吉備真備(読み)キビノマキビ

デジタル大辞泉 「吉備真備」の意味・読み・例文・類語

きび‐の‐まきび【吉備真備】

 
695775()()()()()()()  

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精選版 日本国語大辞典 「吉備真備」の意味・読み・例文・類語

きび‐の‐まきび【吉備真備】

 

(一)使()()
 

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改訂新版 世界大百科事典 「吉備真備」の意味・わかりやすい解説

吉備真備 (きびのまきび)
生没年:695-775(持統9-宝亀6)


716222735713011212101使2010737738737738740743746747749

 7502147547593751使756763764709退7662770177510281
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百科事典マイペディア 「吉備真備」の意味・わかりやすい解説

吉備真備【きびのまきび】

 
71719()()()使
 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「吉備真備」の意味・わかりやすい解説

吉備真備
きびのまきび
(695―775)


()()7162()7357130()()()()()()7402746()7513使754()7648()()7662()()()()6102



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山川 日本史小辞典 改訂新版 「吉備真備」の解説

吉備真備
きびのまきび


693/695775.10.2

()()746(18)717()使734(6)()()()740()()()()751(3)使()()()()()()()()

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「吉備真備」の意味・わかりやすい解説

吉備真備
きびのまきび

 
[]7/9(693/695)
[]6(775).10.2.
2 (716)  () 7 (735) 9122 (750) 3使68 (764)  ( ) 2 (766) 3 (769) 2 (771)   

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉備真備」の解説

吉備真備 きびの-まきび

695-775 奈良時代の学者,公卿(くぎょう)。
持統天皇9年生まれ。吉備の豪族下道圀勝(しもつみちの-くにかつ)の子。遣唐留学生として17年間儒学,兵学などをまなぶ。帰国後,僧玄昉(げんぼう)とともに,左大臣橘諸兄(たちばなの-もろえ)を補佐。吉備朝臣の氏姓をさずかるが,藤原仲麻呂に左遷される。のち仲麻呂の乱鎮定に功をたて,大納言をへて正二位,右大臣。吉備大臣と称される。「刪定(さんてい)律令」を編集。宝亀(ほうき)6年10月2日死去。81歳。
【格言など】力任(た)えずして強(し)うる者は廃し,心逮(およ)ばずして極むる者は必ず惛(くら)し(「乞骸骨表」)

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旺文社日本史事典 三訂版 「吉備真備」の解説

吉備真備
きびのまきび

693〜775
奈良時代の官人・学者
吉備地方(岡山県)の豪族下道氏の出身。のち吉備に改氏。717年僧玄昉 (げんぼう) らとともに留学生として入唐,735年帰国。儒学・天文・兵学などに通じ,玄昉とともに橘諸兄 (たちばなのもろえ) のもとで重用された。しかし藤原仲麻呂政権下で左遷された。752年遣唐副使として再度入唐し,帰国後,大宰大弐 (だざいのだいに) となり怡土城 (いとじよう) を築いた。仲麻呂の追討に活躍し,称徳天皇の信任を得て正二位右大臣にのぼった。天皇の死後,後継者の擁立に失敗し,光仁天皇の即位後辞官。著書に『私教類聚 (しきようるいじゆう) 』。

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世界大百科事典(旧版)内の吉備真備の言及

【怡土城】より

…奈良時代に現福岡県糸島郡前原町の高祖山に築かれた山城。唐の安禄山の乱が伝えられ,新羅の征討が計画される緊迫した状況の中で756年(天平勝宝8)に兵法家としても知られる大宰大弐吉備真備(きびのまきび)を専当として起工された。763年(天平宝字7)にほぼ成り,765年(天平神護1)には大弐佐伯今毛人(さえきのいまえみし)を築怡土城専知官とし,768年(神護景雲2)に完成した。…

【雅楽】より

…いずれも理論書というよりは当家の伝承を書きとどめたもので,系譜,奏演記録,故事来歴などをおもな内容としている。中国の楽書で記録上はじめて日本へもたらされたのは,735年(天平7)4月,入唐留学生吉備真備が聖武天皇に献じた《楽書要録》である。則天武后の撰とされ,もと10巻あったが,大部分が散佚した。…

【吉備大臣入唐絵詞】より

…奈良時代の学者官僚吉備真備(きびのまきび)が遣唐使として入唐したときの不思議な説話を1巻(現在は4巻に分離)6段に描いた絵巻。制作は12世紀末から13世紀初と考えられる。…

【五十音図】より

…しかし,この伝統的な五十音図の拡充という方法によって,日本語の音節表が作成されることが多いのは,その組織が,字の発音の共通性に従って,縦横に整備しているからで,古来,語源,語釈,てにをは,仮名遣い,活用など国語の研究において尊重された歴史的事実と照応するが,さらにこの図の発生,伝承,実用の沿革が有用性をよく物語る。現存最古の図は醍醐寺蔵の《孔雀経音義(くじやくきようおんぎ)》に見えるもので11世紀初めのものであるが,その起源について悉曇(しつたん)から出たという説(大矢透),国語のために作られたのではなく,外国語学ことに漢字音の反切(はんせつ)のために作られたとする説(橋本進吉),儒家に端を発し,反音を簡明に示すために仮名を用いた図が,日本の語音の組織を明らかにするに足るものに発展したとする説(山田孝雄),悉曇反音を理解しやすくするために悉曇章のひな形を示すものとして作ったとする説(小西甚一)などがあるが,発生の契機や,その後の整備の目的とか暗示,また実用例の多様性を考えると,作者を吉備真備(きびのまきび)個人に帰する伝説が疑わしいことは当然にしても,現存の資料だけからは,決定的な断案が下されない。とにかく,古い図では,行・段の順がまちまちであり,悉曇の母音,子音の順に暗示を得た整理の事実は判然としているが,根底に漢字音や国語の音についての省察が存したことも疑うことができない。…

【暦】より


6

【删定律令】より

…〈さんていりつりょう〉とも読む。24条よりなり,769年(神護景雲3)吉備真備,大和(倭)長岡らが撰し,791年(延暦10)施行され,812年(弘仁3)停止された。日本における体系的な律令法典の編纂は大宝律令につぐ養老律令で終わり,その後の律令法の部分的改正は法典そのものを改めることなく,詔,勅などで公布される単行法令すなわち格(きやく)によって行われたが,この删定律令は24条という限られた条文についてではあるが,養老律令の条文そのものを修訂したものと推定される。…

【私教類聚】より

吉備真備(きびのまきび)の著書。逸書であるが,目録38ヵ条が《拾芥抄》に引用されて残っている。…

【致仕】より


764(8)70771(2)7077412

【藤原広嗣の乱】より

…唯一の史料である《続日本紀》の記載の整理結果によると,次のような経過をたどったと考えられる。玄昉(げんぼう),吉備真備(きびのまきび)と対立し,藤原氏内部でも孤立していた藤原広嗣は,738年末,大養徳守(やまとのかみ)から大宰少弐にうつされた。彼は740年8月下旬に玄昉と吉備真備を除くことを要求する上表文を提出し,中央政府の返事を待たずに8月末ごろ挙兵にふみ切った。…

【兵法】より


 ()

【律管】より


便360

【留学】より


701(1)使717(1)使

※「吉備真備」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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