阿倍仲麻呂(読み)アベノナカマロ

デジタル大辞泉 「阿倍仲麻呂」の意味・読み・例文・類語

あべ‐の‐なかまろ【阿倍仲麻呂】

 
698770()()  

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精選版 日本国語大辞典 「阿倍仲麻呂」の意味・読み・例文・類語

あべ‐の‐なかまろ【阿倍仲麻呂】

 

(一)()()
 

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「阿倍仲麻呂」の意味・わかりやすい解説

阿倍仲麻呂
あべのなかまろ

 
[]1(701)
[]5(770).1. 
1 (717) 使使使 () 5 (753) 使1115 ()  () 6 (734) 1054  10 (779) 5 100綿 3003 (836) 81  

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改訂新版 世界大百科事典 「阿倍仲麻呂」の意味・わかりやすい解説

阿倍仲麻呂 (あべのなかまろ)
生没年:698-770(文武2-宝亀1)


716219使733使752使使73︿752

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「阿倍仲麻呂」の意味・わかりやすい解説

阿倍仲麻呂
あべのなかまろ
(698―770)


()()()71627()7171使()736810()()()()()()()7535使()()()760762()()()770173()()()()2()1()()



1940

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百科事典マイペディア 「阿倍仲麻呂」の意味・わかりやすい解説

阿倍仲麻呂【あべのなかまろ】

 
7167522004西
 

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「阿倍仲麻呂」の解説

阿倍仲麻呂 あべの-なかまろ

698/701-770 奈良時代の遣唐留学生,唐(とう)(中国)の官吏。
文武天皇2/大宝(たいほう)元年生まれ。養老元年吉備真備(きびの-まきび),僧玄昉(げんぼう)とともに唐にわたる。科挙に合格し,玄宗皇帝につかえ,左補闕(さほけつ),秘書監,安南都護などを歴任。その間李白(りはく),王維らの文人とも交遊。遣唐使藤原清河(きよかわ)らと鑑真に来日を要請,みずからも帰国しようとしたが失敗,日本にはついにもどれなかった。神護景雲(じんごけいうん)4年1月死去。70/73歳。唐名は仲満,朝衡。
【格言など】天の原振りさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも(「小倉百人一首」)

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「阿倍仲麻呂」の解説

阿倍仲麻呂
あべのなかまろ


698?770?

()717()()()()()()()753()使()()()

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旺文社日本史事典 三訂版 「阿倍仲麻呂」の解説

阿倍仲麻呂
あべのなかまろ

698〜770
奈良時代の遣唐留学生。唐の官吏
717年吉備真備 (きびのまきび) ・玄昉 (げんぼう) らとともに入唐。玄宗に仕え,李白 (りはく) ・王維 (おうい) らの文人と交際。753年帰国の途中難破し,唐にもどり再び唐朝に仕え,その地で没した。『古今和歌集』の「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」という故国をしのんだ歌は有名。

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世界大百科事典(旧版)内の阿倍仲麻呂の言及

【吉備大臣入唐絵詞】より


1

【留学】より


701(1)使717(1)使

※「阿倍仲麻呂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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