なは (列車)
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なは | |
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![]() なは(2006年9月) | |
概要 | |
国 |
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種類 | 寝台特別急行列車 |
現況 | 廃止 |
地域 | 京都府・大阪府・兵庫県・岡山県・広島県・山口県・福岡県・佐賀県・熊本県 |
前身 | 寝台特急「明星」 |
運行開始 | 1968年10月1日 |
運行終了 | 2008年3月14日[1] |
運営者 |
日本国有鉄道(国鉄)→ 西日本旅客鉄道(JR西日本) 九州旅客鉄道(JR九州) |
路線 | |
起点 | 京都駅 |
終点 | 熊本駅 |
使用路線 |
JR西日本:東海道本線(琵琶湖線・JR京都線・JR神戸線)・山陽本線(JR神戸線) JR九州:山陽本線・鹿児島本線 |
車内サービス | |
クラス | B寝台 |
就寝 |
B寝台「ソロ」:3号車 B寝台「デュエット」:4号車 開放式B寝台:1・2号車 |
技術 | |
車両 | 24系客車(JR九州熊本鉄道事業部) |
軌間 | 1,067 mm |
電化 |
直流1,500 V(京都 - 下関間) 交流20,000 V・60 Hz(門司 - 熊本間) |
備考 | |
廃止時点のデータ |
なはは、かつて西日本旅客鉄道︵JR西日本︶および九州旅客鉄道︵JR九州︶が、京都駅 - 熊本駅間を東海道本線・山陽本線・鹿児島本線経由で運行していた寝台特別急行列車である。2008年3月14日発の運転をもって﹁あかつき﹂とともに廃止された。
本項では、主に京阪神対鹿児島本線沿線を結ぶ夜行列車の沿革についても記述する。
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/8c/JNR_583_naha_yamazaki.jpg/200px-JNR_583_naha_yamazaki.jpg)
581・583系電車寝台特急﹁なは﹂︵画像は回送列車、1983年 山崎駅付近︶
特急﹁なは﹂は、当時の京阪九︵京都 - 博多・長崎︶間を結ぶ優等列車として運行されていた昼行気動車特急列車﹁かもめ﹂のうち、1965年10月2日のダイヤ改正より京都 - 西鹿児島間で運行されていた編成を﹁なは﹂として分離、運行区間を大阪 - 西鹿児島間として1968年10月から運行開始された[2]。この時は昼行特急列車としてキハ82系が充当され、大阪 - 小倉間では日豊本線宮崎発着の﹁日向﹂と併結運転しており、1973年10月のダイヤ改正で485系電車化され単独運行となった。
山陽新幹線が全通した1975年3月、﹁なは﹂は運行時間帯を昼間から夜間に、また使用車両を583系に変更し、夜行寝台特急列車﹁なは﹂として新大阪︵一時期、京都︶ - 西鹿児島間の運行となった。
1984年2月からは使用車両を電車から寝台客車︵24系客車︶に変更し、京阪神対鹿児島本線沿線を結ぶいわゆる﹁関西ブルートレイン﹂の一員となった。
2004年3月に九州新幹線が部分開業したことにより並行在来線が第三セクターの肥薩おれんじ鉄道へ移管、それに伴い熊本発着に変更。翌2005年10月には﹁あかつき﹂と京都 - 鳥栖間で併結運行を実施することになり新大阪発着から京都発着に変更され[2]、結果的には運転区間が延長される形になった。
そして2008年3月14日発の便をもって廃止となった[2]。これにより京阪神対九州間の夜行定期特急列車は1965年に運行開始以来42年半、当列車は39年半の歴史に終止符を打った。
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/52/NahaHM.JPG/200px-NahaHM.JPG)
テールマーク
琉球新報が1967年に沖縄の日本復帰を願い﹁本土に沖縄名の列車を走らせよう﹂というキャンペーンで公募したものである[2]。県内外からの5,211通の応募をもとに国鉄に提出された﹁なは﹂・﹁おきなわ﹂・﹁しゅり﹂・﹁でいご﹂・﹁ひめゆり﹂の5つの候補の中から国鉄の列車愛称選考会により選出された[2][1][3]。そのため、当時アメリカ占領下に置かれていた沖縄の那覇市が名称由来となった。なお、経由地・目的地に由来しない列車名であるが、鹿児島港で船に乗り継ぐことによって関西方面から沖縄へのアクセスの一端を担うという経緯もあった。
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/37/Naha_akatsuki.jpg/200px-Naha_akatsuki.jpg)
寝台特急なは・あかつき︵瀬戸 - 万富間︶
廃止直前は﹁あかつき﹂を京都 - 鳥栖間で併結して運行されていた。なお、列車番号は全区間を通して変更がなく、下りが 31、上りが 32。
概要
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/8c/JNR_583_naha_yamazaki.jpg/200px-JNR_583_naha_yamazaki.jpg)
﹁なは﹂の列車名の由来
運行概況
廃止直前
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/37/Naha_akatsuki.jpg/200px-Naha_akatsuki.jpg)
停車駅
京都駅 - 新大阪駅 - 大阪駅 - 三ノ宮駅 - 姫路駅 - 岡山駅 - 倉敷駅 - 福山駅 - ︵尾道駅︶ - ︵三原駅︶ - ︵新山口駅︶ - ︵宇部駅︶ - ︵厚狭駅︶ - 下関駅 - 門司駅 - 小倉駅 - 黒崎駅 - 博多駅 - 鳥栖駅 - 久留米駅 - 大牟田駅 - 熊本駅- 尾道駅・三原駅は下り列車のみ停車
- 新山口駅・宇部駅・厚狭駅は上り列車のみ停車
- 上・下り列車は広島駅・徳山駅に運転停車。
使用車両・編成
表・編・話・歴・PJR・PJRN・C | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「なは」「あかつき」 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
← 熊本・長崎 京都 → | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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運行開始当初は気動車による運転を行い、1973年10月1日に485系電車を投入、1984年2月1日からは24系客車が使用されるようになった。
時代が平成に入り普通車座席指定席レガートシートを、熊本発着の付属編成に連結して1990年3月10日より使用を開始。
1992年7月15日に西鹿児島発着の基本編成へ移ったがあかつきとの併結開始に伴い2005年9月30日出発分を以って編成から外された。B個室寝台﹁デュエット﹂は1991年3月16日、B個室寝台﹁ソロ﹂は1992年7月15日から編成に追加された。
牽引機関車
京都 - 下関間は、JR西日本下関地域鉄道部下関車両管理室︵当時︶所属のEF66形が牽引していた。﹁あかつき﹂との併結開始以前は、下関車両管理室所属のEF65形1000番台︵PF形︶が牽引を担当した。併結開始以後も、同機が関西方面の団臨に用いられる際の送込・返却回送を兼ねて牽引を行うことがあった。 下関 - 熊本間は、大分鉄道事業部大分車両センターの機関車を使用し、このうち下関 - 門司間はEF81形400番台[4]、門司 - 熊本間はED76形が牽引を行っていた。担当車掌区
●京都 - 下関間‥みやこ列車区︵JR西日本︶ ●下関 - 鳥栖間‥門司車掌区︵JR九州︶ ●鳥栖 - 熊本間‥博多車掌区︵JR九州︶2004年前後の運行概況
2004年3月11・12日までは、西鹿児島︵現・鹿児島中央︶発着で運行されていた。停車駅
新大阪駅 - 大阪駅 - 三ノ宮駅 - 姫路駅 - 岡山駅 - 倉敷駅 - 福山駅 - 尾道駅 - 三原駅 - ︹門司駅︺ - ︹小倉駅︺ - 博多駅 - 鳥栖駅 - 久留米駅 - 大牟田駅 - 熊本駅 - 八代駅 - 水俣駅 - 出水駅 - 阿久根駅 - 川内駅 - 串木野駅 - 伊集院駅 - 西鹿児島駅- 〔 〕は上りのみ停車
- このほか、下り列車は下関駅・門司駅に、上り列車は下関駅に運転停車していた。
使用車両・編成
「なは」単独運転最末期編成 | ||||||||||||||||||||
← 西鹿児島・熊本 新大阪 → | ||||||||||||||||||||
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24系客車が使用されていた。
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/37/Kani24Naha.JPG/200px-Kani24Naha.JPG)
京都駅に到着した﹁なは﹂
発着地が類似する公共交通機関
当列車と同じく阪神地域と南九州を結んでいた夜行高速バスは、列車廃止時点では以下のとおり存在していたが、このうち2019年現在も運行しているのはサンライズ号のみである。また、空路については大阪国際空港︵伊丹︶・関西国際空港・神戸空港と熊本空港・鹿児島空港を結ぶ路線があった。
●トロピカル号 : 近鉄バスが運行し、大阪と鹿児島を結んでいた。
●かつては鹿児島交通︵ → 南九州バスネットワーク︶と共同運行しており、同社運行便は﹁トロピカルライナー﹂と称していた。
●さつま号 : 阪急観光バスと南国交通が共同運行し、大阪と鹿児島を結んでいた。
●サンライズ号 : 近鉄バスと九州産交バスが共同運行し、京都・大阪と熊本を結ぶ。
●トワイライト神戸号 : 九州産交バスが運行し、尼崎・神戸と熊本・鹿児島を結んでいた。
●列車より先に廃止となっているが、神戸と熊本を結ぶ路線は他に、熊本電気鉄道と山陽電気鉄道が運行する﹁ユウヅル号﹂﹁レッツ号﹂もあった。
京阪神対鹿児島本線優等列車沿革
「山陽本線優等列車沿革」も参照
戦後直後の展開
●1951年︵昭和26年︶4月1日‥大阪 - 博多間運行の臨時夜行急行列車として3033・3034列車が運行を開始。 ●1952年︵昭和27年︶9月1日‥3033・3034列車に﹁げんかい﹂の名称が与えられ、定期化。 ●1953年︵昭和28年︶3月15日‥﹁げんかい﹂が臨時で東京駅まで延長。 ●1954年︵昭和29年︶8月1日‥﹁げんかい﹂正式に東京 - 博多間運行となり、﹁高千穂﹂が連結される。 ●1956年︵昭和31年︶ ●3月20日‥臨時夜行急行﹁天草﹂︵あまくさ︶が京都 - 熊本間で運行開始。 ●11月19日‥﹁天草﹂が定期列車化され、﹁げんかい﹂の名称を漢字書きの﹁玄海﹂に変更。また、﹁玄海﹂の九州側の発着地を長崎本線長崎駅とする。 ●1957年︵昭和32年︶10月1日‥東京 - 長崎間運行の寝台特急列車﹁さちかぜ﹂新設のため、﹁玄海﹂の名称を﹁桜島﹂︵さくらじま︶に変更し京都 - 鹿児島間の運行とする。 ●1958年︵昭和33年︶10月1日‥﹁桜島﹂の名称を再び﹁玄海﹂に変更し、運転区間を京都 - 博多間に短縮。 ●1961年︵昭和36年︶10月1日‥サンロクトオのダイヤ改正により、以下の列車の運行開始。 (一)大阪 - 熊本間運行の寝台急行列車﹁ひのくに﹂が運行開始。 (二)﹁天草﹂は筑豊本線経由とし、博多駅を経由しないダイヤを組んだ。 (三)﹁玄海﹂発着地を長崎駅に変更。 ●1963年︵昭和38年︶10月1日‥夜行急行列車﹁しろやま﹂を大阪 - 西鹿児島︵現・鹿児島中央︶間で運行開始。 ●1964年︵昭和39年︶10月1日‥東海道新幹線開業に伴うダイヤ改正により次のように変更。 (一)﹁ひのくに﹂﹁しろやま﹂が東海道新幹線と接続のため、新大阪発着に変更。 (二)従来東京 - 西鹿児島間運行の不定期急行列車﹁桜島﹂︵さくらじま︶の本州方発着駅を新大阪駅に変更。ただし、繁忙期には東京または品川[5] - 新大阪間を運行する場合もあった。 ●1965年︵昭和40年︶10月1日‥ダイヤ改正により次のように変更。 (一)昼行の気動車特急列車﹁かもめ﹂に西鹿児島発着編成を連結開始。運行区間は京都 - 西鹿児島間であった。 (二)新大阪 - 博多間で寝台急行列車﹁海星﹂︵かいせい︶が運行開始。 (三)新大阪 - 西鹿児島・長崎間で寝台特急列車として﹁あかつき﹂の運行を開始。20系客車を使用し、ブルートレインとなった。 ●当初より東海道新幹線との連携を持つ列車であった﹁あかつき﹂は使用車両・設定種別ともにこの性格も含めて﹁関西ブルトレ﹂のルーツとされた。 ●﹁あかつき﹂新設に伴い﹁しろやま﹂は大阪発着に戻される。﹁なは﹂と寝台電車特急の登場
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/02/JNR_583_Ltd_Exp_Myojo_at_Osaka_Station.jpg/200px-JNR_583_Ltd_Exp_Myojo_at_Osaka_Station.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a2/Edamitsu_Curve-1978-06.jpg/200px-Edamitsu_Curve-1978-06.jpg)
山陽新幹線全通後の展開
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/90/Myojo6_EF5844_Osaka_19800323.jpg/200px-Myojo6_EF5844_Osaka_19800323.jpg)
国鉄分割民営化後の展開
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b5/JR_PC_oha24-302.jpg/200px-JR_PC_oha24-302.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/20/JNR_EL_EF65-1129.jpg/200px-JNR_EL_EF65-1129.jpg)
京阪神対九州ブルートレインの終焉
●2004年︵平成16年︶3月13日‥九州新幹線新八代 - 鹿児島中央間開業と並行在来線が肥薩おれんじ鉄道への移管に伴い、﹁なは﹂は熊本発着に変更[12]。また、西日本トラベルの車内販売が撤退。 ●2005年︵平成17年︶10月1日‥利用客減少に伴い﹁あかつき﹂と京都 - 鳥栖間で併結運転が開始。﹁なは﹂の運行区間が京都 - 熊本間となり[13]、ダイヤについても﹁あかつき﹂のダイヤに移行する。また普通車指定席﹁レガートシート﹂が編成から外された。 ●これにより、﹁京阪神対九州特急﹂は事実上﹁なは﹂﹁あかつき﹂の1往復のみになる。 ●2008年︵平成20年︶3月14日‥この日発の運転をもって﹁なは﹂が廃止。 ●これにより、九州直通のブルートレインは東京発の﹁富士﹂﹁はやぶさ﹂の1往復となったが、同列車も2009年︵平成21年︶3月13日に廃止された。「なは・あかつき」最終日編成 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
← 熊本・長崎 京都 → | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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保存車両等
車両
廃止後、車両は鹿児島県内に置かれていたが約7年間雨ざらしになっていた[2]。 2021年4月18日、クラウドファンディングで募った資金をもとに、香川県観音寺市のロープウェーの山麓駅駐車場に移送設置された[2]。修繕後、宿泊できる施設として整備されることになっている[2]。ヘッドマーク
2008年3月15日の下り最終列車で鳥栖駅から装着された本列車単独のヘッドマークが、到着後に熊本駅で行われたお別れセレモニーでゆかりの地である沖縄県・那覇市の関係者に贈呈された[3][14]。同年4月1日から、ゆいレール県庁前駅や旭橋駅の改札内コンコースや[14]、沖縄都市モノレール本社に併設されている﹁ゆいレール展示館﹂で展示されていた。2021年7月8日に那覇市政100周年にあたって沖縄都市モノレールから那覇市に寄贈[15][16]。同年7月17日以降は、那覇市歴史博物館に寄贈され、今後展示が行われる予定である[17]。脚注
(一)^ ab“県民名付け親の寝台特急﹁なは﹂3月廃止に”. 琉球新報. (2008年1月16日). オリジナルの2008年3月21日時点におけるアーカイブ。 2021年4月26日閲覧。
(二)^ abcdefgh“沖縄の本土復帰願い大阪―西鹿児島を走っていた特急﹁なは﹂、今はどうなっている?”. 琉球新報. (2021年5月15日). オリジナルの2021年7月31日時点におけるアーカイブ。 2021年7月31日閲覧。
(三)^ ab宇都宮照信、栗原隆司﹃九州発 最後のブルートレイン﹄海鳥社、2009年、142頁。ISBN 978-4-87415-717-6。
(四)^ 大幅遅延などがあるとJR貨物門司機関区の同形式車両が代走することもあった。
(五)^ 品川駅には補助臨時発着ホームを有し、1990年代まで繁忙期には東京・上野発着列車の補充として臨時列車の受け入れを行っていた。
(六)^ ﹁JR年表﹂﹃JR気動車客車編成表 '93年版﹄ジェー・アール・アール、1993年7月1日、187頁。ISBN 4-88283-114-7。
(七)^ 交通新聞社 編﹃阪神・淡路大震災 鉄道復旧記録誌﹄西日本旅客鉄道、1996年、825頁。
(八)^ 交通新聞社 編﹃阪神・淡路大震災 鉄道復旧記録誌﹄西日本旅客鉄道、1996年、1028頁。
(九)^ 交通新聞社 編﹃阪神・淡路大震災 鉄道復旧記録誌﹄西日本旅客鉄道、1996年、830頁。
(十)^ ab交通新聞社 編﹃阪神・淡路大震災 鉄道復旧記録誌﹄西日本旅客鉄道、1996年、833頁。
(11)^ 交通新聞社 編﹃阪神・淡路大震災 鉄道復旧記録誌﹄西日本旅客鉄道、1996年、1110頁。
(12)^ ﹃JR気動車客車編成表﹄ '04、ジェー・アール・アール、2004年。ISBN 4-88283-125-2。
(13)^ ﹃JR気動車客車編成表﹄ '06、ジェー・アール・アール、2006年。ISBN 4-88283-127-9。
(14)^ ab“なは号ヘッドマークの移設について”. 沖縄都市モノレール (2021年4月26日). 2021年4月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月26日閲覧。
(15)^ “寝台特急﹁なは﹂部品が那覇市に寄贈 モノレール社から19点、後日展示へ”. 琉球新報. (2021年7月20日). オリジナルの2021年7月31日時点におけるアーカイブ。 2021年7月31日閲覧。
(16)^ “寝台特急﹁なは﹂のヘッドマーク 那覇市に贈呈”. 沖縄 NEWS WEB (NHK). (2021年7月9日). オリジナルの2021年7月9日時点におけるアーカイブ。 2021年7月9日閲覧。
(17)^ “﹁なは﹂号ヘッドマークの展示について”. 沖縄都市モノレール (2021年7月1日). 2021年7月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月1日閲覧。