にちべいぼうえいきょうりょくのため‐の‐ししん〔ニチベイバウヱイケフリヨクのため‐〕【日米防衛協力のための指針】
協力の基本的な枠組みや方向性について示した文書。日米防衛指針。日米ガイドライン。ガイドライン。
[補説]旧ソ連による侵略を想定して昭和53年︵1978︶に策定されたが、ソ連の崩壊や冷戦の終結による情勢の変化を受けて平成9年︵1997︶に改定。平時・日本有事・周辺事態の各ケースにおける役割分担を規定した。その後、国際テロや大量破壊兵器の拡散など、安全保障問題のグローバル化を受けて、平成27年︵2015︶に再度改定され、平時から緊急事態まで切れ目のない安全保障体制の確保、宇宙・サイバー空間における協力などが盛り込まれた。
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日米防衛協力のための指針
にちべいぼうえいきょうりょくのためのししん
日米安全保障条約の運用についての最高の議決機関である日米安全保障協議委員会(1997年9月23日・ニューヨーク)で合意された日米政府間合意文書。「日本有事」「周辺事態」に対処するための日米の軍事分担のあり方を取り決めたもの。
[松尾高志]
冷戦期、ベトナム戦争終結という戦略環境の下、日米安全保障協議委員会︵1978年11月27日︶で最初の﹁日米防衛協力のための指針﹂︵ガイドライン︶が合意されていた。が、冷戦の終結によって戦略環境が変化したため、﹁日米安保再定義﹂がアメリカ側のイニシアティブで開始され︵1994年︶、1年半余にわたって日米政府間で軍事・外交協議が行われ、新しい戦略方針が﹁日米安全保障共同宣言――21世紀に向けての同盟﹂︵1996年4月17日︶の形で打ち出された。その間、日本の新しい軍事戦略方針である﹁防衛計画の大綱﹂も決定︵1995年11月28日︶された。これらに伴い、﹁ガイドライン﹂の﹁見直し﹂が﹁日米安全保障共同宣言﹂で正式にうたわれ、それにより防衛協力小委員会が改組され︵1996年6月28日︶、ここで﹁見直し﹂の作業が行われて、新しい﹁ガイドライン﹂が策定された。
﹇松尾高志﹈
改定された﹁日米新ガイドライン﹂では、﹁日本有事﹂︵日本に対する武力攻撃があった場合︶に対処するために自衛隊と米軍が﹁共同作戦計画﹂を、また﹁周辺事態﹂︵日本周辺地域における事態で日本の平和と安定に重要な影響を与える場合︶に対処するために日米両政府が﹁相互協力計画﹂を、﹁平素から検討﹂するとしている。この二つの計画の検討は﹁周辺事態が日本に対する武力攻撃に波及する可能性のある場合又は両者が同時に生起する場合に適切に対応し得るよう﹂﹁整合を図る﹂ものと規定されている。
﹁共同作戦計画﹂については、自衛隊と米軍とがどのような軍事分担を行うかについての﹁基本的な考え方﹂﹁作戦構想﹂﹁作戦に係る諸行動及びそれに必要な事項﹂が定められた。
また、﹁相互協力計画﹂については、﹁周辺地域﹂で軍事行動をとる米軍に対して、3分野9機能40項目の対米協力を行うこととし、それを具体的に規定している。このなかには自衛隊の兵站(へいたん)協力、情報協力、船舶検査、機雷除去、捜索・救難活動などと並んで、国土交通省、警察庁など関係各省庁が関与して行う活動︵2001年1月の中央省庁改編によって省庁の数は減ったが、実体に変更はない︶、また地方公共団体、民間等が協力して行う活動が含まれている。
1998年1月20日、米国防長官、外務大臣、防衛庁長官の﹁日米安全保障協議委員会の構成員﹂による三者会談︵東京︶で、﹁ガイドライン﹂でその設置が定められていた﹁包括的なメカニズム﹂が発足した。この機構の任務は、
(1)﹁共同作戦計画についての検討﹂
(2)﹁相互協力計画についての検討﹂
(3)﹁準備のための共通の基準の確立﹂
(4)﹁共通の実施要領等の確立﹂
である。﹁包括的なメカニズム﹂には日米安全保障協議委員会、日米防衛協力小委員会のほか、新たに自衛隊と在日米軍、米太平洋軍によって構成される﹁共同計画検討委員会﹂︵BPC︶が設置され、また、﹁日米防衛協力のための指針の実効性の確保について﹂の閣議決定︵1997年9月29日︶に基づいて組織された﹁﹃指針﹄関係省庁局長等会議﹂が組み込まれた。なお、この会議のメンバーは、2001年1月6日からの中央省庁改編によって所属省庁は変化しても、メンバー︵局レベル︶の変更はない。この﹁包括的なメカニズム﹂の構成は﹁必要に応じて改善される﹂ことになっている。
これとは別に﹁緊急事態において各々の活動に関する調整を行うため﹂の﹁調整メカニズム﹂を﹁平素から構築しておく﹂とされていたものが、2000年9月11日にニューヨークで開催された日米安保協議委員会で正式に設置された。
この調整メカニズム︵﹁日米間の調整メカニズム︵BCM︶﹂︶は、軍事レベルのものとして﹁日米共同調整所﹂が、また、これと相互に調整・情報等交換を行うものとして、﹁日米合同委員会﹂︵既存。地位協定の実施に関する案件を扱う︶と﹁日米政策委員会﹂︵新設。日米合同委員会の権限に属しない案件を扱う︶両委員会の下部機構として﹁合同調整グループ﹂︵ガイドライン・タスク・フォース/運営委員会︶が新たに設置された。
この﹁合同調整グループ﹂は、日本側から安全保障・危機管理室、外務省、防衛庁︵2007年以降は防衛省︶、自衛隊、必要な場合には他の関係省庁の代表者が、アメリカ側からは在京アメリカ大使館、在日米軍の代表者から構成されている。これは課長レベルの実務機関である。
新﹁ガイドライン﹂は、旧﹁ガイドライン﹂合意以降約20年間にわたる自衛隊と米軍による軍事協議・研究および軍事演習の蓄積をふまえて策定されたものであって、日米の﹁共同作業﹂の焦点は軍事レベルから政治レベルにシフトしたといえる。また、新﹁ガイドライン﹂では、日米安保体制における日本の軍事分担が単に﹁日本防衛﹂のみならず、﹁周辺地域﹂︵アジア・太平洋地域︶における米軍の軍事行動に対する兵站支援、情報支援に拡大したといえよう。
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新﹁ガイドライン﹂では﹁立法上、予算上又は行政上の措置﹂が﹁期待される﹂こととなったため、日本政府にとっては﹁共同作戦計画﹂と﹁相互協力計画﹂の実施を可能とする法整備が政治的に現実的な課題となった。このため、1999年︵平成11︶5月24日に、﹁周辺事態﹂における﹁相互協力計画﹂を実施するための、
(1)﹁周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律﹂︵﹁周辺事態法﹂︶
(2)﹁日本国の自衛隊とアメリカ合衆国軍隊との間における後方支援、物品又は役務の相互の提供に関する日本国政府とアメリカ合衆国政府との間の協定を改定する協定﹂︵﹁日米物品役務相互提供協定︵ACSA(アクサ)︶改正協定﹂︶
(3)﹁自衛隊法の一部を改正する法律﹂
が国会で可決され、成立した。
なお、この国会で積み残しとなっていた﹁船舶検査法﹂︵周辺事態に際して実施する船舶検査活動に関する法律︶が、2000年11月30日に成立し、﹁周辺事態﹂に対処する法整備は完結した。
﹁日本有事﹂の際の﹁日米共同作戦計画﹂を実施するための﹁有事法制﹂に関しては、2003年︵平成15︶6月に武力攻撃事態法、安全保障会議設置法、自衛隊法が、04年6月に外国軍用品等海上輸送規制法、米軍行動円滑化法、交通・通信利用法、国民保護法、国際人道法違反処罰法、捕虜等取り扱い法および03年に改正された自衛隊法がそれぞれ成立、改正され、いちおうの完成をみている。
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﹃松尾高志編﹃平和資料 新ガイドラインと戦前有事法制﹄︵1998・港の人︶﹄
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日米防衛協力のための指針【にちべいぼうえいきょうりょくのためのししん】
1978年11月に日米安全保障協議委員会で了承された軍事面を中心とする日米の協力行動の研究・協議を進めるうえでの指針︵ガイドライン︶。具体的には,︵1︶日本への侵略の未然防止態勢,︵2︶日本への直接武力攻撃への対応,︵3︶極東有事の際の日米の協力,の3点について基本的な考えが示されている。この指針については,1995年11月に新防衛計画大綱が策定されたことから,1996年4月の日米双方の合意により見直し作業が開始された。検討課題としては,侵略の未然防止策のほかに,PKOや安保対話などの信頼醸成措置を含む︿平時における協力﹀,限定小規模侵略に対する日本単独対処から日米共同対処を前提にした︿日本有事﹀の再検討,さらには︿極東有事﹀から︿日本周辺有事﹀への拡大にともなう米軍への支援・協力のあり方などがあげられていた。1997年9月に合意された新しい︿指針﹀では︿日本周辺有事﹀の際の日米防衛協力が前面に出されていることがその特徴となっいる。 このガイドラインを実行するために1998年4月に関連3法案が国会に提出され,1999年5月に小渕内閣のもとで成立した。︵1︶日本周辺で武力紛争などの︿周辺事態﹀が生じた場合の︿周辺事態法﹀︵周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律︶,︵2︶自衛隊法改正,︵3︶︿日米物品役務相互提供協定︵ACSA︶﹀改定の三つである。︵1︶は自衛隊の米軍への後方地域支援など,︵2︶は在外邦人の救出のための自衛隊の艦船派遣,︵3︶は周辺事態に際して自衛隊と米軍の間での物資の融通などを定めている。これらは他国の戦争への協力を認めるもので,︿戦争準備法﹀であるとして,憲法9条の︿戦争の放棄﹀に反するという批判も強く,また︿周辺事態﹀の定義のあいまいさと,どの機関がそれを認定するのかが明らかでないことも大きな問題として残されている。→シー・レーン
→関連項目日米安全保障条約|日本
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日米防衛協力のための指針
にちべいぼうえいきょうりょくのためのししん
Guidelines for Japan-U.S. Defense Cooperation
体的なあり方に関する取り決め。通称ガイドライン。冷戦下の 1975年,坂田道太防衛庁長官とジェームズ・R.シュレジンジャー国防長官の会談で策定の必要性が合意され,1978年に発表された。指針はソビエト連邦の侵攻を想定し,極東有事の際のアメリカの核抑止力についても言及,これに基づいて日米共同訓練や合同演習が定期的に実施されることとなった。冷戦後の 1997年,日米安全保障協議委員会︵2プラス2︶で朝鮮半島における有事を想定した新たな指針が合意され,平時,有事前,日本有事,周辺事態に関する合意事項と日米両国政府間の政策協議などが定められ,これに基づいて﹁ガイドライン関連法﹂と称される周辺事態法︵→重要影響事態安全確保法︶など一連の法整備がなされた。また 2015年に新指針が2プラス2で合意された。切れ目のない協力の強化,宇宙やサイバー空間などを含めたグローバルな領域における同盟の協力などが明記され,海上自衛隊によるアメリカ軍艦船の護衛など集団的自衛権の限定的行使に基づく協力に関しても盛り込まれた。
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世界大百科事典(旧版)内の日米防衛協力のための指針の言及
【海上自衛隊】より
…
﹇任務﹈
海上自衛隊は,海上からの侵略に対して日本を防衛するとともに,日本周辺海域における海上交通の安全を確保することをおもな任務としている。日本は,1957年5月に決定された︿国防の基本方針﹀に基づいて,外部からの侵略に対しては,将来,国際連合が有効にこれを阻止する機能を果たしうるようになるまでは,アメリカとの安全保障体制を基調として侵略に対処することになっているが,海上自衛隊が実施する作戦については,78年11月に決定された︿日米防衛協力のための指針﹀(ガイドライン)により次のように定められている。︿海上自衛隊及び米海軍は,周辺海域の防衛のための海上作戦及び海上交通の保護のための海上作戦を共同して実施する。…
【航空自衛隊】より
…なお,日本が侵略を受けた場合,日米安保条約に基づきアメリカの航空戦力の支援を受けることが想定されている。1978年に策定されて以後1997年9月に改定された︿日米防衛協力のための指針﹀では次のように定めている。︿自衛隊及び米軍は,日本に対する航空侵攻に対処するための航空作戦を共同して実施する。…
【日米安全保障条約】より
…在日米軍基地はベトナム戦争(インドシナ戦争)に際して大々的に利用され,とくに沖縄基地はB52戦略爆撃機の発進基地となり,また海兵隊の訓練基地として重要視され,本土基地は兵站(へいたん)・補給,訓練,休養・慰安など多様な役割を果たしたが,このことは安保条約運用の実態を国民に印象づけ,[ベトナム反戦運動]の高まりとともに,安保条約反対の気運・運動が強まった。 1975年の南北ベトナム統一後,日米軍事協力は急速に具体化され,78年11月,日米安全保障協議委員会で〈日米防衛協力のための指針〉(いわゆるガイドライン)が了承され,国防会議,閣議でも了承された。同指針は日米共同作戦計画についての研究,作戦,情報および後方支援の実施要領の策定などを規定した(後述の[冷戦下の〈日米防衛協力〉の実際]を参照)。…
※「日米防衛協力のための指針」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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