デジタル大辞泉
「金山」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
かな‐やま【金山】
(一)〘 名詞 〙
(二)① 金、銀などを掘り出す山。鉱山。かねやま。
(一)[初出の実例]﹁天の金山(かなやま)の鉄(まがね)を取りて、鍛人(かぬち)天津麻羅を求きて、伊斯許理度売(いしこりどめの)命に科(おほ)せて鏡を作らしめ﹂(出典‥古事記︵712︶上)
(二)﹁あきのかな山御れう所よりかね五まい、しろかね五十まいまいる﹂(出典‥御湯殿上日記‐永祿七年︵1564︶五月一五日)
(三)② 鉱山を開発すること。鉱山を経営すること。
(一)[初出の実例]﹁大事には毒断あり、美食淫乱︿略﹀新田の訴詔事、金山の中間入﹂(出典‥浮世草子・日本永代蔵︵1688︶三)
(四)③ ( 金を産出する山の意から ) =かねばこ︵金箱︶③
(一)[初出の実例]﹁恋風の其扇屋の金山と、名は立のぼる夕ぎりや秋の末よりぶらぶらと﹂(出典‥浄瑠璃・夕霧阿波鳴渡︵1712頃︶上)
きん‐ざん︻金山︼
(一)[1] 〘 名詞 〙
(一)① 金を産出する鉱山。金坑。
(一)[初出の実例]﹁金山の堀口を鋪口ともいふ﹂(出典‥随筆・凌雨漫録︵1804‐30頃か︶)
(二)[その他の文献]︹南史‐林巴国伝︺
(二)② 金でできているように堅固な小島。
(二)[2]
(一)[ 一 ] 中国江蘇省鎮江市の西北、揚子江中にある小島。現在は土砂が堆積して南岸に続いている。江中・焦山と対峙する景観は有名。獲符山。チンシャン。
(二)[ 二 ] ( [モンゴル語] Altan ︵金の意︶に由来 ) 中央アジアから北東アジアにかけて伸びるアルタイ山脈の異称。
こん‐せん︻金山︼
(一)( ﹁こん﹂﹁せん﹂は、それぞれ﹁金﹂﹁山﹂の呉音 ) 仏語。
(二)[1] 〘 名詞 〙 仏の身を山にたとえた語。
(一)[初出の実例]﹁曾成之道、始二於八相一、金山之体、坐二於四康一﹂(出典‥三教指帰︵797頃︶下)
(三)[2] 須彌山(しゅみせん)の周囲にあるという七層の山。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
金山
かなやま
太田市街地の北方にあり、渡良瀬川によって足(あし)尾(お)山塊から分断された八(はち)王(おう)子(じ)丘陵東南端に位置する独立丘陵。古くから郡境の山で標高二三四・九メートル。浅(せん)間(げん)山、東(ひがし)山、西山、大中小各八王子山その他の峰々からなり、中央部の実(みじ)城(よう)一帯は溶結凝灰岩︵通称金山石︶で構成され急峻な地形をなす。新(にい)田(た)山ともいい、植生は赤松が多い。室町時代に横瀬氏︵のちの由良氏︶が実城を中心に金山城を築城、近世は全山が御林であった。﹁万葉集﹂巻一四東歌に﹁新(にひ)田(たや)山(ま)嶺(ね)には付かなな我に寄そりはしなる児らしあやに愛しも﹂とみえる。﹁五代集歌枕﹂﹁八雲御抄﹂ともに山の項、上野で採る。同じく譬喩歌に上野国歌として﹁しらとほふ小(をに)新(ひ)田(た)山の守る山のうらがれせなな常葉にもがも﹂とみえ、﹁八雲御抄﹂にひた山の注に﹁をにひた山、同事也。在同国﹂とある。中世には信仰の対象となり、新(につ)田(た)庄の各郷には﹁金山御神田﹂が設けられた︵応永一〇年九月日﹁村田郷地検目録﹂正木文書︶。
天正一八年︵一五九〇︶金山城が落城、その後全山を松で覆われた︵明治元年には一町一〇〇本の割︶当山は、御林として幕府の管理下に置かれ、産する松茸は将軍家へ献上された。
金山
かなやま
射水丘陵北部のなだらかな丘陵地帯の称で、野(の)手(て)・青(あお)井(いだ)谷(に)・浄(じよ)土(うど)寺(じ)・上(うわ)野(の)などが含まれ、東端の小杉町と婦(ね)負(い)郡婦(ふち)中(ゆう)町・富山市との境界近くに高(たか)津(つみ)峯(ね)山︵一一六・六メートル︶、北端近くに経(きよ)嶽(うがく)山︵約六〇メートル︶がある。この丘陵は新生代第三紀の砂岩層・泥岩層によって構成されている。丘陵地の耕作に水が得にくいため、谷の入口を閉じて溜池がたくさんつくられていた。この丘陵を和(わ)田(だ)川・下(げじ)条(よう)川が谷を深く刻んで流れている。
金山
かなやま
[現在地名]館林市大手町・本町一―二丁目
館林城の西南端に接し、北は片町・鍛冶町、西は肴町に接している。地名は北端鍛冶町との間に金山毘古命を祭神とする金山神社が鎮座していたことによる。
金山
かなやま
[現在地名]美祢市於福町下 金山
於(おふ)福(く)の中央に位置し、中世末から近世初頭にかけて鉱山町として栄えた集落。東を厚(あ)狭(さ)川が南流する。
﹁延喜式﹂にみえる古代の陰陽連絡路に沿った交通上の要衝であるため、早くから開けていたと思われる。近世にも当地に一里塚が設けられていた︵注進案︶。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
金山[町] (かねやま)
福島県西部,大沼郡の町。人口2462︵2010︶。只見川中流の河谷に位置し,北には新潟県境をなす越後山脈がある。町域の大半が山林で,集落,耕地は河岸段丘上に分布する。冬季の積雪が多く,特別豪雪地帯に指定されており,高齢化率は東北一,人口減少率も県下で最大である。中心集落の川口は只見川と野尻川の合流点に位置し,沼田街道︵国道252号線︶と昭和村への道路の分岐点にあたる。稲作のほか,畜産,コンニャクイモ栽培などが行われ,会津桐の産地でもある。只見川は昭和20年代から大規模な電源開発が進められ,町内に滝,伊南川,本名,上田,沼沢,第2沼沢の発電所がある。1961年に会津線が会津川口まで通じ,71年には新潟県と結び只見線と改称された。町東部の沼沢湖︵カルデラ湖︶周辺は自然休養村に指定され,只見川,野尻川沿いには金山谷温泉郷がある。スキー場も建設されている。
執筆者‥佐藤 裕治
金山[町] (かねやま)
山形県北東端,最上郡の町。人口6365︵2010︶。新庄市の北に位置し,北東は秋田県と接する。奥羽山脈に属する神室山︵1365m︶が東部にあり,山林原野が町域の大半を占める。中心集落は国道13号線が通じる金山で,江戸時代は羽州街道の宿場町として栄え,定期市も開かれていたが,明治以後奥羽本線から離れたため町勢は停滞している。農林業が主産業で,金山杉の産地として知られる。冬季に1.2~2mの積雪のある地域で,出稼者が多い。近年,繊維,電機部品などの工場が進出している。西部には中世に開発され,元禄年間︵1688-1704︶まで稼行し,新庄藩の財政を支えた谷口銀山跡がある。
執筆者‥松原 宏
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
金山
かなやま
岐阜県中部,飛騨川の中流域,馬瀬川が合流する地点にある地区。旧町名。 1890年町制。 1955年菅田町および下原,東の2村と合体。 2004年3月下呂町はじめ3町1村と合併し,下呂市となった。中心集落金山は飛騨 (越中) 街道に沿い,宿場町として発展。山林が広く,主産業は農業と林業。南部の菅田地区は茶の産地。木材,木製品加工も発達。中央を南流する馬瀬川に岩屋ダムがあり,東仙峡金山湖が広がる。中山七里と呼ばれる渓谷美で知られる景勝地があり,飛騨木曾川国定公園に属する。民俗資料を集めた金山町郷土館がある。JR高山本線,国道41号線が通る。
金山
かなやま
愛知県名古屋市熱田区の北端にある地区。都心の栄町から南方 3kmに位置し,副都心を形成。JR東海道本線,中央本線,名古屋鉄道が集まって金山駅があり,都心部に入る南の玄関口。近くに市立体育館がある。堀川と新堀川に囲まれていて,両運河沿いは車両,ガラス,ガスなどの大工場や,名古屋中央卸売市場がある。熱田神宮にも近い。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
世界大百科事典(旧版)内の金山の言及
【表郷[村]】より
…村名は江戸時代の郷名にちなむ。中心集落は国道289号線が通る金山で,黄金川上流には古代から金山が開かれ,遣唐使派遣の費用をまかなったと伝えられる。1971年には灌漑用水犬神ダムが完成,圃場整備も完了し,農業の近代化が進んだ。…
【高山集落】より
…日本アルプスには2000m以上の高地にいくつかの山小屋があるが,終年定住の山小屋集落としては水没した廃村有峰があっただけである。秩父多摩国立公園の瑞牆(みずがき)山南麓には戸数2戸の山小屋集落金山(かなやま)がある。標高1410m,耕境にあり第2次大戦前は日本最高の農業集落であるといわれていた。…
※「金山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」