米価(読み)ベイカ

デジタル大辞泉 「米価」の意味・読み・例文・類語

べい‐か【米価】

米の値段。「米価を据え置く」「生産者米価

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「米価」の意味・読み・例文・類語

べい‐か【米価】

  1. 〘 名詞 〙 米の値段。
    1. [初出の実例]「夏の時分にきぬわたのできて賤き時に米価は必貴ぞ」(出典:史記抄(1477)一九)
    2. [その他の文献]〔劉子翬‐莫田詩〕

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「米価」の意味・わかりやすい解説

米価
べいか




 ()


米価政策の歴史

米価はその経済、社会に占める重要性からいって、早くから政府の政策の対象となっていた。米価政策の基本は、高すぎる米価を抑制する、安すぎる米価を引き上げる、あるいは米価の変動を抑えて安定させる、といった目的をもつものであるが、どの水準に安定させるかが問題であり、それによって高米価、低米価のどちらかになることになる。江戸時代すでに幕府によってしばしば米価調節政策が行われたが、手段は米価法定(1657年、1735年)、米価引下令(多数)、米の買上げ・払下げ、酒造制限、株仲間への干渉などであったが、とくに飢饉(ききん)の際の引下げ策が目だっている。

[持田恵三]

明治時代

明治政府は地租改正を円滑に進めるため、常平局を設けて米の買上げを行い、米価の維持をねらい、その一部を輸出して外貨を獲得した。しかしこの米価政策は一時的なものにとどまり、以後日露戦争時まで米価は放任されていた。米価に対する政府の介入が始まるのは、1904年(明治37)の日露戦争のための非常特別税のなかに米・籾(もみ)輸入税が設けられたときである。これは地租増徴への対価として多分に財政目的のものであったが、この輸入税は日露戦争後も継続して保護関税化していった。明治30年代なかばから本格的な米輸入国に日本はなっていたのであり、関税は一定の米価支持政策を意味していた。1915年(大正4)に米価支持のための臨時の米価調節令が出されたことはあったが、大正年間は米価調節政策が盛んに論議されながらも、本格的な米価政策は1921年まで行われなかった。しかしこの間は、1918年の米騒動を頂点とする米価の激動の時代であった。この空前の高米価抑制のために、取引所干渉、外国米管理令といった一時的な対策が行われた。この効果はたいしたものではなかったが、米騒動を契機として食糧対策の必要が認識された。その一つは植民地米を中心とする増産・自給政策であったが、それと並んで恒久的な米価安定政策が求められた。後者は1920年の第一次世界大戦後の恐慌による米価暴落を契機とする、農業団体(主として地主)の運動から生まれた米穀法である。

[持田恵三]

米穀法

米穀法(大正10年法律第36号)は、「政府は米穀の需給を調節する為(ため)必要ありと認むるときは米穀の買入、売渡、交換、加工又は貯蔵を為(な)すことを得」という簡単なもので、これに2億円の借入れを限度とする米穀需給調節特別会計がつけられていた。米穀法は1925年に改正されて「価格の調節」を目的に加えたが、当時は政府の買入量も少なく、たいした役割も発揮しなかった。しかし米穀法は、政府が米価に一定の責任をもつという体制の出発点となり、食糧管理法まで続くのである。米穀法が本格的に活動を始めるのは、1929年(昭和4)からの大恐慌のなかであった。1927年後半から下がり始めた米価は、植民地米の大量輸入と相まって、恐慌下にいっそう暴落した。1929年に特別会計の借入れ限度を拡大して、政府は、1927年26万トン、1928年15万トン、1930年30万トン、1931年31万トンと米の買入れを行い、1931年には米穀法の第二次改正を行って、いっそう米価対策を強化した。第二次改正によって米の間接統制はほぼ形を整え、1932年の第三次改正、さらに1933年の米穀統制法に至って完成をみることになる。

[持田恵三]

米穀統制法

8241934155193519361939()19391942


食糧管理法

1740()調

 195934195119341936()194662419531955319601970調

 194719631986

 19611969196819721972197319731975

 196019691972419601981


改正食管法

198119946601639215121812315151313

 19601977198219841986198731619884.619951010

 1994103850

 19952004199460258667743106052199410


食糧法

1994611325

 196019551989721987



1933319511019697217 196828 80198042 199519902000

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「米価」の意味・わかりやすい解説

米価 (べいか)




199519691977

 1995調671995

83調80%80%調

PC310aH310aN351000調調60kg17820176179961181121512182661.75%153

 19841967768611984219821083984254.6%3.76%151260kg17673

 6825%

2︿1881西11915調21調1933422

 ︿1934-365560

 ︿677276︿8.719949.05.21995





8111475015201100161550161715600

11西117西-

 17217西11520502325316401717173040471716-3617361-181811781-891804-18181926016815︿71︿︿


出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「米価」の意味・わかりやすい解説

米価
べいか

 
31972 1987 19952004  

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

普及版 字通 「米価」の読み・字形・画数・意味

【米価】べいか

米の価格。

字通「米」の項目を見る

出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報

世界大百科事典(旧版)内の米価の言及

【買米】より

…江戸幕府が富裕町人に市中の米を買い上げさせることで中央市場の米価上昇を図った政策。1731年(享保16)から1810年(文化7)まで大坂で6度,江戸で1度の実施が確認できる。…

【食糧管理制度】より


[成立]
 一般的には,国家による食糧管理を要請するのは食糧の供給不足・価格高騰か供給過剰・価格暴落の発生である。食管法の起点となった米穀法が制定された1921年は米騒動の4年後ではあったが,一方では国民1人当り米消費量のピークへの到達と,他方では国産米生産力増強とともに,植民地朝鮮・台湾での米移出力の強化によって,供給過剰による内地米の価格低下が問題とされ,政府による米穀の売買・加工・貯蔵,輸入税の増減,輸出入の制限等を通じて,米穀の数量調節を行い,米価暴落の防止が目指された。これ以後,昭和農業恐慌対策としての31年の米穀法改正(米穀輸出入の許可制,安定価格帯制度の導入),33年の米穀統制法(最低価格による政府の無制限買入義務),36年の米穀自治管理法(過剰米の市場供給制限のための産地貯蔵)など,38年までは米穀の市場流通を前提とした間接統制を通じた過剰対策が主眼となっていた。…

【張紙値段】より


100(35)使

【パリティ指数】より


 196088

※「米価」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

選挙公営

国または地方公共団体が個々の候補者の選挙費用の一部または全額を負担すること。選挙に金がかかりすぎ,政治腐敗の原因になっていることや,候補者の個人的な財力によって選挙に不公平が生じないようにという目的で...

選挙公営の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android