津田仙(読み)つだせん

精選版 日本国語大辞典 「津田仙」の意味・読み・例文・類語

つだ‐せん【津田仙】

 

(一)西西
 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「津田仙」の意味・わかりやすい解説

津田仙
つだせん
(1837―1908)


西()876()()()18514574()611婿()673西692()71使73()()757680西97退41424

 

1962

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改訂新版 世界大百科事典 「津田仙」の意味・わかりやすい解説

津田仙 (つだせん)
生没年:1837-1908(天保8-明治41)


186167使73D.7576西

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朝日日本歴史人物事典 「津田仙」の解説

津田仙

没年:明治41.4.23(1908)
生年:天保8.7.6(1837.8.6)
明治期の農学者,教育家。各分野で欧化思想を実践した。佐倉藩(千葉県佐倉市)の藩士小島良親の子。早くから洋学を学び,文久1(1861)年幕臣津田栄七の養嗣子となる。明治維新後に築地ホテル館に勤務し,サラダ用の西洋野菜の将来性に注目した。明治6(1873)年,ウィーン万博に農業部門担当員として出張。同地でオランダ人園芸家ダニエル・ホーイブレンから伝授された新農法を,帰国後に『農業三事』(1874)として出版し評判になった。しかし内容的に不十分な点もあり,当時も賛否両論があった。9年,学農社という農学校を開校し,『農業雑誌』『開拓雑誌』など定期刊行物を出版して,欧米文化の紹介に尽くした。熱心なキリスト教徒で,青山学院(女子部)の前身の小学校をはじめミッション校の創立に協力した。禁酒雑誌『日の丸』を出版するなど日本の禁酒運動の先駆者でもあった。次女の梅子は女子英学塾(津田塾大)の創設者。<参考文献>都田豊三郎『津田仙』,大西伍一『日本老農伝』

(筑波常治)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「津田仙」の意味・わかりやすい解説

津田仙
つだせん

 
[]8(1837).
[]1908.4.24. 
西調3 (1867)  1873 D.7576西  

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「津田仙」の解説

津田仙 つだ-せん

 
18371908 ,
()876()()婿,36西,,4142472  

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百科事典マイペディア 「津田仙」の意味・わかりやすい解説

津田仙【つだせん】

 
186718731876  

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