デジタル大辞泉
「分家」の意味・読み・例文・類語
ぶん‐け【分家】
﹇名﹈(スル)家族の一員が、その所属していた家から分かれて新しく一家を構えること。また、その家。民法旧規定では、本家に従属する関係にあったが、現在は法律的意味はない。別家。﹁土地をもらって分家する﹂⇔本家。
[補説]書名別項。→分家
[類語]別家
ぶんけ︻分家︼﹇書名﹈
911︶3~7月に正編、明治45年︵1912︶3~7月に続編を、いずれも﹁東京日日新聞﹂に連載。九十九里の農村を舞台に、農家の次男の青年が苦難の末、村の中での立場を築き上げる姿を描く。
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ぶん‐け【分家】
(一)〘 名詞 〙
(二)① 家族の一員が、その家を離れて、別に一家をたてること。また、そのたてた家。
(一)[初出の実例]﹁久離とは不二相成一従弟等にても本家より分家を勘当いたすは不レ苦﹂(出典‥地方凡例録︵1794︶七)
(三)② 特に民法旧規定で、家族中のある者が戸籍上、家から分かれて別に一家を設立する法律行為。また、その設立した家。
(一)[初出の実例]﹁家族は戸主の同意あるときは他家を相続し、分家を為し﹂(出典‥民法︵明治三一年︶︵1898︶七四三条)
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分家 (ぶんけ)
一般にある家族に属する家族員が分離して新たな家族を創設する分家行為によって形成された家族をいう。しかしながら日本では家族員の分離のすべてを分家と呼んできたわけではないし,分家行為によらない分家の例もしばしばみられた。分家はまず単なる家族員の分離ではなく,新たな家族の形成が社会的に承認されなければならない。村落社会においてはとくにこれが重要であって,社会的承認を得るための村への挨拶など数々の手続がみられた。また通例,分家とは本家から田畑,屋敷地,家屋など財産の分与を受けた場合をいい,財産分与を受けない場合をとくにドクリツ︵独立︶などと呼んで区別している例がみられる。象徴的にみれば,分家とは本家から土地と火を分けた新しい家である。さらに本家をもたない家や村外から転入して来た家が,村での社会生活の必要上,タノミホンケ,ツクリホンケなどと呼んで契約的に特定の家の分家となる例も東北地方にはしばしばみられる。
日本各地において分家はさまざまな民俗語彙で呼ばれてきた。バッカ,ベッカ,ベッケ,ワカサレ,ヤーワリッカなどは本家から分かれる,出ていくことを強調する語彙であり,シンヤ,シンタク,アラヤ,ニイヤなどは新しい家であることを示す語彙である。またオジイエ,ジナンケは分家者の地位を示しており,カマドは火を分けることが強調されているといえる。このほか奉公人分家はダイドコロベッケ,ケライカマド,ニワカマド,孫分家はマゴベッケ,マタベッケなどと呼ばれている。
日本の分家が地域によってさまざまな名称で呼ばれていることは,日本の分家が多様な形態をもっていることを示すものである。分家の種類はさまざまな角度から分類することができるが,いま分家者に注目すれば,日本の分家の主要な形態として以下のような分家を挙げることができる。第1は最も一般的な次・三男の分家である。長男相続︵長子相続︶がきわめて多い日本の相続制下にあっては,次・三男は結婚してやがて分家すべきものと考えられてきた。第2はこうした次・三男が親︵ふつうは両親︶を連れて,あるいは両親に連れられて分家する隠居分家である。この場合,分家者が親となるか次・三男になるかは重大な問題である。なぜなら,次・三男になれば結果的に一般的な次・三男分家に近くなるが,親が分家者となる場合には本家の超世代的連続性や優越性が失われるからである。隠居分家に類似した分家形態として,後妻の子どもが後妻を連れて分家するものがある。第3は娘が婿養子をとって分家する婿養子分家である。この形態はとくに経営規模の大きな農家や仲継相続に関連して,東北地方の農村にみられた。第4は奉公人分家である。これは奉公人に分与財を与えて分家を創設するものであって,系譜関係すなわち親族関係の設定という点では先に示した分家となんらかわりがないが,本家との関係においてとくに低い地位が与えられる傾向が強かった。
このようにさまざまな形態をとる日本の分家は,分家の社会的地位を視点として二つの類型,すなわち従属的分家と独立的分家を設定することができる。従属的分家は次・三男分家や奉公人分家に典型的にみられる類型であって,分家創設にあたって本家から恩恵的に財産の分与を受け,分家創設後本家に対して従属的地位をもつ分家である。分与財産が少なく本家の援助を抜きにしては生活が成立しない場合や,分家創設後も本家に対してさまざまな労働奉仕を強制される場合などがこれである。従属的分家の本家との関係は本家の差別的価値の優越に伴ってきわめて上下関係が著しく,したがってこのような分家の創設は同族組織に関連していた。これに対して独立的分家は,財産分与を伴わない次・三男の分家や隠居分家にみられる類型であって,本家に対して独立的地位をもつ分家である。本家と分家で対等に財産を分割する相地︵あいじ︶分家もこれに含まれる。この分家の場合は本家との関係は対等もしくは著しくない上下関係であって,同族組織の形成に至るような本分家関係は形成されない。この型の分家にあってはしばしば本家と分家の相互確認すらできない場合がある。これはこの型の分家において本家の価値の独占が阻止されているからである。従属的分家と独立的分家は地域的にもかたよった分布を示している。従属的分家は同族組織の形成の著しかった主として東北日本に,独立的分家は夫婦家族制が顕著な西日本に主として分布している。
日本の家族研究史において,分家は,昭和初期以来重要な研究テーマであった。しかしこれまで主として研究されてきたのは,従属的分家についてであり,西南日本に広く分布している独立的分家の研究は少なく,今後の課題である。
→本家
執筆者‥上野 和男
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分家
ぶんけ
家族員が分離して新たな家族を創設する行為,およびそれによって形成された家族をいう。しかし家族員の分離がすべて分家とはならないし,また分家行為に基づかない分家もみられた。分家は村の承認を得なければ新しい家の成立とみなされず,また転入した家が社会生活の必要上,ほかの家と本家分家関係を結んで成立する分家もあった。分家は地域によって,バッカ,ワカサレ,シンヤ,シンタク,カマドなどと呼ばれる。日本の分家には4つの形態があり,最も多い例は2,3男の分家である。第2は親が2,3男を連れて,あるいは2,3男が親を連れて分家する隠居分家である (→隠居制 ) 。第3は娘が婿養子をとって分家する婿養子分家,第4は奉公人の分家であり,農家のみならず商家にもこの形態はしばしばみられた (→別家 ) 。また分家には本家から相当の財産を分与される場合と,分家者が長年にわたるかせぎに基づいて分家する場合がある。前者は分家後も本家の生活援助が必要であり,本家に対して従属的な分家となり,後者は本家から独立した分家となった。本家分家の上下的な関係を基盤として形成される同族の組織は,従属的な分家の場合が多かった。また本家分家の関係は,永続的なものもあったが,多くは2,3代でその関係も不明確になっていった。
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分家
ぶんけ
家成員が分離して新たな家族を創設した場合,本家からみて,そうした分出行為で成立した家や,その後も本家・分家関係が維持されている場合には,かつて分出した家も分家と称される。各地の分家の形態はきわめて多様である。西日本では分出後数代たつと,本家・分家関係がとくに意識されず,系譜関係が忘却されていく傾向にある。同族結合の強固な東北日本では,系譜関係が超世代的に意識され,分家に対する本家の地位が高く多様な役割もともなう。奉公人分家といった非血縁の家成員の分家も存在し,孫分家も含めた本家・分家のまとまりが同族団を形成し,家屋敷や田畑の家産分与の有無で,従属分家と独立分家を明確に区分したりする。
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世界大百科事典(旧版)内の分家の言及
【家】より
…生活保障のため血縁の擬制,拡大が行われるのである。血縁の拡大は,個々の家内部はもとより,家と家の連合,たとえば本家・分家の同族団の強化にも機能した。草鞋(わらじ)脱ぎ分家,雇人分家などがそうである。…
【おじ・おば(伯父・伯母∥叔父・叔母)】より
…中部地方などでも相続人以外の男子や女子は壮年になっても独立の家の主人・主婦とはなりえず,オジ・オバと呼ばれて終生生家に残留することも見られた。これらの地方では条件が整えば分家して本家との間に本分家の系譜関係にもとづく[同族]を形成し,本家のいわゆる権威的統制の強い生活組織をつくり出す例がしばしば見られたが,これは家族における兄弟姉妹序列の原理が家々の関係へと拡大されたものにほかならなかった。とりわけこのような兄弟間の序列が厳しい社会では,やがて相続人となるべき長子とそのほかの子どもとでは養育の仕方に差があり,長子は将来の家の相続者として,自他ともにその意識をもち家族内の位置にもそれにふさわしいものがあった。…
【親分・子分】より
…生みのオヤが有力な家の家長やその妻やアトトリにオヤとなってもらって,無力な家に生まれた子がそのコ(子分)となる社会的事実は,ムラやマチの慣習や儀礼におけるオヤコナリ([親子成り])の仕方に見いだされた。家の内では家長と家の成員の関係としてのオヤコに,子方・子分・子供衆(商家の住込み子飼いの丁稚︵でつち︶)もまた子と同様にコとして含まれる点に注目すべきで,家の拡大展開による[本家]・[分家](親族分家と非親族分家=奉公人分家,別家ともいう)の関係においてもこの原則はあった。本家・分家間の[同族]の関係は,明治の民法以来,法律上本家・分家とされたものとは違って,親子や養親・養子,また嫁・婿の範囲に限定されず,同族関係とオヤコ関係(親分・子分関係)が合致していたのが原型であり,のちに両者が分化された。…
【家族主義】より
…非血縁者を親族として養取することが多かっただけでなく,この種の雇人としての養取も,家の傍系(非嫡系)成員の一種とされた。彼ら住込み奉公人が主家で成人し,生家からではなく主家から分家(奉公人分家)させてもらって,傍系の親族成員(家族員)だった者の分家(親族分家)とともに,主家だった本家の分家として同族を構成した。住込み奉公人は住込み奉公中に能力により淘汰選抜されたから,奉公人分家を同族に含むことは,中国の[宗族]とは違って,実力主義の能力ある非血縁分家の起用を可能とした。…
【近世社会】より
…領主層の知行は,将軍代替りごとに渡される知行状によって,はじめて安泰が確かめられることになった。この性質は,大名領における万石以上の分家が,大坂の陣までその代の当主が武勲を立てた外様の大名にあっては幕府の特別の許可によって認められ,あるいは知行状を外れた新田のみに認められる,ということともかかわるものといえる。大名分家の幾つかは,主藩の後嗣に立つことによって廃止されているが,これも大名所領が私領としての性質を失ったことからくるものであろう。…
【祖先崇拝】より
…非血縁者であってもその社会で認められた方法で養子となれば,養取者との間に正規の親子関係を成立させたことになり,養取者を通して養取者の〈先祖〉と〈先祖〉―〈子孫〉関係をもつことができる。非血縁者を分家とした場合も同様に,この擬制的親子関係を通じて,分家は集団の〈先祖〉の〈子孫〉となるのである。いずれの場合にせよ,父系(的)社会における〈先祖〉と〈子孫〉の原型的関係は父と子の関係である。…
【同族】より
…本家とその親族分家や奉公人分家,また直接分家だけでなく間接分家(分家の分家,すなわち孫分家とか又分家と呼ばれた家)をも含む組織集団。農山漁村社会でマキ,マケ,マツイ,カブウチ,イッケ,クルワなどとも呼ばれ,商人社会ではノーレンウチなどとも呼ばれた。…
【分知】より
…所領の一部を親族に分与することを指し,分地とも書く。ことに,江戸時代の武士は上級領主(将軍または大名)より所領を宛行(あてが)われたが,500石位以上の所領を有する武士は家名永続のため分家を創出するのが一般的であった。その際自己の所領の一部を分与し,独立した武士として幕府や藩に仕えさせるが,この分家を分知配当による分家という。…
【村入り】より
…他所から移住してきた家や村内で新たに分家した家がムラ(村)の成員となるために行う儀礼や手続。またムラにすでに存在する家へ婿養子に来たり,嫁入りしてきた者がムラの成員となる披露の儀礼もいう。…
※「分家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」