一谷嫩軍記(読み)イチノタニフタバグンキ

デジタル大辞泉 「一谷嫩軍記」の意味・読み・例文・類語

いちのたにふたばぐんき【一谷嫩軍記】

 
1751  

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精選版 日本国語大辞典 「一谷嫩軍記」の意味・読み・例文・類語

いちのたにふたばぐんき【一谷嫩軍記】

 

(一)
 

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改訂新版 世界大百科事典 「一谷嫩軍記」の意味・わかりやすい解説

一谷嫩軍記 (いちのたにふたばぐんき)


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日本大百科全書(ニッポニカ) 「一谷嫩軍記」の意味・わかりやすい解説

一谷嫩軍記
いちのたにふたばぐんき


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「一谷嫩軍記」の意味・わかりやすい解説

一谷嫩軍記
いちのたにふたばぐんき

浄瑠璃。時代物。5段。並木宗輔らの合作。宝暦1 (1751) 年大坂豊竹座初演。立役者の宗輔が3段目の執筆途中で没したため,ほかの作者により完成されたと伝えられる。『平家物語』などの軍記物にみられる,平敦盛と熊谷直実,平忠度と岡部六弥太の話を脚色し,平家方に寄せる源義経の温情と,それを汲み取った直実,六弥太の苦衷を描く。同2年には江戸,大坂で歌舞伎化され,以後今日まで文楽,歌舞伎の主要演目として繰返し上演される。特に3段目「熊谷陣屋」が名高い。

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百科事典マイペディア 「一谷嫩軍記」の意味・わかりやすい解説

一谷嫩軍記【いちのたにふたばぐんき】

並木宗輔ほか作の浄瑠璃。またこれに基づく歌舞伎劇。1751年初演。《平家物語》中の熊谷直実と平敦盛の話を中心に劇化。熊谷が一ノ谷の戦で敦盛の身代りにわが子小次郎を討ち,その首を源義経に差し出す〈熊谷陣屋〉の場が有名。

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「一谷嫩軍記」の解説

一谷嫩軍記
いちのたに ふたばぐんき

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
作者
並木宗輔 ほか
補作者
並木十輔 ほか
初演
宝暦2.4(江戸・森田座)

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世界大百科事典(旧版)内の一谷嫩軍記の言及

【熊谷直実】より


(1751)()(167381)(171636)

【忠度】より


 

【並木宗輔】より

…なお《菅原伝授手習鑑》《義経千本桜》《仮名手本忠臣蔵》《双蝶々曲輪日記》は,正本署名上では元祖および2世竹田出雲が立作者の形をとっているが,作風,作家経験,出雲の座本としての立場などを勘案すると,いずれも実質的立作者は宗輔と考えられる。
[第2豊竹座時代]
 1750年(寛延3)《文武世継梅》を最後に竹本座を離れ,並木宗輔の名に復して豊竹座に帰り,51年《一谷嫩軍記》を三段目まで執筆したが,完成を見ずに9月7日に没した。墓は大阪市中央区中寺町より移転,現在は枚方市田口山の本覚寺にある。…

※「一谷嫩軍記」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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