デジタル大辞泉
「国後島」の意味・読み・例文・類語
くなしり‐とう〔‐タウ〕【国後島】
中心集落は泊(とまり)。第二次大戦後はソ連、のちにロシア連邦の統治下。面積1500平方キロメートル。
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くなしり‐とう‥タウ【国後島】
(一)北海道、千島列島最西端の島。現在はロシア連邦の統治下にある。根室海峡をへだてて、北海道本島と相対する。漁業、林業、キツネの飼育などが行なわれる。クナシルとう。
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国後島
くなしりとう
千島列島最南端の島で、西方は根室海峡を隔てて北海道に、北東方は国後水道を隔てて択(えと)捉(ろふ)島に隣り合っている。南西から北東への長さ一二二キロ、最大幅は三〇キロ、最狭部は六キロの細長い島で、面積は約一五〇〇平方キロの千島列島中三番目の大島である。この島には標高一八二二メートルの爺(ちや)々(ちや)岳のほか、ルルイ岳・羅(らう)臼(す)岳などの特徴的な火山があり全体がほぼ山地で、平地は南部の泊(とまり)や古(ふる)釜(かま)布(つぷ)周辺にみられるだけである。一般に北西岸は断崖が多く停泊地に乏しいが、南東岸の地形は傾斜が緩やかで沿岸も概して屈曲に富み、泊・東(とう)沸(ふつ)・古釜布・植(うえ)内(んない)・乳(ちの)呑(みの)路(ち)・白(しら)糠(ぬか)泊(とまり)などの良湾があり、西岸に良湾の多い択捉島とは対蹠的である。とくに南端に位置する泊港は幅わずか一六キロの野(のつ)付(け)水道を隔てて北海道の野付半島に向い合っているので、近世には幕府の千島経営の拠点となり、その他の港湾も好漁場を目前に控えた漁港として賑わっていた。
わが国の地図に﹁クナシリ﹂島が初見するのは、松前藩が幕府の命で一六四四年︵正保元年︶に提出した国絵図を利用した北条氏長作製の正保日本総図である。
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国後島
くなしりとう
北海道東部、知床(しれとこ)半島の東にある島。北東―南西に長く、長さ122キロメートル、幅6~30キロメートル。面積1498.56平方キロメートル。北東は国後水道を隔てて択捉(えとろふ)島に連なり、南西は根室(ねむろ)海峡︵野付(のつけ)水道︶を隔てて北海道に臨む。海峡最狭部は野付崎―国後島ケラムイ崎間の18キロメートル。南東には根室半島から延びる歯舞(はぼまい)群島が国後島に平行して位置する。千島火山帯に属する火山島で、北部に二重式火山の爺爺(ちゃちゃ)岳︵1822メートル︶、ルルイ岳︵1486メートル︶、中部に羅臼(らうす)山︵888メートル︶、南部に泊(とまり)山︵542メートル︶などの火山がある。島の中部はニキショロ湖と古釜布(ふるかまっぷ)沼が横に並んだ地峡部で、その南東岸に古釜布の集落があり、錨地(びょうち)をなしている。ほかに、北東海岸に臨む留夜別(るよべつ)、南端近くに泊(とまり)などの集落がある。海岸線の出入りは少なく、太平洋側の集落付近を除き大部分は高い海食崖(がい)となっている。
1754年︵宝暦4︶に﹁場所﹂︵交易場所︶が設けられた。1789年︵寛政1︶国後・目梨の戦い(くなしりめなしのたたかい)、1798年︵寛政10︶近藤重蔵(じゅうぞう)の踏査があり、1811年︵文化8︶には泊に上陸したロシア人航海家ゴロウニンを南部藩士が捕らえた事件があった。1880年︵明治13︶には泊に国後郡役所が置かれた。第二次世界大戦前、近海ではコンブ、サケ、マス、カニなどの漁獲が多く、缶詰製造、サケ・マス孵化(ふか)事業が行われたほか、ウマの牧場経営、硫黄(いおう)採鉱、木材伐採などが営まれていた。戦前の人口は7370︵1945︶。
行政上は根室振興局管内の国後郡泊村と留夜別村の2村が設けられているが、戦後はソ連、ソ連解体後はロシア連邦の施政下にあってサハリン州の所属となっており、中心地はユージノ・クリリスクЮжно‐Курильск/Yuzhno-Kuril'sk︵古釜布︶。ロシア名はクナシル島остров Кунашир/ostrov Kunashir。
﹇渡辺一夫﹈
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国後島【くなしりとう】
千島列島南西端の島。面積1489km2。北海道との間に根室海峡,択捉(えとろふ)島との間に国後水道がある。千島火山列に属し,活火山,温泉があり,最高点は爺爺(ちゃちゃ)岳︵1822m︶。東岸の港町ユジノ・クリリスク︵日本名古釜布(ふるかまっぷ)︶などに缶詰工場がある。日本領であったが,第2次大戦後ソ連が占領,現在,その領有をめぐって係争中。
→関連項目ゴロブニン|高田屋嘉兵衛|千島列島|根室海峡|松浦武四郎
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国後島 (くなしりとう)
北海道の東方,千島列島南西端にある島。面積約1500km2。南西から北東方向に長い軸をもった細長い島で,長さ約120km,幅7~29kmである。島の北東部には秀麗な二重式円錐火山爺爺︵ちやちや︶岳︵1822m︶,北端にはルルイ岳︵1486m︶などの火山がある。南端部の泊湾から根室湾に至る海域は,水深20mの浅瀬が広く分布し,ホタテガイやフジコ︵ナマコ︶の絶好の生息地で,第2次大戦前まではこれらの水産物が島の経済を支えていた。また,タラバガニの缶詰工場もあって,毎年多くの出稼者が東北地方からも入ってにぎわったという。第2次大戦終了までは日本領であったが,戦後ソ連が占領し,現在その帰属をめぐってロシアと係争中である。
→千島列島
執筆者‥奥平 忠志
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国後島
くなしりとう
北海道北東沖,千島列島にあり,北緯 44°,東経 146°付近に位置する島。北の安渡移矢 (あといや) 岬から南のケラムイ崎まで全長 120km,幅10~25km前後,面積 1500.04km2。新旧の火山が多く千島火山帯の一部をなす。最高点の爺爺 (ちゃちゃ) 岳 (1822m) は 1973年7月14日に噴火,7月22日には根室地域にも降灰をみた。先住民の遺跡が各所にある。近海の水産物はサケ,マス,カニ,ホタテガイ,ホッキガイ,コンブなどで,この島と色丹 (しこたん) 島間は好漁場。山地にはエゾマツ,トドマツなどの森林が繁茂。千島列島中では産業面で最も豊かな島である。 1945年ソ連 (現ロシア連邦) が占領。北方領土に含まれる。
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国後島
くなしりとう
千島列島最南端にある島で,根室海峡15kmをへて北海道本島に至る。地名はアイヌ語キナ・シリ(草の島)による。島は北東から南西に展開し,面積1499km2で,主峰爺爺(ちゃちゃ)岳(1822m)やルルイ岳をもつ火山島。北西岸は急峻な地形が多く,オホーツク海に面することから冬季には流氷におおわれる。泊(とまり)・古釜布(ふるかまっぷ)・植内(うえない)・乳呑路(ちのみじ)の主要な集落は南東岸の平原や砂浜に立地した。1785年(天明5)最上徳内らの千島探検の基地。第2次大戦後はロシア(旧ソ連)の施政下にある。
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国後島
くなしりとう
千島列島の最西端にある島
1786年には最上徳内らの千島探検の根拠地となった。1811年同島に来航したロシア人ゴローウニンの逮捕を契機として日露両国の係争地となったが,日露和親条約で日本領として承認された。第二次世界大戦後,ソ連に占領され,ソ連邦崩壊後はロシア連邦に返還を要求している。
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国後(くなしり)島
北海道東部、納沙布岬の北北東約37kmに位置する島。第二次世界大戦後、ソ連(現ロシア連邦)が占領。
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世界大百科事典(旧版)内の国後島の言及
【国後・目梨の戦】より
…そのため飛驒屋は,幕府の直営が中止されるや,損失分をとりもどすべく3商場の経営を交易から漁場経営へと転換するとともに,商場内のアイヌを徹底的に酷使し,松前藩士もこの状態を黙視していた。 こうしたなかでアイヌ民族の不満はついに爆発し,89年(寛政元)5月,国後島のアイヌがいっせいに蜂起し,商場の支配人,番人,出稼漁夫などを殺害,さらに対岸のキイタップ商場内の目梨地方に渡り,同地のアイヌと合流して各漁場を相次いで襲撃していった。この蜂起に参加したアイヌは,国後41名,目梨89名の計130名,死亡した和人は71名で,その多くが下北地方からの出稼者であった。…
【千島列島】より
…ロシア名のクリル列島Kuril’skie ostrovaはロシア語の︿クリーチ(煙をはく)﹀,またはカムチャダール語の︿クーシ(南方に住む者たち)﹀から出たものといわれる。おもな島は南から[国]後︵くなしり︶島,[択捉︵えとろふ︶島],[ウルップ](得撫)島,[シムシ]ル(新知)島,シャスコタン(捨子古丹)島,[オネコタン](温禰古丹)島,[パラムシル](幌莚)島,アライト(阿頼度)島,[シュムシュ](占守)島など24を数え,うち1000km2以上の面積をもつのは国後,択捉,ウルップ,パラムシルの4島である。総面積約1万km2。…
【根室海峡】より
…北海道の東岸と[国後(くなしり)島]との間にある海峡。知床岬と国後島ルルイ岬を結ぶ幅約70kmを北口,根室半島突端の納沙布(のさつぷ)岬と国後島ケムライ崎を結ぶ幅約35kmを南口とする。…
※「国後島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」