小谷城(読み)おだにじょう

日本の城がわかる事典 「小谷城」の解説

おだにじょう【小谷城】

 
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百科事典マイペディア 「小谷城」の意味・わかりやすい解説

小谷城【おだにじょう】

 
()()151615243()1570157381574()西25m40m
 

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改訂新版 世界大百科事典 「小谷城」の意味・わかりやすい解説

小谷城 (おだにじょう)


3西1516132557017318

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「小谷城」の意味・わかりやすい解説

小谷城
おだにじょう

戦国期の城。滋賀県長浜(ながはま)市湖北町伊部(こほくちょういべ)にあり、北近江(おうみ)の戦国大名浅井氏3代の居城で、小谷山城ともよばれる。標高299メートルの小谷山に築かれ、本丸、中丸、京極丸、山王丸などの本城部分と、小谷山背後の標高495メートルの大嶽(おおずく)の部分からなっていた。城は近江守護京極(きょうごく)氏の被官である浅井亮政(すけまさ)によって初めて築かれた。創築の年次については1516年(永正13)とする説もあるが、1524年(大永4)と考えられる。以来、久政(ひさまさ)、長政(ながまさ)と居城した。長政は織田信長の妹お市(いち)の方と結婚し、信長と結んだが、のち手を切り、ついに1573年(天正1)信長の大軍に攻められ落城した。その後一時羽柴(はしば)(豊臣(とよとみ))秀吉が入ったが、長浜に移城して廃城となった。

[小和田哲男]


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事典・日本の観光資源 「小谷城」の解説

小谷城

(滋賀県東浅井郡湖北町)
近江のお城46選」指定の観光名所。

小谷城

(滋賀県東浅井郡湖北町)
湖国百選 城編」指定の観光名所。

小谷城

(滋賀県東浅井郡湖北町)
日本100名城」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

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