和泉国(読み)イズミノクニ

デジタル大辞泉 「和泉国」の意味・読み・例文・類語

いずみ‐の‐くに〔いづみ‐〕【和泉国】

和泉

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日本歴史地名大系 「和泉国」の解説

和泉国
いずみのくに

古代

〔国の成立〕

西()()()西
〔古墳時代〕

()()()()()()()()()()()()西()()西使沿

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改訂新版 世界大百科事典 「和泉国」の意味・わかりやすい解説

和泉国 (いずみのくに)


西

716237401275711010468

 4556使

 62242810殿7389101045


1203350716使482491792

 ︿133213613692427844918212

 貿

 99610121140758121400

 14205719735

 寿1419730貿︿西西6971西退貿貿

 9329715001500804111192773︿32175496811

 27018614157577西316000


160051588946000195231604381511018194017618714

 1606131604-092900149699813500172712187118683430232841648652728575941041137168128

 16043189103156108綿16261718調276252綿200

 綿綿綿綿綿綿178661020191752274382綿

 18681697147681

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「和泉国」の意味・わかりやすい解説

和泉国
いずみのくに

五畿内(きない)の一国。現在の大阪府の南部にあたる旧国名。略称泉州(せんしゅう)。北は摂津国、東は河内(かわち)国、南は紀伊国に接し、西は大阪湾に面す。古くは茅渟(ちぬ)とよばれ、河内国造(くにのみやつこ)の管下にあったが、大化改新後も河内国に属して、大鳥、和泉、日根(ひね)の3郡が置かれた。和泉郡が泉郡と南郡に分かれ、和泉四郡と称せられたのは中世以降である。716年(霊亀2)珍努宮(ちぬのみや)造営の経費にあてるため、前記の3郡を河内国から分割して和泉監(いずみのげん)とし、740年(天平12)ふたたび河内国に復したが、757年(天平宝字1)に至り、和泉監の旧管内を独立させて和泉国を設置した。『和名抄(わみょうしょう)』には、大鳥郡、和泉郡に各10郷、日根郡に4郷の名がみえ、田は4569町とある。『新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』に名を連ねる氏族は約130。平安時代から鎌倉時代にかけて、八条院領、後高倉院(ごたかくらいん)領、最勝光院(さいしょうこういん)領、九条家領、春日社(かすがしゃ)領、松尾寺(まつのおでら)領、高野山(こうやさん)領、施福寺(せふくじ)領、臨川寺(りんせんじ)領などの荘園(しょうえん)が多数分立、また熊野参詣(さんけい)の流行に伴い、街道沿いの18の王子社を中心に交通が発達し、小津(おづ)、神前(こうざき)、日根の良港もできた。南北朝時代には戦乱の舞台となり、南朝は楠木(くすのき)氏、北朝は細川氏を和泉守護に任じ、和田氏、橋本氏、松尾寺、久米田寺(くめだでら)は南軍に、田代氏、日根野氏は北軍に属して抗争した。この間、堺(さかい)は北朝の守護山名氏清(やまなうじきよ)の本拠となったが、1392年(元中9・明徳3)大内義弘(よしひろ)は氏清を滅ぼして占拠し、対明(みん)貿易を始めて利を収めた。義弘は応永の乱を起こして討伐された(1399)が、堺は遣明船の発着地、南蛮貿易の中継地となり、町衆文化が栄え、会合衆(えごうしゅう)が町政を握る自治都市として、海外にも知られた。下って1570年(元亀1)石山合戦が起こると、和泉の門徒らは本願寺を支援して織田信長と戦い、1585年(天正13)豊臣(とよとみ)秀吉の根来(ねごろ)征討の際も、国中はふたたび戦場になった。江戸時代には幕府直轄地のほか岸和田藩(小出、松平、岡部氏)、伯太(はかた)藩(渡辺氏)が置かれた。明治維新に至り1868年(明治1)堺県、1871年廃藩置県により吉見県、岸和田県、伯太県が設けられ、同年合併して堺県。1881年大阪府に合併した。現在は、堺、岸和田、泉大津、貝塚、泉佐野、和泉、高石、泉南の各市、泉北、泉南の両郡に分かれる。

 平安中期ごろまでは須恵器(すえき)の大生産地であり、また近木櫛(こぎぐし)や和泉酢(す)は全国的な名産として知られ、江戸時代まで引き継がれた。中世には堺の鉄砲が名高く、近世には商業的農業が発達し、和泉木綿など家内手工業が展開した。中世には早くも出版文化(堺版)がおこり、茶の湯が流行、近世には大坂の影響から、各分野にわたり多数の人材が輩出して、地方文化が興隆した。

[藤本 篤]

『『堺市史』正続(1929~1931、1971~1976・堺市)』『『和泉市史』全2巻(1965、1968・和泉市)』


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「和泉国」の意味・わかりやすい解説

和泉国
いずみのくに

 
 () 2 (716)  () 3 ()  12 (740) 1 (757)  () 324 4569 (1221) 4 (1871) 711 1881  

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藩名・旧国名がわかる事典 「和泉国」の解説

いずみのくに【和泉国】

 
西()()5()()()()()()()()()貿21868118714188114()  

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百科事典マイペディア 「和泉国」の意味・わかりやすい解説

和泉国【いずみのくに】

旧国名。泉州とも。畿内に属し,現在大阪府南西部。温暖のため古くから離宮があり,716年河内(かわち)国から分離して和泉監(げん)を置いたが,740年廃止によって河内国に併合,757年和泉国として独立。《延喜式》に下国,3郡。中世にかけて皇室・貴族・社寺領多く,山名・大内・細川氏らの支配を経て,近世はを幕府直轄領とした。→岸和田藩
→関連項目大阪[府]近畿地方茅渟

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「和泉国」の解説

和泉国
いずみのくに

畿内の国。現在の大阪府南西部。「延喜式」の等級は下国。もと河内国で,716年(霊亀2)大鳥・和泉・日根の3郡が割かれて和泉監(いずみのげん)が設置された。和泉監は740年(天平12)に廃されて再び河内国に編入され,757年(天平宝字元)あらためて和泉国が分立した。郡の編成は上記3郡で,13世紀までに和泉郡から南郡が成立。国府は和泉郡(現,和泉市)におかれ,国分寺は839年(承和6)安楽寺(現,和泉市)が指定された。一宮は大鳥神社(現,堺市)。「和名抄」所載田数は4569町余。「和名抄」には調として銭のほか陶器・土器を定める。百舌鳥(もず)古墳群・陶邑(すえむら)古窯跡群などの遺跡や中世都市として著名な堺がある。守護は鎌倉時代には三浦氏・北条氏,南北朝期以降は楠木・細川・山名・大内氏らが任じられ,戦国期には畠山氏・三好氏や根来(ねごろ)寺などの勢力が及んだ。近世には堺は幕領で,また陶器(とうき)・岸和田・伯太(はかた)諸藩が成立。1868年(明治元)藩領以外は堺県となり,71年廃藩置県により旧藩領も堺県に統合,81年大阪府に合併。

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