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ドイツの精神医学者。メクレンブルクのノイストレリッツに生まれる。ライプツィヒ大学で医学博士の学位をとり、ミュンヘン大学、ライプツィヒ大学、ハイデルベルク大学などで教えた。師のW・ブントを非常に尊敬し、心理学の連想実験を精神医学に取り入れた。また精神病の体系的分類を行い、早発性痴呆(ちほう)(後にスイスのブロイラーがスキゾフレニア(統合失調症)という名称を提唱)とそううつ病とに2大別するとともに、精神病の原因は器質的なものでその経過を予測することができると考えた。作業検査の開発者でもあり、それが日本の内田クレペリン精神作業検査(クレペリン検査)のもとになった。「現代精神医学の父」とよばれることがある。主著に『精神医学綱要』(1883)がある。
[宇津木保]
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…他方,1943年のLSD‐25発見がきわめて微量で精神状態を激変させることを明らかにしたので,精神病も実は類似の毒素が体内で発生すると起きるのではないかという推論が有力になり,精神病の成因や化学療法をめぐって精神化学と精神薬理学が急速に発展することになった。現代精神医学の父と呼ばれるE.クレペリンも実は1892年に薬物が精神作業に及ぼす影響を研究していたし,モロー・ド・ツールJ.J.Moreau de Tours(1804‐84)は大麻による精神異常を観察して《ハシーシュと精神病》(1845)という400ページの本を書いていた。ド・クインシーの《アヘン常用者の告白》(1822)やボードレールの《人工楽園》(1860)もあるが,これらは薬の効果を詳しく観察したにとどまり,作用のしくみを解明できなかったので,向精神薬が科学的に研究されはじめたのは1952年の精神薬理学スタートの年とすべきであろう。…
…その代表的なものとしては,ユング(内向型と外向型),イェンシュE.R.Jaensch(統合型と非統合型),ファーラーG.Pfahler(固執型と流動型),シュプランガー(理論的人間,経済的人間,審美的人間,社会的人間,政治的人間,宗教的人間の6種型),エーワルトG.Ewald(反応類型),クレッチマー(体質学的類型)などがあげられる。また精神病質人格に関しては,クレペリンが主として心理学的特性と社会学的関係から神経質,興奮者,軽佻者,ひねくれ者,虚言欺瞞者,反社会者,好争者,衝動者に分けており,K.シュナイダーは主として臨床経験にもとづいて性格異常(精神病質)を〈自分自身が悩むもの〉と〈社会が悩まされるもの〉に分け10類型(発揚者,抑鬱者,自信欠乏者,熱狂者,顕示者,気分変動者,爆発者,情性欠如者,意志欠如者,無力者)を列挙している。レルシュP.Lerschは層理論を応用して性格を内部感情的基底と精神生活の上層構造とに二分し,それぞれについて詳細な分析を試みている。…
…こうして精神医学は臨床医学のなかでしだいに一定の地歩を占めるようになるが,それが今日的な意味の学問体系を指すようになるのは,1850年ごろからヨーロッパ各地の大学医学部が必要な講座としてこれを設置しはじめてからである。当時の精神医学は,W.グリージンガーの〈精神病は脳病である〉という周知の言葉がよく象徴するように,疾患の本態を脳内に求める身体論的方向をめざし,他方で,遺伝・素因・体質などの要因を重視する内因論の方向を歩んだが,こうした方向は19世紀の末にE.クレペリンが精神病の記述と分類をなしとげて一応の完成にいたる。20世紀に入るとともに,精神分析のS.フロイト,それを容認して力動的な症状論を展開するE.ブロイラー,現象学の導入により方法論を整備したK.ヤスパースら,新たな勢力が台頭して,19世紀の精神医学に深さと広がりと高さを加える。…
…フランスのモロー・ド・トゥールJ.J.Moreau de Tours(1804‐84)が《ハシーシュと精神病》(1845)を著して大麻の精神作用を検討したが,これが向精神薬を科学的に扱った最初である。ドイツのE.クレペリンは1883年に薬で精神病を起こそうと考え,9年後に薬物の心理的影響を観察した論文を発表した。その後,メスカリンの研究などが続いたが,1943年に(50/100万)gという微量で精神異常を誘発するLSDが,また52年に抗精神病薬であるレセルピンとクロルプロマジンが発見され,これらの作用の本体は脳内セロトニンであるという仮説がブロディB.B.Brodieらによって提案されたときに,科学としての精神薬理学が確立されたとみるべきである。…
※「クレペリン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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