オンド・マルトノ[編集]
はじめまして。以前にも僕の利用者ページでこちらへお誘いを受けたことはありますが、書き込みをするのははじめてです。よろしくおねがいします。どちらに投稿したらよいのかわからなかったので、とりあえずこちらに項目を立てました。不都合がありましたら移動いたしますのでお知らせ下さい。
さて本題ですが、オンド・マルトノをWikipedia:秀逸な記事の選考に自薦しました。楽器名の項目ですのでクラシックには限りませんが、ほとんどの使用曲目がクラシックおよび現代音楽だと思われますので、こちらの皆さんのご意見を伺いたく存じます。よろしければご一読下さい。30rKs56MaE 2006年6月24日 (土) 12:37 (UTC)[返信]
レオシュ・ヤナーチェク[編集]
レオシュ・ヤナーチェクに加筆して、Wikipedia:秀逸な記事の選考に提出しました。クラシック音楽に詳しいみなさんから特にご意見を頂戴したいと存じますので、よろしくお願いいたします。--汲平 2005年4月19日 (火) 00:00 (UTC)[返信]
執筆コンテスト3位入賞、おめでとうございます。今度は﹁秀逸な記事﹂に挑まれるということで、好結果を期待しています。ただ、私自身はヤナーチェクにも秀逸記事の書き方にも不案内なので、直接のお役には立てないかと思います。すみません。あくまで素人考えですが、3点指摘させていただきます。ひとつは画像がほしい。ヤナーチェクの写真や肖像で使えるものはないでしょうか。次に、﹁民俗音楽の語法を自らの語り口﹂にしているという、ヤナーチェクをヤナーチェクたらしめている特徴について、モラヴィアの民謡との共通性など、具体的に示せないかと思います。この点で譜例があるとなおよいと思います。3つめに、﹁受容﹂との関連で、同時代の作曲家や批評家の主だった批評、演奏史、さらにマッケラスやフィルクスニーがヤナーチェクについて語った言葉などがあると、ぐっと厚みが増すのではないかと考えます。--みっち 2005年4月20日 (水) 03:46 (UTC)[返信]
おめでとうございます。ちょっとだけですがお手伝いできて嬉しいです。--っ [Café] [Album] 2005年4月20日 (水) 04:01 (UTC)[返信]
みっちさん、っさんありがとうございます。っさんには記事の編集でもご協力いただき、中見出しのおかげでずいぶん読みやすくなったと感謝しております。さて、みっちさんご指摘の件ですが、写真は私もあったらいいなと思って、肖像写真を載せてるいくつかのサイトの管理者にライセンスについて教えてくれとメールを送ったのですが回答がない状態で、行き詰まっています。エスペラント語のサイト[1]には写真があるのですが、質が悪くて載せたくないなぁという代物です︵おもけに日本語版で使っていいかも分からないし︶。ヤナーチェク作品とモラヴィア民謡の共通の特徴については少し調べて書き加えられるかなと思います。ただこれも﹁バルトークとハンガリー民謡﹂と置き換えてみるとおわかりかと思いますが、簡単に説明するのは至難のことかと。受容についてはオペラ﹁イェヌーファ﹂のプラハ初演がなかなか実現しなくて苛立っていた︵﹁霧の中で﹂の作品解題に書いた焦燥感ですね︶という事実はあります。それから個々の作品ついての評論ならばともかく、ヤナーチェクとなると・・・ちょっと探してみますね。いずれも少し時間をいただいて検討する必要があるようです。ご指摘どうもありがとうございます。さらにお気づきの点がありましたらよろしくお願いいたします。--汲平 2005年4月20日 (水) 06:32 (UTC)[返信]
とりあえず、レオシュ・ヤナーチェク#モラヴィア音楽の特徴を追記してみました。みっちさんの2つめのご指摘の回答になっておりますでしょうか?--汲平 2005年4月20日 (水) 23:53 (UTC)[返信]
自分でもやれていないことを指摘するのは、少々つらいものがありましたが、早速実行に移される汲平さん、すごいですね。わかりやすくていい解説だと思います。Hhstさんからご指摘のあった﹁ブルックナー﹂の記事について、選考時のコメントを見ると、なかなかよい評価を受けていますね。しかし、とくに版の問題の記述がないことがひっかかったようです。現在はさらに加筆されているので、あらためて記事を眺めてみました。版の問題は個別に記述がありますが、まとまった形ではありません。あと個人的に、柱立てが生涯と作品紹介だけというのは、やはり﹁秀逸﹂とするには不十分かと思いました。交響曲の紹介の中で、音楽の特徴も取り上げられてはいますが、外形面だけでなく、ブルックナーがこれらを通じてなにを求めたのかという本質に迫った分析がほしいと思いましたし、音楽史上の位置づけや後世への影響︵肯定面も否定面も︶、当時あまり顧みられなかったブルックナーの音楽が、現在これほどのブームになったことについての記述や考察が必要ではないかと感じました。この点、ヤナーチェクの記事は、多面的な視点から記述があるので、さらに高い評価を期待できるように思います。よけいなお世話のようなことばかり書いて恐縮ですが、参考になればと思います。--みっち 2005年4月21日 (木) 02:13 (UTC)[返信]
みっちさん、ありがとうございます。レオシュ・ヤナーチェク#ヤナーチェクの受容史をアップしました。みっちさんの3.の指摘を踏まえて書いてみましたが、何人かの人の評価を並べると当然いろんな意見があって視点がぶれてしまいます。それよりは、典型的なパターンを踏んだ﹁イェヌーファ﹂一作の受容史を見ることで、ヤナーチェクの受容史を代表させてはと考えました。ちょっと無謀といえば無謀なやり方ですが、実は一番わかりやすいと思います。いかがでしょうか。--汲平 2005年4月21日 (木) 09:08 (UTC)[返信]
私としては、内容的にもういうことがありません。わずかな時間にこれだけのものをまとめ上げられた汲平さんに、あらためて敬意を表します。段落の構成上、ひょっとしたら、﹁#ヤナーチェクの音楽史に占める位置﹂と﹁#ヤナーチェクのテーマ﹂の順序を入れ替えた方がいいかもしれません。生涯とテーマ、受容史と作品リストのつながりがよくなるような気がします。しかし、この点はあまり確信が持てないので、最終的な判断はおまかせします。素晴らしい記事です。--みっち 2005年4月22日 (金) 00:41 (UTC)[返信]
﹁#ヤナーチェクのテーマ﹂は﹁主な作品﹂のいわばコンセプトなので、くっついていた方がいいかなと思い、今の順番にしています。みっちさんのご指摘の順序とかテーマを種明かしのように主な作品の後に持ってくる順序とか考えたのですが、どれも一長一短かなと思い、えいや!で決めてしまいました。どなたか強いご意見があれば入れ替えますが、とりあえずはこのままでいこうと思います。ご指摘ありがとうございました。--汲平 2005年4月22日 (金) 04:10 (UTC)[返信]
秀逸な記事の選考に関しては、以前過去の選考記録においてアントン・ブルックナーが落ちたことがあるそうです。︵私はその頃、ウィキに参加していなかった︶熱心なファンが多いブルックナーでさえ、このような保留意見が出るほどですから。あれから記事は大幅に改善されましたが、再度選考にかけて通過するかどうか…。汲平さん、あまり“背伸び”しなくていいと思いますよ。私なんか今でも、版問題の宿願に着手できない“幽霊メンバー”のままなのに。-Hhst 2005年4月20日 (水) 09:43 (UTC)[返信]
Hhstさん、ご忠告ありがとうございます。確かに私には荷の重い挑戦だとは思いますが、結果が秀逸になろうとなるまいと、あまり関係なくて、みなさんの意見を頂戴して、記事がよりよいものになればいいなと思い、ご意見を頂戴する機会として秀逸の選考を利用させていただいています。ですからブルックナーで出された﹁このような保留意見﹂とはどの保留意見がヤナーチェクの記事についても該当するといった点を御教示願えませんでしょうか?参考にして記事のブラッシュアップに役立たせていただきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。--汲平 2005年4月20日 (水) 23:37 (UTC)[返信]
困ったなあ…みっちさんが指摘された﹁ブルックナーの問題点﹂は、そのまま私のライフワークだよ。あくまで過去のクラシック音楽記事の先例を提示しただけだから、変な“やきもち”に過ぎなかったようだね。ブルックナーに関しては実際“何一つできていない”ようなものだから。クラシック記事一筋に専念できる人たちがうらやましいな。-Hhst 2005年4月22日 (金) 05:42 (UTC)[返信]
記事、見にくいです。<small>使っていますので。特にsmallタグを使う必要はないと思います。Ribbon 2005年4月20日 (水) 11:32 (UTC)[返信]
Ribbonさん、<small>外しありがとうございました。曲名をボールドで強調してみました。--汲平 2005年4月20日 (水) 23:37 (UTC)[返信]
会話頁で呼ばれましたので、お返事として。ヤナーチェクの特徴的楽器使用法にも触れられると︵ピッコロやトロンボーンの不可能と思われていたフレーズなど︶いいのかなと思います。サー・チャールズ・マッケラス指揮のCDのライナーにも一部書かれていましたが、そのままでは問題があるでしょうし、何か参考となるものがあればいいのですが。蛇足ですが、ブルックナーのファンが多い事と、項目が秀逸になるということはまったく別のことですので、念のため。竹麦魚︵ほうぼう︶ 2005年4月21日 (木) 01:00 (UTC)[返信]
竹麦魚さん、ありがとうございます。管弦楽法についてはもう少し調べてみます。--汲平 2005年4月21日 (木) 09:08 (UTC)[返信]
commonsにをみつけました。ご参考まで。竹麦魚︵ほうぼう︶ 2005年4月21日 (木) 13:51 (UTC)[返信]
﹁ヤナーチェク﹂とアクセントも長音もきちんと発音していますね。モラヴィア訛ではないのかな?竹麦魚さん、どうもありがとうございます。--汲平 2005年4月21日 (木) 14:31 (UTC)[返信]
ノート:レオシュ・ヤナーチェクでAphaeaさんにご助言いただき、肖像写真をアップしました。--汲平 2005年4月22日 (金) 11:19 (UTC)[返信]
いやあ、素晴らしい記事ですね。特に音楽の特徴などはわかりやすかったです。がんばってください。なお一つ疑問点があったのでノートを参照いただければ幸いです︵ヤナーチェクをあまり知らないのに質問してすみません︶。たらこ 2005年4月27日 (水) 10:31 (UTC)[返信]
ノート:レオシュ・ヤナーチェクに回答しました。難しい質問で、あくまでも私見なので当たっているかどうかは分かりません。すいません。ディスカッションできれば幸いです。--汲平 2005年4月27日 (水) 23:34 (UTC)[返信]
活発な御議論をありがとうございました。おかげさまで﹁秀逸な記事﹂とすることができました。さらに良い記事にするために今後もご指導、ご指摘頂戴したいと存じますのでよろしくお願いいたします。--汲平 2005年5月5日 (木) 00:18 (UTC)[返信]
モーリス・ラヴェルで、優雅で感傷的なワルツ→高雅で感傷的なワルツと変更がなされました。googleで検索してみると、高雅の方が多いようなんですが、どっちがいいんでしょう?今まではずっと優雅だと思っていたのですが。Ribbon 2005年5月12日 (木) 22:36 (UTC)[返信]
﹁クラシック音楽作品名辞典﹂︵三省堂 ISBN 4385135460 ︶も﹁高雅﹂ですね。﹁高貴な﹂という意味もある﹁nobles﹂の訳語ですから、やはり﹁高雅﹂の方が適切ではないでしょうか。微妙なところではありますが。--汲平 2005年5月13日 (金) 13:49 (UTC)[返信]
この場合、曲名として定着しているのはどちらかと言うことが問題であると思います。これに関して、確固とした判断基準を示すことはできませんけど。CDではどちらの表記もあるようですし。yhr 2005年5月13日 (金) 14:21 (UTC)[返信]
Ribbonさんからのレスがないので、真意は分かりませんが、googleで検索なさって、﹁高雅﹂﹁優雅﹂両方があり、むしろ﹁高雅﹂の方が多いことを確認なさった上でのご質問ですので、訳としてはどちらが適切なのか、というご質問だと解釈しました。この曲のタイトルが様々に呼ばれることも、作品の中には元の意味とは全然違う名称が慣例で用いられているものがあることも承知しております。ちなみにgoogleで﹁ラヴェル ○○で感傷的なワルツ﹂の○○を変えて検索すると、﹁高雅﹂2,790件、﹁優雅﹂1,260件、﹁高貴﹂641件、﹁優美﹂2件という結果でした。古い本で﹁雅び﹂というのも見た記憶があったのですが、検索では0件でした。これが決め手になるとは言いませんが、一定の参考にはなると思います。この検索結果、辞典の記載、﹁nobles﹂の訳語としての適性の3点を鑑み、百科事典Wikipediaの記載としては﹁高雅﹂が適切なのではありませんか、とご提案したまでです。--汲平 2005年5月16日 (月) 04:09 (UTC) p.s.本文の修正は私ではありません。念のため。[返信]
- 手元の白水社「新仏和中辞典」でnobleをひくと、「高雅」は出てきますが、「優雅」は出てきません。貴族的、と言う意味のようです。ですから、「優雅」よりは「高雅」のほうが原意に近いのではないか、とは思います。--っ [Café] [Album] 2005年5月16日 (月) 04:50 (UTC)[返信]
- 了解しました。それでは、Wikipediaの訳は高雅ということにしましょう。Ribbon 2005年5月16日 (月) 11:41 (UTC)[返信]
利用者‐会話:みっち#新企画はフォーレですか!を読んでいて思ったのですが、そういうキャンペーンをしたらおもしろいですね。たとえば、月ごとに﹁6月のキャンペーン>フォーレ﹂とか。--っ [Café] [Album] 2005年5月27日 (金) 04:45 (UTC)[返信]
わっ、読まれていたとは恥ずかしい。おっしゃっているのはWikipedia:今週の強化記事をイメージしたらいいのでしょうか?--汲平 2005年5月27日 (金) 07:27 (UTC)[返信]
そうですが、単独の記事に限らず、﹁フォーレ﹂とか今後そのうち必ず出てくる﹁ブルックナー﹂とか、少し広く範囲を考えたらいいかなと。--っ [Café] [Album] 2005年5月27日 (金) 08:10 (UTC)[返信]
それは、作曲家記事を例に取れば、その記事自体に限らず、その作曲家の曲記事とか赤リンク埋めとか関連項目の加筆とかも含めて考えようということですね。おもしろいかも知れません。ただテーマの決め方が難しいかと。投票とかはなじまないような気がします。--汲平 2005年5月27日 (金) 08:44 (UTC)[返信]
ええ、個人がやっているものをここ(井戸端)などで公表して、﹁私は~を現在集中して編集しています。興味があったら参加してね﹂ぐらいがちょうどよいと思います。好きなというか編集のできる分野は人によってかなり違うと思いますし、狭く深くという人も少なくはないと思いますので。--Ubkaif 2005年5月27日 (金) 13:12 (UTC)[返信]
ひゃ~、ブルックナーは私の仕事だよ! 楽曲解説なら簡単にできるけど、プロジェクトの作品解説テンプレートで﹁楽器編成﹂が私には分からないんだ。スコアを買えない田舎住まいだから︵通販しか方法がない︶。4, 7, 8 はっさんが持っているそうで、私は6番だけ持ってます。ブルックナーだと、私が動かせばいろんなIPユーザ氏も執筆に参加するかもしれないな。ギュンター・ヴァントのファンも結構ウィキに来てるし。来月︵7月︶のキャンペーンにブルックナーを持ってきたら? 私が心の準備期間を取れるように。︵私は狭く・深くというタイプでブルックナーを勉強してきた??︶-Hhst 2005年5月29日 (日) 10:49 (UTC)[返信]
すいません。ブルックナーのキャンペーンは8月に延期して、7月は他の作曲家にすることを提案します。私の“本来の仕事”︵テニス選手記事︶が、全仏オープンテニスとウィンブルドン選手権で、また書けるようになったので…。7月上旬にウィンブルドンが終わるまでは、何とかしてテニス選手記事を増やさないと。この種目でログイン・ユーザーは私ひとりだから。勝手なことを申しますが。-Hhst 2005年6月5日 (日) 21:51 (UTC)[返信]
Hhstさんがブルックナーに思い入れを持っていらっしゃるのはよくわかりますが、スコアをご覧になる機会が乏しく、﹁楽器編成﹂がわからないのに、﹁楽曲解説なら簡単にできる﹂と仰るのは理解に苦しみます。せめて日本版で手に入りやすいスコアは何らかの形で手元に置かれて、必要に応じて参照しながら執筆されることをお勧めします、﹁ひゃ~、ブルックナーは私の仕事だよ!﹂とまで仰るのであれば。--160.185.1.56 さん
執筆に必ずしもスコアが必要とは思いません。--っ [Café] [Album] 2005年6月8日 (水) 05:10 (UTC)[返信]
多分だからそのこともお断りにならずに調性についての疑問を提起されたわけなんですよね。提示された資料も信頼度が十分とはいえないんじゃないのかな、というものでしたし。私の暗黙の前提が厳しすぎる︵?︶のかもしれませんが、... ちょっと調べれば確認できることを、それなしに議論するのは無駄が多くありませんか。︵もちろん調べること自体が大変で、推測でできる範囲で議論をすることが意味があることがありますが、...︶--160.185.1.56 さん
●どなたか存じませんが、ウィキペディアの記事の投稿は、なんら資格を必要とはしていません。しかもHhstさんはクラシック音楽プロジェクトのメンバーと連絡を取り合ってスコアの不備を補う努力をしておられます。せめて~してからなどと牽制したり、執筆者の意欲を削ぐくらいなら、ご自分も協力するなり執筆することで手本を示されてはいかがてしょうか。--みっち 2005年6月8日 (水) 05:14 (UTC)[返信]
>ウィキペディアの記事の投稿は、なんら資格を必要とはしていません
はい、そのことは存じております。何も専門家でないと何も書いてはいけないということではない︵それだと私自身”資格”がないということになってしまう︶と思いますが、それだけに、責任を自覚して、なるべく裏づけを取る努力をして書いて欲しいということです。簡単にスコアが手に入らない曲ならともかく、ブルックナーの交響曲に関しては日本版のスコアが発行されてそれ以前より格段に楽譜を確認することが簡単になりました。スコアを確認しなくても書ける記事・内容はもちろんたくさんあると思いますが、こと﹁楽曲解説﹂に関しては、スコアを参照することなく﹁簡単に書ける﹂とまで書かれるのは疑問だと感じたということです。こういう場ですから、記事そのものやそれに付随するノートとは違っておちゃらけた表現をされているだけなのかもしれませんが。︵なしで書けることもあるけど、といった表現だったらここまで引っかからなかったかもしれません。︶
私自身は、ログインして書くほど時間や労力をかけられないので、これまで明らかに間違っているところの指摘などをさせていただいているだけですが、できる確認はもっととって、記事の質を最初から高めませんか。もちろん、多くの手でより完成度の高いものにしていく、というのがこのような場のよさではあると思いますが。因みに、ブルックナーの記事に関しては、ブルックナー・リズムについての金子建志の見解、序曲ト短調のCDの存在、交響曲第2番におけるキャラガン版の件、オイゲン・ヨッフムによる﹁最初のブルックナー全集﹂の件、などをこれまで補筆させていただいています。﹁ブルックナー﹂の最初のノートは私です。
>しかもHhstさんはクラシック音楽プロジェクトのメンバーと連絡を取り合ってスコアの不備を補う努力をしておられます。
その意味では表現が攻撃的に過ぎたかもしれません。やる気のある方にどんどん記事を執筆いただくのは楽しみですが、やる気のある方にしっかり資料を咀嚼していただきたいものです。それだけのやる気があるのなら、スコアを含む資料もしっかり準備されて、臨んでいただければ何も言うことはありません。︵そもそも余計なお世話かもしれませんが︶一ユーザとして普通に執筆されるだけなら別にそんなこと書かなくていいのに、﹁ひゃ~、ブルックナーは私の仕事だよ!﹂なんて書かれるから、それにしては自覚が足りないんじゃないか、的なことを突っ込んでみたくなったわけです。︵ブルックナーの場合、版・稿の問題もありますから、場合によってはスコアを見比べて書かなくてはいけないかもしれませんし︶結果として”やる気をそぐ”ことになったのなら申し訳ありませんが、しっかり準備していい記事を書いてください、というエールの意味を込めたつもりです。--160.185.1.56 さん
Wikipediaへの取り組み方はひとそれぞれで、他人がとやかく言う問題ではないと考えています。私も、160.185.1.56 さんがログインしていないことも、署名をしていないことも︵後者は実際には対話の困難を生じますが︶とやかく言うつもりはありません。要は、持つ物を持ち合って持たない物を補い合いながらひとつの記事を仕上げていく、その醍醐味がこのWikipediaだと信じるから、そうしていきたいと思うだけです。Hhstさんがスコアを持たなくたって、それだからこそのすばらしい感性を持って記事を書いてくれることが、私の望みです。私だって、持っているスコアと持っていないスコアがあります。調性のこととはひょっとしたらマーラーの10番でしょうか?10番だけは持っていないのです。でも、持っている方が読んで、必要な事項を補ってくだされば、それで協力してひとつの記事が書ける、それがむしろWikipediaのおもしろさだと、信じます。--っ [Café] [Album] 2005年6月8日 (水) 10:34 (UTC)[返信]
ちょっと斜に構えたコメントに大人の対応をしていただいて感謝しております。元々余計なおせっかいで、私の感性がやや Wikipedia 的でないのかもしれませんが、過去、音楽の話題でないところでかなり典拠だの何だのとかなり厳しいコメントをいただいたこともあって、自分で書こうと手を上げるからには、事実を確認できるところではがんばって確認して︵よい記事を書いて︶欲しいなという気持ちが先にたちました。楽曲解説を﹁簡単に書く﹂ことは、私には知的誠実性を損なわずにできるものではないと感じられましたので。160.185.1.56 2005年6月8日 (水) 11:43 (UTC)[返信]
おっしゃるとおり、できる努力はすべきです。気楽にそれを怠ることは慎むべきでしょう。よくわかります。160.185.1.56さん、今後ともよろしくお願いいたします。--っ [Café] [Album] 2005年6月8日 (水) 16:09 (UTC)[返信]
ノートがこれだけ大きくなって、議論がどこにあるのかも分からなくなっていました。私自身は8月に旅行先でブルックナーのスコアを購入したところです。私が何もできない事に不満をもらされたIPユーザ氏のこと、ノートで知っていますよ。最近ブルックナーは加筆がさらに進み、関連文献の整理もなされました。しかし私はここで日を追って多忙になるから“自分の仕事”ブルックナーに思うように専念できない…。明らかに、クラシック音楽に比べるとスポーツは力が弱すぎるので、今ここで私がテニスとゴルフの仕事をやめるわけにはいかなくて。ゲオルグ・ティントナーを準備するにも半年かかりました。今は交響曲第7番で﹁第2楽章クライマックスの打楽器追加問題﹂の説明を考えています。-Hhst 2005年11月18日 (金) 13:30 (UTC)[返信]
やっと12月4日に交響曲第7番 (ブルックナー)を立ち上げました。私の仕事だと宣言しておきながら10ヶ月もかかり、大変申し訳ない気持ちです。きちんとスコアを買って﹁第177小節、スコア練習番号W﹂も書きましたよ。資料の咀嚼には自信があるつもりだったけど、頭の蓄積をきれいな︵?︶文章に整理するのが大変でした。これで一応交響曲執筆のコツは飲み込めたので、私のライフワークである交響曲第8番も全力で頑張ります。-Hhst 2005年12月5日 (月) 10:06 (UTC)[返信]
ノート:カデンツァにて、カデンツァの記事の表記などについて議論になっています。(私がごねているだけ、という気も....)--っ [Café] [Album] 2005年10月27日 (木) 10:00 (UTC)[返信]
- 現状のままでいいと思いますよ。演奏記号は全体を網羅する記事だと思うけど、「強弱」「装飾」に特化した勉強は(演奏だけでなく)音楽鑑賞にも大いに役立ちますから。(Kokoperiさん、はじめまして。私はここで毎日が多忙なため、ウィキプロジェクト・クラシック音楽にほとんど顔を出せない“幽霊メンバー”でございます。その事で他のメンバーから“つまらぬ小言をブウブウ言われ”てますよ)-Hhst 2005年11月18日 (金) 13:44 (UTC)[返信]
Wikipedia:ウィキプロジェクト_音楽を整備いたしました。音楽全般のガイドラインについていくつか提案していますので、お目通しをお願いします。また、なにかガイドラインの提案、あるいは暗黙の了解等がありましたら自由に記述してください。よろしくお願いします。--Ligar 2005年12月22日 (木) 01:57 (UTC)[返信]
こんにちは。はじめまして。
さて、又このところ楽曲解説がぼちぼち現れ、たいへん喜ばしい限りですが、まとめて読んでいると気になる点がいくつかあります。日本語版ウィキペディアの楽曲解説は、書き手の曲に対する思い入れが強烈で、その気持ちをそのまま言葉にぶつける傾向が強くないかということです。たとえばチャイコフスキーの︽悲愴交響曲︾の解説だと、
第1楽章は正に本人の言ったレクイエム的な暗さで始まる。ここでは無気力の中でもほのかに意志が働き、その絶望的な暗黒の世界から本人の声とされる嘆きが弦︵ヴィオラとチェロ︶によって現れる。これは第1主題であるが全楽章に決定的な意志を与える。ここは彼の独壇場であるリズムの天才さがうかがえる。
といった具合ですが、事典的な記事の中身として求められるのは、曲の内容や性格についての描写や作品評ではなく︵本来これは聴き手が自由に感じ、判断すべきことです︶、第一義的には曲に関するデータなのではないでしょうか。﹁①何という曲を②誰が③いつ④どこで⑤作曲し︵完成させ︶⑥いつ・どこで・誰によって初演された。それは⑦何楽章からなり︵それぞれはどういう構造で︶⑧どこそこの出版者から扱われている。︵⑨いついつ改訂され、あるいは書き直され、いくつ異なる版がある︶﹂、ということで必要十分なはずです。オペラや声楽曲のような場合はまた別ですが、器楽曲の楽曲解説の記事の書き方について、こうしたガイドラインを決めてしまうべきではないでしょうか。日本語版の楽曲解説では、他言語版の記事に比べると、ともすれば作曲年代や作曲場所が抜け落ちやすく︵資料などでも分からない場合は仕方ありませんが︶、面白エピソードに興味が傾きがちなのが気になります。皆さんいかがお考えですか。間久部緑郎 2006年1月21日 (土) 16:19 (UTC)[返信]
間久部緑郎さんいつも充実した記事をありがとうございます。私はイタリア・オペラばかりの投稿ですが、間久部さんのおっしゃる﹁面白エピソード﹂ばかり書いていたようで汗顔の至りです。さて、上記1-9に関してですが﹁これがあれば十分﹂かどうかは別にして、これらは︵その楽曲が音楽史上何らかの意味をもつものなら︶含まれることが望ましい項目であろう、ということならば、誰にも異論はないと思います。若干パラフレーズすると
(一)﹁何という曲﹂‥ 特に、表題が付いている︵﹃悲愴交響曲﹄がいい例︶、あるいは愛称でそう呼び習わされている︵﹃運命﹄が典型例︶の違いをはっきり記載することは重要です。作曲者の表題の場合、原語での表記が必要ですし、愛称なら愛称で、その初出を書くのも大事です。
(二)﹁誰が﹂‥ ﹃パガニーニによる大練習曲﹄赤リンクなんですねなどのように、原曲が存在するケースはそれとの関連をきちんと書く。
(三)﹁いつ﹂‥ 拙稿の場合、いつ開始したかは大変重要であると考えて記載するようにしております。
(四)﹁どこで﹂‥ これは、もしかすると副次的な項目かもしれません。﹁この頃誰々はどこどこで静養しており、この第x楽章の静謐な空気は同地の風土の反映であるとの説もある﹂みたいな記述も有り得ますが。
(五)﹁完成させ﹂‥ これも重要項目で、特に﹁開始から完成までが︵その楽曲の規模に対して︶極端に長い/短い﹂ケース、﹁完成から初演までの間隔が極端に長いケース﹂では、その旨の記述があるべきでしょう。
(六)﹁初演に関するデータ﹂‥ これに加えて、初演時の評価︵聴衆、評論家、作曲者自身︶もできるだけあってほしいですね。
(七)﹁構成﹂‥ 言わずもがな。ただこの部分は間久部さんご懸念のPOV記述との裏返し的部分でもありますね。
(八)﹁出版社﹂‥ 私の書くイタリア・オペラの場合、19世紀中葉までは﹁海賊版﹂という概念がなかったくらい、いい加減な権利観念のもとで出版されていたのでこの部分は書きにくいのですが、他の楽曲の場合どうなんでしょう。やはりオプショナルな項目の一つでは?
(九)﹁異版の存在﹂‥ これは是非とも含めたい項目ですね。特に、今日我々が聴いている曲が初演時と異なる場合、その違いが作曲者の意図した改版によるものか、慣習上の変化︵オペラで多い︶なのか、は重要です。
ということで、実はこれらの項目をきちんと入れ込むだけで大作業だと思います。あまり﹁ガイドライン化﹂してしまって新規起稿の敷居を高くしてしまうのも考えものだし、悩ましいですね。まとまりの悪いレスですみませんでした。--にごう 2006年1月21日 (土) 23:09 (UTC)[返信]
私も楽曲記事を書くものとして、間久部緑郎さんのご意見は耳が痛いところもあり、反省しながらのレスです。私自身は、少なくとも曲データ︵作曲年、初演情報、楽章構成、楽器編成︶については書くことにしています。というか、これが分からないものには手を出しません。で、楽曲の内容ですが、確かに書き手の感情過多な記事は好ましいとは思いませんが、クラシック音楽を聞き慣れていない人にとっては、どれが第1主題で、どこからが展開部で、といったことが分かる程度には書いた方がいいのかなとも思います。この時に﹁弾むような主題﹂とか﹁ひとしきり盛り上がり展開部へ移る﹂みたいな表現になって、曲への思い入れからこの部分が肥大化していく傾向は否めないことでもありますが・・・。にごうさんのオペラ記事はいつも大変に充実していて読むたびに感服させられっぱなしです。挙げておられる項目は、確かにその通りですが、ここまでハードルを挙げてしまってよいものだろうかと思います。自分が完成させるという態度は大事ですが、誰かが補筆してくれるという期待を込めてとりあえず書き始めてみるという態度もありかなと。﹃悲愴交響曲﹄の作曲年と初演、副題について、簡単に加筆してみました。--汲平 2006年1月22日 (日) 03:26 (UTC)[返信]
私はまだ楽曲記事を書いたことがありませんが、ガイドラインがあれば書きやすいと思います。必須条件ではなくて、できるだけ書くようにするっていうことですよね?私の知識の及ぶフルート音楽に関していえば、作曲開始年はわからない場合が少なくないと感じます。また、初版の出版社は会社名そのものがわかることは珍しく、出版された都市の情報のみ得られることがしばしばです。現在の出版社について調査し記載することは可能ですが、小規模な楽曲では数十社からの出版情報がある一方、数年で絶版になることもあり、細かく書くことには躊躇する部分もあります。そういった事情も勘案したガイドライン記述になればと思います。--Kokoperi 2006年1月22日 (日) 13:36 (UTC)[返信]
チャイコフスキーについては、履歴をご覧いただければおわかりかと思いますが、1年くらい前は﹁悲愴﹂交響曲だけでなく、交響曲第4番も交響曲第5番も、作曲者本人の記事まで﹁同性愛者﹂という視点に偏った主観的な記述がほとんどでした。作曲者や5番の記事については加筆修正を試みましたが、4番はまだ手つかずのようです。当時は楽曲記事の例が少なく、どう構成するかも手探りでした。同様に、マーラーの交響曲についても一部執筆参加しましたが、そんなわけで、曲目や書いているときの状況によって記述がバラバラで申し訳なく思っています。当時、楽曲記事のガイドラインがあったら、助かったと思います。しかし、こういうものは、ある程度の記事の積み重ねがないとできないだろう、と割り切って書いていました。その後、少しは書き方がわかってきたつもり︵?︶ですが、どっちかというと新規記事の方が書いて楽しく︵たまに新着記事で紹介されたりするし︶、先にだれかに書かれないうちに書いちゃえ、という不純な^^;動機もあって、既存の記事はほったらかしでした。そんなところに間久部緑郎さんのご指摘で、反省しています。ご主旨に賛成します。もちろん各データについては、わかる人がわかる範囲で書く、ということでよいかと。私としては、マーラーの交響曲について、記事のバランスがいまも気になっていて、さしあたり交響曲第1番から手を入れたいと思っていたところでした。前後しますが、間久部緑郎さん、ウィキプロジェクト クラシック音楽へようこそ。できましたら、参加者欄に記名いただければうれしいです。--みっち 2006年1月23日 (月) 03:03 (UTC)[返信]
提案してから、ほぼ一週間でこれだけの反響があって驚いています。とり急ぎ皆さんにお礼から。にごうさん、さっそくの具体案ありがとうございます。私もにごうさんのご提案でOKかと思います。また汲平さんのおっしゃるように、私もにごうさんの数々の投稿は、客観的でバランスが取れていて、たいへん模範的だと考えています。汲平さん、﹁クラシック音楽を聞き慣れていない人に……といったことが分かる程度には書いた方がいいのかな﹂というのは、実は私も賛成です。Kokoperiさん、補足コメントに感謝します。﹁必須条件ではなくて、できるだけ書くようにするっていうことですよね?﹂というのはまったくその通りです。みっちさん、ご丁寧にどうも有難うございます。︽悲愴︾の記事が﹁主観的な論調﹂の例として挙げたのは偶然で、以前が︵もっと?︶ひどかったとか、︽第4番︾が修正し切れていないとは気づきませんでした。そのうち他言語版を見ながら、手直ししたいと思います。﹁もちろん各データについては、わかる人がわかる範囲で書く、ということでよいかと﹂に私も賛成です。また、個々人が過去の記事のうちで、興味を持てるものから修正するというアイディアにも賛成です。ところでみっちさん、参加者欄はどちらでしょうか? ちょっと探してみましたが、分かりませんでしたので。なお余談ですが、今日1月27日にはモーツァルトの生誕250周年ということで、メインページの﹁今日は何の日﹂欄を編集したかったのですが、入り口がないようでしたので諦めました。間久部緑郎 2006年1月26日 (木) 23:29 (UTC)[返信]
メインページは全部サブページやテンプレートになっていますので、編集できます。メインページのノートやWikipedia:メインページの編集方法などをご参照ください。なお、今日は何の日はbot更新になっています。今日の部分だけ直しても、すぐに消えてしまいますので、元も一緒に直す事をお勧めします。竹麦魚︵ほうぼう︶ 2006年1月26日 (木) 23:43 (UTC)[返信]
記名場所はWikipedia:ウィキプロジェクト クラシック音楽#参加者にあります。よろしくお願いします。--みっち 2006年1月27日 (金) 03:01 (UTC)[返信]
遅ればせながら。なぜ今までこの議論に気づかなかった? やはり“幽霊メンバー”だな。私はブルックナーの交響曲第8番の準備に、まだ悪戦苦闘が続いていますが、昨年12月4日に立ち上げた第7番の記事は“これで良かったのかな”ちょっと安心した感じです。第8番はハース版のスコアが絶版だそうなので、第4楽章に多いノヴァーク版との相違点をまとめるのが大変です。頭のインプットだけでは不十分なのかな。初めて第8番という作品に惚れ込んだ頃の、15年前の︵今よりは柔らかかった︶頭に戻りたい…そんな感じ。ただ、音楽専門ユーザーの皆様、別分野で多忙な私のことをお許しくださいね。︵話したことはないけど、にごうさんの記事が“時の話題”になっている。そんな記事を書ける人たちがうらやましい!!︶-Hhst 2006年3月5日 (日) 09:59 (UTC)-追記‥ようやく3月9日に初版投稿できたので、先の意見に青リンクを追加しておきました。実はマーラーの交響曲第8番と比較してみたのですが、あちらは何と﹁2004年1月31日﹂に初版が立ち上がり、すぐ翌日に楽器編成が追記されて、当時としてはなかなか良いスタートだったのかなと思います。それから去年の2月に作曲経緯や歌詞対訳などの大量加筆が行われました。私はその時からブルックナーを書く宿願を抱いてきたけれど、果たすのに1年以上かかっている…。︵クラシックPJの皆様は大型記事を事もなげに書いて、新着記事も常連になってるけど、私は﹁28,783バイト﹂の初版は自己最大サイズでした。︶-Hhst 2006年3月13日 (月) 10:42 (UTC)[返信]
人名一覧の表記をめぐってもめています。そちらのノートまでご助言ください。 ---間久部緑郎 2006年2月3日 (金) 11:44 (UTC)[返信]
- ノート:ヴィルトオーソに所感を書いておきました。人名リストを削除する、というのが唯一の平和な解決策のように思えてなりません。--にごう 2006年2月3日 (金) 13:59 (UTC)[返信]
現在、Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクトで、プロジェクトでなされた合意の記事への適用やプロジェクトの間の調整についての一般原則について議論がされています。すべてのプロジェクトにかかわる事項ですので、ぜひ参加ください。--Clinamen 2006年5月23日 (火) 18:37 (UTC)[返信]
- なかなか議論が収束していかないので、ひとつの提案を行いました。投票ではありませんが、賛成、反対の署名をお願いしています。よろしければご参加ください。--っ 2006年6月27日 (火) 13:27 (UTC)[返信]
Wikipedia:ウィキプロジェクト 音楽/曲記事のガイドラインがen:Wikipedia:WikiProject Music/Notability and Music Guidelines/Songsから翻訳され、検討されています。解釈によっては︵そしてその方向に行きそうですが︶クラシックの楽曲記事の大半は作曲家の記事にまとめられることになりそうです。ぜひ議論に参加してください。--っ 2006年6月23日 (金) 09:20 (UTC)[返信]
﹁大半は作曲家の記事にまとめられる﹂なんて、悪い冗談ですね。クラシックとジャズ、ポップスやロック、団体歌︵国歌、校歌等︶、ドラマや映画のテーマ曲、ゲームのBGMなどすべてをひとまとまりにして基準が立てられるとみなさんは本気でお考えなんですかね。こういった﹁ガイドライン﹂を作ること自体に反対という場合、どこに書けば良いのでしょうか。--にごう 2006年6月23日 (金) 10:35 (UTC)[返信]
まあとりあえずはWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 音楽/曲記事のガイドラインでしょうかね。まず、英語版からきているようなのですが、端から誤訳がある︵わざとかな?︶ので、その辺からじっくりと話してみるつもりです。--っ 2006年6月23日 (金) 15:22 (UTC)[返信]
﹁音楽プロジェクト﹂は﹁クラシック音楽プロジェクト﹂の上位にあって、上で決められたことは、準拠しないといけないということでしょうか? そうすると、曲記事のガイドラインだけでなく﹁クラシック音楽プロジェクト﹂で先行して議論されたことがみな無駄になりかねませんが。--みっち 2006年6月23日 (金) 23:18 (UTC)[返信]
﹃﹁クラシック音楽プロジェクト﹂で先行して議論されたこと﹄がどの辺に書かれてあるかおぼえていらっしゃいますか?--っ 2006年6月25日 (日) 14:33 (UTC)[返信]
どんな曲記事を書く書かないという議論をしたことはまだないと思います。議論して、これでいくと方向付けしたこともあまりないような……。この辺、ちょっと弱いですかねf^^; プロジェクトの解説ページに書いてあった﹁つまるところ、われわれはあなたに記事を書いて欲しいのです!﹂という言葉に共感していましたし、この言葉がウィキペディアでのクラシック音楽記事の状態を現していたように思います。この言葉はいま見たら、書き換えられてました。ただ現状を見ると、確かに記事としての必要性に疑問を感じるものもありますし、﹁ウィキペディアは名曲解説事典ではない﹂という意見も以前からあったように思いますので、そろそろ﹁線引き﹂を考えるべき時期にきているのかもしれませんが。--みっち 2006年6月26日 (月) 01:07 (UTC)[返信]
そのフレーズで見つかりました。ノート:クラシック音楽の曲名一覧#ウィキペディアで取り上げる曲の基準作りについてでした。--っ 2006年6月26日 (月) 01:44 (UTC)[返信]
私もみっちさんのおっしゃるとおり、記事としての必要性に疑問を感じるものがいくつかあるとは思います。ただ、それらは個々に判断すべき問題で、ガイドラインを設けて縛るようなことではないと思うのです。︵﹁ウィキペディアで取り上げる曲の基準作りについて﹂で疑問を呈されているバルトークのSQを全曲書いた奴が何を言うか、というツッコミが聞こえますが︶たとえ無名な作品であっても、記事の内容が充実していて、あるいはエピソードに富んでいて﹃をぉ、そんな曲があるのなら聴いてみよう﹄ということになれば、それはWikipediaにとって有用な記事で削除すべきではないと思うのです。そして、内容のない記事、発展性のない記事については、それぞれについて、率直に﹁必要だろうか?﹂と疑問を呈していけばよいのではないでしょうか?︵ノート:小長谷宗一参照︶--汲平 2006年6月26日 (月) 12:14 (UTC)[返信]
というわけで、早速、かねてより疑問だった記事について︵以前小声でつぶやいてはいたのですが︶、発言して参りました。こちらにご意見下さい。--汲平 2006年6月26日 (月) 12:48 (UTC)[返信]
﹁Wikipediaは名曲解説全集ではない﹂という言葉の意味について一言。上でリンクされている議論のときから、僕のスタンスも多少変化していますが、今の僕の立場から言うならば、﹁作曲年や編成、楽曲の形式などのデータのみしかかけないようなら独立の項目にする必要はない。﹂ということは言えると思います。著名性とか、そういうことを外形的な条件で規定しようとすると、﹁記事があるべきと多くの人が認めるのに条件を満たせない曲﹂が現れて不毛な議論に終始するのは目に見えていますのであんまり﹁○○の条件を満たす極以外は作るな﹂見たいな規則は作らないほうが良いと思います。yhr 2006年6月26日 (月) 12:41 (UTC)[返信]
まあ、普通に考えれば﹁音楽プロジェクト﹂は﹁クラシック音楽プロジェクト﹂の上位プロジェクトになるんでしょうが、どちらのプロジェクトにもひとこともそんなことは書かれていません。それでも、このページではクラシック曲にも網をかけようとしている風があります[2]。--っ 2006年6月24日 (土) 05:59 (UTC)[返信]
私の書いたオペラ記事なんて全部﹁著名性なし﹂で削除になってしまいそうですね。なんて冗談はさておき、全ての楽曲を対象としたガイドラインを拙速に策定することへの懸念を表明しておきました。--にごう 2006年6月24日 (土) 22:42 (UTC)[返信]
ありがとうございます。私も本音を書いてきました。--っ 2006年6月24日 (土) 23:37 (UTC)[返信]
こんにちわ。音程および曲記事のガイドラインについての議論ではどうもです。いらぬご心配をかけさせてしまったようで恐縮です。簡単にですが、スタンスのようなものを表明させて頂くことにします。
基本的に能動的に記事を書くほど積極的にウィキペディアに参加する意志はないのですが、紙の百科事典でも十分な記述があるとはいえない吹奏楽関係の記事を書いています︵というほども書いてませんが︶。ウィキプロジェクト上の立場は微妙なので、クラシック音楽のプロジェクトには参加していませんが、このページはウオッチリストに入れさせて頂いています。議論に参加したのも、実はこのページでのよびかけを見て、だったりします。
議論の上では、編集方針および中立的な立場を意識していますが、一般的な音楽記事の記述において西洋芸術音楽の存在は、ポピュラー音楽におけるアメリカの音楽同様、その重要さ、および歴史的な経緯や影響力によって、中立性を見えにくくさせるものとなっています。他方、多くのクラシック音楽およびこれに関わる事項は、その成立時期などさまざまな要因によって、現在の﹁音楽﹂の主流を占めるポピュラー音楽と、大きな違いをもっていることも事実です。一般的な音楽に関わる事柄についての記述について、いかに西洋芸術音楽一辺倒の見方を避け、いかにクラシック音楽特有の事柄を特権化することなく、違いを具体的に示し、並列に処理出来るかということが﹁中立性﹂を保持するためには重要になってきます。これらは既存の百科事典や音楽事典などでもクリア出来ているものではありませんし、容易なことではありませんが、丁寧かつ論理的な議論によって可能ではないかと考えております。ウィキペディアに参加し、クラシック音楽のプロジェクトの名前を﹁ウィキプロジェクト音楽﹂と名付けなかったみなさんには、ご理解頂けると信じております。
しかし、このような立場で議論に参加する以上、クラシック音楽を主に執筆されているみなさんとは、今後対立する局面がでてくることも予想されます。もちろん当方の矛盾点などは遠慮無く突いていただいてこそ議論は発展するものですし、当方としても論理的に議論を進めたいと考えております。記述によっては、慇懃に響くこともあるかも知れませんが、おそらくまっとうな議論が行われる限り、不快であると感じることはないでしょう。このてんにつきましては、ご心配などなさらぬようこの場を借りてお願いします。
曲記事の扱いやプロジェクトの上下関係についての個人的な意見は、また議論がはじまったところで機会があれば述べさせて頂きます。まずはご挨拶まで。--Ks aka 98 2006年6月28日 (水) 18:32 (UTC)[返信]
Ks aka 98さん、ようこそ。心強い仲間の登場に︵失礼、初投稿は12月ですね︶わくわくしています。吹奏楽は、わからない部分が多く、吹奏楽という概念そのものもなかなか明確でないように思います。その辺、明らかになっていくことを期待しています。ウィキペディアは不思議なところで、新規記事こそクラシック以外の方が多いですが、コミュニティーはクラシックが先行してきました。クラシック以外のコミュニティーがもっともっと広がって、ウィキプロジェクトもポータルも分化していってくれるといいなと思っています。Wikipedia:ウィキプロジェクト クラシック音楽#参加者への署名は気の向いたときにでもお願いしますね。--っ 2006年6月28日 (水) 23:23 (UTC)[返信]
アントニン・ドヴォルザークについて、保守派・進歩派論争を加筆し、冒頭部分を修正して、秀逸な記事に推薦いたしました。Wikipedia:秀逸な記事の選考/アントニン・ドヴォルザークまで忌憚のないご意見をお寄せ下さい。--汲平 2006年7月1日 (土) 06:19 (UTC)[返信]
読ませていただきました。ドヴォルザークは、有名な数曲以外にはあまり聞いたことがないのですが、3点ほど述べます。これらは相互に関連しています。よくわかってないので、指摘が見当はずれでしたら、ご容赦ください。
まず、冒頭の概要部分がなんとなく練られていない感じがします。私の認識としては、ドヴォルザークは第一にたいへんなメロディーメーカーでして、概要にある﹁クラシック音楽史上屈指の人気作曲家でもある。﹂という親しみやすさの部分についての解説がもの足りないように思いました。
構成としては、﹁生涯﹂、﹁作品﹂、﹁位置づけ﹂となっているのですが、ちょっと少ないかなあと感じます。作風やその影響について節を立てられるとよいと思います。なお、節の順番は﹁位置づけ﹂、﹁生涯﹂、﹁作品﹂ではないかと思います。各節についてはよく書き込まれているのですが、強いて挙げると、ドヴォルザークの肉声が伝わるような記述がほしい気がします。
あと、﹁位置づけ﹂と関わるのですが、現在よく知られているドヴォルザークの音楽は、ほとんどが渡米後の作品︵このこと自体に意味があるのかは不明ですが︶で、それらは民謡や黒人霊歌からの影響はあるとしても、直接それを引用したものではなかったように思います。概要で書かれている﹁民謡を主題に用いた作品を作曲し、ベドルジハ・スメタナとともにボヘミア楽派と呼ばれ、チェコの国民音楽を、ヨーロッパの中央楽壇に広く知らしめた。﹂という部分は、アメリカに渡る前のこととして、そのころには﹁民謡を主題に用いた作品﹂が主体だったのでしょうか。﹁スラヴ舞曲﹂はそうかもしれませんが、交響曲や協奏曲ではそうでもないような気がします。この部分がよく飲み込めないので、後段の﹁チェコ音楽史における位置づけ﹂でドヴォルザークがなにを目指し、どこまで到達したのかが理解しにくいと感じました。--みっち 2006年7月4日 (火) 06:14 (UTC)[返信]
ご指摘ありがとうございます。﹁民謡を主題に用いる﹂という表現が曖昧でわかりにくいというご指摘、確かにその通りであると思いました。直接そっくりそのままの引用ではなくて、特定の民謡から導かれたと同定される主題や、舞曲のリズムを用いているという意味です。スメタナとの比較のため書きすぎた部分もあるので、修正したいと思います。また、作風についても工夫して加筆したいと思います。これらについては、もう少し時間をちょうだいして作成したいと思います。今回も有益な提案をいただいたことに深く感謝いたします。--汲平 2006年7月4日 (火) 13:08 (UTC)[返信]
こんにちわ。ドヴォルザークに詳しいわけではないですが。
位置づけが、チェコ音楽史における位置づけだけに留まっているのはなぜでしょう。同時代的なアメリカでの位置づけがどうなのかということ、より大きな音楽史的な位置づけが概要の部分での記述だけというのはちょっと違和感があります。また、これは希望に近いのですが、同時代的ではなく、その後も含めたドヴォルザーク受容史が書かれることを期待します。つまり、ドヴォルザーク自身のことではなく、ドヴォルザークがどのように音楽家や評論家や一般聴衆に受け取られてきたか、影響を与えてきたか、どのように評価されてきたか、という、いわば外側の記述が欲しいのです。もちろん、そこで意見や評価をするのではなく、あくまで中立的に、ではありますが。たとえば堀内敬三が歌詞を付けた﹁遠き山に日は落ちて﹂について触れられていないのは、専門的な音楽事典であれば許されるかもしれませんが、百科事典では不自然だと思われます︵世代的なこともあるかもしれませんが、小学校の音楽の教科書に載っていた記憶があります。なお交響曲第9番 (ドヴォルザーク)の記事でも触れられていません︶。これと絡みますが、独立した曲の記事がある場合でも、基本的な事柄はこの項目に残すほうが、詳しくない者にとっては便利です。--Ks aka 98 2006年7月6日 (木) 20:15 (UTC)[返信]
Ks aka 98さん、こんにちは。ご指摘ありがとうございます。後ろから順に、独立記事のある曲についても、基本的な情報は書いた方がよい、というご指摘、了解いたしました。追記するつもりです。新世界については、梗概の部分で﹁歌曲﹁家路﹂の原曲でもある交響曲第9番﹂と書いているのですが、これでは不十分でしょうか?これはむしろ交響曲第9番 (ドヴォルザーク)に記述すべき内容ではないでしょうか。ドヴォルザークに対する同時代人の評価は、加筆します。私見ですが、ドヴォルザークは偉大な作曲家ではありますが、革新的な作曲家ではないと思うのです。極論を言えばドヴォルザークがいなかったとしても音楽史は、豊かな果実の多くを失うものの、おそらく停滞なく流れるのではないかと思うのです。ドヴォルザークが後の音楽史に与えた最大の影響はスラヴ主義の流れを作り、この流れに乗ったヤナーチェクがフィールドワークの手法で民謡を採集し、それを解体再編成した点で、これがバルトークやシマノフスキらに影響を及ぼしたという点につきると思うのです。ヤナーチェク以降の話はレオシュ・ヤナーチェクに詳しいので前半部を書くと、それはすなわちチェコ音楽への影響になるというわけです。もちろん、最初にお断りしたとおり、私見ですので、ご異見をお持ちでしたらどんどん加筆下さい。--汲平 2006年7月7日 (金) 13:26 (UTC)[返信]
﹁遠き山に…﹂については、交響曲第9番に加筆することでもよいでしょう。しかし、これは例示であって、主眼は﹁ドヴォルザークがどのように音楽家や評論家や一般聴衆に受け取られてきたか、影響を与えてきたか、どのように評価されてきたか、という、いわば外側の記述が欲しいのです﹂という点にあります。これに限らず一般的な読者でもピンとくるような情報については、重複をおそれずに記述した方が好ましいと考えます。
﹁音楽史的な位置づけ﹂については、今ここで書かれているようなことが、本文に反映されることを望みます。同時代人の評価が加筆されることで、わかりやすくなるかもしれません。なぜ、いきなり﹁チェコ音楽史における…﹂ではじまっているのか、ということが、今の記述では掴みかねるのです。単に見出しの問題かもしれません。﹁ドヴォルザークと国民楽派﹂であれば、収まりがいいようにも思います。生涯の後ろに置いて、一種の特記事項として扱われるのであれば、それはそれで収まりがいいようにも思います。また、チェコ音楽史においてしか語るべきことがないとしても、ドヴォルザークは、ここ日本でも有名な作曲家の一人であることには疑いはないと思われますし、ぼくなどは、チェコの音楽家であることを特に認識することなくドヴォルザークの名前を知っています。﹁日本のポピュラー音楽史におけるドリームズ・カム・トゥルーの位置づけ﹂であれば、腑に落ちるのですが、ドヴォルザークの場合は、それほどドメスティックな作曲家ではないと思うのです。梗概にあるように﹁後期ロマン派を代表する作曲家﹂であるならば、後期ロマン派のなかでの位置づけも可能ではないでしょうか。
--Ks aka 98 2006年7月10日 (月) 17:52 (UTC)[返信]
ご指摘いただきました、音楽史上の位置づけについて加筆いたしました。構成も変えています。ご一読下さい。--汲平 2006年7月12日 (水) 11:40 (UTC)[返信]
お疲れ様です!ぼく的にはそうとう秀逸に発展しましたです︵ええと、位置づけの一文目が長いと思ったり、音楽史上の位置づけができているので、現在の記述であれば上で書かれている通り、位置づけが生涯の前に来る方が望ましいと思ったり︶。--Ks aka 98 2006年7月12日 (水) 14:57 (UTC)[返信]
ありがとうございます。位置づけの一文目分割しました。場所はWikipedia:秀逸な記事の選考/アントニン・ドヴォルザークでにごうさんの提案に従ってみたのですが、位置づけの位置が決まらない・・・。まぁ、冗談はさておき、位置づけの中文章は、かなり梗概の部分とだぶっているので、梗概を切り詰めて、位置づけを上に持ってくると座りがよいかなと感じています。ちょっと今からやってみます。--汲平 2006年7月12日 (水) 15:42 (UTC)[返信]
率直にいって、はじめは﹁これで秀逸は難しいのでは?﹂と思ってましたけど、短い間に素晴らしくなってきましたね。画像も素敵です。あと私としては、﹁音楽史上の位置づけ﹂で、ドヴォルザークがアメリカの音楽史に果たした役割が知りたいところです。ニューヨーク・フィルとの関係︵あるのかどうかよく知らないのですが、ありそうな気がする︶など、アメリカでのドヴォルザークの音楽の受容も含めた記述ができないでしょうか? これがあれば、文句なく﹁秀逸﹂に賛成します。--みっち 2006年7月13日 (木) 04:02 (UTC)[返信]
ご指摘の点、至らないながらも加筆してみました。--汲平 2006年7月16日 (日) 03:39 (UTC)[返信]
自分でも修正したりして考えたのですが、もやもやが晴れず、このままではどうも良くないと思い、選考ページに表明することにしました。文句なく﹁秀逸﹂などと軽々しく書いたことを申し訳なく思います。--みっち 2006年8月1日 (火) 04:35 (UTC)[返信]
つドヴォルザークの生涯と芸術--その夢と野心 (特集 ドヴォルザーク(没後100年)、ヤナーチェク(生誕150年)と東欧音楽) / 白石 知雄 ‥音楽現代. 34(2) (通号 394) [2004.2] 持ってませんけど、参考になれば--Ks aka 98 2006年8月1日 (火) 05:25 (UTC)[返信]
こんにちは。プロジェクト発足当初に﹁登録順3番﹂として署名したものの、長い間﹁クラシック音楽で願うほどの時間を取れない﹂“幽霊メンバー”の状態が続いてきました。クラシック音楽執筆に関する種々の議論が進む中で、それらに目を通す時間が全く取れず、ただ他の参加者の皆様をうらやむだけ。そんなところへ、Ks aka 98さんのご意見を見たので﹁私もこのくらいで…??﹂と思うようになりました。いっそのことWikipedia:ウィキプロジェクト クラシック音楽#参加者の署名に打ち消し線を引こうかな。クラシックPJのノートは、私の会話ページに﹁今後も必要な事項﹂として載せてあるし。︵それに本音の話、何かの議論に私が参加しても…??︶ 参加表明したのなら、音楽分野でも全力投球するのが私の願いでした。1年半前の願いを形にするとしたら“スポーツ2/クラシック音楽1”ぐらいの比率でウィキに参加したい。それができなくなり、音楽の各種議論に目を通す時間さえ取れないのならば…いわば“管理者権限返上”ぐらいの覚悟で、プロジェクト参加者としての撤退を検討中です。-Hhst 2006年7月6日 (木) 21:21 (UTC)[返信]
そんなこと言わないでください。そんなこと言われたら、私だってやってられません。Hhstさんがどこかにでもいらっしゃると言うことは心強いことですよ。--っ 2006年7月7日 (金) 03:11 (UTC)[返信]
えええっどの意見がコトをそんな風に進めさせるのですか? 今ぼくが比較的議論の書き込みをしているのは、いったん口を挟んだものが収束するのに時間がかかってしまったからですよ。 --Ks aka 98 2006年7月7日 (金) 03:31 (UTC)[返信]
Ks aka 98さん、はじめまして。私は日本語版ウィキ初参加が2004年11月4日で、クラシックPJには発足当初から参加表明しております。実は、私は﹁これをやりたい﹂と決めたらとことん、きちんとやり遂げないと気がすまない性格で、ものすごく負けず嫌い。それが、1年半“幽霊メンバー”として考えてきたこと…私はバーンスタインの﹁ファン歴25年﹂という立場から、今は﹁何がきっかけで﹂クラシック音楽を聴き始めるのか、その“きっかけ”が極端に少ない時代になった、と思います。﹁カラヤンやバーンスタインがきっかけで﹂クラシックファンになった人は多いですよね。それが、あの2人が相次いで亡くなったことで“きっかけ”が激減した。バーンスタインの逝去を報じた時、あるアメリカの新聞は﹁これから、アメリカの若者たちは何をよりどころにしてクラシックに親しめばよいのだろう﹂という論評を書いたそうです。私はそんな立場から、百科事典ウィキがそんなきっかけのひとつになれるよう、各種の議論類には﹁クラシック音楽の初心者にも分かりやすい記述/記事名称を﹂と書いてきましたが、“一般CD愛好家の観点では”と書いても、ほとんど受け入れられたためしがない。それと“お気楽”という言葉の感覚の違いもあるのかな。ウィキでの執筆活動の大半をクラシック音楽にあてられるPJ参加者の方々と、ギャップが大きくなるのを感じました。︵っさんのお言葉が出たので、ほっとした︶-Hhst 2006年7月7日 (金) 04:40 (UTC)[返信]
遅ればせながら、もっと幽霊しているUbkaifです。ご無沙汰しています。ここ半年ほどクラシック分野での書き込みはしていません。ですが、私はプロジェクトメンバーでありたいと思っています。また、発言こそしませんが議論を眺めていたりもしてます。気長に時間のあるときにぱらぱらと見る くらいでもよいのではないでしょうか。Hhstさんは私のノートに書き込んでくださったこともあり、もし撤退をされるとしたらさびしいと感じるので発言をさせていただきました。Ubkaif2 2006年7月7日 (金) 15:58 (UTC)[返信]
はじめまして!MaestroSasakiです。Wikipediaは以前から目にしていましたが、赤文字が目についたので思い切って執筆しました。マニュアルを読むより、とにかく触ってみる主義なので、早速おしかりを受けました。荒らしではないのでお許しください。また、すぐに管理人さんが読みやすく修正して下さるので感激しています。以前滞在していたオーストリア情報を中心に書いていきたいと思います。ここ3日の成果はモーツァルテウム、ザルツブルク復活祭音楽祭です。よろしくご指導ください。--MaestroSasaki 2006年7月10日 (月) 15:30 (UTC)[返信]
MaestroSasakiさん、はじめまして。これからも、よろしくお願いします。音楽祭関係は赤リンクが多く、以前からこのプロジェクトに参加している私たちにとっても懸案の1つでした。1年以上前、私がこのノートの﹁カテゴリ・分類・一覧﹂で問題提起をしたことがあります。2005年6月29日 今年はモーツァルトの﹁生誕250周年﹂にまつわる話題もたくさんありますね。Wikipedia:珍項目にも1つの風変わりな記事ができました。︵ちなみに、私たちは﹁管理人﹂ではございません。読みやすく修正するのは、ウィキである程度編集経験を積めば誰でもできます。﹁管理者﹂と呼ばれる方々はいますが、全く役割が違います。そのあたりも、ウィキに慣れるまでは大変かもしれませんね。︶-Hhst 2006年7月17日 (月) 05:56 (UTC)[返信]
このプロジェクトの関連プロジェクトとして、Wikipedia:ウィキプロジェクト 音楽家が開設されました。このプロジェクトは、ミュージシャンに関連したフォーマットを提供することを目的としています。ちなみに、こちらのプロジェクトにはスタブが関連してくるかと思います。
また、このプロジェクトは独自の路線で運営されているようですので、現在のところは関連プロジェクトとしています。ですが、リンク先のスタブ分割草案(現在は暫定ですので、少なからずスタブの量は増減するかと思われます)もしくは各スタブにクラシックに関連したミュージシャンを含めることにウィキプロジェクト クラシック音楽として同意して頂けるようでしたら、その限りではありません。またその際は、ウィキプロジェクト 音楽家はこのプロジェクトの子プロジェクトとして位置します。よろしくお願い致します。--航汰 2007年1月18日 (木) 07:26 (UTC)[返信]
楽曲の解説の記述方法について、お願いに参りました。楽曲のリストなどにおいて、タイトルを箇条書き︵*を使用︶、説明を定義リストの説明部分︵:や*:を使用︶で記述している場合がよく見受けられます。例えば以下のようなものです。
●交響曲第8番ト長調 op.88
現在ではあまり用いられないが﹁ロンドン﹂とも呼ばれる。
●交響曲第9番ホ短調﹁新世界より﹂ op.95
第2楽章は﹁家路﹂として有名。
この記述法では、ソースを御覧になれば分かると思いますが、箇条書きが途中でいちいち途切れる、ただ単に見た目上の理由︵若干右よりになる、箇条書きの四角がつかない︶といった理由で語句の説明でもないのに定義リストが用いられている、といった点で文章のマークアップ上の問題があります。︵詳しくはWikipedia:箇条書きのマークアップを参照︶こういった場合には全体的に定義リストを用いて、
交響曲第8番ト長調 op.88
現在ではあまり用いられないが﹁ロンドン﹂とも呼ばれる。
交響曲第9番ホ短調﹁新世界より﹂ op.95
第2楽章は﹁家路﹂として有名。
と記述するのが妥当だと考えられます。また、同様の理由により箇条書きの中で空行を入れるのも不適切です。こういった記述は秀逸な記事でさえ見られるほど一般化してしまっており、特に楽曲の解説などにもよく見受けられますので、ウィキプロジェクト クラシック音楽の皆様にもリストの修正をお願いしたく、こちらに書かせて頂きました。御面倒ですがよろしくお願いします。--氷鷺 2007年1月19日 (金) 21:10 (UTC)[返信]
すでにいくつか修正の手を加えていただいたようで、ありがとうございます。ご指摘のマークアップの問題は、私もこれまで多用していて心苦しく思っています。今後気をつけます。ただ、原稿段階では、箇条書きに空行を入れた方が見安かったりするので、なかなか徹底できない憾みもあるんですよね︵最後は愚痴︶。--みっち 2007年1月19日 (金) 22:58 (UTC)[返信]
私も、ご指摘の誤りを多くしてしまっております。初心者の頃に他の記事の見よう見まねでやっていたものです。初期の投稿記事をもう一度点検いたします。ご指摘ありがとうございました。--汲平 2007年1月20日 (土) 01:51 (UTC)[返信]
かく言う私もつい最近まではこういった記述をしていました。既にこういう記述が一般化していて、見様見真似でどんどん初心者に広まることや、Wikipedia:編集の仕方で、さも本文中でも使って良いみたいな説明がなされていた事が原因だと思います。まぁどうにかしてこれからあちこちに広めていきたいと思いますので、とりあえずクラシックなどの方はよろしくお願いします。また、リストの全て︵或いはほとんど︶で説明文がある場合は以上の定義リスト︵;と:を使用︶で良いのですが、そうでない場合、すなわち説明文が一部の項目にしかない場合は、箇条書きリストにして、説明文の部分は以下のような修正案が考えられます。
(一)︵説明文が短い場合︶項目名の後につなげる
●交響曲第9番ホ短調﹁新世界より﹂ op.95 - 第2楽章は﹁家路﹂として有名。
(二)︵説明文が長い場合︶<br />を挟んで説明文を続ける
●交響曲第9番ホ短調﹁新世界より﹂ op.95
第2楽章は﹁家路﹂として有名。
(三)︵説明文が長い場合︶一段下の箇条書きで説明文を記述する
●交響曲第9番ホ短調﹁新世界より﹂ op.95
●第2楽章は﹁家路﹂として有名。
とりあえず思いつくのは以上の3つですが、他にも適切な方法があるかもしれません。よろしくお願いします。--氷鷺 2007年1月20日 (土) 16:39 (UTC)[返信]
私は1番目に列挙された﹁項目名の後につなげる﹂方法をよく使います。たとえ説明文が多少長くても。-Hhst 2007年1月20日 (土) 21:22 (UTC)[返信]
少々時間のたった記事へのレスポンスですのでお役に立つかどうか判りませんが、#: ##: *: **: ;: ;;:などを利用すれば、各項目への注釈になるようです。例えば
交響曲
ドヴォルザークの交響曲には次のようなものがある。
交響曲第7番 ニ短調 作品70, B.141
交響曲第8番 ト長調 作品88, B.163
1889年の作品。1890年2月2日プラハで初演。ロンドンの出版社から出版されたため﹁ロンドン﹂の愛称で呼ばれることがある。
交響曲第9番ホ短調﹁新世界より﹂ op.95
第2楽章は﹁家路﹂として有名。
あるいは
●交響曲
ドヴォルザークの交響曲には次のようなものがある。
●交響曲第7番 ニ短調 作品70, B.141
●交響曲第8番 ト長調 作品88, B.163
1889年の作品。1890年2月2日プラハで初演。ロンドンの出版社から出版されたため﹁ロンドン﹂の愛称で呼ばれることがある。
●交響曲第9番ホ短調﹁新世界より﹂ op.95
第2楽章は﹁家路﹂として有名。
太字と番号を併用してみます。番号は下記の通り注釈を挿んでも繋がります。
交響曲
ドヴォルザークの交響曲には次のようなものがある。
(一)交響曲第7番 ニ短調 作品70, B.141
(二)交響曲第8番 ト長調 作品88, B.163
1889年の作品。1890年2月2日プラハで初演。ロンドンの出版社から出版されたため﹁ロンドン﹂の愛称で呼ばれることがある。
(三)交響曲第9番ホ短調﹁新世界より﹂ op.95
第2楽章は﹁家路﹂として有名。
ですので、氷鷺さんの3のケースのように、太字を避けつつ一部の項目名において一段下に注釈を書く場合は、この表記が有効かもしれません。30rKs56MaE 2007年4月21日 (土) 00:50 (UTC)[返信]
- わざわざ記述例を書いて頂いたところ申し訳ないのですが……本節での趣旨はそういった記述を避けよう、ということなのです。詳しくは30rKs56MaEさんの会話ページで回答・説明を致します。--氷鷺 2007年4月22日 (日) 10:29 (UTC)[返信]
- とりあえず、「婚礼」と「妖精」のリンク先は修正しました。-汲平 2007年3月12日 (月) 14:31 (UTC)[返信]
ご苦労様です。楽器︵特に木管︶は画像が細長いですからね…横向きにすれば丁度良いのでしょうけれど。オーボエの方、ちょっと調整してみました。別称を <small> にしていたのはコントラバスの別名が多いからで、通常は <small> は要らないと思います。逆に関連楽器が幅を取っていたので <small> と <br /> で調整させて頂きました。画像…GFDLだし回転させようかなぁ。--氷鷺 2007年3月18日 (日) 18:26 (UTC)[返信]
IPユーザー121.94.202.199さんが{{クラシック音楽}}を除去して回っているのですが何か合意があってのことなのでしょうか?--苫 2007年4月3日 (火) 06:02 (UTC)[返信]
- 私も気がついて、どうしたものかと思っていたところでした。テンプレートのノートページも見ましたが、合意の形跡はありません。どうやら、作曲家や指揮者、楽団の項目から消しているようなので、「音楽」ではない、ということかもしれない、とも考えたのですが、ハイドンの交響曲からも除去しておられるので意図がわかりません。--みっち 2007年4月3日 (火) 06:51 (UTC)[返信]
はじめまして。左上と申します。突然の提案なのですが、ブラ1やドボ8などの交響曲の略称をそれぞれの記事へとリダイレクト化しても良いものでしょうか。すぐに実行することも考えましたが、今迄にそう言ったリダイレクトが作られていないのは何らかの理由があるかもしれないと考えたため、ここに提案します。場所など不適切でしたら遠慮なくお申し付けください。--左上 2007年9月16日 (日) 21:43 (UTC)[返信]
リダイレクトは検索や利便性の観点から有意義ですが、広く一般に知られた﹁通称﹂など必要最小限にとどめるべきだと考えます。﹁ブラ1﹂や﹁ドボ8﹂ならいいだろうと思われるかもしれませんが、作ってしまうと﹁チャイ3﹂とか﹁シベ1﹂など、通用するかどうか疑問なものをはじめ、ハイドンやモーツァルト、﹁メン・コン﹂︵もうありますね︶、﹁チャイ・コン﹂など交響曲以外まで濫造されて収拾が付かなくなるのではないでしょうか。また、ウィキペディアが結果的にしろ、そうした正式でない﹁略称﹂を認知し、積極的に広める役割を果たすことになるのにも抵抗があります。--みっち 2007年9月17日 (月) 00:39 (UTC)[返信]
﹁メン・コン﹂を作った汲平です。自分で作っておいて言うのも何ですが、みっちさんの仰る通りよほど有名な最小限の楽曲に限るべきでしょう。交響曲について﹁ブラ1﹂とか﹁ドボ8﹂とか不要だと思います。こうした略号では、通常、作曲者名︵略称︶+ 数字が交響曲を示しているのが普通で︵もちろん例外があることは承知しておりますが︶、ブラ1から﹁ブラームスの交響曲第1番﹂を復元することが可能だからです︵って、まさか私の勘違いで﹁ブランデンブルク協奏曲第1番﹂だったりしませんよね︶。そうしたパターン化から外れ、パッと見では何のことから分からなくクラシックファン以外でもエッセイとか漫画とかで目︵あるいは耳︶にする機会がある位メジャーな略称はあってもいいんじゃないか、という気持ちで﹁メン・コン﹂は作成した物です︵﹁チャイ・コン﹂はピアノかヴァイオリンか不確定なので作成しませんでした︶。もし不要と言うことでしたら削除依頼、お願いします。ただ、みっちさんの仰る﹁正式でない﹁略称﹂を認知し、積極的に広める役割を果たす﹂というのは、少し違うように思います。﹁メン・コン﹂をwikipediaで調べる人は、多分どこかでその言葉を聴いて、あるいは読んで、何だか分からないまま調べている可能性が高いのではなかろうかと思うのです。そうした人に対して﹁略称﹂から正しい記事名へ誘導し、正しい名称を啓発していると考えるべきではないでしょうか。そういう点からクラシック音楽の曲名の俗称の一覧なんてページを眺めてみて、リダイレクトにあっても良いんじゃないかと思うのは﹁ハルサイ﹂くらいですか・・・。ところで、この一覧、﹁そんな略し方するか?﹂というものがたくさんありますが、ガクタイの人は使うんでしょうかねぇ。??--汲平 2007年9月17日 (月) 01:32 (UTC)[返信]
こういうのは、一律作成しないという事でいいんじゃないのかな。メン・コンのようにすでに有る項目まで削除するというのもまたよけいなことだとも思いますけど。﹁ブラ一﹂なんかは、じっさい﹁ブランデンブルク協奏曲第1番﹂のいみでつかってる友人を知ってるだけに、なおさらです。一般に通用する通称というのも、基本的にはクラシックマニア層だけでの話しでだと思いますので、略称を知ってるやつは正式名称もわかると判断して問題ないのじゃないかと思うのですがどうでしょう。﹁のだめ﹂効果とか考えるときりが無いですし。yhr 2007年9月17日 (月) 02:18 (UTC)[返信]
私の意見はYhrさんに近いかな。やはり、大半がクラシックマニア層の間でしか通じない俗称ですよね。クラシックファン歴が長くなると、いつしか使い始めるのだろうけど、知らない人が聞いたら﹁何だこれ??﹂と感じられるものもありますね。私の場合はブルックナーを聴くから﹁ブルx﹂の俗称をよく見聞きします。︵話が違って、人名になりますが︶フルトヴェングラーは名前が長いから﹁フルヴェン﹂と呼ぶけど、クラシックを全く知らない人には“古い弁当”に聞こえるかもしれない?? 汲平さんのご意見を読んだ時は、私は﹁モツレク﹂︵モーツァルトのレクイエム︶は許容範囲内かなと思いました。マニアが長くなると、初心者や入門者への配慮を忘れがちなのは、このプロジェクトが発足して2年半たった今も、私たちの変わらない問題点として残っていると思います。︵“私たち”なんて、幽霊メンバーの私が使う言葉ではない??︶-Hhst 2007年9月27日 (木) 16:56 (UTC)[返信]
(インデント戻します)一応私がこの提案をした理由を説明させていただきますと、交響曲第1番 (ブラームス)と打ち込まなければこの項目にたどり着けないという不便さ、[3]のように、﹁ブラ1﹂と打ち込んで検索をかけても全く関係ない項目ばかり出てくるという事実があったためです。しかし、だからと言ってリダイレクトを乱立させればいろいろと不都合な事態が出てくる、ということを私は全く理解していなかったようです。というわけでこの提案を取り下げさせていただきます。未熟者の提案にお付き合いいただきありがとうございました。--左上 2007年9月30日 (日) 10:49 (UTC)[返信]
そういうことでしたか。このような検索のために﹁曖昧さ回避ページ﹂が用意されています。交響曲第1番を見ると、いろいろな作曲家のものが出てきますね。半角カッコの中に、作曲家の名前が入っています。現在の編集では﹁xx調﹂の部分をクリックすると出てくるようになっています。縦線で区切る﹁パイプの裏技﹂という編集方法があって、︽[[ヨハネス・ブラームス|ブラームス]]の[[交響曲第1番 (ブラームス)|ハ短調]]︾と編集してあります︵画面を開いてみてください︶。ピアノ協奏曲なども、そのように番号で探します。ただし、リダイレクトページの作成時には﹁xx調﹂︵ブラームスの交響曲第1番ならば、ハ短調︶は入れません。︵昔に﹁調性まで入れて検索する人は少ないだろう、かなり精通した人でないと…﹂という議論が行われ、私はその時の当事者でした。︶-Hhst 2007年9月30日 (日) 11:37 (UTC)-一部誤表記修正-Hhst 2007年9月30日 (日) 11:42 (UTC)[返信]
既にご承知かも知れませんが、Wikipedia:ウィキプロジェクト 音楽/著名性のガイドラインとWikipedia:ウィキプロジェクト 音楽/曲記事のガイドラインをWikipedia:著名性 (音楽)へ統合、という提案がWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 音楽/著名性のガイドラインで提出されています。音楽とクラシック音楽の両プロジェクトの位置づけがちょっと微妙だったりもしますが、「曲記事」のほうでは、クラシック関係の話も出ていたことがあり(その際はお世話になりました)、文書の場所が変わると位置づけも変化しますから、こちらにもお知らせする必要があるかと思いました。--Ks aka 98 2007年12月6日 (木) 19:06 (UTC)[返信]
失礼します。アンサンブル・モデルンの記事で主観の入った内容をブロックアウトしたところ、編集合戦になりそうな気配です。Wiki経験の長い皆様のご意見を聞かせてください。--G。 2008年5月19日 (月) 20:55 (UTC)[返信]
残念ながらNoda,Kentaro氏が手がけた記事に触ると往々にして起こる事態です。このケースもそうなのではないかと思います︵Wikipedia:進行中の荒らし行為/長期/Noda,Kentaro参考︶。Geigさんの編集は間違っていないと思いますし、相手は荒らしですので、差し戻しても編集合戦とはみなされません。選択肢としては1︶諦める、2︶粘り強く対処する、3︶記事の保護を依頼する、というあたりしか私は思いつきません。私が関与したものでは西村朗などは諦めつつありますが……--Aotake 2008年5月20日 (火) 02:06 (UTC)[返信]
えー、荒らしに関してはAotakeさんのおっしゃるとおりで問題ないと思うのですが、Geigさんも細かい編集をしすぎです。もうちょっと落ち着いてください。yhr 2008年5月20日 (火) 09:20 (UTC)[返信]
編集しすぎなのは自分が一番分かっておりますし、後悔しています。︵まだWikipediaに慣れてないのです︶なんだかやる気をなくしたのでこの辺であきらめようと思います。--G。 2008年5月20日 (火) 09:38 (UTC)[返信]
yhrさんもわざわざここでそんなこと言わなくてもいいじゃないですか。誰だって最初は編集しすぎになったりするものです。私もいろんなことで叱られました(^^; ここは来るのも自由、去るのも自由ですので引き止めはしませんが、もしまたウィキペディアを覗いて何か気付いたときには修正してくださると助かります。--Aotake 2008年5月20日 (火) 09:59 (UTC)[返信]
Geigさん了解です。よっぽど心と時間に余裕があるときでもない限り、荒らしは管理者に任せてしまうのがよいと思います。ルールの範囲内で書きたいときに書きたいことを書くのがWikipediaとの上手い付き合い方なのかなと、最近では思ったりしています。もし、僕の書いた内容が気に障ったようでしたらごめんなさい。2008年5月20日 (火) 10:17 (UTC)
Aotakeさん、やさしいフォローありがとうございます。では改めてここを見てらっしゃる管理者の方にお聞きします。この記事は保護をする必要があると思うのですがいかがお考えでしょうか?--G。 2008年5月20日 (火) 13:02 (UTC)[返信]
こんにちは。たまたま見ていた管理者です。保護については、Wikipedia:保護の方針を確認の上、Wikipedia:保護依頼でお願いします。保護の方針により保護が可能で、コミュニティから反対意見がなければ、保護されるでしょう。ただ、保護は編集合戦を避けるためのもので、ある特定の記述を保つために使うものではなく、今のところ、激しい編集合戦にはなっていないようですので、保護の対象になるかと言うと、難しいところがあると思います。保護は、管理者以外編集できなくなってしまい、有益な加筆による記事の発展を阻害してしまう側面もあります。アンサンブル・モデルンなら、インタビューも含め、彼らを取り上げた記事は日本でもドイツでも少なくないでしょうから、しっかりとした出典をつけて、明らかに相手方の編集が妥当ではないと判断できるような記述を続けていただければと思いました。ウィキペディアでは、相手が記述を除去したりしても、一度投稿したものは容易に復帰できますし、闇雲な除去を繰り返すようでしたら、ブロックによる対処も可能となります。--2008年5月20日 (火) 13:33 (UTC)(書名付記‥--Ks aka 98 2008年5月21日 (水) 03:28 (UTC)︶[返信]
私はこの記事の一部分が評論家の﹁批評﹂に近いものなのではないかと思っております。
モデルン用に演奏を易しくした|日本人若手作曲家に対する彼らの態度の悪さ|﹁自分達の技量でまかなえる音楽﹂の演奏|﹁商品化でき、なおかつ採算が取れる現代音楽の演奏﹂|﹁若手作曲家の発掘﹂を並行するスタンス|難易度を落とし、日本向けに商売をしていることが判明
この出典ではなく、その逆の﹁その事実はない﹂ことを証明できる資料があるのかと素朴な疑問を感じます。それがWikipediaだと言うのなら私は少々失望致しました。どなたのせいでもないですけれど、そういうものだということでしょう。私はこの中傷混じりの偏った内容の記事が世に出ているのを残念に思います。しかし編集はもうしすぎたのでしませんので、力と経験のある方の登場を待ちます。ここでコメントをくれたお3人の方々には感謝いたします。ノートページには署名をと上に書いてあるので何も知らない初心者は署名します。--G。 2008年5月20日 (火) 21:08 (UTC)[返信]
すみません。署名漏れは打ち損じでした。一般的に、批評は本来ウィキペディア上でなされるものではなく、また、その事実はないことを証明する必要はありません。このような場合には編集によって除去するのがよいと思います。他方、批判的なものであっても、強固な出典があり、百科事典の記述として必要であるならば、その記述は残されるでしょう。また、百科事典としては、執筆者の判断による賛美も、批判的な表現同様に避けるべきことですし、中立的な事実についても、それが事実かどうかを示す出典が必要となります。中立的な記述や評価を得ていることの記述に出典があり、批判的な記述には出典がなければ、批判は投稿者の独断による可能性が高いと受け取ることができますが、そうでなければ、アンサンブル・モデルンを十分知らなければ、その記述が妥当かどうかを判断しきれないということになってしまいます。他の方も述べられているように、G。さんの編集は正当なものだとぼくも思いますが、ここでは管理者としての意見を求められていたため、内容の是非に踏む込むことなく、保護についての説明や、編集合戦が予想される記事でそれを避けるために執筆者に試みて欲しいことを書くとすると、前の書き込みのようになります。--Ks aka 98 2008年5月21日 (水) 03:28 (UTC)[返信]
追記。方針上は、出典がない記述を除去することは、問題ないとされているのですが、ウィキペディア日本語版では、情報源を示すことが十分定着していないことや、強引な記述の除去がなされることもあるという背景もあったりします。モデルンの記事は再度編集除去して、出典なく復帰があれば、管理者伝言板あたりに連絡いただければ、対応できると思いますよ。--Ks aka 98 2008年5月21日 (水) 03:37 (UTC)[返信]
Ks akaさん、ありがとうございます。新たに編集に加わってくださる方があらわれたことによってだいぶ記事が変化いたしました。私はノート:アンサンブル・モデルンでの議論という形で参加しております。私は演奏団体の記事が作曲家の視点から書かれていることに違和感を感じ、それを中立的でないという意見なのですが、皆様はどう思われるでしょうか。--G。 2008年5月22日 (木) 15:20 (UTC)[返信]
ええ、ウィキペディアは作曲家の立場から音楽界を批評・批判する場ではなく、百科事典ですから、違和感をお感じになるのはもっともだと思いますし、修正すべきだと思います。ちなみに、文章の書き方などから、炎と潮氏はNoda,Kentaro氏のソックパペットである疑いが強いです。まともに相手をしても、残念ながら折りあうことは非常に難しいでしょう。--Aotake 2008年5月22日 (木) 15:51 (UTC)[返信]
本来記事のノートでするべきかと思いつつ、引き続きここで︵ここで続けるほうがいいと思いますので︶。
記事全体のバランスにもよりますが、﹁作曲家という視点からの演奏団体の評価﹂ということ自体は、問題がないと思います。ただ、それは作曲家かもしれない一人の編集者による記述ではなくて、著名な作曲家の公刊されたエッセイなどを情報源として、記述されるべきでしょう。それは、︵聴衆を代表する︶批評家などによるものと同様に演奏団体を相対的に位置づける情報となります︵ご自身が演奏家として、そのような評価を好まないということはあるかもしれません︶。
そして、作曲家であれ、演奏家であれ、聴衆であれ、執筆者の考えを書くのではなく、公刊された信頼できる情報源を参考にして書く事が、﹁誰でも編集できる﹂ウィキペディアでは求められる、ということになります︵最初に出典云々と書いたのは、そういう意味合いがありました︶。問題となっている記述は、記述の視点、根拠のない批判的記述、そして情報源がないことから、除去するのが適当です。除去しようと思ったんですが、けっこう込み入った記述なので単純に取り除くってものでもなさそうで躊躇していますけれど。それから、落ち着かれたようなので、2008年5月20日 (火) 21:08の投稿を見て気になったことをついでに書いておくと、yhrさんの﹁編集しすぎ﹂というのは、その量とか回数ではなくて、軽微な修正を何度もするのではなく、できるだけまとめての編集をお願いしたいということです。ご理解いただけていると思いますが、念のため。--Ks aka 98 2008年5月22日 (木) 16:53 (UTC)[返信]
Aotake様、コメントをいただいたときにちょうど記事の編集中だったみたいで、つい、まともに相手をしちゃいました・・。読んでいたら踏みとどまったかもしれません。[要出典]なんかをいっぱいつけてみたので、もし出典がなければ除去できるかと思ってます。
Ks aka様、おかげさまで皆様と話して落ち着きました^^。まさにKs akaさんが躊躇したように私もすごく躊躇したり迷ったりして一回消したモノをまた自分で復活させたりとか︵見てくださいとあちこちに書いておいて、リンク先がたくさん除去した状態のものではまずいかもと思って︶それであんなひどい状態になりました。このことについて弁解する必要はないと思ってましたが、そちらから話が出たのでお答えしました。最近はだいぶ慣れてきたので、プレビューの段階で誤字に気づいたりとか、だんだんましになってきたんじゃないかと自分では思ってます。
記事についてですが、管理者さんに除去していただけるなら、ありがたいです。Ks akaさんのコメントを読む前に、どうやったら編集合戦を避けられるかと頭に入れながら、とりあえず自分なりに編集してみたのですが、あなたが編集に参加してくださるのなら私のことは気にせずにざっくりばっさりやっちゃってください。--G。 2008年5月22日 (木) 18:17 (UTC)[返信]
すみません。G。さんにお願いなのですが、上のオプションのところから、メールアドレスを設定して、ぼくの利用者ページに来て、左の﹁この利用者にメールを送る﹂から、一通メールをいただけますか? フリーメールでも構いませんし、その後ウィキペディアの設定で再度メールアドレスを登録しない形にしてもよいですので。--Ks aka 98 2008年5月22日 (木) 19:55 (UTC)[返信]
正直、この方︵と同一人物と思われる方︶との議論は疲弊するばかりで建設的な議論にはならないと思うのですが、とりあえず一言だけノートに書いてきました。--汲平 2008年5月22日 (木) 23:48 (UTC)[返信]
汲平さん。﹁この方﹂というのが誰をさすのか、議論を追っていないと誤解する恐れもあると思うので、もっと直接的に書くか、さもなくばここでは言及しないかにしたほうがよいと思うのです。
Geigさん。この際なのでダイレクトに書きますが、Wikipediaで議論をするときには、ノートパッドか何かに下書きをして、一日くらいたってからもう一度推敲して、その上で投稿するようにするくらいの余裕と慎重さが必要だとおもいます。あせっているとか、頭に血が上っているとか、そういう印象を回りに与えるのは非常にまずいです。あと、そうやっておくと、別の人が上手く議論を誘導してくれたりして、自分の負担が減るというメリットもあります。yhr 2008年5月23日 (金) 10:08 (UTC)[返信]
挨拶が遅れました︵PCが壊れていました︶が、Geigさん、ウィキペディア・クラシック音楽プロジェクトへようこそ! もしよろしければ、プロジェクトへの参加もご検討ください。
本題ですが、一般に、記述が不確かだったり問題がある場合には、どしどし編集してしまって構わないのですが、自分の記述を消されると怒って差し戻す人もいて、そのために編集合戦になる場合があります。本来ウィキペディアの記事は自然淘汰で改善されていくのが理想なので、できれば保護にしたくないものです。ただ、現実には一筋縄というわけにはいかないのが悲しいところです。
問題記述が多かったり、記事構成に難があるなど、少々の手直しでは改善が難しい場合は、思い切って記事全文を書き改めるという手もあります。現状のアンサンブル・モデルンの記事はほとんど中傷目的に見えるので、書き換えた方がよいかもしれません。また、Wikipedia:投稿ブロックの方針#投稿ブロック済みユーザーの別ユーザー名︵ID︶あるいは別IPアドレスに対する追加ブロックには、﹁この利用者による投稿は同一ユーザーであるという蓋然性を理由に差し戻すか、あるいは除去することができます。﹂とありますので、当該記述がNoda,Kentaro氏のものと考えられる場合は、無条件に除去してかまいません。
編集回数については、yhrさんからもご案内のとおり、編集ペ-ジから記事本文をローカル︵ワープロやテキストエディタなど︶にコピーし、あらかじめ編集したものをウィキペディアに書き込むようにすれば、小刻みに編集しなくてすみ、地球環境にも優しいといえます。ただ、そのために各種の投票資格︵1ヶ月間に標準名前空間5回以上編集とか︶が得られないというデメリット︵?︶もあったりしますがf^^;。
すでにAotakeさんがご指摘のとおり、当該項目はウィキペディアで長期荒らしとして認定されているNoda,Kentaro氏の﹁縄張り﹂のようですので、ご注意ください。この方は、無期限ブロックとなった現在も新たなアカウントやIPでウィキペディアや関連プロジェクトあるいは個人サイトにまで張り付き、ご自分の主観的な記述を削ったり批判する利用者に罵声を浴びせ、知り得た個人情報をさらしたり、陰謀論を唱えたりしつづけています。この手の荒らしとまともに対応するのは消耗するだけで、せっかくインターネットで有意義な時間をすごすつもりが正反対の結果になる危険が大きいです。しかし、それでも対応してくれた方がおられて上記のようなページが整備され、現在に至っているわけです。長期荒らしのページからこれまで問題になった項目もたどれると思いますので、いくつか目を通された上で、あとは、個人の判断で行動するしかありません。ひとつだけ知っておいてもらいたいのは、荒らしは︵おそらく︶一人ですが、Geigさんのように疑問を持たれる方は決して一人ではないということです。--みっち 2008年5月25日 (日) 01:01 (UTC)[返信]
まずは汲平さん、一矢報いてくださりありがとうございました!これだけは言っておきたかった!
みっちさん、こんにちは。歓迎の言葉をありがとうございます。そして私宛の長文、ありがとうございます。︵PC直ったんですね!よかったですね!︶みなさまにご心配をおかけしましたが私はもう当該項目の編集には参加していませんのでご安心ください。ウォッチリストからもはずしました。
私の編集の仕方が未熟で不快に思った方がいることもよくよく分かりました。申し訳ありませんでした。G--。 2008年5月25日 (日) 11:24 (UTC)[返信]
ベートーヴェンとブラームスのヴァイオリン協奏曲をそれぞれ「ベトコン」「ブラコン」と呼ぶことについての言及に関する疑問が、それぞれの記事のノートページ(ノート:ヴァイオリン協奏曲 (ベートーヴェン)、ノート:ヴァイオリン協奏曲 (ブラームス))で提示されています。)ご参加下さい。--汲平 2008年6月22日 (日) 14:23 (UTC)[返信]
{{Infobox 楽器}} のノートにて、楽器の言語ごとの名称についての仕様・使用方法の変更提案が出されていますので、よろしければご意見をお願いいたします。--氷鷺 2008年8月4日 (月) 06:29 (UTC)[返信]
はじめまして。私はこのプロジェクトの参加者でもなければクラシック音楽に詳しいわけでもない︵そもそもあまり聞かない︶のですが、ちょっとこれはプロジェクトでお願いしてみたらどうだろうと思ってこちらに参りました。演奏不可能の作品という記事ですが、あれをどうにかしていただきたいのです。どうも文章はエッセイ的だし、出典はろくに示されていないし、主に編集したのは利用者:Noda,Kentaroみたいだし、素人からするとまったく信用ならない記事のように見えます。しかし、どの文章に対する出典を求めるのが適切︵効果的?︶なのかが分かりません。プロジェクトに参加している方で記事内容をチェックしていただけないでしょうか。--Bluebell 2008年8月30日 (土) 03:04 (UTC)[返信]
ノート:ジークフリート (楽劇)で、たとえばジークリートの場合、「第2日」とすべきか、「第2夜」とすべきか、という論争がなされています。どうぞご意見下さい。--汲平 2008年12月14日 (日) 09:42 (UTC)[返信]
Wikipedia:進行中の荒らし行為/長期/Noda,Kentaroがノートも含めて無期限の全保護になっているために現状の報告ができなくなっていますがどうすべきでしょうか?ここ数日もソックパペットやIPでの活動が見られるのですが。--ウース 2009年7月25日 (土) 03:23 (UTC)[返信]
当該記事の知識がないので、あまりお役に立てそうにありませんが、履歴を見た限りではおっしゃるとおり、相手の方の反応は少々きついと感じました。ただ、IPさんの編集では、本文では﹁ゲオルグ2世の薨去とともに解散した﹂となっていながら、歴代音楽監督が現在までつづく形になっており、記事として矛盾しています。できれば、ドイツ語版の記事を全文翻訳して加筆いただけるなら、編集合戦は避けられるのではないでしょうか。--みっち 2010年6月29日 (火) 10:20 (UTC)[返信]
先日行われた、ウィキプロジェクト用名前空間新設に関する投票の結果に基づき、ウィキプロジェクト用名前空間﹁プロジェクト﹂が新設されます。その際、以下の点にご注意ください。
●ウィキプロジェクトのページ︵サブページも含む︶は、Botを用いて全て新名前空間へ移動されます。
●元ページはリダイレクトとしてすべて残されます。
●プロジェクト名前空間のタブ表記は﹁プロジェクト﹂となります。
●Wikipedia名前空間のタブは、﹁プロジェクトページ﹂から﹁ウィキペディア﹂に変更されます。
なお、具体的な日程などについては、﹃編集者向けsitenotice﹄などで告知される予定です。--W.CC 2010年7月28日 (水) 13:52 (UTC)[返信]
出典が不十分で、特筆性が微妙な日本人の音楽家︵稀にラルフ・デーリングなどの海外の音楽家も執筆される場合あり︶の記事が度々作成されますが、これに関してはどう思われますか?個人的には数回賞を取った程度ではWikipedia:特筆性 (音楽)を満たさないと思っています。--Louis XX︵会話 / 投稿記録︶ 2012年12月8日 (土) 04:36 (UTC)
今回ご指摘のような問題は、特に、存命の音楽家の記事に多いように思われます。既に故人となられた音楽家の記事であれば、Wikipedia:特筆性 (音楽)#マスメディアから外れた音楽家の条件に複数合致してさえいれば、特筆性は保証されていると考えても良いでしょう。
存命で、かつ、特筆性に疑問のある記事をそのまま放置しておくことは、百科事典として適切とは思えません。
現時点で、個人的に思いつく、存命かつ特筆性に疑問のある音楽家の記事の﹁特筆性保証のためにクリアすべき最低基準﹂は、以下のようなものです。あくまで私論ですが・・・。
演奏家︵指揮者を含む︶の場合、以下の条件のうち最低でも二つを満たしていることが条件となるかと思います。コンクール受賞歴はあるものの、その後まったく活躍していないケースも多々あると考えられますので、﹁条件①を満たすだけ﹂という記事は、なるべく減らすのが良いでしょう。
①国際コンクールで1回以上の受賞歴、又は国内コンクールである程度の回数︵3回以上?︶の上位︵1位〜3位?︶受賞歴がある。
②メジャー・レーベル︵グラモフォン、デッカ、フィリップス、ナクソスなど︶からCDが2枚以上発売されている。︵この場合、他の演奏家がソリストなどとしてクレジットされた演奏とカップリングされている、オムニバス形式のCDは除外すべきでしょうか・・・︶
③特筆性の極めて高い演奏団体︵オーケストラ、歌劇場など︶と、ある程度の回数︵5回以上?︶の共演経験がある。
④Wikipediaにおいて﹁学校記事の基準﹂を満たす学校︵音楽大学、音楽学校など︶で、後進の指導に当たっている。︵この場合、部活の顧問、のようなケースは除外すべきでしょう︶
⑤第三者の情報源により出典が示せるような音楽祭・イベントなどを企画または主催している。
⑥特筆性のある演奏団体を主宰している、またはそうした団体に深く関わっている。︵有名な弦楽四重奏団の一員である、著名な合唱団の指揮者である、など・・・︶
作曲家︵編曲家を含む︶の場合は、以下の条件のうち最低でも二つを満たしていることが条件となるかと思います。受賞歴の扱いについては先に述べた通りです。
①国際コンクールで1回以上の受賞歴、又は国内コンクールである程度の回数︵3回以上?︶の上位︵1位~3位?︶受賞歴がある。
②メジャー・レーベル︵グラモフォン、デッカ、フィリップス、ナクソスなど︶からCDが2枚以上発売されている。︵この場合は、他の作曲家の作品とのカップリングであってもよしとすべきでしょうかね・・・︶
③特筆性の極めて高い演奏団体︵オーケストラ、合唱団、吹奏楽団など︶からの委嘱作品がある。
④Wikipediaにおいて﹁学校記事の基準﹂を満たす学校︵音楽大学、音楽学校など︶で、後進の指導に当たっている。︵この場合、部活の顧問、のようなケースは除外すべきでしょう︶
⑤第三者の情報源により出典が示せるような音楽祭・イベントなどを企画または主催している。
⑥ある一定の数以上︵10曲以上?︶の作品が出版されている。
⑦特筆性のある演奏団体を主宰している、またはそうした団体に深く関わっている。︵著名な作曲家集団に関わっている、著名な演奏団体を率いている、など・・・︶
⑧特筆性のある映画、テレビドラマ、テレビアニメ、ゲームなどに音楽を提供している。
さて、ここまで色々書いて来て思ったのですが、音楽業界には、やっぱり﹁大御所﹂的な方がいるわけです。例えば、大阪府立淀川工科高等学校の吹奏楽部顧問のM氏︵公人・私人の区別が難しいためイニシャル表記としました︶などは、吹奏楽の世界では超有名人です。過去にはメディアにも多数取り上げられ、今年はついに東京佼成ウインドオーケストラを指揮して指揮者デビューしました。しかし、この方の記事が現時点ではWikipedia上に存在しない理由ははっきりしています。それは、︵残念ながら︶Wikipedia:特筆性 (音楽)を満たしていらっしゃらないからです。
最近、クラシック音楽の新着記事に、﹁特筆性・要出典﹂などのタグが貼られたものや、即時削除されるものが増えて来たように思います。こうした状況が続くことは、Wikipediaにおけるクラシック音楽分野の活動の信頼性を貶めることになるのではないかと懸念しております。はっきり申し上げて、﹁プロなのか、アマチュアなのか﹂判然としないような音楽家、あるいは受賞歴があるだけで、その後目立った活動をしていないようなの記事が徐々に増えている現状は、人名事典ならともかく、百科事典としていかがなものかと思うのです。
今一度、音楽関連の人物記事を新規に執筆なさる方々には、特筆性が保証されているかどうかを慎重に判断していただきたいと思います。長文失礼いたしました。--Rienzi︵会話︶ 2012年12月8日 (土) 13:25 (UTC) 表現修正--Rienzi︵会話︶ 2012年12月8日 (土) 13:27 (UTC) 内容追補--Rienzi︵会話︶ 2012年12月8日 (土) 13:32 (UTC) 内容追補--Rienzi︵会話︶ 2012年12月10日 (月) 02:35 (UTC)[返信]
コメントその分野に通じていないなら、そのままにしておいて、誰かがまっとうに判断してくれるのを待つのがいいと思います。
そもそもで言うと、個別分野での﹁特筆性﹂の文書の位置づけがいまいちはっきりしてないっていうのが難しいところで。Wikipedia:特筆性の文書は、第三者的な情報源による︵できれば︶複数の情報源が存在することで、当事者情報だけではない、中立的な記述が担保できる、そういうものは、百科事典の単独記事として存在しうる、みたいな感じで書かれているように思うんです。
そこで、個別分野の特筆性の条件というのは、そうしたものがあったとしても、百科事典の単独記事として取り上げるのはいかがなものかという判断を、その分野の執筆者の合意として作るものだと考えることはできます。一方で、この程度の条件を満たしていれば、たいては第三者的な情報源を得ることができるだろうということで、その分野の執筆者によって、線引きをするのだと考えることもできます。海外の演奏家なんかだと、適当な情報源を入手するのも困難だったりする。条件を挙げてみると似たようなものになるのだろうけど、けっこう大きな違いになります。
あと、クラシック系の音楽家であれば、それほどプライバシーとかの問題は生じないだろうけど、弾き語りをしてるシンガー・ソングライターとか、指導者みたいな立場だと、そこらへんが問題になってくることもあります。そこは考慮しないといけないですけれど。
淀工の先生とかは、多数メディアに取り上げられていますから、Wikipedia:特筆性は満たしますよね。吹奏楽の世界での立ち位置的には記事はあったほうがいいと思う。その水準の知名度がある指導者の記事が存在できて、ただの指導者の記事は削除という線引きを考えてガイドラインに反映させるという方向性というか。吹奏楽系は、ちゃんと書く人があまりいない︵し、﹁研究﹂といえるようなものがとても少ないという、そもそもの問題が…︶。--Ks aka 98︵会話︶ 2012年12月8日 (土) 15:28 (UTC)[返信]
コメント Ks aka 98さん、コメントありがとうございます。Wikipedia:特筆性 (音楽)の文書自体の解釈にも、もしかしたら議論の余地があるかもしれませんね。現状では、クラシック音楽分野に積極的に関わっている利用者数は、他の分野に比べて多いとは言えませんが、音楽分野の人物記事の特筆性の﹁線引きについて、ある程度まとまった方針のようなものができれば、だいぶ執筆もやりやすくなるような気もします。
おっしゃる通り、シンガー・ソングライターや指導者などの場合は、プライバシーの問題、公人か私人か、というあたりが相当問題になってくると思います。
私も個人的には︵最近出たCDも相当話題になっていますし︶淀工の先生の記事はあった方が良いと思っているのですが、﹁指揮者として﹂ではなく﹁指導者として﹂著名である︵しかも、音楽専門の教育機関ではなく、公立高校の部活の顧問︶という点が、Wikipediaの基準に照らして﹁音楽家﹂として扱うべきなのか﹁教育者﹂として扱うべきなのか、ちょっと微妙かなと思いまして、それで、先のコメントでは﹁音楽家記事におけるを満たしていない﹂と表現しました。しかし、メディアで大きく取り上げられている、という点においては、Wikipedia:特筆性 (音楽)を満たしているとも言えますね。︵この辺りのことは、私は吹奏楽ではなく作曲が専門なので、判断がしにくいところですね・・・より詳しい方のご判断を待つべきでしょうか︶
こういった、活動内容の面から見た場合はプロと同レベルかそれ以上の事をしていても、社会的立場︵公立学校教員である、または私人である、などなど︶の都合上﹁アマチュア﹂として扱わなければならない音楽家は、日本にたくさんいると思うのです。Wikipedia:特筆性 (音楽)を柔軟に適用するか、何か他の方法でもって、優れたアマチュア︵特に指導者︶の人物記事についての執筆の助けとなるような方向性が示されるのが理想ですね。吹奏楽系の記事の場合、まず﹁文献が少ない﹂という事が言えるかもしれません。もっとも、これは外国のマニアックな作曲家について書く場合も同様ですが・・・汗
それから、これは先のコメントでも遠回しにちょっと触れたことなのですが、特に、日本人の比較的若手の作曲家の場合﹁受賞歴がある。ただそれだけ﹂という作曲家、つまり、コンクール受賞以降、︵残念ながら︶信頼できる情報源で特筆性が保証できるような活動をしている形跡がない作曲家がちらほら見受けられますが、こういった方の記事をそのままにしておくべきではないと、個人的には思っています。長文失礼しました・・・。--Rienzi︵会話︶ 2012年12月8日 (土) 16:21 (UTC)[返信]
ああ、その言葉の使い分け︵音楽家/教育者︶は読みきれていませんでした。申し訳ないです。たしかに、﹁教育者﹂として判断するのがよさそう︵甲子園常連の野球部の監督みたいな︶。
吹奏楽寄りの作曲家でいえば、こんなことがありました[4]。昨今流行の﹁科戸の鵲巣﹂は発表しているが、﹁ひびき﹂登場よりは前、という時期でした。--Ks aka 98︵会話︶ 2012年12月8日 (土) 16:31 (UTC)[返信]
おや、Nさんの記事、一旦削除されていたんですね。当時の﹁ブログのコピペ﹂と非難された内容を参照できないので何とも言えませんが、日本音コン受賞と、﹃科戸の鵲巣﹄︵←しかも委嘱作品︶だけでも、十分特筆性があったんじゃないかと思いますね・・・単に﹁書き方が、ウィキペディアンが好まない﹃宣伝的﹄なものだった﹂というだけだったのではないかと・・・。吹奏楽系の作曲家は、とにかく、来歴や主要な作品などについてさえ、﹁本人情報とコンサートの宣伝情報以外、何もない﹂というケースが多々あるので、そういった意味でも﹁書きにくい﹂と思います・・・。
﹁指導者﹂は音楽家か、教育者か、という問題については、おっしゃる通り﹁甲子園の常連校の監督﹂のケースのように、﹁優れた教育者﹂とみなして執筆するのが妥当でしょうかね・・・。
さて、例の﹁受賞歴以外なにもない﹂ケースですが、︵私自身が加筆した記事を持ち出すのはアレですが︶例えばこういう方[5]が挙げられます。もちろん武満徹作曲賞、武生作曲賞受賞は、称賛に値するものですが、残念なことに、受賞歴以外に、第三者的情報源で説明が出来るような、本人の活動や作品についての情報がほぼ無く、﹁受賞歴がある、ただそれだけ﹂に等しい状態のようでして・・・。こういった﹁コンクールの場に作品を出すだけ﹂という作曲家は、日本人に案外多いのですが、そもそも﹁コンクールでの演奏﹂を﹁作品発表﹂と扱うべきかどうか微妙ですし、録音発売も、ましてや出版もなされていない、となると、﹁コンクール受賞で特筆性は保証されている﹂というのはちとキツいかと思います。--Rienzi︵会話︶ 2012年12月9日 (日) 01:57 (UTC)[返信]
本日も田中達也、松崎泰治という﹁受賞歴以外なにもない﹂記事が作成されました。前者は一応公式サイトからの出典はあるものの、信頼できる二次資料以上の情報が明記されておらず、後者はそもそも﹁リコーダーJP﹂という個人サイト内の作曲家のプロフィール情報のため、信頼性に関してはあまり期待できません。出典すら示されていません。--Louis XX︵会話 / 投稿記録︶ 2012年12月9日 (日) 15:16 (UTC) 松崎泰治に関する表現をを修正。--Louis XX︵会話 / 投稿記録︶ 2012年12月9日 (日) 15:32 (UTC)
田中達也、松崎泰治の両方の記事を確認いたしました。どちらも、まさに﹁受賞歴以外何も無いに等しい﹂ケースで、特筆性にはかなり疑問がありますね・・・。両項目の初版執筆者の方が同一人物︵IPアドレス︶であることも確認できましたので、本議論への参加を呼びかけてみたいと思いますが、いかがでしょうか?--Rienzi︵会話︶ 2012年12月10日 (月) 02:33 (UTC)[返信]
お願いします。--Louis XX︵会話 / 投稿記録︶ 2012年12月10日 (月) 02:38 (UTC)
二つの記事の初版執筆者の方に、議論参加を呼びかけました。--Rienzi︵会話︶ 2012年12月10日 (月) 10:41 (UTC)[返信]
インデント戻します。その後、こちらの議論は進展していないようですが、この場において、﹃受賞歴があるだけでは特筆性があると言いにくい﹄という方向性が、私を除く皆様のコメントでも示されているように思います。﹁受賞歴以外の目立った活動がない音楽家﹂についてと、当初からの懸案事項である﹁出典に乏しく目立った活動も無い音楽家﹂とあわせて、この二点に絞って、今後、Wikipedia:特筆性 (音楽)の条文改訂を行なう方向性で議論を進めてゆくのはどうでしょうか?--Rienzi︵会話︶ 2012年12月12日 (水) 15:31 (UTC) [返信]
一点追加です。今回、問題視されている記事は、いずれも﹁存命人物の記事である﹂という点に共通点があります。物故者については、特筆性を証明し、かつ信頼できる情報源・出典の有無、ということがほぼ唯一の条件となるかと思いますので、物故者については今回の議論から除外し、前述コメントの﹁二点﹂に﹁存命人物﹂という条件を付加したいと思います。--Rienzi︵会話︶ 2012年12月12日 (水) 15:36 (UTC)[返信]
前者は、確かに受賞歴のみを以って特筆性を証明するのは確かに難しと思いますので、﹁受賞歴以外の目立った活動がない音楽家﹂と﹁出典に乏しく目立った活動も無い音楽家﹂の2点に絞ってWikipedia:特筆性 (音楽)を改訂する案に賛成します。一方後者は、﹁受賞歴以外何もない﹂記事が作成されるのは存命人物の場合が殆どのため、今回の議論では﹁存命人物﹂のみに絞った方が良いかもしれません。--Louis XX︵会話 / 投稿記録︶ 2012年12月13日 (木) 11:26 (UTC)
改めて、Wikipedia:特筆性 (音楽)を読み返してみましたが、そもそもの規定自体が、﹁音楽家・音楽グループ﹂の方はどちらかというとポップス系寄り、﹁作曲家・編曲家﹂の方はかなり物故者対象に偏っているように思われます。もしかすると、現在ある規定自体を﹁物故者﹂﹁存命人物﹂で切り分ける必要があるかもしれません。--Rienzi︵会話︶ 2012年12月13日 (木) 13:16 (UTC)[返信]
Rienziさんが先日会話ページで呼びかけたIP:126.54.3.162︵会話 / 投稿記録︶ですが、相変わらず日本人の音楽家を作成していましたので、先程会話ページで注意を促しました。--Louis XX︵会話 / 投稿記録︶ 2012年12月14日 (金) 05:21 (UTC)
IPユーザーさんへのコメントありがとうございます。議論の場にいらっしゃらないのでどうしたのかと思っていたら、私のコメントは完全に無視されてたようですね・・・。私の方からも忠告入れときましょうか。﹁Wikipediaは百科事典であり、人名事典ではないこと﹂と﹁コンクール受賞、またはNHKなどのコンクール課題曲選出のみをもって特筆性を証明することについて、疑問が呈されていること﹂この二点を改めて伝えておきます。改訂案の方はどうしましょう?私の作業ページの方にでも作っておきましょうか・・・?--Rienzi︵会話︶ 2012年12月14日 (金) 05:33 (UTC)[返信]
お願いします。--Louis XX︵会話 / 投稿記録︶ 2012年12月15日 (土) 01:25 (UTC)
インデント戻します。方針改訂私案を、利用者:Rienzi/sandbox#Wikipedia:特筆性 (音楽)改訂私案にまとめました。皆様、コメントよろしくお願いいたします。--Rienzi︵会話︶ 2012年12月15日 (土) 02:34 (UTC)[返信]
本日また126.54.3.162により日本人の音楽家が再び作成されましたので、今後も記事を作成し続けた場合に管理者伝言板に通報することを選択肢の1つとして挙げました。--Louis XX︵会話 / 投稿記録︶ 2012年12月15日 (土) 09:28 (UTC)
ルイ20世さん、迅速なご対応、ありがとうございます。件のIP氏は、﹁合唱音楽の記事充実に寄与している!﹂とでも思い込んでいるのでしょうか。困ったものですね。現在ブロックを受けているようですが、ブロック明けに再発するようであれば、再度ブロックを提起すべきでしょうね・・・。--Rienzi︵会話︶ 2012年12月15日 (土) 16:19 (UTC)[返信]
インデント戻します。昨日からIP:91.103.42.50︵会話 / 投稿記録︶さんが高嶋ちさ子12人のヴァイオリニストのメンバーを作成されていますが、上記IPと違い、高嶋ちさ子12人のヴァイオリニストのメンバーとしてメジャーレーベルから複数CDをリリースし、テレビにも幾つか出演ています。しかし個人的には高嶋ちさ子以外のメンバーは全てWikipedia:特筆性 (音楽)#音楽家・音楽グループのソロを満たさないのではないかと思います。このため、会話ページで注意を促しました。--Louis XX︵会話 / 投稿記録︶ 2012年12月20日 (木) 05:55 (UTC)[返信]
ルイ20世さん、ご報告いただきましてありがとうございます。メンバー記事確認いたしました。う〜ん、非常に微妙というか、ギリギリアウトな感じがしますね・・・。とりあえず、記事作成者の方のコメント待ちましょうか。ところで、先日より濫造されていた、特筆性が危うい邦人作曲家の記事、どうしましょう?一括で削除依頼に出しますかね・・・。--Rienzi︵会話︶ 2012年12月20日 (木) 14:00 (UTC)[返信]
お願いします。--Louis XX︵会話 / 投稿記録︶ 2012年12月20日 (木) 15:55 (UTC)
例のIP氏によって作成された記事および私が以前加筆したものの特筆性がない記事の4本について、Wikipedia:削除依頼/特筆性に疑問のある作曲家の記事を提起しました。--Rienzi︵会話︶ 2012年12月20日 (木) 17:01 (UTC)[返信]
インデント戻します。IPにより作成された高嶋ちさ子12人のヴァイオリニストのメンバー3記事については、Wikipedia:削除依頼/高嶋ちさ子12人のヴァイオリニストのメンバーを提出致しました。--Louis XX︵会話 / 投稿記録︶ 2012年12月21日 (金) 05:17 (UTC)
ルイ20世さんこんばんは。賛成票を入れておきました。なお、昨夜、試しに﹁日本人の作曲家﹂カテゴリに入っている人物記事を片端からチェックしてみようと思い、﹁あいうえお順﹂に見ているのですが、予想を遥かに超えるボリュームで﹁本人のサイトまたは公式プロフ以外の情報が無い、受賞歴以外の活動が無い、作曲家としての特筆すべき活動が無い、実績が証明できない﹂作曲家の記事が見つかっています。現在まだ﹁あいうえお﹂の﹁あ﹂に該当する部分を見ただけですが、それだけでも既に5人以上見つかっている状態です。これ、どうしましょうか・・・。とりあえず、当面はWikipedia:特筆性 (音楽)の方針文書を全面的に改定することに集中したほうが良いでしょうか。時間をかけて﹁特筆性を満たさない音楽家の記事﹂を洗い出して、まとめて削除依頼に出そうかとは思っています。--Rienzi︵会話︶ 2012年12月21日 (金) 12:31 (UTC)[返信]
インデント戻します。Wikipedia:削除依頼/特筆性に疑問のある作曲家の記事で審議された4名の記事は全て削除となりましたことをお知らせいたします。--Rienzi︵会話︶ 2012年12月28日 (金) 08:07 (UTC)[返信]
- Wikipedia:削除依頼/高嶋ちさ子 12人のヴァイオリニストのメンバーで審議された3名の記事は全て存続となりましたことをお知らせいたします。Suzukitaro(会話) 2013年2月22日 (金) 00:05 (UTC)[返信]
- Wikipedia:削除依頼/高嶋ちさ子 12人のヴァイオリニストのメンバーで審議された3名の記事は全て単独の記事から高嶋ちさ子 12人のヴァイオリニストへのリダイレクトとなりましたことを補足しておきます。--203.148.113.63 2013年2月23日 (土) 06:40 (UTC)[返信]