デジタル大辞泉
「発句」の意味・読み・例文・類語
ほっ‐く【発句】
1短歌の最初の句。初5文字、または第1・2句。のちには上の句。
2 連歌・連句の第1句。五・七・五の17音からなる句。立(たて)句(く)。→挙(あげ)句(く)
3 2が独立した短詩形として単独で作られたもの。俳句。
4 せり市で、最初の付け値。
﹁八十両といふ―から安ければ、負けぬ負けぬ﹂︿浄・浪花鑑﹀
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ほっ‐く【発句】
(一)〘 名詞 〙 ( ﹁ほつ﹂は﹁発﹂の慣用音 )
(二)① ( 漢詩・和歌で第一句または第二句をいう﹁はっく︵発句︶﹂から ) 連歌や俳諧の連句で、最初の五・七・五の一七音からなる句。切字・季語を含み、格調の上で付句とは違った完結性を必要とした。後に俳句としてこれが独立して詠まれるようになってからは、連句ではそれと区別して立句(たてく)ともいう。⇔挙句(あげく)。
(一)[初出の実例]﹁連歌︿略﹀一、発句者於二当座一可レ然之人得レ之﹂(出典‥八雲御抄︵1242頃︶一)
(三)② ①が独立して詠まれるようになったもの。俳句。
(一)[初出の実例]﹁又神楽の発句を巻軸にをきぬるは﹂(出典‥俳諧・貝おほひ︵1672︶序)
(四)③ ( ①から転じて ) 最初。発端。
(一)[初出の実例]﹁まあ其咄の発句(ホック)はどふじゃの﹂(出典‥浄瑠璃・楠昔噺︵1746︶三)
(五)④ せり市で、振り手が基準としてつける最初の値。また、その値をつける係。
(一)[初出の実例]﹁八十両という発句(ホック)から安ければ。負けぬ負けぬ﹂(出典‥浄瑠璃・夏祭浪花鑑︵1745︶四)
はっ‐く︻発句︼
(一)〘 名詞 〙
(二)① 漢詩で、絶句の第一句と律詩の第一・二句をいう。起句(きく)。︹作文大体︵1108頃か︶︺
(三)② 転じて、和歌の第一句、または第一・二句。ほっく。︹歌経標式︵772︶︺
(四)③ =ほっく︵発句︶
ほ‐く【発句】
- 〘 名詞 〙 =ほっく(発句)
- [初出の実例]「予、連歌のほく、その後、心地いよいよ侘しくて、一句もえ付けず」(出典:春のみやまぢ(1280))
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発句 (ほっく)
連歌,俳諧用語。連句の発端である5・7・5の17音節句。結果として独詠に終わることはあっても,つねに7・7の付句を期待し,連句の発端となる可能性を内包する点で,近代俳句とは異なる。また,付句を期待しながらも和歌の上句と異なるのは,独立して一つの判断を示さなければならない点で,言い切ることが大切である。その点では付句もかわりないが,付句の鑑賞はつねに前句とともになされ,2句の間隙︵かんげき︶を推論によって埋める。前句のない発句は,この2句1章の構造を1句に組みこまねば鑑賞に耐えられない。そこで案出されたのが,︿切字︵きれじ︶﹀を用いて1句を2句分に仕立てる工夫である。発句の名称は,2句唱和の短連歌が長連歌へと展開する平安末期に成立した。そもそもの起源が唱和問答にあったから,時節,場所がらなどの状況を巧みにとらえて相手に問いかけるのが発句本来の性格である。したがって,︿当季眼前﹀の景物をよみこんで挨拶することが,長連歌においてもならいとなった。当然ながら一座の主賓格の人を立てることが多く,︿客発句とて昔は必ず客より挨拶第一に発句をなす﹀といわれ,常連のみの集いでも発句をよむ者にはその気持が大切とされた。発句の様式が完成したのは連歌師宗祇の時代で,発句のみを鑑賞の対象とした発句集も宗祇自撰の︽宇良葉︵うらば︶︾︵1499ころ成立︶や没後に肖柏が編んだ︽自然斎発句︾︵1506成立︶を初めとして編纂されるようになった。近世になって出版機構を利用した俳壇経営が進むと,一座の人々を超えた広範囲の大衆から投句を募って編集する発句撰集が出るようになるが,個人発句集の刊行は個人の連句集よりも遥かに遅れ,連句が衰退しはじめる18世紀後半になって,ようやく盛んになる。17世紀に出た個人の俳諧発句集は立圃自撰の︽空礫︵そらつぶて︶︾︵1649奥書︶のみ。18世紀前半に出たのも言水,祇空,芭蕉,乙由,淡々,其角,貞佐,巴静,嵐雪の諸集で,うち自撰は︽淡々発句集︾のみである。
→脇句
執筆者‥白石 悌三
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発句
ほっく
連歌(れんが)・俳諧(はいかい)用語。最初は短歌の初五文字、のちに同じく上の句︵五・七・五︶をさしていったが、十七音節︵五・七・五︶の長句と十四音節︵七・七︶の短句を交互に付け連ねる連歌・連句が成立すると、その巻頭の長句を、第二句︵脇句(わきく)︶以下の付句(つけく)と区別して、発句とよぶに至った。短歌の上の句と違い、完結した思想を表現しなければならず、季(き)の詞(ことば)︵季語︶を詠み込み、切字(きれじ)を用いることが要請された。その点、今日の俳句と異なるところはないが、脇句以下の付句を予想して制作され、百韻(ひゃくいん)なり歌仙(かせん)︵三六句︶なりの一巻をリードするだけの格調の高さが重んじられた点で、一線を画する。やがて独立の詩形として自覚的に制作されるようになると、連句の第一句はとくに立句(たてく)ともよばれ、発句は俳句とも称されるに至った。しかし俳句の名称が本質的な詩性の変革を伴って用いられるようになったのは、正岡子規(しき)による俳句革新運動以後である。
﹇乾 裕幸﹈
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発句【ほっく】
連歌,連句の第1句。挙句(あげく)の対で,5・7・5の3句17音からなる。芭蕉のころから独立して詩の一体となり,広く庶民の間に親しまれた。季語,切字(きれじ)をそなえることを要件とする。明治になり正岡子規の俳句革新運動以後,一般に俳句と呼ばれるようになった。
→関連項目川柳|俳諧|連句
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発句
ほっく
(1) 和歌,漢詩の第1句。たとえば和歌の5・7・5・7・7の最初の5の句。 (2) 連歌や連句の巻頭の第1句で5・7・5・の17音から成る。主客一座の席では客が詠み,その他一般の席では高位,長老が詠む。発句には切れ字と季語が必要とされる。連歌では長 (たけ) 高く幽玄に,連句では本意確かに曲節があり余情があることを理想とする。江戸時代後期の連句では立句 (たてく) とも呼ばれた。 (3) 連歌や連句の発句が,独立して一つの詩としてつくられたもの。明治以後は俳句と呼ばれる。
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発句
ほっく
連歌俳諧用語。付合(つけあい)文芸における最初の1句。もともとは発句に始まり脇句・第3句と続けるものであったのが,室町頃から発句だけを独立させることがおこった。俳諧でもしだいに発句が独立し重要視されていく。明治期には正岡子規が発句を俳句とよび,1句独立した文芸として確立。発句は当初から一座の主賓が時節と場に対する挨拶の心をこめて詠んだため,季語と切字が必要条件として求められるようになり,俳句にも踏襲された。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
世界大百科事典(旧版)内の発句の言及
【季題】より
…連歌,俳諧や近代俳句で,句に詠みこむ季節感をもつ特定の語を,古くは︿四季の詞﹀︿季の詞﹀などといったが,明治末年以後,俳句に用いる四季の詞について,季題という語が用いられて一般化した。[季語]が広く連歌,俳諧の付句に用いる四季の詞までを含んで用いられるのに対して,俳句(発句)の季語を意味することが多い。早く和歌では勅撰集などで四季の部立が行われ,題詠の風も一般化し,季節の景物を詠むことが行われて,季節の詞が諷詠の題となった。…
【貞門俳諧】より
…上下両階層に拡大した作者層を一つにまとめるため,貞徳は俳諧を︿俳言︵はいごん︶﹀を賦物︵ふしもの︶とする連歌にたとえたが,これは俗語に文学的市民権を与えた最初の発言として革命的であったといえる。しかし,[発句]︵ほつく︶は縁語や懸詞などによる︿[見立て]﹀が中心をなし,滑稽感に乏しい。また[連句]︵れんく︶は,ことばからことばへの連想をたどる︿親句︵しんく︶﹀が主で,句境の転化・飛躍は多く︿取成付︵とりなしづけ︶﹀によったため,句意の断絶するきらいがあった。…
【俳句】より
…しかし,江戸時代には一般化せず,この語が5・7・5音の組合せを基本にした定型詩を指すようになったのは,明治時代,すなわち正岡子規による俳句革新が行われた過程においてである。それまでは[発句](ほつく)という言い方が普通であった。発句とはもともとは[連句]における最初の句だが,江戸中期以降,発句のみが単独に作られることが多くなっていた。…
【連歌】より
…
﹇形式と約束事﹈
連歌の形式は百韻が基本であるが,36句の︿[歌仙]﹀,44句の︿世吉︵よよし︶﹀(︿四十四︵よよし︶﹀とも)と称するものも存する。各作品の最初の句を︿[発句]︵ほつく︶﹀,次の句を︿[脇︵わき︶句]﹀,第3の句を︿第三﹀と呼び,まとめて︿三物︵みつもの︶﹀と称する。発句は季を詠み込みその場に即して作るのが原則で,脇の句以下が,前の句によって提示された世界を展開・転換・変容させて,いわば虚構性を持つのと異質である。…
※「発句」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」