デジタル大辞泉
「国人」の意味・読み・例文・類語
くに‐うど︻国▽人︼
1 その国の人。その土地に住む人。
﹁つねに―寄り合ひて狩なんどして﹂︿平治・下﹀
2 ﹁在(ざい)国(こく)衆(しゅう)﹂に同じ。
﹁野心の―ら、忽ちに翻って味方を射る間﹂︿太平記・一四﹀
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こく‐じん【国人】
(一)〘 名詞 〙
(二)① 国衙の官人。留守所の官人。在庁官人。︹中右記‐元永二年︵1119︶七月三日︺
(三)② 在地の武士。その国に居住している武力を有する者。
(一)[初出の実例]﹁為二武士并国人等一、恣致二自由之濫行一﹂(出典‥島津家文書‐文治二年︵1186︶四月三日・源頼朝下文)
(四)③ 南北朝、室町時代、在地領主の呼称。地域的に結集して党を構成することもあった。
(一)[初出の実例]﹁当国の木津細懸の城に楯籠て、討手の下向を相待べしと評定し給しかども、国人一人も出合ず﹂(出典‥明徳記︵1392‐93頃か︶下)
(五)④ 一国の人民。その国の人。国民。
(一)[初出の実例]﹁従レ此已後、国人怕罪、不三敢侵二用寺家之物一也﹂(出典‥家伝︵760頃︶下)
(二)[その他の文献]︹書経‐君奭︺
くに‐うど︻国人︼
(一)〘 名詞 〙 ( ﹁くにびと﹂の変化した語。﹁くにゅうど﹂とも )
(二)① その国の人。その地方の住人。特に、地方武士。
(一)[初出の実例]﹁足利殿著御篠村則国人(クニウド)馳参事﹂(出典‥太平記︵14C後︶九)
(三)② 室町時代、京都に参勤しないで、常に領国にいる在地領主。在国衆(ざいこくしゅう)。
(一)[初出の実例]﹁野心の国人等、忽に翻て御方を射る間﹂(出典‥太平記︵14C後︶一四)
(二)[その他の文献]︹随筆・貞丈雑記︵1784頃︶︺
くに‐びと︻国人︼
(一)〘 名詞 〙 ( 古くは﹁くにひと﹂ )
(二)① その地方の人。土着の人。在地の人。
(一)[初出の実例]﹁土俗(クニヒト)、此の神の魂(みたま)を祭(まつ)るには﹂(出典‥日本書紀︵720︶神代上︵兼方本訓︶)
(三)② 国民。人民。くにたみ。
(一)[初出の実例]﹁とみゆかの枝まさり行く君が代にあへる国人たのもしきかな﹂(出典‥類従本兼盛集︵990頃︶)
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普及版 字通
「国人」の読み・字形・画数・意味
【国人】こくじん
国中の人。︹左伝、成十三年︺六
丁卯、夜、
の
子班、
(し)︵地名︶より、大宮に入らんことを求むるも能はず。~反りて市に軍す。己巳、子駟(しし)、國人を帥(ひき)ゐて大宮に
(ちか)ひ、
に從ひて盡(ことごと)く之れを焚(や)き、子如︵子班︶~を
す。
字通﹁国﹂の項目を見る。
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国人
こくにん
国衆 (くにしゅう) ,国民 (こくみん) ともいわれる。南北朝~戦国時代を通じての地方の荘官,地頭,名主など在地領主,在地土豪,地侍などをいう。もと国衙支配下の人の意であったが,鎌倉時代末期以降,自立して荘園制の枠をこえて1郡,1国の規模の行動範囲をもち,それだけの力を結集でき,しかもそれによって守護大名らと対抗できる存在となった。室町時代には各地で領主化しようとして,あるいは守護の被官となり,あるいはこれと対抗する集団の主導力となった。そして下剋上の過程において戦国大名となったり,またその家臣団に組入れられたりした。安土桃山時代には,兵農分離の進展に伴い,城下町に結集されるにいたった。 (→国一揆 )
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国人
こくじん
国衆(くにしゅう)・国民とも。中世後期,在地に経営基盤をもち,村落を支配した領主。地侍・土豪層と異なり,鎌倉時代の地頭領主クラスの系譜をもち,村落共同体の規制をあまりうけない。この言葉は鎌倉時代から用いられるが,14世紀中期から独自の社会勢力となる。本拠地付近に一円的に所領を集中させ,荘園代官職などの請負や検地も行った。流通経済の発展とともに,交通・流通の要衝近くに居館をおき,六斎市など地域の定期市を掌握し,一部の手工業者を直接支配した。国人領主間の地縁的結合である国人一揆を結び,多数決制を導入し,上級領主への抵抗や人返(ひとがえし)など個別支配の強化に役立てた。戦国期には独自の家臣団を編成し,一部は戦国大名となった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
国人
こくじん
国衆 (くにしゆう) ともいう。初めは国衙 (こくが) 領内の有力名主層をさし,鎌倉中期以後は地頭・荘官あるいは有力名主をさす。室町時代には守護大名の被官となり,また守護を排斥する国一揆の中心ともなったり,戦国大名化する者も現れた。多くは戦国大名の家臣団に編入された。
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世界大百科事典(旧版)内の国人の言及
【在国衆】より
…《貞丈雑記》には〈在国衆と云は京都へ参勤する事なく常に国居住する大名の事也〉と解説している。《文安年中御番帳》には奉公衆(番方)のうちに在国衆を載せ,《永享年中御番帳》には文明12‐13年(1480‐81)ころの在国衆として斯波義良,畠山義統,京極政経の名をあげており,また《永禄六年諸役人付》には〈外様衆,大名在国衆(号国人)〉の交名(きようみよう)がみえるので,守護や奉公衆などのしかるべき武士のうちで在国することを認められた者が在国衆であり,国人ともよばれるようになったことがわかる。なお《鎌倉大草紙》には〈鎌倉在国衆〉の呼称がみえ,在京する守護に対して領国に居住する武士を〈在国之衆〉とよんだ例もあるが,これらは室町幕府制度の在国衆とは一応区別すべきであろう。…
【国衆】より
…一般的には南北朝・室町期の在地領主を指し,国人(こくじん)とも呼ばれた。鎌倉時代の在地領主の典型は地頭であるが,その地頭は幕府から地頭職という形で所領の充行(あておこない),安堵(あんど)を受け,血縁的結合を原理とする[惣領制]によってその所領を支配していた。…
【検断(撿断)】より
…地頭は鎌倉期を通じて,職をこえた在地領主として所領の一円支配を進めるから,現実には,一般住民に対しては強力な検断権を行使したであろう。 南北朝期以降,地頭を含めて在地領主としての国人層が成長するが,彼らは戦国期には所領の全面的な支配者となるから,強力な検断権を有する。ときに国人は連合して一揆を形成するが,1384年(元中1∥至徳1)の松浦党一揆のように,一揆として刑事裁判権を行使することを約諾する例がある。…
【国衙領】より
…また各郡郷の公田のうちの良田を割いて,国司らの直営田である〈[佃](つくだ)〉が分散設置され,公領支配の中核的役割をはたした。国内各地には〈国人〉とか〈国の内の然るべき者〉と呼ばれた有勢な在地勢力がおり,彼らは〈大名田堵〉としてめでたい〈仮名(けみよう)〉を名のり,公田を大規模に請作したが,彼らとのかかわりは国司支配の成否を左右する重大事であった。国司はこのような有力者に対して,個別に〈国宣〉を発してその掌握につとめたが,彼らはしばしば国務を妨げ,国司の苛政を上訴し,あるいは公田を蚕食して荘園を乱立させる主体となった。…
【中世社会】より
…また,病や罪,死や血に触れるなど,さまざまな理由による穢︵けがれ︶のために,平民の共同体から排除・差別された[非人]・[河原者]︵かわらもの︶の場合にも,清目︵きよめ︶をその職能とする寄人・神人の集団があり,やはり公的に職人と認められていた。さらに異国人([唐人])の商工民についてもまったく同様であった。 一方,鎌倉時代以後は領主として支配者の立場に立った西国の御家人,非御家人など,のちに国人︵こくじん︶といわれた人々の場合も,御家人交名によってその地位を確定され,荘園・公領に給免田を保証されて下司,[公文]︵くもん︶,田所︵たどころ︶などの特定の職掌をもつ[荘官]となっている点で,職人に近似しており,︿職人﹀の言葉も本来はこの人々をさす語であった。…
【東国】より
…東国においては郡司の地位を世襲する豪族的な大領主が,[惣領制]的な一族関係,主従関係を支えとしつつ,郡内の諸郷を一族・家臣に分与し,惣領を中心とする大武士団が広くみられる。これに対し,西国では郷司,下司,公文,名主などの中小規模の領主たちが,国人(こくじん)として傍輩(ほうばい)の関係を結び,横に連帯した結合をする傾向が強い。鎌倉時代の領主たちの中では,全体として女性に大きな権利が認められ,姻戚が重んぜられるが,東国では家長,惣領が大きな力をもつのに対し,西国のほうが女系,姻戚を重視する傾向が強く,西国に広くみられる一時的訪婚(婿入婚)に対し,東国では早くから嫁入婚であったという説も提出されている。…
※「国人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」