ディズレーリ(英語表記)Benjamin Disraeli

デジタル大辞泉 「ディズレーリ」の意味・読み・例文・類語

ディズレーリ(Benjamin Disraeli)

 
18041881貿186818741880  

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精選版 日本国語大辞典 「ディズレーリ」の意味・読み・例文・類語

ディズレーリ

 

(一)( 1st Earl of Beaconsfield, Benjamin Disraeli  ) 
 

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改訂新版 世界大百科事典 「ディズレーリ」の意味・わかりやすい解説

ディズレーリ
Benjamin Disraeli
生没年:1804-81


179113151720201826-271830

 18322353739124040貿R.貿1844︿46E.G.S.S.46605258-5966-683退1868672

 70︿742751777187880768081 1884

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ディズレーリ」の意味・わかりやすい解説

ディズレーリ
でぃずれーり
Benjamin Disraeli, 1st Earl of Beaconsfield
(1804―1881)


1826183018321837()18441845貿18521858185918661867

 1868218741875187618801881419

 19()1876

 

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ディズレーリ」の意味・わかりやすい解説

ディズレーリ
Disraeli, Benjamin, 1st Earl of Beaconsfield

 
[]1804.12.21. 
[]1881.4.19. 
 I.181722437貿46 ()52585966681359676872 W.748027517 6000767778 ()80  
 


D'Israeli Isaac

 
[]1766
[]1848
18 Curiosities of Literature (517911823)  B.  

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百科事典マイペディア 「ディズレーリ」の意味・わかりやすい解説

ディズレーリ

英国の政治家。ユダヤ系で,小説家を志したが,1837年保守党から下院議員になり,青年イギリス派を組織して新時代に適応した保守主義を説く。ダービー内閣で3度蔵相となり,1867年には第2次選挙法改正案を通過させた。1868年首相となったが,総選挙に敗れて下野,1874年再度組閣(―1880年)。1877年ビーコンズフィールド伯となり,貴族院に移る。帝国主義的外交を展開,スエズ運河買収,ロシアの南下阻止,インド支配確立などに成功した。グラッドストーンと並ぶ19世紀後半2大政党対立時代の代表的政治家。
→関連項目グラッドストンソールズベリー塚原渋柿園ビクトリア[女王]ビクトリア時代

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ディズレーリ」の解説

ディズレーリ
Benjamin Disraeli, Earl of Beaconsfield


180481

(18687480)1837貿36727475777876

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旺文社世界史事典 三訂版 「ディズレーリ」の解説

ディズレーリ
Benjamin Disraeli, 1st Earl of Beaconsfield

1804〜81
イギリスの政治家。グラッドストンと並び称せられる
ユダヤ系。小説を書いて文名を得たのち,1837年保守党の下院議員となる。1846年ピール首相が穀物法を廃止しようとした際,これに反対。蔵相をへて保守党指導者となり,1867年第2次選挙法改正を強行。1868・74〜80年に首相となり,労働組合関係の法律を制定。ヴィクトリア女王の信任が厚く,外交政策では,スエズ運河会社の株買収,インド帝国の樹立,ベルリン会議でロシアの南下政策の阻止などの積極政策をとって,イギリス帝国主義の幕を開いた。

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世界大百科事典(旧版)内のディズレーリの言及

【イギリス】より

…そして工業化の進展にもかかわらず,国をあげてジェントルマン志向の強まったのが,このビクトリア時代であった。 ところでこの〈ジェントルマンの国〉は,世界最初のプロレタリアート(労働者)階級を広範につくりだしており,ディズレーリの小説《シビル》(1845)の一節を借りれば,〈お互いになんらの交渉も親愛の情もなく,お互いに思想,習慣,感情を異にする,二つの国民〉から成る国でもあった。〈二つの国民〉,すなわちジェントルマンであるか否かの間に越え難い決定的な線が引かれている点に,イギリスの社会構成の最大の特徴が存する。…

【サクラソウ(桜草)】より

…また若さにまかせた享楽的生活を比喩的に〈サクラソウの道primrose path〉という。ビクトリア朝期の政治家ディズレーリはこの花を愛したので,4月19日の彼の命日はPrimrose Dayと呼ばれ,市民はこの花を身につけるという。【荒俣 宏】
【サクラソウ科Primulaceae】
 双子葉植物。…

【プノンペン】より

…カンボジアの首都。人口92万(1994)。メコン河口から約300km遡航した自然堤防上の河岸に開けた都市で,港は2500トンまでの船が横づけできる。プノンペンとはカンボジア語で〈ペンの丘〉を意味する。《王朝年代記》によれば,洪水のときに上流から仏像4体が流れつき,敬虔なペンという名の夫人がこの仏像を小さな丘の東斜面に安置したという。これが〈ペン夫人の丘の寺院〉説話で,プノンペン発祥伝説のもととなった。…

【保守党】より

…そこに〈国民的合意の党〉〈実務と分別の党〉などのイメージ培養基盤が生まれる。誕生まもない保守党を〈組織された剽窃(ひようせつ)organised hypocrisy〉〈トーリーの人間によるホイッグの政策Tory men and Whig measures〉と批判したにもかかわらず,結局はそれを最も効果的に実行し,党興隆の基礎を築くことになるのは,B.ディズレーリにほかならなかった。ここに保守党の一面が如実に現れている。…

【民主主義】より

… しかしまた,民主主義の歴史的不可避をいち早く洞察した支配層が,むしろ民主主義シンボルを先取りして権力基盤の強化を図ったこともあった。はやくも1830年代初期のイギリスで,後の首相たる若きB.ディズレーリが,イギリス社会は完全な民主的社会であり,しかもその民主主義はフランスとは異なってもっとも高貴な民主主義であると称して,貴族と労働階級による中産階級の挟撃を企てたこと,国民投票によって帝位についたナポレオン3世が,みずからの権力を〈国民の民主的精神〉によって正当化しようとしたことなどがそれである。しかし,全体的には19世紀を通じて,ヨーロッパでは民主主義概念をめぐる意見の激しい対立が解消されることはなかった。…

※「ディズレーリ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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