ゲーテ(読み)げーて(英語表記)Johann Wolfgang von Goethe

デジタル大辞泉 「ゲーテ」の意味・読み・例文・類語

ゲーテ

 
Johann Wolfgang von Goethe17491832()()()()西
︿Goethe1916  

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精選版 日本国語大辞典 「ゲーテ」の意味・読み・例文・類語

ゲーテ

 

(一)( Johann Wolfgang von Goethe == ) 西=
 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ゲーテ」の意味・わかりやすい解説

ゲーテ
げーて
Johann Wolfgang von Goethe
(1749―1832)

ドイツの世界的作家。

環境と素質


8281765681767176869()177071177017711772()FH()177217741773

 177317741775177417751775稿1887稿

 

ワイマール時代


1775稿1779()178479178688稿178717881790

 17180617905退17921822181617178817901791921794180510()177785使稿1910稿17959617971803()1794()11808

 

晩年のゲーテ

1805年シラーが死ぬ。06年ナポレオン軍がドイツに入り、神聖ローマ帝国は滅亡する。08年ゲーテはナポレオンと会見する。彼はナポレオンの偉大さを認めたから、祖国ドイツの解放戦争に積極的に参加することができない。結婚における情熱と倫理の葛藤(かっとう)を主題とする小説『親和力』(1809)が書かれる。10年『色彩論』が出、自伝『詩と真実』が書き進められる(第1~第3部は1811~14、第4部は死後1833出版)。これは自伝文学の傑作であり、18世紀ドイツの文化的状況を知るうえでも重要な記録である。14~15年に故郷のラインとマインの地方に旅したとき、マリアンネ・ウィレマーを知り、彼女との愛の交渉と、ペルシア詩人ハーフィズの影響とにより、『西東(せいとう)詩集』(1819)が生まれた。16年に妻クリスティアーネが死ぬ。23年からエッカーマンがゲーテの協力者となる。彼は晩年のゲーテの知恵を『ゲーテとの対話』(1836~48)にまとめた。これは後世のゲーテ理解に資すること甚大であった。22年マリーエンバートで18歳の少女ウルリーケ・フォン・レベッツォーを愛し、その悲劇的体験によって『マリーエンバートのエレギー』(1823)が生まれる。『ウィルヘルム・マイスターの遍歴時代』が21年に脱稿し、補正のうえ29年に刊行される。そこでは、個人が社会に奉仕するために特殊な職能を身につけることが求められる。個の全面的展開ではなく、諦念(ていねん)の徳目が進められる。死の直前に『ファウスト』第2部が完成する(1831完成、1832刊)。32年3月22日、ゲーテはワイマールの自邸で83年の多彩な生涯を終えた。

[小栗 浩]

生涯の課題――自己形成


調()()

 調80

 

ゲーテ研究の動向

今日のゲーテ研究では、19~20世紀初頭の、ゲーテを理想化し(ヘルマン・グリム)、あるいはゲーテを神話化する(グンドルフ)傾向に対して強く批判的であり、ゲーテやシラーを中心とするワイマール古典主義が各時代の政治的イデオロギーによって歪曲(わいきょく)され利用されていたことを指摘し、これを本来の姿に戻そうという、受容史的あるいは社会史的方法が著しくみられる。

 ゲーテ研究を推し進め、またその精神を顕揚することによって一般文化に貢献するために、故郷フランクフルト・アム・マイン(ゲーテの生家が残されている)でゲーテ賞が設けられ、1927年以降、ゲオルゲ、シュバイツァー、フロイト、カロッサ、プランク、ヘッセ、トーマス・マンらに贈られている。またゲーテ研究者の協力によって、1885年ワイマールにゲーテ協会が設立され、世界のゲーテ研究の中心となっている。研究誌『ゲーテ年鑑』は1880年以降刊行され、名前と形を変えながら現代に及んでいる。わが国でも日本ゲーテ協会と関西ゲーテ協会があり、それぞれ年鑑を発行している。

[小栗 浩]

日本への影響

ゲーテの名が初めて日本に知られたのは明治初年であるが、本格的なゲーテ受容は森鴎外(おうがい)によるゲーテの詩、とくに『ファウスト』の翻訳(1911)に始まる。ゲーテの本格的研究書のなかでは木村謹治の『若きゲーテ研究』(1934刊)が出色であるが、そこにみられるゲーテを偶像視する傾向は、一つは作品の内在的解釈の立場から、一つは社会史的な視点から批判され、ゲーテ像の見直しが進められている。

[小栗 浩]

『登張正実他編『ゲーテ全集』15巻・別巻1(1979~92・潮出版社)』『『ゲーテ全集』全12巻(1960~61・人文書院)』『ハイネマン著、大野俊一訳『ゲーテ伝』全3冊(岩波文庫)』『小栗浩著『人間ゲーテ』(岩波新書)』『エッカーマン著、山下肇訳『ゲーテとの対話』全3冊(岩波文庫)』


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改訂新版 世界大百科事典 「ゲーテ」の意味・わかりやすい解説

ゲーテ
Johann Wolfgang von Goethe
生没年:1749-1832


1749828183232217822831618-48退西Johann Caspar G.1710-82Katharina Elisabeth1731-1808

 411765-6817707521031786-8818054Johann Peter Eckermann1792-1854︿51770-7117731774︿︿︿︿︿︿︿1︿︿使︿︿︿

 17891813-1510

 西

 18841889西


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百科事典マイペディア 「ゲーテ」の意味・わかりやすい解説

ゲーテ

 
17701771177517861788179511789()1806西2調
 

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ゲーテ」の意味・わかりやすい解説

ゲーテ
Goethe, Johann Wolfgang von

 
[]1749.8.28. 
[]1832.3.22. 
 Götz von Berlichingen (1773)  Die Leiden des jungen Werthers (1774)  1775 1794調 Wilhelm Meister ( 1795 1829)  Faust (1 18082 1832)  Egmont (1787)  Iphigenie auf Tauris (1787)  Hermann und Dorothea (1797)  Römische Elegien (1795)  Die Wahlverwandtschaften (1809)  Aus meinem Leben. Dichtung und Wahrheit (13 1811144 1833)  Italienische Reise (181629) 西 Westöstlicher Divan (1819)  Xenien (1796)   

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ゲーテ」の解説

ゲーテ
Johann Wolfgang von Goethe


17491832

()(178688)

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旺文社世界史事典 三訂版 「ゲーテ」の解説

ゲーテ
Johann Wolfgang von Goethe

1749〜1832
ドイツの文豪
ヘルダーの影響で文学に志す。小説『若きウェルテルの悩み』で成功し,“疾風怒濤(シュトゥルム−ウント−ドランク)”と呼ばれる文学運動の旗頭となる。1775年ヴァイマル公家へ招かれて,そこに仕え,やがて宰相となった。作品は詩・小説・戯曲と多方面に及び,その数も多い。『ファウスト』『ウィルヘルム=マイスターの修業時代』『詩と真実』などの作品により,シラーと並び文学の最高峰とされる。またヴァルミーの戦いにおいてフランス革命軍の初勝利に対し,「ここから,そしてこの日から,世界史の新しい時代が始まる」と語ったことは有名。

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世界大百科事典(旧版)内のゲーテの言及

【ウィルヘルム・マイスター】より

ゲーテの長編小説。《修業時代Wilhelm Meisters Lehrjahre》8巻(1796)と《遍歴時代Wilhelm Meisters Wanderjahre》3巻(1829)とから成っているが,両者は内容・構成の面で著しく異なっている。…

【ガル】より

…1802年,この説が唯物論的で宗教にとって危険とみなされウィーンを追放された。ドイツ,オランダ各地で講演をつづけ,ゲーテも05年7月ハレで連続講演を聞き興味を示している。07年パリに移り,解剖学者シュプルツハイムJohann Christian Spurzheim(1776‐1832)と連名で主著《神経系,とくに脳の解剖学と生理学》(1810‐19)を刊行した。…

【形態学】より


  ︿J.W.von

【屍鬼二十五話】より

…本書はインドの内外に伝わり,多大の影響を与えた。特に〈首のすげかえ〉の物語はゲーテ(《パリア》の〈聖譚〉)に着想を与え,またトーマス・マンはこの物語に基づいて短編小説《すげかえられた首》を書いた。【上村 勝彦】。…

【シュトゥルム・ウント・ドラング】より

…《近代ドイツ文学論》(1767),《1769年のわが旅の記》などであるが,彼の小冊子《ドイツの特性と芸術について》(1773)に載せたシェークスピア論と《オシアンと古代諸民族の歌謡について》は,この文学運動の出生証書とみなされている。ゲーテの《若きウェルターの悩み》(1774)に見られるように,理性,規則,秩序に対して,人間の情熱,根源的空想力,個性的偉大さを強調する直截で力強い感情移入と創造的天才性こそ,真の文学の基本であり,社会的偏見と宗教的国家的強制からの自由と自決権の確立が,この運動の綱領となった。 この運動の主要な文学形式は戯曲で,三一致法則を廃棄し,韻文戯曲の妥当性への懐疑から散文で書かれ,気ままな場面転換と熱情のおもむくままに無拘束で自由な表現主義的語法がその特色となっている。…

【西東詩集】より

ゲーテの晩年の詩集。1819年刊。…

【力】より

…〈rapport〉はラテン語の〈affinis(親和力)〉の訳語として使われた。その後ベリマンTorbern Olof Bergman(1735‐84)がさらに一般化した表を作り,ニュートン的万有引力をも包括する体系を考えたが,ゲーテはそれに刺激されて《親和力》(1809)を書いた。 このように物質,もしくは自然物に内蔵される力という概念は,より大きな文脈において,基本的には西欧ではプラトン主義の伝統に属するものであり,自然を動的に変化・展開せしめる原動力が自然物そのものに帰属する,という考え方に基づく。…

【ティシュバイン】より

…(2)ヨハン・ハインリヒ・ウィルヘルムJohann Heinrich Wilhelm Tischbein(1751‐1829) 前者の従弟で同じく叔父に学び,オランダでの勉強を経て1777年ベルリンで肖像画家として成功を収める。ローマ滞在中の86年にゲーテと親交を結び,その肖像を描いて〈ゲーテのティシュバイン〉の異名をとった。1790年代にはナポリのアカデミーの院長を務め,1800年以降は北ドイツで活動した。…

【ドイツ演劇】より


()退

【頭骨】より


19︿L.R.()T.H.︿

【ドッペルゲンガー】より


︿姿

【男色】より

…プラトンを教皇としソクラテスを使節とする善なる教会の従僕であることを誇ったP.ベルレーヌとその相手のJ.N.A.ランボー,民衆詩人W.ホイットマン,社会主義運動にひかれた詩人E.カーペンター,男色罪で2年間投獄されたO.ワイルド,S.ゲオルゲなどがとくに知られているが,彼らばかりではない。ゲーテは《ベネチア格言詩》補遺で少年愛傾向を告白し,A.ジッドは《コリドン》で同性愛を弁護したばかりか,別の機会にみずからの男色行為も述べ,《失われた時を求めて》のM.プルーストは男娼窟を経営するA.キュジアと関係していた。J.コクトーと俳優J.マレーとの関係も有名である。…

【人形劇】より


[近・現代の人形劇]
 18世紀後半から20世紀初めへかけて,多くの芸術家が人形劇を愛した。最も有名なのは,J.W.ゲーテの戯曲《ファウスト》が古い人形劇の《ドクトル・ファウスト》から生まれたことだ。ゲーテは祖母からマリオネットを贈られ,4歳のとき《ダビデと巨人ゴリアテ》を見た。…

【薔薇十字団】より

…フランスではフリーメーソン・ロッジに〈薔薇十字の騎士〉の位階が導入され,ドイツでは1777年ベルリンにフリーメーソンから分離独立した〈黄金・薔薇十字団〉が結成され,フォルスターGeorg Forster(1754‐94)や解剖学者ゼンメリングSamuel Thomas Sömmering(1755‐1830)らが活動したといわれる。ゲーテもこの結社に関心を抱いたらしい形跡は,長編詩《秘密》の山上の修道院の創設者フマヌスの死の床の場で,修道院の扉に薔薇の絡んだ十字の印が刻されているところから察せられる。一方,18世紀の自称薔薇十字団の周辺には,カリオストロサン・ジェルマン伯,シュレープファーJohann Georg Schröpfer(1733‐83)のような山師も出没して,いかさまめいた行状も目だった。…

【パラディオ主義】より

…たとえば,公共建築などで中央にドームのある主屋,両脇に低い翼部を配するといった構成は,彼の手法そのままであり,〈異人館〉の開放的ベランダなども,もとは彼の手法から出ている。建築以外の分野でもパラディオの影響には無視しえないものがあり,絵画におけるN.プッサンやルーベンス,文学におけるゲーテなどは,いずれも熱心なパラディオ主義者であった。【福田 晴虔】。…

【ファウスト】より

…悪魔は彼に魔術の世界を開く鍵を伝授し,数々の奇跡を実行する能力を彼に授けたのである。これに続いてまずイギリスのC.マーロー(1588)が,ドイツではレッシング(断片),ゲーテ,F.M.クリンガー(1791),N.レーナウ(1836),ハイネ(1851,バレエ台本),20世紀に入って,トーマス・マンの《ファウスト博士》(1947),バレリーの《モン・フォースト》(1946)がこのテーマを扱い,ファウスト伝説を豊富にした。ファウスト〈テーマ〉は救済型と破滅型に分かれるが,ゲーテのファウストのみが救済され,他はそれぞれの時代思潮からとられたテーマに従って一般に破滅型である。…

【フランクフルト・アム・マイン】より

…市域の南西端では,ハンブルクとバーゼル,ケルンとミュンヘンを結ぶ二大高速道路(アウトバーン)が交差し,ライン・マイン空港は,ロンドン,パリに次ぐヨーロッパ第3位の発着便がある。 学術・文化面をみると,文豪ゲーテの名を冠し,近年は社会哲学者アドルノ(1903‐69)らのフランクフルト学派で著名となった総合大学(1914年創立。1982‐83年には21専攻,学生数約2万7000)とショーペンハウアー,G.フライタークなど有数のコレクションを蔵する付属図書館,第2次大戦以後ドイツ語で書かれた全世界の出版物を収集するドイツ図書館,金印勅書をはじめ貴重な史料を保存する市立文書館,イエズス会派の聖ゲオルク哲学・神学大学,音楽大学,教育大学があり,マックス・プランク協会のヨーロッパ法史,生物物理学,脳の各研究所,パウル・エーリヒ実験治療研究所,フロベニウス民族学研究所も置かれている。…

【ヘルダー】より

…道中で記された《1769年のわが旅日記》は以後の思想的発展の萌芽を宿す。シュトラスブルク(現,ストラスブール)滞在中(1770‐71)に若きゲーテに多大の影響を与え,シュトゥルム・ウント・ドラング運動の契機となる。71年からビュッケブルクで宮廷牧師を務め,この文学運動の綱領とされるオシアン論とシェークスピア論を73年に発表。…

【錬金術】より

… ロマン主義の時代にはいるとドイツで多数のメルヘンが書かれ,フケーの《ウンディーネ》のように,パラケルススが錬金術的表象として創作した水の精が主人公に登用される作品もあらわれた。ノバーリスは《青い花》,ホフマンは《悪魔の霊液》,ゲーテは《ファウスト》に錬金術への関心を示している。ゲーテはG.ブルーノの思想や錬金術を熱心に研究しており,その《色彩論》にも錬金術の間接的影響を認めることができる。…

【ロマン派演劇】より




 177018301770()()︿︿

【ワイマール】より

…カール・アウグスト公(在位1758‐1828)親政下(1775‐1828),勃発したフランス革命の影響もあってドイツ自由主義文化の中心となる。75年以来ゲーテはこの公国の政務を担当し,1832年ここで没した。この時代に,シラー,ヘルダー,詩人のウィーラントなどがワイマールに集まってドイツのブルジョア的な宮廷文化の華を咲かせる。…

※「ゲーテ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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