広瀬淡窓(読み)ヒロセタンソウ

デジタル大辞泉 「広瀬淡窓」の意味・読み・例文・類語

ひろせ‐たんそう〔‐タンサウ〕【広瀬淡窓】

 
17821856()()()()()()  

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精選版 日本国語大辞典 「広瀬淡窓」の意味・読み・例文・類語

ひろせ‐たんそう【広瀬淡窓】

 

(一)
 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「広瀬淡窓」の意味・わかりやすい解説

広瀬淡窓
ひろせたんそう
(1782―1856)


()()()()()()()()()()()()()()

 ()3081()()()()()()()()()()()()()()()18371849簿()161251810()()

 2016620

35 1978191983

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朝日日本歴史人物事典 「広瀬淡窓」の解説

広瀬淡窓

 
3.11.1(1856.11.28)
2.4.11(1782.5.22)
,,,,,,,,使()(),(),6,9(1797)(),()11,,2(1805)3, ,,143,(306) ,(,,)(),,,,,,,2900<著作>(3,1971)<参考文献>(),  
()
 

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「広瀬淡窓」の意味・わかりやすい解説

広瀬淡窓
ひろせたんそう

 
[]2(1782).4.11. 
[]3(1856).11.1. 
1824 (︿) 簿 (183554) 使 (28)  (36)  (41)   

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改訂新版 世界大百科事典 「広瀬淡窓」の意味・わかりやすい解説

広瀬淡窓 (ひろせたんそう)
生没年:1782-1856(天明2-安政3)


3000

 

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百科事典マイペディア 「広瀬淡窓」の意味・わかりやすい解説

広瀬淡窓【ひろせたんそう】

 
()()()()()()()退()()()()()
 

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「広瀬淡窓」の解説

広瀬淡窓
ひろせたんそう

1782.4.11~1856.11.1

江戸後期の儒学者。父は幕府代官所や諸藩の御用達商人博多屋三郎左衛門貞恒。名は簡・建,字は廉卿,別号は青渓・遠思楼主人など。豊後国日田生れ。筑前国の亀井南冥・昭陽父子の塾に入ったが,結核を患い退塾して独学。1805年(文化2)儒者としてたつことを決意し,家業を弟に譲り,やがて開塾。塾生が増加するにしたがい,家塾咸宜(かんぎ)園を新築。教育方針は学歴・年齢・家格を問わず万人に門戸を開いたため,塾生はのべ総数4600人におよび,高野長英・大村益次郎・羽倉簡堂らの俊才を輩出。思想は敬天を主とし,老子や易などを含む独自のものである。著書「約言」「迂言」。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「広瀬淡窓」の解説

広瀬淡窓 ひろせ-たんそう

1782-1856 江戸時代後期の儒者。
天明2年4月11日生まれ。広瀬旭荘(きょくそう)の兄。亀井南冥(なんめい)・昭陽父子にまなぶ。郷里の豊後(ぶんご)(大分県)日田に私塾咸宜(かんぎ)園をひらき,独自の教育法で多数の人材をそだてた。門人に大村益次郎,高野長英らがいる。漢詩人としても著名。安政3年11月1日死去。75歳。名は建。字(あざな)は子基。通称は求馬。別号に苓陽。著作に「約言」「遠思楼詩鈔」など。
【格言など】鋭きも鈍きも共に捨てがたし錐(きり)と槌(つち)とに使ひ分けなば(門弟への訓戒)

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旺文社日本史事典 三訂版 「広瀬淡窓」の解説

広瀬淡窓
ひろせたんそう

1782〜1856
江戸後・末期の古学者・教育家
豊後(大分県)日田の人。蘐園 (けんえん) 学派の亀井南冥に学んだ。1807年私塾を開いたが,塾生激増のため '13年咸宜 (かんぎ) 園を開いた。門弟は4000人といわれ,厳格な指導法により教育に専念した。「敬天修徳」を説き,著書に『淡窓詩話』『自新録』などがある。

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367日誕生日大事典 「広瀬淡窓」の解説

広瀬淡窓 (ひろせたんそう)

生年月日:1782年4月11日
江戸時代後期の儒者;教育家
1856年没

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世界大百科事典(旧版)内の広瀬淡窓の言及

【儒者】より


1819宿

 

【日田[市]】より

… 政治・経済的発展のなかで,諸国の文人たちの往来も繁く,俳諧などを中心に学問・文芸も発達し,いわゆる日田文化が成立した。そうした日田文化の頂点に立つのが,豆田町の豪商博多屋に生まれた広瀬淡窓であり,彼が堀田村に開いた私塾咸宜園とその教育であった。淡窓は近代教育の原型ともいうべき手法を用い,全国から集まった4600余人の門人を育て,高野長英,大村益次郎,長三洲など逸材が輩出している。…

※「広瀬淡窓」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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