石油危機(読み)セキユキキ

デジタル大辞泉 「石油危機」の意味・読み・例文・類語

せきゆ‐きき【石油危機】

オイルショック

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精選版 日本国語大辞典 「石油危機」の意味・読み・例文・類語

せきゆ‐きき【石油危機】

  1. 〘 名詞 〙 オイルショックをいう。
    1. [初出の実例]「中東戦争の余波で、石油危機を招き」(出典:欠陥住宅の見わけ方(1974)〈内田京治〉まえがき)

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改訂新版 世界大百科事典 「石油危機」の意味・わかりやすい解説

石油危機 (せきゆきき)


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百科事典マイペディア 「石油危機」の意味・わかりやすい解説

石油危機【せきゆきき】

 
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IEAIMF  

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「石油危機」の意味・わかりやすい解説

石油危機
せきゆきき
oil crisis

 
1973 1979 OPEC oil shock197310441退2197812221  

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旺文社日本史事典 三訂版 「石油危機」の解説

石油危機
せきゆきき
oil shock

1973年に勃発した第4次中東戦争に際し,アラブの石油産出諸国がとった石油戦略による世界的経済混乱のこと
オイル‐ショック・石油ショックともいう。第4次中東戦争が始まると,OAPECとOPECは石油の減産・禁輸や原油価格の4倍引上げを行った。このため世界各国に石油不足やインフレの激化などの深刻な影響を与え,日本をはじめ各国が経済的大打撃を受けた(第1次石油危機)。このなかで一部企業が原材料の買い占めや商品の売り惜しみ,便乗値上げを行ったため,国民の間にパニックを引き起こし,洗剤などの買いだめ騒ぎが起こり,国民は「狂乱物価」に苦しんだ。また1979年にはイラン革命を契機に石油価格が引上げられ,第2次石油危機と呼ばれた。石油危機は低価格の原油供給という戦後経済の基礎を崩壊させ,高度経済成長に終止符を打った。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「石油危機」の解説

石油危機(せきゆきき)
oil crisis




11973104(OPEC)西

2197980

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旺文社世界史事典 三訂版 「石油危機」の解説

石油危機
せきゆきき
oil crisis

石油の供給の途絶・量的制限・価格の高騰によって起こった,経済活動・社会生活上の混乱・危機
【第1次】1973年,第4次中東戦争を契機に,アラブ石油輸出国機構(OAPEC)が石油戦略をとり,石油の禁輸と量的制限を行い,石油輸出国機構(OPEC)が原油価格の大幅引き上げを行ったために発生した。先進工業国を中心に世界中に大きな影響をおよぼした。
【第2次】1979年,当時,世界第二位の石油輸出国イランにイスラーム革命が起こり,石油の供給が停止したために発生した。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「石油危機」の解説

石油危機
せきゆきき

アラブ産油諸国による原油供給削減と値上げにより,世界経済がインフレと生産縮小にみまわれた事態。1973年(昭和48)10月の第4次中東戦争を契機に,産油諸国が原油価格を4倍に値上げしたため,石油多消費型の資本主義諸国はパニック状態となり,深刻な不況とインフレが同時進行し,74年日本経済は戦後初のマイナス成長を記録した。78年のイラン革命による打撃は第2次石油危機と称される。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「石油危機」の意味・わかりやすい解説

石油危機
せきゆきき

オイル・ショック

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世界大百科事典(旧版)内の石油危機の言及

【エネルギー革命】より

…しかし,70年代に入ると,産油国の資源ナショナリズムが高揚し,産油国が生産量や価格をコントロールしはじめた。そして73年10月,第4次中東戦争をきっかけとした第1次石油危機および78年のイラン革命に端を発する第2次石油危機により,原油価格が高騰した。これは,エネルギー需給に大きな転換をもたらすことになった。…

【OPEC】より

…まず73年10月に,一方的に原油公示価格の70%引上げを決定し,74年1月からは,さらに131%強値上げされ,3ヵ月足らずのうちに,4倍近くにも高騰した。この結果,世界経済とくに日本を中心とする石油輸入国は,第1次石油危機に苦悩することとなった。 78年末からのイランの国内混乱(イスラム革命)を契機として第2次石油危機が発生して,原油の公式販売価格GSP(government sales price)(100%の事業参加や国有化がなされた結果,公示価格は意味を失う)はさらに3倍近くも値上げされ,81年11月から,標準原油のアラビアン・ライトの価格は,1バレル当り34ドルとなった。…

【高度経済成長】より

…同年12月の多国間通貨調整は,新しい為替レート下で固定相場制を復活させるかにみえたが,その2年後,73年の2~3月に起きた国際通貨不安は,ついに固定相場制を崩壊させ,世界が変動相場制へ突入した。さらに同年10月には,OAPEC(アラブ石油輸出国機構)が〈石油戦略〉を発動し,全世界に大きな衝撃を与えた(第1次石油危機)。 日本の高度成長は1960年代とともに終わった。…

【産業構造】より

…世界的なインフレの拡大によりIMF体制が崩壊,71年8月いわゆるニクソン・ショックにより,ドル防衛策が打ち出され,日本の円も73年2月ついに固定相場制から変動相場制へ移行した。続いて同年10月,第4次中東戦争を契機としておこった第1次石油危機により,原油の公示価格が一挙に4倍となり,1970年からの値上げを加算すると70‐73年で実に8倍への引上げとなった。日本は戦後の経済発展を石炭から石油への転換によって進めて,安い石油を大量に使ってきた。…

【石油化学工業】より

…なお,石炭化学工業からはベンゼン,トルエン,キシレンなどが,電気化学工業からはアセトアルデヒド,アクリロニトリルなどが製法転換の対象となった。
[成熟期]
 30万tエチレンプラントがつぎつぎに完成した直後,1973年に第1次石油危機が発生し,日本の石油化学工業は大きな転換点を迎えた。石油価格の引上げによる石油化学製品の値上げに,日本経済の不振が加わり,石油化学製品需要が急減し,エチレン生産量は73年の411万tから75年には340万tに低下したため,石油化学企業は低操業率に苦しめられた。…

【日本資本主義】より

…日本の工業生産指数は,敗戦時の1946年に戦前(1934‐36基準)の約1/4に低下し,ドッジ・ラインの設定された49年までに約1/2に回復し,朝鮮戦争を経た51年に戦前水準を超えるに至るが,その間未曾有のインフレーションを収束し,生産復興を軌道づけた主要な契機は,第1に賃金抑制の物価体系の設定と基幹産業への重点的財政投融資およびアメリカの対日援助,第2に占領軍の対日政策の転換(1948年5月ドレーパー使節団報告)で具体化された政策(賠償緩和・集中排除緩和による日本経済自立化,対日援助打切り,均衡財政の確立,為替レート設定による貿易拡大)を強力に実施したドッジ・ライン(1949)であったが,しかしそれだけでは,すなわち第3の契機である1950年以後の朝鮮戦争ブームがなければ日本の急速な経済復興はありえなかった。【大石 嘉一郎】
【高度経済成長期】
 朝鮮戦争による特需景気で戦前水準を回復した日本経済は,1955年から73年の石油危機の勃発まで,20年近くにわたってめざましい高度経済成長を実現した。この間1957年,62年,65年,71年と数年おきに経験した景気後退期にも成長率はプラスを維持し,年平均の実質GNP成長率は約10%と,世界史的にも未曾有の高成長をなしとげたのである。…

※「石油危機」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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