田山花袋(読み)タヤマカタイ

デジタル大辞泉 「田山花袋」の意味・読み・例文・類語

たやま‐かたい〔‐クワタイ〕【田山花袋】

 
18711930()()  

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精選版 日本国語大辞典 「田山花袋」の意味・読み・例文・類語

たやま‐かたい【田山花袋】

 

(一)
 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「田山花袋」の意味・わかりやすい解説

田山花袋
たやまかたい
(1871―1930)


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百科事典マイペディア 「田山花袋」の意味・わかりやすい解説

田山花袋【たやまかたい】

 
1907
 

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改訂新版 世界大百科事典 「田山花袋」の意味・わかりやすい解説

田山花袋 (たやまかたい)
生没年:1871-1930(明治4-昭和5)


西1886西稿︿9194969919000204︿060912退401718201127

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「田山花袋」の意味・わかりやすい解説

田山花袋
たやまかたい

[生]明治4(1871).12.13. 館林
[没]1930.5.13. 東京
小説家。本名,録弥。別号,汲古。 1891年尾崎紅葉に入門,その指示で江見水蔭に兄事。硯友社系作家として『瓜畑』 (1891) などを書いたが,『重右衛門の最後』 (1902) 頃から客観的態度を重視,1907年『蒲団』を発表,仮構より告白を重んじるという日本自然主義文学の性格と方向を定めた。その後文芸雑誌『文章世界』を拠点に自然主義を推進,『生』 (08) ,『妻』 (08~09) ,『縁』 (10) の3部作や,『田舎教師』などを発表して,島崎藤村と並ぶ自然主義文学の代表作家となった。しかし,『髪』 (11) あたりから次第に虚無的な人間認識を強め,『時は過ぎゆく』 (16) から晩年の名作『百夜』 (27) へと個性の円熟を示した。ほかに『一兵卒』 (08) ,『土手の家』 (08) ,『再び草の野に』 (19) など。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「田山花袋」の解説

田山花袋
たやまかたい

1871.12.13~1930.5.13

明治・大正期の小説家。本名録弥。群馬県出身。感傷的な恋愛小説や詩・紀行文を書いていたが,「露骨なる描写」などで自然主義を主張。女弟子に対する愛欲を暴露した「蒲団(ふとん)」により自然主義文学運動の先頭に立った。以後「生」「妻」「縁」の自伝小説のほか「一兵卒」「田舎教師」などを発表。技法論として平面描写を唱えた。晩年は時代にとり残され,「時は過ぎゆく」「百夜(ももよ)」などには宗教的な諦念が色濃く認められる。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田山花袋」の解説

田山花袋 たやま-かたい

1871-1930 明治-昭和時代前期の小説家。
明治4年12月13日生まれ。江見水蔭の門下。明治32年博文館に入社。「重右衛門の最後」,評論「露骨なる描写」をかき,平面描写を主張。39年「文章世界」の主筆となり,自然主義運動をすすめる。40年発表の「蒲団」はのちの私小説の出発点となった。昭和5年5月13日死去。60歳。群馬県出身。本名は録弥。代表作はほかに「田舎教師」「百夜」など。

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旺文社日本史事典 三訂版 「田山花袋」の解説

田山花袋
たやまかたい

1871〜1930
明治・大正時代の小説家
本名録弥。群馬県の生まれ。初め硯友社の影響をうけたが,明治30年代末より自然主義文学者として島崎藤村とともに活躍した。代表作に『蒲団 (ふとん) 』『生』『田舎教師』など。

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世界大百科事典(旧版)内の田山花袋の言及

【田舎教師】より

田山花袋の長編小説。1909年(明治42)左久良書房刊。…

【東京の三十年】より

田山花袋の回想集。1917年(大正6),書きおろしで博文館から出版。…

【蒲団】より

田山花袋の中編小説。1907年(明治40)《新小説》に発表。…

【フランス文学】より

…森鷗外〈エミル・ゾラが没理想〉(1892)がその一例である。ゾラの考えた〈自然〉は,明治の日本では正当に理解されたとは言えないが,島崎藤村,田山花袋ら,やがて日本の自然主義を形づくる小説家たちは,ゾラやモーパッサンの作品から学ぶところ大きかった。彼らはまた,その頃《懺悔録》と訳されていたルソー《告白》の影響もあって,文学は内心の吐露であるべしとも考えていた。…

【私小説】より

…最も日本的な文学形態だけに,日本的な偏りを批判されることが多かった。
[発生と日本的特異性]
 用語例として〈私小説〉が確立される以前,田山花袋《蒲団》(1907)が赤裸々な恋愛感情を表現したのが私小説の事実上の発祥とされている。ヨーロッパの自然主義の影響による事実尊重と近代自我拡充の欲求が結合して私小説を生んだのである。…

※「田山花袋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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