菅原道真(読み)スガワラノミチザネ

デジタル大辞泉 「菅原道真」の意味・読み・例文・類語

すがわら‐の‐みちざね〔すがはら‐〕【菅原道真】

 
845903()()6894使901()()()()  

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精選版 日本国語大辞典 「菅原道真」の意味・読み・例文・類語

すがわら‐の‐みちざね【菅原道真】

 

(一)()使使
 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「菅原道真」の意味・わかりやすい解説

菅原道真
すがわらのみちざね
(845―903)


()()()()()()

 ()12625()862418()870()8771()()880()8862()()()()()8902()()893894使使895使()使()()()()()897()()()8992900()9011()()2()3225()

 ()()()()()()()()9934()()()10

 

伝説


2()()()()()()()()沿()()()



1962

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改訂新版 世界大百科事典 「菅原道真」の意味・わかりやすい解説

菅原道真 (すがわらのみちざね)
生没年:845-903(承和12-延喜3)


1187214使877188628913897

 894使使使89318992901112

 9231993489212
 940930殿︿使︿姿︿︿


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百科事典マイペディア 「菅原道真」の意味・わかりやすい解説

菅原道真【すがわらのみちざね】

 
()()()()()()899901()894使()()()
 

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「菅原道真」の解説

菅原道真
すがわらのみちざね


845903.2.25

()()867(9)()870()877()使()894(6)使886(2)()893899(2)901()()993(4)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「菅原道真」の意味・わかりやすい解説

菅原道真
すがわらのみちざね

 
[]12(845)
[]3(903).2.25. 
4 (862) 193 (891) 6使2 (899) 4 ( ,  )    

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「菅原道真」の解説

菅原道真 すがわらの-みちざね

845-903 平安時代前期の公卿(くぎょう),学者。
承和(じょうわ)12年6月25日生まれ。菅原是善(これよし)の3男。文章(もんじょう)博士。宇多天皇に重用される。寛平(かんぴょう)6年(894)遣唐使の中止を建議。昌泰2年(899)右大臣となるが,左大臣藤原時平(ときひら)の中傷により,大宰権帥(だざいのごんのそち)に左遷され,延喜(えんぎ)3年2月25日大宰府で没した。59歳。その祟りをおそれて正一位,太政大臣を追贈され,天神として信仰された。字(あざな)は三。通称は菅家,菅公。詩文集に「菅家文草」「菅家後集」,編著に「日本三代実録」「類聚国史」など。
【格言など】このたびは幣(ぬさ)も取りあへず手向山(たむけやま)紅葉の錦神のまにまに(「小倉百人一首」)

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旺文社日本史事典 三訂版 「菅原道真」の解説

菅原道真
すがわらのみちざね

 
845903

 () 894使 ()  () 901 ()   

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防府市歴史用語集 「菅原道真」の解説

菅原道真

 9世紀後半の学者・政治家で、宇多天皇[うだてんのう]に重く用いられ、右大臣[うだいじん]という要職にまでつきました。しかし、901年藤原氏をはじめとする勢力の陰謀により大宰府[だざいふ](福岡県)に左遷され、その地で903年に亡くなりました。 北野天満宮や太宰府天満宮、そして防府天満宮で「学問の神様」としてまつられているのが、この菅原道真です。

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367日誕生日大事典 「菅原道真」の解説

菅原道真 (すがわらのみちざね)

生年月日:845年6月25日
平安時代前期の学者;歌人;公卿
903年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の菅原道真の言及

【菅原道真】より


11872(14)使877(1)886(2)

【雷】より


︿

【菅家後集】より

菅原道真の漢詩集。1巻。…

【菅家文草】より

菅原道真の漢詩文集。12巻。…

【北野天満宮】より


殿殿()()903(3)905殿

【新撰万葉集】より


2

【太宰府天満宮】より

…福岡県太宰府市に鎮座する菅原道真をまつる神社で,天満天神,菅公霊廟ともいう。903年(延喜3),道真が謫居(たつきよ)の地大宰府の南館(現在の榎社のあたり)で没すると,侍臣味酒安行は遺骸を当地に葬り,905年には祠廟を建立した。…

【祟り】より


退殿

【天神信仰】より


9(877885)10()  ︿

【天満宮】より

…菅原道真をまつる神社。〈てんまぐう〉ともいい,俗に〈天神さん〉とよばれる場合が多い。…

【道明寺】より

…土師寺ともいう。そののち土師氏の一族菅原氏も氏寺として崇信し,菅原道真の伯母覚寿尼が入寺した。道真が大宰府に左遷されるとき当寺を訪れたという故事は,江戸時代に《菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゆてならいかがみ)》の舞台となって歌舞伎や浄瑠璃でよく演じられ,当寺は一躍有名となった。…

【斉世親王】より

…896年(寛平8)に大学寮で講書始めが行われ,翌々年11月に元服し,ついで三品兵部卿となり,上総太守も歴任した。901年(延喜1)菅原道真が親王を皇位につけようとしたとの理由で左遷されるに及んで仁和寺に入り,真寂と名を改めた。真寂法親王といわれ,欣求修行につとめ,灌頂は前後7回に及んだという。…

【図書館】より

…聖徳太子の夢殿,大宝令の規定に見える中務(なかつかさ)省の図書(ずしよ)寮,東大寺など大寺に付設された経蔵,さらには吉備真備(きびのまきび)や玄昉(げんぼう)など知識人の私的な文庫も広義の図書館と考えることができるが,一般には石上宅嗣(いそのかみのやかつぐ)が奈良の地において,私邸に阿閦(あしゆく)寺を建立し,その境内に芸亭(うんてい)と称する書斎を設け公開したものが日本における公開図書館の発祥とされる(8世紀後半)。また,菅原道真はその書斎文庫の紅梅殿(こうばいどの)を他人にも公開したといわれる。彼はまた《類聚(るいじゆう)国史》を撰しているが,これは,そのときまでに出た六国史それぞれの中から事項別に原文を抜粋し編集したもので,カード(短札)方式による知識情報の処理の最初の例ともいえる。…

【ひげ(髭∥鬚∥髯)】より

…《骨董集》(1815)は〈古画を見るに,髭なき男子はまれなり。昔は髯うすき者は仮髯(つくりひげ)をさへしたりと聞ける〉と述べ,昔から関東では成人男子を髭男(ひげおとこ)とほめたので諸侍は髭を願い,ほお髭は鍾馗(しようき)髭として好まれたが,あご髭は天神髭(菅原道真の肖像画のような二峰の鬚)としてあまり好かれなかったという《見聞軍抄(けんもんぐんしよう)》(1614)の言を引用している。能面にもひげのあるのが少なくない。…

【人神】より


殿

【藤原時平】より

…890年(寛平2)従三位,891年父が没するが参議,892年権中納言,897年6月大納言,左大将,氏長者となる。同時に宇多天皇に抜擢された菅原道真も権大納言,右大将となり,同年7月天皇は醍醐天皇に譲位,二人に新帝幼少の間政務を委任した。899年(昌泰2)左大臣,道真は右大臣となるが,宇多院の信任は道真の方が厚かった。…

【本朝文粋】より


()()

※「菅原道真」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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