白瀬矗(読み)シラセノブ

デジタル大辞泉 「白瀬矗」の意味・読み・例文・類語

しらせ‐のぶ【白瀬矗】

 
18611946451912128805西15637()()()()  

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「白瀬矗」の意味・読み・例文・類語

しらせ‐のぶ【白瀬矗】

 

(一)西
 

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「白瀬矗」の意味・わかりやすい解説

白瀬矗
しらせのぶ
(1861―1946)


()189326()19094()()使20419104311()1867193327119121519121288005西15637()1214191211819126()調調193319131913()100



611998197319981982

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典 「白瀬矗」の解説

白瀬矗

 
21.9.4(1946)
1.6.13(1861.7.20)
()135(1872),,1226,2,42,5,4311,,,1(1912)1,128,805,20,30m,7m,204t,56(1981),,<参考文献>,  
()
 

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

20世紀日本人名事典 「白瀬矗」の解説

白瀬 矗
シラセ ノブ

明治期の南極探検家



生年
文久1年6月13日(1861年)

没年
昭和21(1946)年9月4日

出身地
秋田県由利郡金浦町

経歴
陸軍に入り下士官となったが明治25年予備役。極地への野心を抱き、明治26年郡司成忠大尉の千島探検のメンバーとして参加。千島最北端シュムシュ島で越冬2年。日露戦争に応召。右手に負傷したが中尉に昇進。43年南極探検隊を組織し、帆船開南丸で出航。45年日本人として初めて南極大陸上陸に成功、極地を目ざして南進し、アムンゼン、スコット隊との先陣争いには敗れたが、到達した南緯80度5分地点を“大和雪原”と命名した。著書に「南極探検」など。のち業績が再評価され、昭和56年建造の南極観測船が“しらせ”と命名された。平成2年春、秋田県金浦町に白瀬南極探検隊記念館が開館。9年ニュージーランドのウェリントン港に記念碑が設置される。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「白瀬矗」の意味・わかりやすい解説

白瀬矗 (しらせのぶ)
生没年:1861-1946(文久1-昭和21)


218931909101129261211680°5

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「白瀬矗」の意味・わかりやすい解説

白瀬矗【しらせのぶ】

 
18931910191280°()
 

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「白瀬矗」の意味・わかりやすい解説

白瀬矗
しらせのぶ

 
[]1(1861).6.13. 
[]1946.9.4. 
 1893 191011121 80°5西 156°37簿  

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「白瀬矗」の解説

白瀬矗 しらせ-のぶ

1861-1946 明治時代の探検家。
文久元年6月13日生まれ。陸軍軍人となり,郡司成忠の千島探検に参加して越冬を体験。日露戦争で中尉に昇進。明治43年11月開南丸で東京を出航,45年1月南極大陸に上陸,南緯80度5分の地点に到達し,同地を大和雪原(やまとゆきはら)と命名した。昭和21年9月4日死去。86歳。出羽(でわ)由利郡(秋田県)出身。著作に「南極探検」。
【格言など】武田部長は緯度の観測をとげた結果,南緯八十度五分なるを知った(「南極記」)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

山川 日本史小辞典 改訂新版 「白瀬矗」の解説

白瀬矗
しらせのぶ


1861.6.131946.9.4

1893(26)()()3191012128805()

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

367日誕生日大事典 「白瀬矗」の解説

白瀬 矗 (しらせ のぶ)

生年月日:1861年6月13日
明治時代の探検家
1946年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の白瀬矗の言及

【南極】より

…一方スコットはロス島で越冬し,12年1月17日に南極点へ到達したが,帰路隊員5名全員が死亡した。この頃,退役陸軍中尉白瀬矗(のぶ)の率いる日本最初の南極探検隊は1910年(明治43)11月29日開南丸(204トン)で東京芝浦を出帆,12年1月,ロス棚氷に接近し小湾(開南湾と命名)から偵察隊が上陸し,本隊は鯨湾近くに上陸した。白瀬隊長ら5名はそり2台と樺太犬30頭でロス棚氷上を南進し,1月28日南緯80゜05′,西経156゜37′の地点に到着,付近一帯を大和雪原(やまとゆきはら)と命名し帰途についた。…

※「白瀬矗」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

タコノキ


12m7cm()...


コトバンク for iPhone

コトバンク for Android