デジタル大辞泉
「平敦盛」の意味・読み・例文・類語
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たいら‐の‐あつもり【平敦盛】
- 平安末期の武将。経盛の子。従五位下に叙せられたが、官職がなく無官大夫と称された。一ノ谷の戦いで熊谷直実に討たれた物語は、謡曲、浄瑠璃などで知られる。嘉応元~寿永三年(一一六九‐八四)
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平敦盛 (たいらのあつもり)
生没年:1169-84(嘉応1-元暦1)
平安末期の武士。桓武平氏。経盛︵清盛の異母弟︶の子。︿無官の大夫﹀︵大夫は五位の通称︶と呼ばれた。閲歴は不明であるが,︽平家物語︾や幸若舞曲や能の︽敦盛︾などに語られる,16年の短い生涯を閉じた最期のありさまによって,後世にその名を残す。一ノ谷の合戦は源氏の勝利に終わり,平家一門は海上へと敗走した。敦盛は舟に乗り遅れ,ただ一騎で馬を泳がせ舟を追った。そのとき,源義経配下の熊谷直実︵くまがいなおざね︶に呼び止められ,浜辺へ引き返して直実と戦った。組討ちに敗れた敦盛の首を直実がかき切ろうとしたとき,直実の心に敦盛と同年輩の子小次郎のことが浮かび躊躇する。直実は敦盛を助けたいと思うが,すでに源氏の軍勢に取り囲まれており,泣く泣く敦盛を討ち取ったという話である。本来,この話は熊谷直実︵法名蓮生︶の発心譚であったものが,しだいに敦盛像も理想化されていったらしい。また,敦盛の遺児が敦盛の亡霊と出合い,父の菩提︵ぼだい︶を弔ったという虚構の後日33baを扱った御伽草子︽小敦盛︾や能︽生田敦盛︾がある。
執筆者‥西脇 哲夫
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平敦盛
たいらのあつもり
(?―1184)
平安末期の武将。経盛(つねもり)の末子。従(じゅ)五位下に叙せられたが官職についていなかったので無官大夫(むかんのたゆう)とよばれた。1184年(元暦1)2月、源義経(よしつね)軍との一ノ谷の戦いに敗れた平氏は、海上へ逃れた。このとき逃げ遅れた敦盛は、源氏方の武蔵(むさし)国住人熊谷直実(くまがいなおざね)に捕り押さえられ、討たれた。2月7日、16歳または17歳と伝えられる。笛の名手で、祖父忠盛(ただもり)が鳥羽(とば)院より賜った名笛小枝(さえだ)を携えていたという。敦盛を討った直実が、人生の無常を感じ出家する話は『平家物語』などに収められ、幸若(こうわか)舞曲『敦盛』、謡曲『敦盛』、また浄瑠璃(じょうるり)『一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)』などとしてよく知られている。
[田辺久子]
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平敦盛
たいらのあつもり
[生]嘉応1(1169)
[没]寿永3=元暦1(1184).2.7. 摂津,一ノ谷
平安時代末期の武将。経盛の子,清盛の甥。従五位下に叙せられたが,無官であったので,無官大夫と呼ばれた。寿永3=元暦1 (1184) 年2月一ノ谷の戦いで源義経の奇襲に敗れた平氏軍とともに海路西へ逃れるとき,義経軍の武将,熊谷直実に討たれた。敦盛は笛の名手で鳥羽天皇から祖父忠盛に与えられた名笛「小枝 (さえだ) 」をこのとき持っていたという。『平家物語』や『源平盛衰記』などによって知られる敦盛の生涯は,謡曲『敦盛』,浄瑠璃『一谷嫩 (ふたば) 軍記』などに脚色されている。
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平敦盛【たいらのあつもり】
平安末期の武将。経盛(つねもり)の子。一ノ谷の戦で熊谷直実(くまがいなおざね)に討たれたという。能・幸若(こうわか)舞の《敦盛》で有名。
→関連項目アツモリソウ
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平敦盛
たいらのあつもり
1169~84.2.7
平安末期の武将。平清盛の異母弟の経盛の末子。従五位下の位階をもつが官職につかなかったため,無官大夫と称される。1184年(元暦元)一の谷の戦で敗れた平家方は海上へ逃れたが,敦盛は逃げ遅れて源氏方の熊谷直実(くまがいなおざね)に討たれた。16歳での悲劇的な死が後世の人々の同情を誘い,「平家物語」や謡曲「敦盛」などに語り伝えられた。横笛の名手ともいう。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
平敦盛 たいらの-あつもり
1169-1184 平安時代後期の武将。
嘉応(かおう)元年生まれ。平経盛の子。寿永3年2月7日一ノ谷の戦いで,源氏方の熊谷直実(くまがい-なおざね)に討たれた。16歳。笛の名手とつたえられ,謡曲「敦盛」や浄瑠璃(じょうるり)「一谷嫩(ふたば)軍記」などで名だかい。通称は無官大夫(たいふ)。
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平敦盛
没年:元暦1.2.7(1184.3.20)
生年:嘉応1(1169)
平安末期の武士。平経盛の末子。無官大夫と呼ばれる。横笛の名手。元暦1(1184)年の一の谷の戦で熊谷直実に討たれる。16歳。『平家物語』は,直実が敦盛を討つ場面を哀切に描いて有名で,謡曲「敦盛」,幸若「敦盛」などの題材となる。
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の平敦盛の言及
【一谷嫩軍記】より
…宗輔が三段目までを書き,没後に浅田らが完成したと伝えられる。《平家物語》の世界から,[一ノ谷の戦]における岡部六弥太と平忠度,熊谷次郎直実と平敦盛の戦いの部分を抽出し,脚色したもの。源義経の指令によって,六弥太は忠度に〈さざ波や〉の歌が《千載集》に入集したことを伝えるので,忠度はその恩によって,六弥太に討たれる。…
【熊谷直実】より
…一所懸命の地を守り,侍の身分であることを誇りとした東国武士の典型である。なお︽平家物語︾では,直実が出家したのは,一ノ谷合戦で平敦盛を討ち取ったことによるとしているが,これは史実ではない。︻細川 涼一︼
﹇伝承と作品化﹈
熊谷直実は実在した武将であるが,伝承の世界でも話題に事欠かぬ人物である。…
※「平敦盛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」