょう。むしろ情報の価値いかんにかかわらず十把一からげに排除される事を防ぐためにも例外の要件なり要素なりを確立する必要があるのではないでしょうか。要するに、何らかの基準をここで定立する事は重要なフィクション情報をより掲載しやすくする事に資するように思われます。
なお、ここで統一的な基準を設ける事はケースバイケースの判断を排除するものではなく、例外に該当するか否かはなお個別的な判断に委ねられるでしょう。ただ、何の基準も無い状態でケースバイケースの判断に委ねる場合には﹁フィクション情報を消す・消さない﹂の単なる押し問答に終始する事態が予想され、そちらのほうが人的・物的リソースの浪費につながるようにも思われます。その意味でも何らかの基準を立てる事には意義があると考えています。--Fish40 2008年11月7日 (金) 12:37 (UTC)[返信]
(賛成)はじめまして。読ませていただきましたが、賛成に一票入れたいと思います。
理由
徳川家康、坂本竜馬など、今回分割を提案されているは、大変著名であり、大河ドラマをはじめとするさまざまな作品に登場します。
するとやはり記事は長くなり、サイズも増えるでしょう。
例えば、龍馬の生涯について知りたい人と龍馬の文献を知りたい人がいるとしましょう。
その場合、M.Fさんが提案されたように分割したほうが目当ての情報にすぐたどり着けて便利だと思います。
ウィキペディアは百科事典ですから、索引がしっかりしていないと困るでしょう。
私も龍馬の刺殺について知りたくて来ましたが、このままではGoogleなどからWikipediaに迷い込んだ
超初心者の方々が(私も初心者ですが)記事内を右往左往するでしょう。
折角多くの人が有益な情報を提供しているのに、それにたどり着けないようであれば宝の持ち腐れとしか言いようがありません。
よって、早期の分割に賛成します。
ほかの方のご意見について
トホホ川さんがおっしゃった﹁演じた俳優﹂などの項目の必要性については、これもやはり分割した上で
﹁登場する作品﹂の中になら邪魔にならずに記載できる項目だと考えます。
M.Fさんの
"﹁リストを肥大化させていく行為﹂は﹁画一的に修正する行為﹂よりもさらに迷惑な行為ではないかと思います。"
には全面的に賛成です。龍馬も困ってます。:--Nyaku08 2008年11月7日 (金) 13:44 (UTC)[返信]
基本的に自分も賛成です。Fish40さん、らりたさん、M.Fさんのご意見に賛同です。--Rei.N 2008年11月8日 (土) 16:56 (UTC)[返信]
︵反対︶Wikipedia日本語版には、Wikipedia:過剰な内容の整理という方針があります。フィクションの情報の冗漫な羅列が弊害を生み出している場合、現状でも満足な対処が可能です。もし、これを超える強力な規範を新たに形成しようというのであれば、相応の合理的な根拠が必要となります。Kurz様はWikipedia:特筆性を理由に今回の提案に賛同しておられますが、裏返して述べれば、弊害が著しく明らかである場合には既に現状でも取り締まりが可能なのであって、新たに現行の方針より強力な規範を形成する必要はありません。Wikipedia:特筆性やWikipedia:過剰な内容の整理の方針が遵守されている状態であっても、なおフィクションの情報の記載を禁じるべきであるというのであれば、新たな方針の作成が緊急に要請される合理的な根拠を、推進者の方が率先して説明すべきでしょう。提案者のFish40様は、今回の方針の運用には大幅な特例が認められること、現実には機械的に適用されるものではなく、現場の裁量権が強く尊重されることを宣言なさっています。私は、このように限定された範囲での紀律に反対するつもりはありません。フィクションの情報はWikipedia:特筆性とWikipedia:過剰な内容の整理を遵守して書き込むべし、という命題の立て方であれば、私も快く賛同したはずです。しかし、合意が現行の方針の確認にとどまらず、新たな規範として創造される場合、相応の慎重さをもって臨むことになります。今回、以上の点を勘案した上で、反対の立場を採ることに致します。
また、情報の記載を制限するための方針を打ち立てるとすれば、拡大解釈の危険性を排除する措置を満足に講じた上で、運用に移すべきでしょう。無益な記載による弊害を除去する方針のはずが、知らぬ間に有益な記述まで侵蝕し、記事を破壊する方針に変貌しているなど、言語道断です。何が有益で何か無益かの境界線は、記事を熟読した上での綜合的かつ慎重な検討の下に判断されます。後世、記事を巡回して機械的にフィクションの情報を削除するような者が現れる事態は、厳に回避する必要があります。﹁有益なフィクションの情報は記載する﹂という規範は、﹁無益なフィクションの情報は記載しない﹂という規範と、完全に同じ程度の尊重を受けなければなりません。
このほか、今回の議論が日本近世史・日本近代史の関係者のみによって践行されている点にも、一定の危惧を覚えます。唯一、﹃三国志演義﹄に僅かに言及されたことがあるのみで、その他の領域における新たな紛争の可能性に関する調査は甚だしく不十分です。例示すれば、今回の議論には、ラムセス2世、ネブカドネザル2世、アレクサンドロス3世、クレオパトラ7世のような、フィクションの情報さえ重要な資料となる、古代の人々の記事に対する配慮は全く感じられません。皆様には、自身が専門とする領域に特有の価値観・関心を無制限に敷衍させるのではなく、世界史の観点から、自分が疎い領域への影響まで考慮した上で、慎重に結論を検討していただきたいと思います。このような意味で、歴史の記事に関する統一的な方針を設けるべきではないという、トホホ川様の立言に共感を覚えます。少なくとも、古代史から現代史、東洋史から西洋史、政治史から文化史までの専門家の意見が揃うまで、結論を出すのは慎むべきでしょう。
末葉ですが、Nyaku08様に対して一言。この議論は記事の分割の是非を問うものではありません。一連の論旨をご確認下さい。
--白文鳥 2008年11月13日 (木) 22:52 (UTC)[返信]
コメント (1)﹁特筆性﹂、﹁過剰な内容の整理﹂は一般的で抽象的な内容ですから、このように具体的な事柄について論じつつ方針を定めること自体は有益でしょう。(2)検討不足という点は同意です。(3)特筆性のあるようなフィクションがありうることは同意しますが、現状では︵十分に考慮したとしても︶まるで必要ないものが現実に存在しています。そのような記事の執筆者に対しある程度客観的な基準を示しつつ﹁過剰な内容の整理﹂に納得してもらうかが問題となっていますので、まったくガイドラインは不要という意見には賛成しかねます。必要最小限であってもガイドラインはほしいところです。(5)たとえガイドラインが不要だとしても、実際にどのような問題がありうるのかを論じるのは有益です。実際、他分野への目配りがほしいという具体的な意見が出てきているのですし。できれば、議論が終わりしだい利点・欠点をまとめて、後で参照できるようにしたいところです。Kurz 2008年11月14日 (金) 00:10 (UTC)[返信]
白文鳥さんからご提案いただいたWikipedia:過剰な内容の整理は、ポータル・プロジェクトに﹁整理の方針﹂がなければ実効力を持たないというルールになっています。当ポータルでは現時点で﹁整理の方針﹂を作成していないので、﹁過剰な内容の整理﹂による整理を行うことはできません︵Wikipedia:過剰な内容の整理#タグの表示に虚偽があるときに該当する︶。ですので、何らかの新しいルール︵方針︶が必要なことは変わっていないと思います。そもそも、今ここで行われている議論を元に﹁整理の方針﹂を作るというのが、現在のWikipediaと最も整合性のよい解決策かもしれませんね。--M.F 2008年11月14日 (金) 14:05 (UTC)[返信]
こちらに関連する内容と思うので、節に便乗させて頂きます。ノート:隈部親永において、ゲーム内の描写に端を発する現象について記載すべきか、ゲーム記事などへの内部リンクが必要かという議論をしております。が、少人数での議論では限界があり、既にややこしい状態に陥っています。諸兄のご参加をお願い致します。--Arawodas 2009年6月25日 (木) 08:12 (UTC)[返信]
結局、結論はどうなったのでしょうか? 各時代・各人物で掲載基準がバラバラで、ある時代の人物たちは大量に掲載され、ある時代の人物たちはまったく掲載されない、というのは大変困ります。統一しようと、ある時代の人物に掲載すると﹁必要なし﹂とリバートされ、別の時代の人物の掲載を削除すると別の方に﹁勝手に削除するな﹂とリバートされます。各人がそれぞれ自らの守備範囲の中で勝手な基準を設けてるという印象が否めません。どちらでもいいので統一した基準を決めていただきたいものです。--210.138.182.133 2009年12月16日 (水) 16:14 (UTC)[返信]
上での議論で合意が取れそうなのは、﹁無制限にフィクションを並べられても困るが、一律禁止する必要はない﹂ということぐらいです。判断基準をどう設けるかについては意見が分かれていますね。さて、Wikipedia:特筆性#一般的な特筆性のガイドラインというのがあります。これは以前議論していた際にはなかったものです。読むと要は、﹁対象とは無関係な信頼できる情報源から有意な言及があった場合﹂を基本的な基準としているようです。特筆性を巡る議論は水かけ論になりがちなので、Wikipedia:検証可能性に基づいて判断するという方法は有用でしょう。そして、上に例として挙げられている条件である、
(一)その人物を主題に描いた、文学的にも評価の高い創作物︵例‥徳川家康における山岡荘八﹃徳川家康﹄など︶
(二)その人物の存在を世間に知らしめるのに貢献した創作物︵例‥天璋院における宮尾登美子﹃天璋院篤姫﹄及びそれを原作とする大河ドラマ﹃篤姫﹄など︶
(三)その人物について新解釈を与えた創作物︵例‥上杉謙信における八切止夫﹃上杉謙信は男か女か﹄など︶
というのは、その一般的な基準を満たすことの多い具体的な事例といえるでしょう。一般的な基準はぱっと見では理解が難しいものなので、このような具体的な枠組を例として示しておくのは、編集者の助けになります。となると、この3つに該当する場合には一律に許容するとして、そうでない場合には上の一般的な基準に基づいて判断する、とすればよいかと思います。もちろん合意があるわけではないので、議論は必要でしょうが、一案として提示しておきます。--Kurz 2009年12月17日 (木) 03:48 (UTC)[返信]
﹁各人がそれぞれ自らの守備範囲の中で勝手な基準を設けてるという印象が否めません﹂という意見には全く同意します。個人的な考え方としては﹁人物を主題とした作品﹂は書いてもいいが﹁演じた俳優一覧﹂﹁登場する作品一覧﹂は全く不要だということです。--彩華1226 2009年12月17日 (木) 15:22 (UTC)[返信]
歴史上の人物はそれこそ無数にいるので、いちいちノートでの議論に持ち込まれるような曖昧な基準は、非効率的かつ非現実的です。なるべくノートでの議論に持ち込まないような明確な基準が必要かと思います。個人的には全掲載でも一部掲載でも全削除でもかまわないので、統一した基準を設けていただきたく思います。なお、上の議論の中で古典作品︵平家物語や三国志演義やアーサー王伝説など︶についての記述が削除されることを危惧している方がいらっしゃいますが、古典作品と現代作品は分けて考えるべきでしょう。ここで問題とされているのは現代作品のほうのみだと思います。--210.138.182.133 2010年1月10日 (日) 19:12 (UTC)[返信]
まだ議論は続いていますでしょうか?この歴史的人物の関連作品の問題は、結局、解決されていないようですね。それは、そもそも作品をたとえば古典的かそうでないかという価値判断つまり特筆性の基準については、結局、それぞれについて個別に議論しなくてはいけなくなるし、私見では、どんな作品でもしかるべく発表された形態であるのであれば、条件を満たしてしまうのではないかと思うのです。つまり、特筆性の基準を設けるのは非常に困難ではないかと思えます。︵むろん、明らかに特筆性を満たしていないものについてはいま想定しておりませんが︶
それで、この節の冒頭でFish40さんが、2008年11月1日に﹁徳川家康#徳川家康が登場する作品のような節は単独記事とした場合には削除の方針・ケースEで削除の対象となるはずです﹂という見解を述べられておりますが、もしかしたら、ケースEには当てはまらないのではないかと考えた次第です。日本史の人物を演じた俳優一覧はそもそも項目として、あまりに広漠かつ漠然としており、項目それ自体の価値がないと私も思います。しかしながら、徳川家康#徳川家康が登場する作品、あるいは、﹁信長〜﹂﹁義経〜﹂でもいいのですが、それらは歴史上の有名かつ人気の高い人物であり、その人物に関連する作品のリストは、記事として﹁特筆性﹂を満たすのではないかと思います。Wikipedia:削除の方針のケースEには、﹁百科事典的な記事に成長する見込みのないもの﹂とはありますが、リストはリストとして、成長していくのではないでしょうか?もし、リスト的な内容が、記事として削除されるのであれば、年表関連の記事はどうなるのでしょうか?どの年でもいいのですが、676年とか1978年といった項目は存在する価値があると思います。同様に、家康などの歴史上高名な人物に関する関連作品リストは、記事として存在してよい、そう考えると、この問題が解決するように思います。--西方 2011年4月19日 (火) 16:18 (UTC)[返信]
足利氏その他の記事で引用されている二つ引両の紋を←と差し替えたいと思います。議論がございましたらノート:足利氏#家紋にてお願いします。--Extrahitz 2009年4月8日 (水) 04:48 (UTC)[返信]
- 当該ノートにて、現在引用されている紋の使用を示す資料をご教示頂きました。提案は一旦取り下げます。--Extrahitz 2009年4月9日 (木) 01:52 (UTC)[返信]
韓国併合#「大日本帝国」についてのノート:韓国併合#「大日本帝国」についてでWikipediaに存在する「大日本帝国」という文言をすべて「日本」と統一するか議論が行われています。Wikipediaの多岐のページに関わることで多くの編集者による議論および合意が望ましいと思われますので、ここにおいても周知させて頂きたいと思います。--St.Patrick 2009年9月29日 (火) 02:34 (UTC)
Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 日本史に「大日本帝国」表記を「日本」表記にする議論が起こされましたので、ここにおいても周知させて頂きます。--St.Patrick 2009年9月30日 (水) 07:11 (UTC)
「大和朝廷」の分割について[編集]
- 投票の結果、但し書きを採用することに決定しました。--Chokorin 2010年1月24日 (日) 00:33 (UTC)[返信]
現在地道に中国の古代行政区画関連記事を整備しているYonoemonです。中国史関連記事で多く引用されるこれらの記事が今まで殆ど未整備であったということに驚きもありますが、関連資料をながめながらのんびりと整備したいと考えています(現在は隋朝の内容に限定されていますが…)。
さて、記事を整備するに当たりまして確認事項を一つ。それは隋代に発生する州制から郡制への意向でして、その後の唐代においても頻繁な行政変更が行われてA州→A郡→A州→A郡→A州…と同一行政区域でありながら頻繁な名称変更が行われております。
現在はA州を項目名とし、大業3年に変更されたA郡はA州へのリダイレクトとして一括処理しております。と申しますのも大業3年以前にA郡と同一名称であるa郡がA州の下部行政区画に設置されていることがありまして、両者を区別するのであれば州名を項目名にしたほうがいいとの判断です。
例を挙げますと渭州は元来隴西郡を管轄していましたが、開皇2年に廃止となり、その後大業3年に渭州が隴西郡に改名されるという場合、隴西郡は開皇2年以前の内容を、大業3年以降のものにかんしては渭州へのリダイレクトという仕組みにしてあります(「隴西郡 (曖昧さ回避)」を使用しない)。
2種類の隴西郡
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区分 |
開皇元年 |
区分 |
大業3年
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州 |
渭州 |
交州 |
郡 |
隴西郡
|
郡 |
隴西郡 |
南安郡 |
渭源郡 |
安陽郡 |
県 |
襄武県 障県 隴西県 渭源県 長川県
|
県 |
襄武県 障県 新興県 |
武陽県 桓道県 |
渭源県 |
安陽県 烏水県
|
大きな問題はないと思いますが、念のためこちらに上記方針を書き込んでおきます。もし曖昧さ回避を使用すべきである等のご意見がございましたらご一報ください。早急に編集に反映させていただきます。--Yonoemon 2010年1月27日 (水) 04:58 (UTC)[返信]
- えーと、リダイレクトでなくotherusesだとは思いますが、概ね問題はないと思います。実際、拝見して分かりやすかったし。--ろう(Law soma) D C 2010年1月27日 (水) 08:28 (UTC)[返信]
- この場合はotherusesですね。リダイレクトは開皇元年と大業3年に同名の郡名が存在しない場合です(下記参照)。
リダイレクトを設定する例
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区分 |
開皇元年 |
区分 |
大業3年
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州 |
延州 |
丹州 |
夏州 |
郡 |
雕陰郡 延州へのリダイレクト
|
郡 |
遍城郡 |
文安郡 |
丹陽郡 |
楽川郡 |
金明郡 |
県 |
豊林県 因城県 魏平県 臨真県 延安県 延川県 義川県 咸寧県 汾川県 金明県 膚施県
|
県 |
広武県 沃野県 因城県 義郷県 魏平県 真川県 臨真県 広安県 |
文安県 |
丹陽県 雲岩県 太平県 |
汾川県 門山県 |
広洛県 永豊県 啓寧県
|
- では地道な作業に没頭させていただきます。--Yonoemon 2010年1月27日 (水) 09:40 (UTC)[返信]
- もうちょっと、お待ちしては如何でしょうか。私は賛成なのですが、ここのところYonoemonさんがよかれと思ってされた作業が、反対意見により差し戻される事例が幾つか見受けられます。ラフコンセンサスと言える程度の周知期間の後に作業を開始して頂ければ幸いです。まあ、1週間程度もあればよいとは思いますが。--ろう(Law soma) D C 2010年1月28日 (木) 00:24 (UTC)[返信]
- リダイレクト及びotherusesを作成しない状態で記事を作成しておきます。これなら問題はありませんからね。--Yonoemon 2010年1月28日 (木) 08:20 (UTC)[返信]
ノート:四国征伐において、四国攻めへの改名の是非を問う投票が行われています。投票要領はこちらです。歴史系執筆者の皆様のご参加をお待ち致します。--Arawodas 2010年2月13日 (土) 01:45 (UTC)[返信]
- 投票が締め切られ、四国征伐から四国攻めへの改名が実施されました。投票にご協力いただき、ありがとうございました。
- なお、ノート:四国攻めにて仕切直しの議論が開始されつつありますので、記事の質向上に向けてご協力をお願いします。--Yasumi 2010年3月13日 (土) 05:20 (UTC)[返信]
四国攻めの今後について[編集]
信長(本能寺前後)・秀吉(四国の役)・輝元(関ヶ原)などの各部分についての内容・範囲と方向性についてノート:四国攻めにてコメントをお願いします。--Yasumi 2010年3月20日 (土) 21:56 (UTC)[返信]
歴史上の事件や、風習、逸話から生まれた言葉はたくさんあると思うのですが、そういう言葉を解説した記事が現在はありません。辞書を見ても2~3行の記述で全然面白くないので、Wikiで読んで楽しむ歴史から生まれた言葉のカテゴリとかページ群のような物はできないのでしょうか?
例えば時代別にまとめて
●戦国時代 天王山︵戦いの重要な局面︶、光秀︵裏切り者︶、火ぶたを切る︵戦闘を開始する事︶、今太閤、今関白︵成り上がり者︶
●江戸時代 大名行列︵偉い人を中心に大勢の人が列を成してあるく様︶、切腹もの︵大失態をすること︶
●近代 インパール作戦︵無謀な計画の事︶
とか。何か良いアイデアがありましたら宜しくご教示をお願いします。D.Naka 2010年4月22日 (木) 08:06 (UTC)[返信]
基本的にWikipediaは辞書ではなく事典ですので、﹁言葉﹂の解説をするところではありません。ウィキペディアは辞書ではありませんをご覧ください。なお、天王山、火縄銃、大名行列など、項目の記事の中で慣用句を解説しているケースは多くあります。検索で容易に探し当てられますので、そのような使い方をご検討ください。--ろう(Law soma) DC2010年4月23日 (金) 05:42 (UTC)[返信]
一応ウィキペディアは辞書ではありませんを確認したうえでこの投稿をしたのですが、そのページには﹃それが文化的あるいは数学的な意味を解説するものであれば、許容されます。﹄とありますので、そのような過去の歴史の事実を今に伝える慣用句は文化的価値があると思ったのですが。所詮日本語などは移り変わりが激しいので慣用句に文化的価値が無いのでしょうか? 単なる希望なのでどうでも良いのですが、できることならば記事の中でこれそれは何とかの語源になったとかと記述があれば良いなと思いました。D.Naka 2010年4月23日 (金) 08:05 (UTC)[返信]
記事の中での言及なら、当然あって然るべきでしょうね。そういう意味であったならばすみませんでした。D.Nakaさんが例示されたような書きぶり、つまり慣用句の一覧のような形式であれば百科事典にそぐわないと言いたかったのです。要は、慣用句について語源的意味以上の記述がなされるのであれば百科事典的な項目になるでしょうけれども、単なる言葉の意味や語源の事件を並べただけの記事であればそぐわないということです。それぞれの項目の中に、例えば﹁慣用句﹂などといった節を設けて解説する分には、文化的意味を持つ説明として、むしろ書くべきことなのではないでしょうか。--ろう(Law soma) DC2010年4月23日 (金) 12:31 (UTC)[返信]
項目名でも記事中でも両者が混在しています。同じ王朝でもA朝だったりA王朝だったりします。両者に違う意味がないのならどちらかに統合したほうがいいように思います。--22010515528 2010年7月16日 (金) 02:32 (UTC)[返信]
- 言われて改めて確認しました。私個人的には「○○朝」が普通だと思っていましたが、ざっと見渡した限り、イスラム王朝のように総称としてのものは兎も角、スウェーデン史、タイ史、東ローマ史、ビルマ史、ポルトガル史あたりに見受けられますね。基本的に統一した方がよいとは思いますが、もしかしたら学界の慣例で「王朝」を使う史学分野もあるかもしれませんので、ここでは総論での賛成に止めます。--ろう(Law soma) D C 2010年7月16日 (金) 04:50 (UTC)[返信]
- 私個人は統一の必要性はそれほど感じません。A朝とA王朝が別のものを指すならともかく、同じものの別の謂いなのであれば、わかりにくいということもないと思うので(私の場合、同一文中に「米国」と「アメリカ」が混用されていても全く抵抗ないタイプなので…)。が、同一記事内で統一が取れていないのが気持ち悪いという人が修正する分には特に反対しません(記事名の話に飛び火しないことを祈りますが…)。余談ですが、たいていの王朝名はろう(Law soma)さん仰る通り「○○朝」で通じるものが多いとは思いますが、奴隷王朝なんかは「奴隷朝」いう表現はあまり聞きませんね。--トホホ川 2010年7月16日 (金) 05:08 (UTC)[返信]
- 個人的には特定の史学分野内で統一されていれば理解できるのですが(例:Category:タイの王朝、タイ君主一覧)、分野内でも統一されていなければ(例:Category:ポルトガルの君主、ポルトガル君主一覧)気持ち悪いです。奴隷王朝…ああ忘れていました(笑)。記事名に飛び火ってのは確かに多少心配ですが、件数が少ないので大火にはならないように思います。--ろう(Law soma) D C 2010年7月16日 (金) 05:32 (UTC)[返信]
中国史だと清朝とか清国というのが普通で清王朝とはあまりいいませんよね、地域ごとにルールメイクできればいいンですが--22010515528 2010年7月17日 (土) 01:33 (UTC)[返信]
Wikipedia:井戸端に歴史記事に「作品一覧」「俳優一覧」「ゲーム一覧」などは必須なのか。というタイトルで問題提起をおこないました。この問題について御意見・御関心のある方は、ぜひお読み下さい。御意見もお待ちしております。どうか、よろしくお願いします。--Chokorin 2010年8月5日 (木) 15:30 (UTC)[返信]
わたしは甲斐武田氏を中心に戦国時代史の記事に関わることがあるのですが、しばしば戸惑うことに合戦記事や記述における﹁兵力﹂の問題です。武田関係記事に携わっておきながら﹃甲陽軍鑑﹄はじつはきちんと内容を把握していないのですが、合戦記事では兵力が何千であるとか書かれていることが多いのですよね。古文書・記録資料の上で合戦に関わるもので、兵力についてどれだけ記述されたものがあるのかどうかもきちんと把握していないのですが、﹃甲陽軍鑑﹄のような後代の編纂物における兵力数を実数として記してしまうことはどうだろうと、しばしば戸惑います。というのは、記事を書く上で武田氏の諸研究者の著作を見ていく上で、合戦について言及する上で兵力について記しているものは少ない印象を持ちますし、実証的研究においては後代の記録資料における兵力の数値を疑問視しているのではないでしょうか?。
wikipediaにおいて合戦記事の兵力を記述していく場合、できれば兵力の数値が何に記されているのか典拠情報を脚注で入れていく必要があるかと思われます。個人的には、著名な合戦の経緯について、どこまで確実な文書や同時代記録で辿れるのかわかる記述になっていければ良いなと思います。--でここ 2010年12月24日 (金) 07:26 (UTC)[返信]
同感です。特に﹃甲陽軍鑑﹄は誤りも多く指摘されており、生の数字がどこまで信頼できるかは評者によって異なりますので、ソースを表示しておくことは読者にとって有益です。歴史学的には﹃甲陽軍鑑﹄などは当事者の記録︵一次史料︶を集めて後世に編纂した﹁二次史料﹂の扱いになりますが、Wikipedia的には︵Wikipedia:信頼できる情報源#情報源︶学者や専門家による精査を経ていないために﹁一次資料﹂という扱いになり、本来二次資料を情報源とすべきというWikipedia:検証可能性方針から言うと好ましくないソースということになります。とはいえ、必ずしもその記事に関する研究書が存在するとは限らないため、他に依拠すべき二次資料が無い場合、参考用に兵力の数字を書いておくこと自体は読者にとっては何の情報もないよりは有益かと思います。その際、一次資料ではあっても、その数字の典拠としてソースを表記しておくことは何よりも重要でしょう。またそうしておけば、後から研究書などの二次資料が出た場合、より補記しやすくなるかと思います。--トホホ川 2010年12月24日 (金) 22:48 (UTC)[返信]
私も同感です。私が執筆する分野ですと﹃奥羽永慶軍記﹄のような厳密な資料批判が必須のヤバい資料からは数値の類は引用しないようにしています。--ろう(Law soma) DC2010年12月27日 (月) 05:13 (UTC)[返信]
ご意見ありがとうございます。合戦の兵力数についてはおそらく典拠資料はおおむね﹃甲陽軍鑑﹄のような後代の編纂物でしょうけど、﹃甲陽軍鑑﹄はおっしゃる通り年代の明らかな誤りなどを多く含む一方で、信玄の遺言であるとか文書上からも妥当と判断される内容が混在していて、確かに引用する際には研究文献を介する必要がありますね。わたしは戦国趣味そのものがないものですから通俗文献のほうが手薄で、おそらく戦国記事執筆の際には私のように研究者の文献・論文を参照するタイプと、血沸き肉踊る戦国合戦の様相を軍記物などの内容をおおむね採用して面白おかしく書いた通俗文献を参照して書く執筆者が混在しているのでしょうね。
わたしは後者の視点を不適切と思うつもりもなく、そちらの戦国趣味的視点で記事を参照なさる方も多いでしょうし、そういう方でも実証研究の視点のほうの記述を見て何かしら得るものがあればと思うのですが、この両者の視点をうまく分離していければいいのだろうなと思います。川中島合戦において、内容的な改稿にはまだタッチしてませんが、第四次合戦の節名には﹁﹃甲陽軍鑑﹄における合戦の経緯﹂としておきました。合戦記事はまず実証研究の見地からの政治的経緯、確実な資料から確認される合戦の経緯、戦後の動向などを記し、節を改めて軍記類・二次文献における兵力数などを含めた合戦話を記述していければなぁと考えています。--でここ 2010年12月28日 (火) 22:11 (UTC)[返信]
研究者記事の著作リストなどでよくみかけるのですが、本来著作タイトルであるはずの固有名詞や著作タイトルの文中から、特定用語へのリンクが貼られてしまいがちです。ノート:福田千鶴において疑問提示したのですが、皆様のご意見をお伺いでてたらと思います。--でここ 2011年4月3日 (日) 13:18 (UTC)[返信]
『三国志』の魏書・蜀書・呉書を指して、魏志・蜀志・呉志とする表記がしばしば見受けられます。しかしこれらは同名の書と区別するためであって、正しい書名ではありません。大抵の場合は「『三国志』魏書(魏志)」といった風に表記すると思いますが、この場合には区別をする必要性もないと思います。ルールとして設定して欲しいとまでは言いませんが、ご一考いただければと思います。--鳴海 2011年8月11日 (木) 13:50 (UTC)[返信]
現在Wikipedia:コメント依頼/虚偽の出典が提示された記事を大量に投稿するユーザーについてで、IPユーザーが大量に投稿した虚偽の出典が提示された記事についての改善方法を話し合っています。該当ユーザーが編集した記事の中で大規模な改稿が行われていないものに施す応急処置として、
{{複数の問題
| 出典の明記 = 20**-*
| 参照方法 = 20**-*
| 独自研究 = 20**-*
}}
を貼付し、参考文献・関連文献をコメントアウトすることを提案しているのですが、相当量の記事に影響が及ぶため、応急処置と改善方法についてより多くの方の意見を伺いたく思います。--オオミズナギドリ 2012年2月11日 (土) 01:16 (UTC)[返信]
Portal:歴史/最近の話題は、2011年6月12日から更新されていませんでしたが、このたび「改名」と「改名提案」を書き込みました。宜しかったでしょうか? もし場違いなら取り消して下さい。--211.14.207.205 2012年3月16日 (金) 11:11 (UTC)[返信]
「特集記事」の変更と「歴史関連のニュースから」の廃止を提案します。
- 元 (王朝)は丸二年以上前に秀逸な記事から除去されていますが、ポータルのトップには残り続けています。さいわい歴史分野には他にも秀逸・良質な記事が存在しますので、それらへ入れ替えたほうがいいと思います。
- 「歴史関連のニュースから」は2009年3月から内容が更新されていません。4年以上経ってしまうとニュースとは言いがたいでしょうから、これまでを鑑みて廃止すべきではないでしょうか。
今のところニュースを廃止して、特集記事を秀逸な記事と良質な記事から合わせて一本づつ程度を表示させるようにすることを考えています。―霧木諒二 2013年9月3日 (火) 14:43 (UTC)[返信]
キリスト教方面のノートページの議論で歴代のローマ教皇、計256名の呼称が、一斉に以下のような形に変えられようとしています。(例、ウルバヌス2世⇒ウルバノ2世、グレゴリウス7世⇒グレゴリオ7世)カトリック中央協議会において、教皇の呼称法が、従来のラテン語そのままの表記から、奪格型(大抵は最後のsを取り除く)に変わったことが理由のようです。ただ、こうした名称は、カトリックだけでなく、世界史や史学でも使う用語でありますので、歴史方面のwikipedia編集者の意見も頂きたく思います。少なくとも、高校生、受験生、大学生、院生、研究者等に影響はあると思います。賛成にせよ、反対にせよ、宜しければ議論を参照頂き、ご意見、頂けましたら幸いに思います。--希望(会話) 2014年3月3日 (月) 09:14 (UTC)[返信]
現行では歴史のと各地の地理のテンプレートで対応している為、遺跡や史跡のスタブが見つけづらい状態です。新規作成をした方がいいと思います。誰か作ってくれませんか?--RJANKA(会話) 2014年11月26日 (水) 15:36 (UTC)[返信]
昨月3日ごろ、日本語版ウィキペディアにおいてはじめて︵かな?︶﹁中東史﹂というカテゴリが作成され、category:西アジア史に属するいくつかの記事とカテゴリを、この新しく作られた﹁category:中東史﹂に入れる編集が行われました。しかしながら、﹁中東史﹂というカテゴリにはどうにも違和感を覚えるので、ここでひとつ、歴史分野の執筆をやっている方々のご意見をお聞きしたいと思って書き込みます。まず、なぜ﹁中東史﹂というカテゴリに違和感を覚えるのかという点に関連して二点ほど指摘したいと思います。
(一)まず、一点目は、﹁中東史﹂というカテゴリによる地域の分節の仕方は、西欧中心史観ではないか、という点を指摘したいと思います。日本語話者の99%、全世界人口の6割から見て西にある当該地域が﹁中東﹂﹁中近東﹂と呼ばれることもあるのは、言うまでもなく、当該地域がヨーロッパから見て東に位置するからに他なりません。日本史を﹁極東史﹂に分類することの珍妙さを想起していただければ、この﹁中東史﹂というカテゴリが自明のものではないということが理解されるかと思います。わざわざ﹁日本語版﹂で、西欧中心史観の再生産をする必要がないのではないか、というのが私の言いたいことの1点目です。
(二)二点目として、﹁西アジア史﹂と﹁中東史﹂とを比べた場合、現在の日本における当該地域研究においては、圧倒的に﹁西アジア史﹂として認識されているのではないか、ということを指摘したいと思います。たとえば、120年以上刊行が続いている﹃史学雑誌﹄の毎年の回顧と展望では、﹁西アジア史・北アフリカ史﹂とされています。東京大学の東洋史学科でも﹁西アジア史﹂が用いられているようです。京都大学の東洋史学科では﹁西南アジア史﹂としているようです。
●以上の認識から、﹁中東史﹂カテゴリ自体に問題があるとも考えるのですが、その一方で、うまく運用することで残すことはできないのだろうか、とも考えます。たとえば、具体的な一案としては、﹁中東史﹂カテゴリを付与していい記事は、近現代史に限るというような基準を設けることを考えています。ともあれ、現状の、古代ペルシアや湾岸諸国の各国史、古代から現代まで中東史にカテゴライズすることはどうも変な感じがします。
●以上をまとめると、1.﹁category:中東史﹂は存続させるべきか。2.存続させる場合、どのような基準を設けるべきか。この二点について何かご意見を頂ければ幸いです。なお、相当の期間をおいて特に意見が集まらなかった場合は独断で、削除依頼を出す、定義を書き換える、属する記事の移動などを行います。--QuirkyQuidnuncY︵会話︶ 2015年11月16日 (月) 12:11 (UTC)[返信]
Category‐ノート:美術史学者で、Category:美術史学者の廃止について意見を募っています。1週間を目処に反対意見がなければ廃止(削除依頼)したいと考えていますので、ご意見のある方は話し合いにご参加いただければと思います。--Focaccia(会話) 2016年2月8日 (月) 01:35 (UTC)[返信]
Template:History-stubが張られれいる記事の数が膨大で、且つ、その内容が雑多になっているようです。2016年9月25日 (日) 16:17 (UTC)時点で4,514 ページとCategory:歴史関連のスタブ項目に出ており、検索するのが難しいと思われます。そこで、英語版みたいに時代別か地理別に分けることを提案します。依頼はWP:STCA#作成の予告と依頼に提出済みです。--RJANKA(会話) 2016年9月25日 (日) 16:17 (UTC)[返信]
報告 大陸別、各国別の歴史関連スタブ項目、テンプレートを作成致しました。 今紫(会話) 2022年4月13日 (水) 08:50 (UTC)[返信]
現在、朱雀天皇の項目で肖像として使用されているc:File:Tennō Suzaku detail.jpgについて、このファイル名は誤りであり正しくは平将門を描いたものではないかと考えております。そもそもコモンズの画像解説が朱雀天皇として扱っているため、Wikipediaの項目から画像を削除するだけでは話が済みません。コモンズのノートページに、嫌疑の詳細を書かせて頂きましたので、そちらにご意見をお願いしたいと思います。まずコモンズですべき議論なのですが、そちらでの告知だけでは歴史に詳しい方に見て頂けないだろうと考え、こちらでも告知をさせて頂く次第です。--Tomomori(会話) 2018年3月3日 (土) 04:36 (UTC)[返信]
- 報告 上記案件は「やはり平将門を描いたもの」ということで無事解決しました。貴重なご意見を頂いた方(コモンズの方ではIPでしたが、Wikipediaにおいてはいずれかお詳しいログインユーザの方と拝察します)に深く御礼申し上げます。--Tomomori(会話) 2018年3月20日 (火) 12:06 (UTC)[返信]
コルドバ首長国と後ウマイヤ朝には差異が存在するのでしょうか。
「コルドバ首長国」の定義文に「なお、756年のアブド・アッラフマーン1世による独立時点から後ウマイヤ朝と呼ぶことも多い。」と書かれていますが、日本語で書かれた文献で「コルドバ首長国」と表記されたものを見つけることができませんでした(Google検索※Wikipediaが出典元となったページは除く)。日本語で書かれた世界史の記述では後ウマイヤ朝の建国が756年とするのが一般的です。ですから「コルドバ首長国」は「後ウマイヤ朝」の前期を指し、「後ウマイヤ朝」と同一のものと考えるべきではないでしょうか。
この「コルドバ首長国」の記事は英語版からの翻訳ですが、英語版ではコルドバ首長国と後ウマイヤ朝を明確に区別しているようです(私の英語力は低いのでこの点は要検証)。ですが日本語版では明確な区別がないどころかほぼ同一の内容が書かれているように見受けられます。
よって同一の概念・事物であるものが別名のページで複数存在しているとみなしページの統合を提案したいのですが、これは統合する条件を満たしているでしょうか。(無知ゆえに的外れなことを言っていたらごめんなさい)--圓成(会話) 2019年5月22日 (水) 12:12 (UTC)[返信]
- 返信 (圓成さん宛) ノート:コルドバ首長国で意見交換が行われております。--Takabeg(会話) 2019年5月26日 (日) 14:21 (UTC)[返信]
- 返信 (Takabegさん宛) 情報提供ありがとうございます。私がこのポータルに書き込んだ3日後に当該のページで意見交換が始まったようですね。議論を傍観して出る幕があれば参加してみます。--圓成(会話) 2019年5月27日 (月) 14:18 (UTC)[返信]
大日本青年党なんですが、そもそも青年組織ではなかったはずで、「ヒトラーユーゲントをモデルに」という記述は、例えば大日本青年団あたりと混同してしまったからなのではないかと思われます。たまたまおかしな点を見つけてしまったので指摘しまして、てっきり改善されているものとばかり思っていました。私には、当該記事に割り当てる時間的余裕がありませんので、「他力本願」とのそしりは受けるかもしれませんが、日本の近現代史に関心がある利用者の方々、どうかよろしくお願いいたします。--Takabeg(会話) 2019年5月26日 (日) 14:31 (UTC)[返信]
ウィキプロジェクト日本史 プロジェクト‐ノート:日本史#琉球王国旗?において、現状琉球王国旗とされているものの扱いについて議論を募集しています。よろしくご参加お願いします。--Krkrkrme(会話) 2019年11月5日 (火) 04:13 (UTC)[返信]
以前、ポータル・ノートの欄に歴史スタブについて書かれた事がありまして各国の歴史スタブテンプレートを試作しました。異論なければ作成致します。以下、一部ですが各国の歴史スタブテンプレートのサンプルです。
Template:France-histoire-stub
Template:ESP-historia-stub
Template:GR-history-stub
Template:UK-history-stub
Template:DEU-history-stub
Template:TUR-hist-stub
Template:Royalty-stub
もし、不備、要望がございましたらお願いします。今紫(会話) 2021年1月31日 (日) 11:06 (UTC)[返信]
異議が無いので作成させていただきます。 今紫(会話) 2021年2月26日 (金) 13:14 (UTC)[返信]
- 上記のスタブテンプレートのリンク先を修正しました --今紫(会話) 2021年2月27日 (土) 10:27 (UTC)[返信]
新たに各国(ポルトガル、アメリカ合衆国、ロシア、オランダ等)の歴史スタブテンプレートを作成しました。 今紫(会話) 2021年8月7日 (土) 07:41 (UTC)[返信]
Wikipedia:記事名の付け方/君主の記事名#ヨーロッパの王侯・貴族にて、人物記事の記事名ガイドライン草案を掲載しています。議論場所はWikipedia‐ノート:記事名の付け方/君主の記事名#ヨーロッパの君主の記事名のつけ方の文書化です。ご意見をお待ちしております。--McYata(会話) 2021年4月10日 (土) 10:54 (UTC)[返信]
ノート:ヴァイマル憲法#ヴァイマル憲法とワイマール憲法にて記事名についての話題提起をしております。皆様のご意見を頂戴することが出来たらと思います。宜しくお願い致します。--Kanninbukuro(会話/投稿) 2021年11月12日 (金) 21:34 (UTC)[返信]