デジタル大辞泉
「ジョゼフィーヌ」の意味・読み・例文・類語
ジョゼフィーヌ(Marie Joséphe Rose Tascher de la Pagerie, Joséphine de Beauharnais)
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ジョゼフィーヌ
Joséphine
生没年:1763-1814
ナポレオン1世の最初の妻。本名Marie-Josèphe Rose Tascher de La Pagerie。フランス領西インド諸島のマルティニク島に生まれ,パリに出て16歳でボーアルネ子爵と結婚し2子をあげたが,革命中に夫は処刑され,みずからもしばらく投獄された。︿テルミドール9日﹀の後に出獄して社交界に入り,1796年,6歳年下のナポレオン・ボナパルトと再婚し,1804年彼が帝位に就くとともに皇后になった。ナポレオンはもともと深く彼女を愛していたが,はじめは彼女の,のちには彼の浮気のために,2人の仲はとかく円満を欠き,後継者を生むことができなかったため,09年に離婚された。ナポレオンは再婚後も彼女と文通を続け,14年,帝位を辞してエルバ島に下る直前に,︿これが最後のお別れです,私はあなたを決して忘れはしないでしょう﹀と書き送った。事実,彼女は,ナポレオンがエルバ島を脱して帰国するまえに,パリ郊外のマルメゾンの館で死去した。
執筆者‥遅塚 忠躬
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ジョゼフィーヌ
Joséphine
[生]1763.6.23. マルティニーク,トロアジレ
[没]1814.5.29. マルメゾン
フランス皇帝ナポレオン1世の妃。本名 Marie-Josèphe-Rose Tascher de la Pagerie。 1779年ボーアルネ子爵と結婚,子供2人 (のちのウージェヌ親王とオルタンス王妃) をもうけた。夫はフランス革命で刑死し,みずからも投獄されたがテルミドール九日後釈放され,パリのサロンでその美貌をたたえられた。バラの紹介でナポレオンを知り,1796年3月結婚。その直後ナポレオンはイタリア軍総司令官として出陣し,彼女も同行した。 1804年夫の皇帝就任とともに皇后となる。ナポレオンの激しい情愛を受けたが,跡継ぎに恵まれず 1809年離婚。莫大な財産を受けてマルメゾンに隠居したが,ナポレオンとの文通は続けられた。
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ジョゼフィーヌ
じょぜふぃーぬ
Marie-Josèph Tascher de La Pagerie, Joséphine de Beauharnais
(1763―1814)
ナポレオン1世の最初の皇后。西インド諸島マルティニーク島に生まれる。16歳のときフランスにきてボーアルネ子爵と結婚、2児をもったが、1794年夫が処刑され、彼女も投獄された。同年のいわゆる﹁テルミドールの反動﹂で釈放。総裁政府期には美貌(びぼう)と魅力で社交界の花形となり、96年ナポレオンと再婚。熱愛されながらも夫のエジプト遠征中に不貞のため一時危機にたったこともあるが、1804年ナポレオンの皇帝即位とともに皇后となる。しかし帝位の後継者を産めなかったため、09年には離婚されてマルメゾン館で余生を送り、ナポレオンのエルバ島からの帰還を待たずに死亡。
﹇樋口謹一﹈
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「ジョゼフィーヌ」の意味・わかりやすい解説
ジョゼフィーヌ
ナポレオン1世の最初の妻。フランス領西インド生れ。先夫ボーアルネ子爵はフランス革命中に処刑された。1796年ナポレオンと結婚,1804年皇后となる。1809年離婚し,ナポレオンはオーストリア皇女マリー・ルイズと結婚した。
→関連項目ボナパルト
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ジョゼフィーヌ
Joséphine de Beauharnais
1763~1814
ナポレオン1世の最初の妻。フランス領西インドに生まれてパリに出,初婚の夫が革命中に処刑されたのち,1796年ナポレオンと再婚し,皇后となったが,1809年に離婚された。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
ジョゼフィーヌ
Joséphine de Beauharnais
ナポレオン1世の最初の皇后
西インドに生まれ,パリで成長。1796年ナポレオンと再婚した。1804年皇后となったが,ナポレオンがハプスブルク家の皇女マリ=ルイーズと結婚するために08年離婚。ふたりの間に子どもはない。
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世界大百科事典(旧版)内のジョゼフィーヌの言及
【フォール・ド・フランス】より
…フォール・ロアイヤルと呼ばれていたが,フランス革命後に現在名となった。1638年にフランス人総督が建設したサン・ルイ城塞を中心に,屋根の低い木造の家屋が建ち並んで,港を半円状にとり囲んでおり,サバーヌ公園にはナポレオンの皇后ジョゼフィーヌ(当地の出身)を記念する大理石像がある。フォール・ド・フランス港は国際定期船が寄港する良港。…
※「ジョゼフィーヌ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」