キケロ(英語表記)Marcus Tullius Cicero

デジタル大辞泉 「キケロ」の意味・読み・例文・類語

キケロ(Marcus Tullius Cicero)

 
10643  

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精選版 日本国語大辞典 「キケロ」の意味・読み・例文・類語

キケロ

 

(一)( Marcus Tullius Cicero = ) 
 

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改訂新版 世界大百科事典 「キケロ」の意味・わかりやすい解説

キケロ
Marcus Tullius Cicero
生没年:前106-前43


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日本大百科全書(ニッポニカ) 「キケロ」の意味・わかりやすい解説

キケロ
きけろ
Marcus Tullius Cicero
(前106―前43)


81797775707371Quintus Hortensius11450769()66634585749()44144312

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 2015120


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「キケロ」の意味・わかりやすい解説

キケロ
Cicero, Marcus Tullius

 
[]106.1.3. 
[]43.12.7. 
15814 Philippicae (4443) 25820 900 De oratore (55)  De republica (5452)  Brutus (46)  De finibus bonorum et malorum (45)  Tusculanae disputationes (45)  De natura deorum (44)  De officiis (44)   
 


Cicero Marcus Tullius

 
[]65
[]?
 M. M.39 () 30 ()   

キケロ
Cicero, Quintus Tullius

[生]前102
[没]前43
古代ローマの政治家。文人 M.キケロの弟。前 61~59年アシア総督。ユリウス・カエサルのガリア戦争に従軍。内乱時にはポンペイウス (大ポンペイウス) についたが,のち許された。カエサル死後訴追され,奴隷に裏切られて殺された。
 


Cicero Quintus Tullius

 
[]66
[]43
 

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百科事典マイペディア 「キケロ」の意味・わかりやすい解説

キケロ

 
63258
 

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「キケロ」の解説

キケロ
Marcus Tullius Cicero


10643

63

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旺文社世界史事典 三訂版 「キケロ」の解説

キケロ
Marcus Tullius Cicero

前106〜前43
共和政ローマ末期の政治家・哲学者・雄弁家
熱心な共和政の擁護者で,カエサルと合わず,三頭政治の開始で失脚。のちアントニウスに反対して殺された。その著作はラテン散文の模範といわれ,『国家論』『義務論』『友情論』などが有名。

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世界大百科事典(旧版)内のキケロの言及

【ウェレス】より

…多様な手口で全島の都市・富裕者・土地所有者を搾取した。帰任後,属州民の訴えを容れたキケロは有力門閥の妨害工作にもかかわらず彼を不当搾取罪で告発し,自らシチリアで膨大な証拠類を収集。ウェレスは第1次公判後敗訴を認めてマッシリアに退去した(前70)。…

【演説】より

…当時,大カトー,ガイウス・グラックスらが雄弁家として知られたが,共和政時代の主要な雄弁家はすべて政治家としても活躍した。ローマ雄弁術の頂点はキケロであり,そのカティリナ弾劾演説は有名である。またマルクス・アントニウスのカエサル追悼演説もよく知られ,シェークスピアの《ジュリアス・シーザー》中にも,その場面が現れる。…

【記憶術】より

…あらかじめ若干の知悉した場所(トポス)を脳中に設定し,記憶すべきものをそこに配置しておけば,想起に際して,それらの場所との関連性を手がかりとして,容易に想起作用をすすめることができる,というのがその原理で,場所的記憶術ともいわれる。この著作は,長らくキケロの著作と考えられ,たんに古代記憶術の代表作としてのみならず,記憶術の典拠として権威を保ちつづけた。とくに14世紀から16世紀にかけてヨーロッパでは記憶術が流行し,さまざまの記憶術書が著された。…

【義務について】より

…ローマの弁論家,政治家,哲学者キケロの倫理に関する最後の著作(前44)。ストア哲学,なかんずくパナイティオスの教えに基づいて一般道徳を説いており,息子マルクスの教育のために書かれた。…

【舌】より

…なお,舌の病気には舌炎舌癌などがある。味覚【黒田 敬之】
[舌の文化史]
 弁論を技術(アルス)の女王とみたキケロは,肺から口の裏に1本の動脈が走っていて心に発した言葉を声にかえ,舌が歯や口腔をたたいて明りょうな音声の流れにすると考えた(《神の本性について》)。またレオナルド・ダ・ビンチは脳底からの神経が舌全体に分布するとし,舌には24の筋が6群となって舌を多様に働かすと考えた(《手記》)。…

【速記】より

…これが速記方式の初めであり,前350‐前300年ころのものがギリシアのアテナイやデルフォイで発見されている。ラテン語の速記方式として有名なのは政治家キケロがその解放奴隷ティロTiroに考案使用させたものであり,ティロはキケロの死後その演説集を公にした。当時はローマの元老院でも用いられ,その最初はカティリナの陰謀に対するカトーの演説(前63年12月5日)だとされている。…

【手紙】より

…手紙はインクencausturumでパピルスchartaにペンcalamusで書かれた。キケロは友人のアッティクス宛などは自筆で書いたが,たいていは書記ティロTiroに口述し,ティロが控えを取っておいたのとキケロの兄弟のクイントゥスやアッティクスがキケロからの来信を保存していたので後世に多くの書簡が残ることになった。ホラティウスは韻文(長短短六脚格)の書簡を残して書簡詩epistulaの伝統を開き,オウィディウスや12世紀の南仏詩人(中世プロバンス語ではbreus,letrasと呼ばれ,教訓的なものはensenhamenといわれ,pistola,epistolaということはまれであった),後世のユスタッシュ・デシャン,クレマン・マロ,ペトラルカ,ジョン・ダン,ポープ,ラ・フォンテーヌ,ボアローらに継承された。…

【マクロビウス】より

…生没年不詳。著書として,キケロの《国家論》第6巻第8章に相当する霊魂の死後の運命を論じた《スキピオの夢》の注解2巻,ギリシア・ローマ伝来の神々の統合を比喩的解釈を通して試みた《サトゥルナリア》7巻,中世における要約のみが伝存する《ギリシア語とラテン語との動詞の異同》がある。前2者は,いずれもプロティノス,ポルフュリオス等の発想を基調とし,12世紀中葉までカルキディウスのプラトンの《ティマイオス》の訳と注解と並んで,西方ラテン世界におけるプラトン主義の知識の源泉としての意義をになう。…

【ラテン文学】より


[共和政末期(前1世紀40年代まで)]
 グラックス兄弟の社会改革の試みが失敗したあと,民衆派と貴族派の対立は激化し,これを背景に,マリウスとスラの抗争,スラの独裁と恐怖政治,第1次三頭政治,内乱,カエサルの独裁と暗殺,第2次三頭政治など,大小さまざまな抗争・対立・混乱が続き,ついにローマ共和政は崩壊する。この激動の時代にみずから政治家として現実に行動しながらそれを文筆活動に反映させた,時代精神の権化のような人物がキケロである。この時代の政治家はみな優れた演説家であったが,キケロの雄弁の前にはすべて色あせてしまい,後世に伝えられるに至らなかった。…

※「キケロ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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