デジタル大辞泉
「バチェラー」の意味・読み・例文・類語
バチェラー(John Batchelor)
﹇1854~1944﹈英国の宣教師・アイヌ研究家。明治10年︵1877︶来日。64年間、アイヌへの伝道と教育・医療に尽くし、言語学・民俗学の研究に業績を残した。著﹁蝦英和三対辞書﹂。
バチェラー︵bachelor︶
2 独身の男性。独身者。
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バチェラー
- ( John Batchelor ジョン━ ) イギリスの宣教師、アイヌ研究家。一八七七年来日し、アイヌの救済伝道と研究に尽くした。「アイヌ英和辞典」、「アイヌ語より見たる日本地名研究」などの著がある。(一八五四‐一九四四)
バチェラー
(一)〘 名詞 〙 ( [英語] bachelor )
(二)① 独身の男。
(三)② 英米で、大学卒業生に与えられる称号。﹁バチェラー‐オブ‐アーツ﹂など。学士。︹舶来語便覧︵1912︶︺
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バチェラー
ばちぇらー
John Batchelor
(1854―1944)
イギリス人宣教師、アイヌ研究者。ロンドン南方のサセックス州アクフィールドに生まれる。1877年︵明治10︶、イングランド教会︵聖公会︶の宣教師として来日、北海道で伝道する。当時の日本人の差別・偏見に満ちたアイヌ観に衝撃を受け、これを契機にアイヌへの布教活動を開始し、多数の信者を育てた。また、キリスト教的アイヌ教育を目的とする伝道学校︵愛憐(あいりん)学校、1888︶やアイヌの医療施設﹁アイヌ施療病室﹂︵1892︶、アイヌ子弟の寄宿舎﹁アイヌ保護学園﹂︵1922︶を設立し、アイヌに対する教育と医療に貢献した。しかしながら、バチェラーのこうした活動に対して、後年、違星北斗(いぼしほくと)が﹁五十年伝道されし此(こ)のコタン見るべきものの無きを悲しむ﹂と詠んだように、アイヌの側からの批判もあった。バチェラーは、アイヌ語・アイヌ文化の研究にも優れた業績を残し、日本のアイヌ研究の先駆者の一人に数えられている。著書には、アイヌの生活・文化を紹介した﹃蝦夷(えぞ)今昔物語﹄︵1884︶、アイヌ英和辞典﹃蝦和英三対辞書﹄︵1889︶など多数ある。第二次世界大戦の勃発(ぼっぱつ)により帰国。バチェラーの旧宅は、現在、北海道大学農学部博物館バチェラー記念館として使用されている。歌集﹃若き同族(ウタリ)に﹄を著した歌人バチェラー・八重子(やえこ)は彼の養女である。
﹇竹ヶ原幸朗 2018年7月20日﹈
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バチェラー
John Batchelor
生没年:1854-1944
イギリス生れのキリスト教宣教師。1877年に来日し,以降,60余年にわたって北海道でアイヌへの布教活動を行うかたわら,アイヌ語・アイヌ文化について広範な研究を行い,アイヌ研究の権威となった。また,〈バチェラー学園〉を設立し,アイヌ子弟への教育活動にも貢献したが,太平洋戦争の勃発により1940年には日本を去ることを余儀なくされ,故国イギリスで生涯を閉じた。おもな著書に《蝦夷(えぞ)今昔物語》(1884),《アイヌ語文典》(1887),《蝦(か)和英三対辞書》(1887),《アイヌ炉辺物語》(1894),《アイヌ語新約聖書》(1897),《アイヌ人及其説話》(1900)などがある。
執筆者:中川 裕
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バチェラー
英国の宣教師。中国を経て1877年来日,以降60余年にわたって北海道でアイヌの救済伝道と研究に献身。〈バチェラー学園〉を設立してアイヌ子弟の教育にも尽力したが,太平洋戦争勃発前夜の1940年,離日せざるを得なくなった。言語・民族学的業績を残し,《アイヌ語文典》《アイヌ語辞典》《アイヌの地名》《アイヌ炉辺物語》や,アイヌ語訳聖書などの著作がある。
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バチェラー Batchelor, John
1854-1944 イギリスの宣教師。
1854年3月20日生まれ。バチェラー八重子の養父。明治10年(1877)聖公会宣教師として来日。函館にすみ,16年からアイヌへの布教をはじめ,教育や医療活動もおこなった。またアイヌの言語や文化を研究し,「アイヌ・英・和辞典」「蝦夷(えぞ)今昔物語」などをあらわした。昭和16年帰国。1944年4月2日死去。90歳。サセックス州出身。
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バチェラー
John Batchelor
1854.3.20~1944.4.2
イギリス国教会宣教会宣教師・神学博士・アイヌ語学者。1877年(明治10)来日し北海道に居住。60余年にわたってアイヌにキリスト教を伝道,また福祉に尽くし「アイヌの父」といわれた。「アイヌ語辞典」をはじめアイヌ民族関係の著書40余冊を出版し,学界に大きな影響を与えた。第2次大戦のため帰国。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
バチェラー
Bacheller, Irving Addison
[生]1859.9.26. ニューヨーク,ピアポント
[没]1950.2.24. ホワイトプレーンズ
アメリカのジャーナリスト,作家。ベストセラー『エベン・ホールデン』 Eben Holden: A Tale of the North Country (1900) など,30冊をこえる作品がある。
バチェラー
Batchelor, John
[生]1854. サセックス
[没]1944
イギリスの宣教師,アイヌ研究家。 1876年来日し,伝道を兼ねながらアイヌ語を研究し,『アイヌ語・英語・日本語辞典』 An Ainu-English-Japanese Dictionary (1889) を著わした。
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世界大百科事典(旧版)内のバチェラーの言及
【学位】より
…つまり学位制度は,ヨーロッパ系と,中国系とに二分される。ヨーロッパ中世の大学では,英語でドクターdoctor,マスターmaster,バチェラーbachelor(今日の学士)という三つの学位が生まれていた。このうち,ドクター(ラテン語doctor)はdoceo(教える)を語源とし,大学の教師資格を証明する称号であった。…
【学士】より
…新制大学発足時は24種,旧制大学時代は12種であった。現在の学士制度は欧米の大学卒業者に与えられるバチェラーbachelorの制度を移入したものである。しかし,日本の大学制度の中に学士制度があらわれたのは1872年(明治5)の︿[学制]﹀の中であり,この時は古代の律令制度にならって,博士︵はかせ︶,得業士と並んで大学卒業生への学位の一つとされた。…
※「バチェラー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」