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{{otheruseslist|'''現行'''の日米安全保障条約|1952年(昭和27年)から1960年(昭和35年)までの旧日米安全保障条約|日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約}} |
{{otheruseslist|'''現行'''の日米安全保障条約|1952年(昭和27年)から1960年(昭和35年)までの旧日米安全保障条約|日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約}} |
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{{条約 |
{{条約 |
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|題名 =日本国とアメリカ合衆国との間の<br>相互協力及び安全保障条約 |
|題名 =日本国とアメリカ合衆国との間の<br>相互協力及び安全保障条約<ref>[https://hourei.ndl.go.jp/#/detail?lawId=0000052152 日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約及び関係文書] (日本法令索引)</ref><br>(日米安全保障条約)<br>{{small|Treaty of Mutual Cooperation and Security between Japan and the United States of America<br>(Japan-U.S. Security Treaty)}} |
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|画像 =Japan US Treaty of Mutual Security and Cooperation 19 January 1960.jpg |
|画像 =Japan US Treaty of Mutual Security and Cooperation 19 January 1960.jpg |
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|画像サイズ = 400px |
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|画像キャプション =[[外務省外交史料館]](東京都港区)で展示されている署名 |
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|通称 =日米安保 |
|通称 =日米安保条約 |
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|起草 = |
|起草 = |
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|署名場所 = {{USA1959}} [[ワシントンD.C.]] |
|署名場所 = {{USA1959}} [[ワシントンD.C.]] |
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|捺印 = |
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|効力発生 = 1960年(昭和35年)[[6月23日]] |
|効力発生 = 1960年(昭和35年)[[6月23日]] |
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|現況 = |
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|当事国 = |
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|寄託者 = |
|寄託者 = |
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|文献情報 =昭和35年6月23日官報号外第69号条約第6号 |
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|内容 =[[日本]]と[[アメリカ合衆国]]の[[国家安全保障|安全保障]]について |
|内容 =[[日本]]と[[アメリカ合衆国]]の[[国家安全保障|安全保障]]について |
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|関連 =[[日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約|旧安保条約]]、[[日米地位協定]] |
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|ウィキソース =日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約 |
|ウィキソース =日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約 |
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|リンク = |
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'''日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約'''︵にほんこくとアメリカがっしゅうこくとのあいだのそうごきょうりょくおよびあんぜんほしょうじょうやく、英語‥{{en|Treaty of Mutual Cooperation and Security between the United States |
'''日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約'''︵にほんこくとアメリカがっしゅうこくとのあいだのそうごきょうりょくおよびあんぜんほしょうじょうやく、英語‥{{en|Treaty of Mutual Cooperation and Security between Japan and the United States ofAmerica}}、[[1960年|昭和35年]]条約第6号︶は、[[日本|日本国]]と[[アメリカ合衆国]]の[[国家安全保障|安全保障]]のため、日本本土に[[アメリカ軍|米軍]]︵[[在日米軍]]︶が駐留することなどを定めた[[軍事同盟]]である。
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==条約について== |
== 条約について == |
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[[1960年]]︵[[昭和]]35年︶[[1月19日]]、[[アメリカ合衆国]]の[[ワシントンD.C.]]で締結された。いわゆる'''日米同盟'''︵にちべいどうめい︶の根幹を成す条約であり、条約に |
[[1960年]]︵[[昭和]]35年︶[[1月19日]]、[[アメリカ合衆国]]の[[ワシントンD.C.]]で締結された。いわゆる'''[[日米関係|日米同盟]]'''︵にちべいどうめい︶の根幹を成す[[条約]]である{{efn2|日本において日米関係を﹁同盟﹂と表現するのが一般化したのは、1980年代になってからのことである。[[2021年]]から政府は[[思いやり予算]]の通称を﹁同盟強靱化予算﹂とするなど<ref>{{cite news|title=﹁思いやり予算﹂は時代遅れ? ﹁同盟強靱化﹂に込めた政府の意図は|url=https://www.asahi.com/articles/ASPDP5F9LPDPUTFK00N.html|date=2021-12-21|publisher=朝日新聞}}</ref>、政府の公式見解化している。}}。条約の第6条の規定に従って﹁'''[[日米地位協定]]'''﹂︵にちべいちいきょうてい︶が締結されており、これには別の条約である﹁[[日米地位協定合意議事録|合意議事録]]﹂が付随している。
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形式的には[[1951年]]︵昭和26年︶に署名され、翌[[1952年]]︵昭和27年︶に発効した[[日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約|旧安保条約]]を失効させて新たな条約として締約・[[批准]]されたが、実質的には安保条約の改定とみなされている。この条約に基づき、[[ |
形式的には[[1951年]]︵昭和26年︶に署名され、翌[[1952年]]︵昭和27年︶に発効した[[日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約|旧安保条約]]を失効させて新たな条約として締約・[[批准]]されたが、実質的には安保条約の改定とみなされている{{efn2|旧条約下の[[日米行政協定]]と新条約下の地位協定にそれぞれ設置された[[日米合同委員会]]は、その継続性が主張されることがある<ref>[https://www.soumu.go.jp/main_content/000455152.pdf ﹁合意に係る日米合同委員会議事録﹂の不開示決定に関する件] pp.3~4︵情報公開・個人情報保護審査会答申書 平成28年度︵行情︶623︶</ref>。}}。この条約に基づき、[[アメリカ軍]]の[[在日米軍|日本駐留]]を引き続き認めた。60年安保条約、'''新安保条約'''︵しんあんぽじょうやく︶などとも言われる。なお、新・旧条約を特段区別しない場合の通称は'''日米安全保障条約'''︵にちべいあんぜんほしょうじょうやく︶、'''日米安保条約'''︵にちべいあんぽじょうやく︶である。
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== 概要 == |
== 概要 == |
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{{See also|日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約}} |
{{See also|日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約}} |
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[[1951年]]︵昭和26年︶[[9月8日]]、[[アメリカ合衆国]]を始めとする[[第二次世界大戦]]の[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]側49ヶ国 |
[[1951年]]︵昭和26年︶[[9月8日]]、[[アメリカ合衆国]]を始めとする[[第二次世界大戦]]の[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]側49ヶ国の間で[[日本国との平和条約]]︵サンフランシスコ講和条約︶が締結され、翌[[1952年]]︵昭和27年︶[[4月28日]]に効力が発生した。この際、同条約第6条︵a︶但し書き<ref>第六条(a) 連合国のすべての占領軍は、この条約の効力発生の後なるべくすみやかに、且つ、いかなる場合にもその後九十日以内に、日本国から撤退しなければならない。'''但し、この規定は、一または二以上の連合国を一方とし、日本国を他方として双方の間に締結された若しくは締結される二国間若しくは多数国間の協定に基く、又はその結果としての外国軍隊の日本国の領域における駐とん又は駐留を妨げるものではない。'''</ref>に基づき、同時に締約された条約が旧日米安全保障条約︵[[日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約]]︶であり、<!--旧条約を吉田が一人で署名したという経緯については旧安保条約へ移動。-->この条約に基づき、[[連合国軍占領下の日本|連合国軍による日本の占領統治]]は終了して日米両国は国交回復し、[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]麾下部隊のうち[[アメリカ軍]]部隊は[[在日米軍]]として駐留を継続し、他の[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]軍︵主に[[イギリス軍]]︶部隊は撤収した。
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旧条約は日本の自主防衛力が除去された |
旧条約は日本の自主防衛力が除去された戦後占領期の社会情勢を前提に、日本政府が米軍の駐留を希望する<ref>旧条約前文「日本国は、本日連合国との平和条約に署名した。日本国は、武装を解除されているので、平和条約の効力発生の時において固有の自衛権を行使する有効な手段をもたない。無責任な[[軍国主義]]がまだ世界から駆逐されていないので、前記の状態にある日本国には危険がある。よつて、日本国は平和条約が日本国とアメリカ合衆国の間に効力を生ずるのと同時に効力を生ずべきアメリカ合衆国との安全保障条約を希望する。平和条約は、日本国が主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章は、すべての国が個別的及び集団的自衛の固有の権利を有することを承認している。これらの権利の行使として、日本国は、その防衛のための暫定措置として、日本国に対する武力攻撃を阻止するため日本国内及びその附近にアメリカ合衆国がその軍隊を維持することを希望する。」</ref>という形式をとるものであり、また米国の「駐留権」<ref>{{Cite web|和書|url=https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=115614184X00920030716|title=参議院会議録情報 第156回国会 憲法調査会 第9号|accessdate=2019-01-17|website=kokkai.ndl.go.jp|publisher=国会会議議事録検索システム}}</ref>に基づく片務的な性格を持つ条約であった<ref name=mitsui>{{Cite journal|和書|author=三浦信行|year=2011|month=3|title=日米安全保障条約改定50周年に寄せて : 第34回国会「日米安全保障条約等特別委員会」公聴会公述人の意見陳述を中心に|journal=国士舘大学政治研究|issue=2|pages=137-192|publisher=国士舘大学政経学部附属政治研究所|url=https://web.archive.org/web/20131215095744/https://kiss.kokushikan.ac.jp/contents/0/data/1002369/0000/referenceMaterial/1/1884_6963_002.pdf|format=PDF|issn=1884-6963|ref={{Harvid|三浦|2011}}}}</ref>。 |
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[[1960年]]︵昭和35年︶[[1月16日]]に渡米した |
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1958年︵昭和33年︶10月4日、日米合同委員会が東京で開かれ、[[岸信介]][[内閣総理大臣|首相]]、[[藤山愛一郎]]外相、[[ダグラス・マッカーサー2世]]大使らが出席。以後、安保条約改定の交渉が進められていった<ref>{{cite web |url=https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=103003968X00319581008 | title=第30回国会 衆議院 外務委員会 第3号 昭和33年10月8日 | publisher=国会会議録検索システム | date= | accessdate=2024-5-10 }}</ref><ref>﹃外交時報﹄1958年12月号、外交時報社、40-46頁。</ref>。
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⚫ | 条約承認については野党が強く反発しており、前日の[[5月19日]]には[[日本 |
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この強行策は'''[[安保闘争]]'''の活発化を招く結果となり、条約反対運動は次第に激しいものとなっていった。アイゼンハワー大統領の訪日も結局中止されることとなるが、岸政権の目論見通り、条約は30日後の[[6月19日]]に[[参議院]]の承認のないまま自然承認された。批准書交換が行われて条約が発効した[[6月23日]]、岸は退陣を表明した<ref>{{Cite web|url=https://www.sankei.com/ |
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[[1960年]]︵昭和35年︶[[1月16日]]に渡米した岸信介首相率いる全権委任団は、同[[1月19日]]に旧安保条約に代わる新安保条約に調印した。[[ドワイト・D・アイゼンハワー]][[アメリカ合衆国大統領|大統領]]の訪日が予定されていた同年[[6月19日]]までに条約を批准したい岸首相の意向の下、期日までに[[衆議院の優越]]を利用した[[自然成立|自然承認]]が成立するぎりぎりの日程であった[[5月20日]]、[[衆議院]]本会議で条約が承認された<ref name=":1">{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/article/20150922-7QQTXUAIINJDLFBD42HUJTLJUM/|title=︻安保改定の真実︵7︶︼先鋭化する社会党﹁米帝は日中の敵!﹂5・19強行採決で事態一転…牧歌的デモじわり過激化 そして犠牲者が|accessdate=2019-01-19|date=2015-09-22|website=産経ニュース|publisher=}}</ref>。
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条約承認については野党が強く反発しており、前日の[[5月19日]]には[[日本社会党]]議員らが[[清瀬一郎]]衆議院議長を監禁して採決を阻止していたが、同日午後11時7分に警官隊がこれを排除した。清瀬議長は[[金丸信]]ら屈強な[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]議員らに守られながら議場に入り、自民党が[[会期延長]]を単独採決した。更に日付が変わった直後の午前0時5分に清瀬議長が開会を宣言し、そこで条約承認が緊急上程され可決した。なお、多数の議員が壇上に押しかける中で清瀬議長が[[マイクロフォン|マイク]]を握りしめているという有名な﹁[[強行採決]]﹂の様子は、会期延長を議決したときのものであり、その後野党議員らが抗議の退出をしたため条約批准案の可決自体は粛々と行われた<ref name=":1" /><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASFK1903D_R00C11A8000000/|title=身代わり出馬でトップ当選︵政客列伝 金丸信︶|accessdate=2019-01-22|date=2011-08-07|website=日本経済新聞 電子版|publisher=}}</ref>。
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この強行策は'''[[安保闘争]]'''の活発化を招く結果となり、条約反対運動は次第に激しいものとなっていった。アイゼンハワー大統領の訪日も結局中止されることとなるが、岸政権の目論見通り、条約は30日後の[[6月19日]]に[[参議院]]の承認のないまま自然承認された。批准書交換が行われて条約が発効した[[6月23日]]、岸は退陣を表明した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/article/20150923-DQNPS3D5XBIHREZH3FUJAO43LA/|title=︻安保改定の真実︵8︶完︼岸信介の退陣 佐藤栄作との兄弟酒﹁ここで二人で死のう﹂ 吉田茂と密かに決めた人事とは…|accessdate=2019-01-19|date=2015-09-23|website=産経ニュース|publisher=}}</ref>。
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新条約では[[集団的自衛権]]を前提とした(形式としては)双務的体裁を採用しており、日米双方が日本および極東の平和と安定に協力することを規定した。また、その期限を10年とし、以後は締結国からの1年前の予告により一方的に破棄出来ると定めた。締結後10年が経過した[[1970年]](昭和45年)前後に再び安保闘争が興隆したものの、以後も当条約は破棄されておらず、現在も効力を有している。 |
新条約では[[集団的自衛権]]を前提とした(形式としては)双務的体裁を採用しており、日米双方が日本および極東の平和と安定に協力することを規定した。また、その期限を10年とし、以後は締結国からの1年前の予告により一方的に破棄出来ると定めた。締結後10年が経過した[[1970年]](昭和45年)前後に再び安保闘争が興隆したものの、以後も当条約は破棄されておらず、現在も効力を有している。 |
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新安保条約は、同時に締結された[[日米地位協定]]によりその細目を規定している。日米地位協定では日本がアメリカ軍に施設や地域を提供する具体的な方法を定める他、その施設内での特権・[[税金]]の免除・兵士と軍属などへの裁判権などを定めている。 |
新安保条約は、同時に締結された[[日米地位協定]]によりその細目を規定している。日米地位協定では日本がアメリカ軍に施設や地域を提供する具体的な方法を定める他、その施設内での特権・[[税金]]の免除・兵士と軍属などへの裁判権などを定めている。またこれらと同時に、﹁[[日米地位協定合意議事録]]﹂が作成された。
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== 条文 == |
== 条文 == |
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{{wikisource|日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約}} |
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:前文 |
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=== 内容 === |
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: |
:(前文にて、条約を締結することの意義について説明する。また、個別的及び集団的[[自衛権]]についても言及している。) |
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: 第1条 |
: 第1条 |
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:: [[国際連合憲章]]の武力不行使の原則を確認し、この条約が純粋に防衛的性格のものであることを宣明する。 |
:: [[国際連合憲章]]の武力不行使の原則を確認し、この条約が純粋に防衛的性格のものであることを宣明する。 |
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:: 日米双方が、憲法の定めに従い、各自の防衛能力を維持発展させることを規定する。 |
:: 日米双方が、憲法の定めに従い、各自の防衛能力を維持発展させることを規定する。 |
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: 第4条 |
: 第4条 |
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:: (イ)日米安保条約の実施に関して必要ある場合及び(ロ)我が国の安全又は極東の平和及び安全に対する脅威が生じた場合には、日米双方が随時協議する旨を定める。この協議の場として設定される安全保障協議委員会{{efn2|日本側の外務大臣と防衛庁長官、米国側の国務長官と国防長官により構成される会合。いわゆる「2プラス2」}}の他、通常の外交ルートも用いて、随時協議される。 |
:: ︵イ︶日米安保条約の実施に関して必要ある場合及び︵ロ︶我が国の安全又は極東の平和及び安全に対する脅威が生じた場合には、日米双方が随時協議する旨を定める。この協議の場として設定される[[日米安全保障協議委員会]]{{efn2|日本側の外務大臣と防衛庁長官、米国側の国務長官と国防長官により構成される会合。いわゆる﹁2プラス2﹂。条約署名時の往復書簡の基づき設置<ref>[https://worldjpn.net/documents/texts/JPUS/19600119.O2J.html 安全保障協議委員会の設置に関する往復書簡] - データベース﹁世界と日本﹂</ref>。}}の他、通常の外交ルートも用いて、随時協議される。なお、いわゆる﹁事前協議﹂の制度はこの規定とは関係がない。
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: 第5条 |
: 第5条 |
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:: 両国の日本における、(日米)いずれか一方に対する攻撃が自国の平和及び安全を危うくするものであるという位置づけを確認し、憲法や手続きに従い共通の危険に対処するように行動することを宣言している。 |
:: 両国の日本における、(日米)いずれか一方に対する攻撃が自国の平和及び安全を危うくするものであるという位置づけを確認し、憲法や手続きに従い共通の危険に対処するように行動することを宣言している。 |
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: 第6条 |
: 第6条 |
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:: [[在日米軍]]について定める。細目は[[日米地位協定]]に規定される。 |
:: [[在日米軍]]について定める。細目は[[日米地位協定]]などに規定される。 |
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: 第7条、第8条、第9条 |
: 第7条、第8条、第9条 |
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:: 他の規定との効力関係、発効条件などを定める。 |
:: 他の規定との効力関係、発効条件などを定める。 |
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: 第10条 |
: 第10条 |
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:: 当初の10年の有効期間(固定期間)が経過した後は、1年前に予告することにより、一方的に廃棄できる旨を規定する。いわゆる自動延長方式の規定であり、この破棄予告が出されない限り条約は存続する。 |
:: 当初の10年の有効期間︵固定期間︶が経過した後は、1年前に予告することにより、一方的に廃棄できる旨を規定する。いわゆる自動延長方式の規定であり、この破棄予告が出されない限り条約は存続する。なお、代わる国連の措置が有効になったと両国が認めれば、この条約は終了するとしている。
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== 本質・諸解釈など == |
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{{言葉を濁さない|date=2017年5月|section=1}} |
{{言葉を濁さない|date=2017年5月|section=1}} |
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=== 日米安全保障条約の本質の変化 === |
=== 日米安全保障条約の本質の変化 === |
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68行目: | 75行目: | ||
日米安全保障条約は時代と共に本質を変化させて来た。 |
日米安全保障条約は時代と共に本質を変化させて来た。 |
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旧安保条約が締結された当時、日本の独自の防衛力は事実上の空白状態であり︵[[警察予備隊]]の創設が1950年︵昭和25年︶秋である |
旧安保条約が締結された当時、日本の独自の防衛力は事実上の空白状態であり︵[[警察予備隊]]の創設が1950年︵昭和25年︶秋である︶、一方で既に前年の[[1950年]]︵昭和25年︶に[[朝鮮戦争]]が勃発して在日米軍は朝鮮半島に出撃しており、アメリカは出撃拠点ともなる後方基地の安全と補給の確保を喫緊の課題としていた。日本側の思惑としては独自の防衛力を再建するための時間的猶予がいまだ必要であり、また敗戦により破壊された日本の国力が正常な状態に復活するまで安全保障に必要な大半の軍事をアメリカに委任させることで経済負担を極力抑え、経済復興から経済成長へと注力するのが狙いであった{{efn2|ソ連を含まない単独講和と旧安保条約の締結に反対していた[[松野鶴平]]に対して、[[吉田茂]]は﹁このご時世、番犬くらい飼ってるだろう?﹂と持ちかけ、﹁それがどうした﹂と返されると、﹁犬とえさ代は向こう持ちなんだよ﹂と発言したとされる。}}。[[1953年]]︵昭和28年︶7月に朝鮮戦争が停戦した後もひきつづき[[冷戦]]構造のもとで、日本は[[大韓民国|韓国]]・[[中華民国]]︵[[台湾]]︶と共に、陸軍長官[[ケネス・クレイボーン・ロイヤル]]の提唱した﹁[[封じ込め]]政策﹂に基づく[[反共主義]]の砦・防波堤として、[[ソビエト連邦|ソ連]]・[[中華人民共和国|中国]]・[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]に対峙していた。
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[[1950年代]]中期になると、日本経済は[[朝鮮特需|朝鮮戦争特需]]から[[1955年]]︵昭和30年︶の[[神武景気]]に入り、1955年︵昭和30年︶の主要経済指標は戦前期の水準を回復して復興期を脱した。[[経済白書]]は﹁もはや戦後ではない﹂と述べ、高度経済成長への移行が始まった。政治体制においても[[自由党 (日本 1950-1955)|自由党]]と民主党が合併し自由民主党に、右派と左派が合併した[[日本社会党]]が設立され、いわゆる﹁[[55年体制]]﹂が成立し安定期に入った。そして1959年、日本が戦後初めて発行した[[外債]]は |
[[1950年代]]中期になると、日本経済は[[朝鮮特需|朝鮮戦争特需]]から[[1955年]]︵昭和30年︶の[[神武景気]]に入り、1955年︵昭和30年︶の主要経済指標は[[戦前]]期の水準を回復して復興期を脱した。[[経済白書]]は﹁もはや戦後ではない﹂と述べ、[[高度経済成長]]への移行が始まった。政治体制においても[[自由党 (日本 1950-1955)|自由党]]と[[日本民主党]]が合併し[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]に、右派と左派が合併した[[日本社会党]]が設立され、いわゆる﹁[[55年体制]]﹂が成立し安定期に入った。そして1959年、日本が戦後初めて発行した[[外債]]は米国の金融市場が引受けた。一方で、[[1954年]]︵昭和29年︶から[[1958年]]︵昭和33年︶にかけて中華人民共和国と中華民国︵台湾︶の間で[[台湾海峡危機]]が勃発し、軍事的緊張が高まった。また、アメリカ政府が支援して成立した[[ゴ・ディン・ジエム]]大統領独裁体制下の[[ベトナム共和国|南ベトナム]]では後の[[ベトナム戦争]]の兆しが現れていた。こうした日米両国が置かれた状況の変化を受けて締結されたのが新安保条約である。当条約の締結前夜には反対運動が展開された︵[[安保闘争]]︶。
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新安保条約は[[1970年]]︵昭和45年︶をもって当初10年の固定期間が満了となり、単年毎の自動更新期に突入したが、東西冷戦構造の下で条約は自動的に更新され続けた。一方、その意義付けは、[[1978年]]以降﹁[[日米防衛協力のための指針]]﹂︵ガイドライン︶と、その改定の形で示され、 |
新安保条約は[[1970年]]︵昭和45年︶をもって当初10年の固定期間が満了となり、単年毎の自動更新期に突入したが、東西冷戦構造の下で条約は自動的に更新され続けた。一方、その意義付けは、[[1978年]]以降﹁[[日米防衛協力のための指針]]﹂︵ガイドライン︶と、その改定の形で示され、対ソ連から対朝鮮有事、そして対中へと軍事条約としての実質的な性質を変えていった。
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[[1979年]](昭和54年)5月にアメリカを訪問した[[大平正芳]]首相は、日本の首相として初めてアメリカを「同盟国」と表現した<ref>{{Cite book|和書|author=五百旗頭真 編|title=戦後日本外交史[新版]|date=|year=2007|accessdate=|publisher=有斐閣、185頁|author2=中西寛「自律的協調の模索」|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=|頁=185頁。}}</ref>。しかし、後任の[[鈴木善幸]]首相は、[[1981年]](昭和 |
[[1979年]](昭和54年)5月にアメリカを訪問した[[大平正芳]]首相は、日本の首相として初めてアメリカを「同盟国」と表現した<ref>{{Cite book|和書|author=五百旗頭真 編|title=戦後日本外交史[新版]|date=|year=2007|accessdate=|publisher=有斐閣、185頁|author2=中西寛「自律的協調の模索」|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=|頁=185頁。}}</ref>。しかし、後任の[[鈴木善幸]]首相は、[[1981年]](昭和56年)5月のアメリカ訪問時の[[ロナルド・レーガン|レーガン大統領]]との日米共同声明に初めて「同盟」という表現が入ったことについて、帰国後「軍事的意味合いは持っていない」として、外務事務次官が異なる説明をすると激怒し、[[伊東正義]]外務大臣が事実上これに抗議して辞任している<ref name=":0">{{Cite book|author=五百旗頭真 編|title=戦後日本外交史[新版]|date=|year=2007|accessdate=|publisher=有斐閣、198頁・202頁|author2=村田晃嗣「「国際国家」の使命と苦悩」|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=}}</ref>。日米「同盟」という言葉が市民権を得たのは、1983年1月の[[中曽根康弘]]首相によるアメリカ訪問時の共同宣言からとされる<ref name=":0" />。 |
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[[1991年]](平成3年)12月の[[ソビエト連邦の崩壊]]により[[冷戦]]は終結したが、ソ連崩壊後の極東アジアの不安定化や北朝鮮の脅威、中台関係の不安定さや中国の軍事力増強など、日本および周辺地域の平和への脅威に共同対処するため引き続き条約は継続している。日本政府は、基本的価値や戦略的利益を共有する国がアメリカであるとし、日米安保は日本外交の基軸であり極東アジアの安定と発展に寄与するものとしている<ref>{{Cite web|date=2009年(平成21年)10月|url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/kankei.html#02|title=外務省: 日米関係 2.日米安全保障関係|publisher=外務省|accessdate=2013-06-01}}</ref>。一方で日米双方において、当条約の有効性や歴史的存在意義についての多くの議論がおこなわれるようになっている。 |
[[1991年]](平成3年)12月の[[ソビエト連邦の崩壊]]により[[冷戦]]は終結したが、ソ連崩壊後の極東アジアの不安定化や北朝鮮の脅威、中台関係の不安定さや中国の軍事力増強など、日本および周辺地域の平和への脅威に共同対処するため引き続き条約は継続している。日本政府は、基本的価値や戦略的利益を共有する国がアメリカであるとし、日米安保は日本外交の基軸であり極東アジアの安定と発展に寄与するものとしている<ref>{{Cite web|和書|date=2009年(平成21年)10月|url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/kankei.html#02|title=外務省: 日米関係 2.日米安全保障関係|publisher=外務省|accessdate=2013-06-01}}</ref>。一方で日米双方において、当条約の有効性や歴史的存在意義についての多くの議論がおこなわれるようになっている。 |
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[[2004年]](平成16年)度の日本[[防衛白書]]では初めて[[中華人民共和国]]の軍事力に対する警戒感を明記し、また米国の安全保障に関する議論でも、日本の対中警戒感に同調する動きが見られ、[[2005年]](平成17年)、米大統領[[ジョージ・W・ブッシュ]]の外交に大きな影響を持つ[[コンドリーザ・ライス]][[国家安全保障問題担当大統領補佐官]]が中国に対する警戒感をにじませる発言をし、日米安全保障条約の本質は対中軍事同盟・[[トルコ]]以東地域への軍事的存在感維持の為の物へと変化して来ている。<!--なお、アジア諸国はアメリカと個別に軍事同盟・軍事協力を結んでいる([[#条約・機構]]参照)が、これは[[集団安全保障]]体制を組ませず、対抗軸とさせないためのアメリカによるアジア分断・干渉であるとする意見もある。--><!--誰の意見か不明。--> |
[[2004年]](平成16年)度の日本[[防衛白書]]では初めて[[中華人民共和国]]の[[中国人民解放軍|軍事力]]に対する警戒感を明記し、また米国の安全保障に関する議論でも、日本の対中警戒感に同調する動きが見られ、[[2005年]](平成17年)、米大統領[[ジョージ・W・ブッシュ]]の外交に大きな影響を持つ[[コンドリーザ・ライス]][[国家安全保障問題担当大統領補佐官]]が中国に対する警戒感をにじませる発言をし、日米安全保障条約の本質は対中軍事同盟・[[トルコ]]以東地域への軍事的存在感維持の為の物へと変化して来ている。<!--なお、アジア諸国はアメリカと個別に軍事同盟・軍事協力を結んでいる([[#条約・機構]]参照)が、これは[[集団安全保障]]体制を組ませず、対抗軸とさせないためのアメリカによるアジア分断・干渉であるとする意見もある。--><!--誰の意見か不明。--> |
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[[2010年]](平成22年)[[1月19日]]、米大統領[[バラク・オバマ]]は、日米安保条約改定の署名50周年に際して声明を発表した<ref>{{cite news|title=日米安保条約改定50年 オバマ大統領談話全文|newspaper=YOMIURI ONLINE|publisher=読売新聞社|date=2010-01-20|url=http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20100120-OYT1T00631.htm|accessdate=2013-06-01|archiveurl=https://web.archive.org/web/20100123210001/http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20100120-OYT1T00631.htm|archivedate=2010年1月23日|deadlinkdate=2017年10月}}</ref>。声明では、「共通の課題に対して両国が協力することは、われわれが世界に関与する上での重要な一部となる」として、日米安保を基盤として両国の世界規模での協力の必要性を強調した。また「日本の安全保障に対する米国の関与は揺るぎない」として、「同盟を21世紀向けに更新し、両国を結束させる友好関係と共通の目的を高めよう」と呼びかけていた。また、安保改定50年にあたり日米の外務・防衛担当閣僚が共同声明を出している。<ref>{{cite news|title=安保改定50周年:日米の外務・防衛担当閣僚が共同声明|author=野口武則・仙石恭|newspaper=毎日jp|publisher=毎日新聞社|date=2010-01-19|url=http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100120k0000m010072000c.html|accessdate=2013-06-01|archiveurl=https://web.archive.org/web/20100120072039/http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100120k0000m010072000c.html|archivedate=2010年1月20日|deadlinkdate=2017年10月}}</ref> |
[[2010年]](平成22年)[[1月19日]]、米大統領[[バラク・オバマ]]は、日米安保条約改定の署名50周年に際して声明を発表した<ref>{{cite news|title=日米安保条約改定50年 オバマ大統領談話全文|newspaper=YOMIURI ONLINE|publisher=読売新聞社|date=2010-01-20|url=http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20100120-OYT1T00631.htm|accessdate=2013-06-01|archiveurl=https://web.archive.org/web/20100123210001/http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20100120-OYT1T00631.htm|archivedate=2010年1月23日|deadlinkdate=2017年10月}}</ref>。声明では、「共通の課題に対して両国が協力することは、われわれが世界に関与する上での重要な一部となる」として、日米安保を基盤として両国の世界規模での協力の必要性を強調した。また「日本の安全保障に対する米国の関与は揺るぎない」として、「同盟を21世紀向けに更新し、両国を結束させる友好関係と共通の目的を高めよう」と呼びかけていた。また、安保改定50年にあたり日米の外務・防衛担当閣僚が共同声明を出している。<ref>{{cite news|title=安保改定50周年:日米の外務・防衛担当閣僚が共同声明|author=野口武則・仙石恭|newspaper=毎日jp|publisher=毎日新聞社|date=2010-01-19|url=http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100120k0000m010072000c.html|accessdate=2013-06-01|archiveurl=https://web.archive.org/web/20100120072039/http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100120k0000m010072000c.html|archivedate=2010年1月20日|deadlinkdate=2017年10月}}</ref> |
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[[2019年]]6月、以前から同様の発言をしていた米大統領[[ドナルド・トランプ]]は日米安保条約について「もし日本が攻撃されれば我々は戦う」・「我々が攻撃されても日本は助ける必要が全く無い」・「(日本は)[[ソニー]]のテレビで見るだけだ」などと発言した<ref>[https://www.cnn.co.jp/usa/35139089.html トランプ大統領、日米安保めぐり不満 「日本は米国を助ける必要ない」] CNN 2019年6月27日配信 2021年10月6日閲覧。</ref>。日米両政府は否定したものの、29日に[[大阪]]にて開催された[[G20]]で来日し、閉幕後の会見で「破棄することは全く考えてない。不平等な合意だと言っている」「6カ月間、条約は見直す必要があると[[安倍晋三]]首相に伝えてきた<ref>[http://www.asahi.com/international/reuters/CRWKCN1TU096.html 安保条約見直し必要、安倍首相に伝えた=トランプ米大統領] 朝日新聞デジタル 2019年6月29日配信 2021年10月6日閲覧。</ref>」などと発言したが、[[菅官房長官]]は否定した。 |
[[2019年]]6月、以前から同様の発言をしていた米大統領[[ドナルド・トランプ]]は日米安保条約について「もし日本が攻撃されれば我々は戦う」・「我々が攻撃されても日本は助ける必要が全く無い」・「(日本は)[[ソニー]]のテレビで見るだけだ」などと発言した<ref>[https://www.cnn.co.jp/usa/35139089.html トランプ大統領、日米安保めぐり不満 「日本は米国を助ける必要ない」] CNN 2019年6月27日配信 2021年10月6日閲覧。</ref>。日米両政府は否定したものの、29日に[[大阪]]にて開催された[[G20]]で来日し、閉幕後の会見で「破棄することは全く考えてない。不平等な合意だと言っている」「6カ月間、条約は見直す必要があると[[安倍晋三]]首相に伝えてきた<ref>[https://web.archive.org/web/20190629100631/http://www.asahi.com/international/reuters/CRWKCN1TU096.html 安保条約見直し必要、安倍首相に伝えた=トランプ米大統領] 朝日新聞デジタル 2019年6月29日配信 2021年10月6日閲覧。</ref>」などと発言したが、[[菅官房長官]]は否定した。 |
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=== 日本抑止論 === |
=== 日本抑止論 === |
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[[1971年]](昭和46年)7月、中国を訪問した[[ヘンリー・キッシンジャー]]との会談で、[[周恩来]]首相が日本には「拡張主義的傾向がある」と指摘したのに対し、キッシンジャーは同意して日米安保関係がそれを防いでいる、と述べた。これは現在の記録で確認できる、米中首脳が最初に日米安保「瓶の蓋」論を共有した瞬間とされる<ref>{{Cite book|author=国分良成、高原明生|title=日中関係史|date=|year=2013|accessdate=|publisher=有斐閣|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=}}</ref>。 |
[[1971年]](昭和46年)7月、中国を訪問した[[ヘンリー・キッシンジャー]]との会談で、[[周恩来]]首相が日本には「拡張主義的傾向がある」と指摘したのに対し、キッシンジャーは同意して日米安保関係がそれを防いでいる、と述べた。これは現在の記録で確認できる、米中首脳が最初に日米安保「瓶の蓋」論を共有した瞬間とされる<ref>{{Cite book|author=国分良成、高原明生|title=日中関係史|date=|year=2013|accessdate=|publisher=有斐閣|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=}}</ref>。 |
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[[1990年]]︵平成2年︶3月、在沖縄アメリカ海兵隊司令官ヘンリー・スタックポール︵{{en|Henry C. Stackpole, III}}︶少将は﹁アメリカ軍が日本から撤退すれば、既に強力な軍事力を日本はさらに増強するだろう。我々は ﹃瓶のふた﹄ のようなものだ﹂と発言し、日本を抑止する必要があるとの見解を示した<ref>{{Cite journal|和書|author=等雄一郎|year=2006|month=5|title=専守防衛論議の現段階――憲法第9条、日米同盟、そして国際安全保障の間に揺れる原則|journal=レファレンス|volume=56|issue=(5)(通号 664)|pages=19-38|url= |
[[1990年]]︵平成2年︶3月、在沖縄[[アメリカ海兵隊]]司令官ヘンリー・スタックポール︵{{en|Henry C. Stackpole, III}}︶少将は﹁アメリカ軍が日本から撤退すれば、既に強力な軍事力を日本はさらに増強するだろう。我々は ﹃瓶のふた﹄ のようなものだ﹂と発言し、日本を抑止する必要があるとの見解を示した<ref>{{Cite journal|和書|author=等雄一郎|year=2006|month=5|title=専守防衛論議の現段階――憲法第9条、日米同盟、そして国際安全保障の間に揺れる原則|journal=レファレンス|volume=56|issue=(5)(通号 664)|pages=19-38|url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/999839|format=PDF|publisher=国立国会図書館調査及び立法考査局|issn=0034-2912|accessdate=2013-06-01}}</ref>。
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[[1999年]](平成11年)のアメリカの世論調査では、条約の目的は何かという質問への回答が、「日本の軍事大国化防止」が49パーセント・「日本防衛」が12パーセントとなった<ref>{{Cite web|author=小熊英二|date=2004-05-12|url=https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/chosa/1590512oguma.pdf/$File/1590512oguma.pdf|format=PDF|title=第9条の歴史的経緯について|publisher=衆議院憲法調査会|accessdate=2013-06-01}}</ref>。 |
[[1999年]]︵平成11年︶のアメリカの世論調査では、条約の目的は何かという質問への回答が、﹁日本の軍事大国化防止﹂が49パーセント・﹁日本防衛﹂が12パーセントとなった<ref>{{Cite web|和書|author=小熊英二|date=2004-05-12|url=https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/chosa/1590512oguma.pdf/$File/1590512oguma.pdf|format=PDF|title=第9条の歴史的経緯について|publisher=衆議院憲法調査会|accessdate=2013-06-01}}</ref>。
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=== 第5条共同対処宣言(義務)に関する解釈 === |
=== 第5条共同対処宣言(義務)に関する解釈 === |
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この条約の第5条では日米両国の「共同対処」宣言が明記されており、アメリカが集団的自衛権を行使して日本を防衛する義務を負うという根拠とされている<ref>{{Cite web|title=日米安全保障条約第5条とは|url=https://kotobank.jp/word/%E6%97%A5%E7%B1%B3%E5%AE%89%E5%85%A8%E4%BF%9D%E9%9A%9C%E6%9D%A1%E7%B4%84%E7%AC%AC5%E6%9D%A1-896580|website=コトバンク|accessdate=2019-06-12|author=朝日新聞}}</ref>。日本の施政下においては、日本はもちろん「在日米軍に対する武力攻撃」であっても」「日米が共同して対処すること」となる<ref>{{Cite web||url=https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/chosa/1590512oguma.pdf/$File/1590512oguma.pdf|title=日米安全保障条約(主要規定の解説)|publisher=外務省|accessdate=2015-07-15}}</ref>。この際、日本はあくまで「日本への攻撃」に対処すると考えるられるため、日米安保に基づいた行動を行う場合も集団的自衛権ではなく、自国を守るための個別的自衛権の行使に留まるとの解釈が過去になされた<ref>{{Citation |author=佐藤内閣総理大臣|date=1968-08-10|title=第59回国会 参議院 予算委員会会議録第2号}}</ref>。 |
この条約の第5条では日米両国の﹁共同対処﹂宣言が明記されており、アメリカが集団的自衛権を行使して日本を防衛する義務を負うという根拠とされている<ref>{{Cite web|和書|title=日米安全保障条約第5条とは|url=https://kotobank.jp/word/%E6%97%A5%E7%B1%B3%E5%AE%89%E5%85%A8%E4%BF%9D%E9%9A%9C%E6%9D%A1%E7%B4%84%E7%AC%AC5%E6%9D%A1-896580|website=コトバンク|accessdate=2019-06-12|author=朝日新聞}}</ref>。日本の施政下においては、日本はもちろん﹁在日米軍に対する武力攻撃﹂であっても﹂﹁日米が共同して対処すること﹂となる<ref>{{Cite web|和書||url=https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/chosa/1590512oguma.pdf/$File/1590512oguma.pdf|title=日米安全保障条約︵主要規定の解説︶|publisher=外務省|accessdate=2015-07-15}}</ref>。この際、日本はあくまで﹁日本への攻撃﹂に対処すると考えるられるため、日米安保に基づいた行動を行う場合も集団的自衛権ではなく、自国を守るための個別的自衛権の行使に留まるとの解釈が過去になされた<ref>{{Citation |author=佐藤内閣総理大臣|date=1968-08-10|title=第59回国会 参議院 予算委員会会議録第2号}}</ref>。
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また第5条では「日本の施政下の領域における日米どちらかへの攻撃」についてのみ述べられており、在日アメリカ軍基地・在日アメリカ施設などは含まれていない。しかし、日本の領土・領空を侵害せずにこれらに対する攻撃を行うことは不可能であるため、アメリカの施設に対する攻撃であっても日本への攻撃と同等と見做して同様に対処を行う<ref>{{Citation |author=林内閣法制局長官|date=1960-02-13|title=第34回国会 衆議院 予算委員会議録第9号}}</ref>。その他に、日本を防衛するために活動を行っているアメリカの艦艇に関しても、第98回国会の衆議院予算委員会にて谷川防衛庁長官(当時)が「(前略)アメリカの艦艇が相手国から攻撃を受けたときに、自衛隊が我が国を防衛するための共同対処行動の一環としてその攻撃を排除することは、我が国に対する武力攻撃から我が国を防衛するための必要な限度内と認められる以上、これは我が国の自衛の範囲内に入るであろう」と答弁しており<ref>{{Citation |author=谷川防衛庁長官|date=1983-03-08|title=第98回国会 衆議院 予算委員会議録第18号}}</ref>、自衛隊による防護が可能となっている。 |
また第5条では「日本の施政下の領域における日米どちらかへの攻撃」についてのみ述べられており、在日アメリカ軍基地・在日アメリカ施設などは含まれていない。しかし、日本の領土・領空を侵害せずにこれらに対する攻撃を行うことは不可能であるため、アメリカの施設に対する攻撃であっても日本への攻撃と同等と見做して同様に対処を行う<ref>{{Citation |author=林内閣法制局長官|date=1960-02-13|title=第34回国会 衆議院 予算委員会議録第9号}}</ref>。その他に、日本を防衛するために活動を行っているアメリカの艦艇に関しても、第98回国会の衆議院予算委員会にて谷川防衛庁長官(当時)が「(前略)アメリカの艦艇が相手国から攻撃を受けたときに、自衛隊が我が国を防衛するための共同対処行動の一環としてその攻撃を排除することは、我が国に対する武力攻撃から我が国を防衛するための必要な限度内と認められる以上、これは我が国の自衛の範囲内に入るであろう」と答弁しており<ref>{{Citation |author=谷川防衛庁長官|date=1983-03-08|title=第98回国会 衆議院 予算委員会議録第18号}}</ref>、自衛隊による防護が可能となっている。 |
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[[2012年]](平成24年)11月29日、米 |
[[2012年]]︵平成24年︶11月29日、[[アメリカ合衆国議会|米連邦議会]][[アメリカ合衆国上院|上院]]は本会議で、[[尖閣諸島問題]]を念頭に日本の施政権についての米国の立場について﹁第三国の一方的な行動により影響を受けない﹂﹁'''日米安保条約'''第5条に基づく責任を再確認する﹂と宣言する条項を国防権限法案に追加する修正案を全会一致で可決した<ref name="尖閣防衛義務を再確認=国防権限法が成立-米">{{cite news|title=尖閣防衛義務を再確認=国防権限法が成立-米|author=ワシントン時事|newspaper=時事ドットコム|publisher=時事通信社|date=2013-01-03|url=http://www.jiji.com/jc/zc?k=201301/2013010300169|accessdate=2013-06-01}}</ref><ref name=beijoin>{{cite news|title=米上院﹁尖閣に安保適用﹂全会一致…中国けん制|author=山口香子|newspaper=YOMIURI ONLINE|publisher=読売新聞社|date=2012-11-30|url=https://web.archive.org/web/20121203035132/http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20121130-OYT1T01080.htm|accessdate=2012-12-01|page=2012年12月1日夕刊13S版1面}}{{リンク切れ|date=2017年10月 |bot=InternetArchiveBot }}</ref>。
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[[2013年]](平成25年)[[1月2日]]、前月20日に米下院・翌21日に米上院で可決された[[尖閣諸島問題|尖閣諸島]]が'''日米安全保障条約'''第5条の適用対象であることを明記した条文を盛り込んだ「2013年会計年度国防権限法案」に[[バラク・オバマ]]大統領が署名して法案が成立した。尖閣諸島の条文には「武力による威嚇や武力行使」問題解決を図ることに反対するとしている<ref>読売新聞2012年12月23日13S版2面及び2013年1月4日13S版2面</ref><ref>{{cite news|title=グアム移転費復活に署名 尖閣への安保適用も明記|author=共同|newspaper=MSN産経ニュース|publisher=産経新聞|date=2013-01-03|url=http://sankei.jp.msn.com/world/news/130103/amr13010316200004-n1.htm|accessdate=2013-06-01|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130103201713/http://sankei.jp.msn.com/world/news/130103/amr13010316200004-n1.htm|archivedate=2013年1月3日|deadlinkdate=2017年10月}}</ref>。 |
[[2013年]](平成25年)[[1月2日]]、前月20日に米[[アメリカ合衆国下院|下院]]・翌21日に米上院で可決された[[尖閣諸島問題|尖閣諸島]]が'''日米安全保障条約'''第5条の適用対象であることを明記した条文を盛り込んだ「2013年会計年度国防権限法案」に[[バラク・オバマ]]大統領が署名して法案が成立した。尖閣諸島の条文には「武力による威嚇や武力行使」問題解決を図ることに反対するとしている<ref>読売新聞2012年12月23日13S版2面及び2013年1月4日13S版2面</ref><ref>{{cite news|title=グアム移転費復活に署名 尖閣への安保適用も明記|author=共同|newspaper=MSN産経ニュース|publisher=産経新聞|date=2013-01-03|url=http://sankei.jp.msn.com/world/news/130103/amr13010316200004-n1.htm|accessdate=2013-06-01|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130103201713/http://sankei.jp.msn.com/world/news/130103/amr13010316200004-n1.htm|archivedate=2013年1月3日|deadlinkdate=2017年10月}}</ref>。 |
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{{言葉を濁さない|date=2017年5月|section=1}} |
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{{出典の明記|date=2017年10月|section=2}} |
{{出典の明記|date=2017年10月|section=2}} |
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一方で、アメリカ側からの「日本に有利すぎる」といった批判がある。 |
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⚫ | [[日米地位協定]]第24条において、アメリカ軍の維持経費は「日本国に負担をかけないで合衆国が負担する」と規定されている。旧[[ソビエト連邦|ソ連]](現在のほぼ[[独立国家共同体]]構成国、主に[[ロシア]]に相当)を主な脅威としていた日米安全保障の本質は[[冷戦]]終結と共に変化しているが、条約部分に決定的な変化は無い。また日米安全保障条約は、日本側が正常な軍事力を持つまで……として締結された経緯もあり、アメリカ側には日本を防衛する事を必要とされるが、日本側は必ずしもアメリカを防衛することは必要では無い状態になっている。これは日本側の憲法解釈(政府見解)上の制約で、個別的自衛権の行使は日米両国共に可能だが、集団的自衛権の場合は日本は憲法に抵触する恐れがあるという政策を採っている。抵触するかどうかについては議論が続いており、結論は出ていない。この事実を日本の二重保険外交と解釈し、日本はアメリカに対する防衛責務を負っていないのに、アメリカから防衛されている状態ではアメリカの潜在的敵国と軍事的協調をとれる余地を残している、との批判が米議会にあったことも事実である。また、アメリカ側は日本に対して集団的自衛権を行使出来ると明言しており、費用面からも、軍事的負担がアメリカ側に多いと、日米安全保障条約はアメリカで時として非難される。だが実際のところ、日米安全保障条約の信頼を失墜させるほどの行為は日米両国共にとっていないので、こう言った批判は、やはりアメリカでも少数派に留まっている。 |
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=== 米軍が日本に駐留し続ける事の意義 === |
=== 米軍が日本に駐留し続ける事の意義 === |
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{{出典の明記|date=2017年10月|section=2}} |
{{出典の明記|date=2017年10月|section=2}} |
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[[2008年]](平成20年)[[2月13日]]、[[ホワイトハウス]]のデイナ・ペリーノ報道官は「アメリカはどこに居ようとどこに基地を持とうと、それはそれらの国々から招かれてのことだ。世界のどのアメリカ軍基地でも撤去を求められているとは承知していない。もし求められれば恐らく我々は撤退するだろう」と述べた(ダナ・ペリノ発言、「恒久的基地は世界のどこにもない」AFP通信電)。 |
[[2008年]]︵平成20年︶[[2月13日]]、[[ホワイトハウス]]のデイナ・ペリーノ[[ホワイトハウス報道官|報道官]]は﹁アメリカはどこに居ようとどこに基地を持とうと、それはそれらの国々から招かれてのことだ。世界のどのアメリカ軍基地でも撤去を求められているとは承知していない。もし求められれば恐らく我々は撤退するだろう﹂と述べた︵ダナ・ペリノ発言、﹁恒久的基地は世界のどこにもない﹂AFP通信電︶。
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ただし世界的には、アメリカ軍自身が戦略的に必要と考える地域で現地の国民が駐屯に反対した場合には、駐留と引き換えの経済協力を提案し、あるいは[[パナマ侵攻]]・[[グレナダ侵攻]]や[[死の部隊]]の活動などに見られるように、反対勢力には経済制裁や対外工作機関([[中央情報局|CIA]]など)による非公然活動(スキャンダル暴露や暗殺など)、場合によっては軍事介入などのさまざまな妨害をちらつかせるなど、「[[アメとムチ]]」を使って駐留を維持させるという説もある。また[[ディック・チェイニー]]は国防長官当時の[[1992年]](平成4年)に議会で「アメリカ軍が日本にいるのは、日本を防衛するためではない。アメリカに軍が必要とあらば、常に出動できる前方基地として使用できるようにするため。加えて日本は駐留経費の75パーセントを負担してくれる」とまで発言している([[思いやり予算]])。 |
ただし世界的には、アメリカ軍自身が戦略的に必要と考える地域で現地の国民が駐屯に反対した場合には、駐留と引き換えの経済協力を提案し、あるいは[[パナマ侵攻]]・[[グレナダ侵攻]]や[[死の部隊]]の活動などに見られるように、反対勢力には経済制裁や対外工作機関([[中央情報局|CIA]]など)による非公然活動(スキャンダル暴露や暗殺など)、場合によっては軍事介入などのさまざまな妨害をちらつかせるなど、「[[アメとムチ]]」を使って駐留を維持させるという説もある。また[[ディック・チェイニー]]は国防長官当時の[[1992年]](平成4年)に議会で「アメリカ軍が日本にいるのは、日本を防衛するためではない。アメリカに軍が必要とあらば、常に出動できる前方基地として使用できるようにするため。加えて日本は駐留経費の75パーセントを負担してくれる」とまで発言している([[思いやり予算]])。 |
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日本がアメリカに軍の駐留費用を負担する意味があるかとの疑問が日本共産党などから |
「日本がアメリカに軍の駐留費用を負担する意味があるか」との疑問が日本共産党などから提議されている<ref>{{cite news|title=参院予算委 市田書記局長の総括質問(大要)|author=日本共産党中央委員会|newspaper=しんぶん赤旗|publisher=日本共産党|date=2004-10-22|url=https://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-10-22/25_01.html|accessdate=2013-06-01}}</ref>。 |
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=== アメリカの核の傘を否定する発言 === |
=== アメリカの核の傘を否定する発言 === |
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==== 日本側の「核の傘」に対する疑問 ==== |
==== 日本側の「核の傘」に対する疑問 ==== |
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[[西村眞悟]]衆議院議員は第155回国会[[内閣委員会]]第2号(平成14年10月30日(水曜日))において、「アメリカは主要都市に核ミサイルが落ちる危険性を覚悟して日本に核の傘を開くのか」と疑念を述べた。またヨーロッパへ向けられたロシアの核についてのアメリカの「シアター・ミサイル・ディフェンス」という発言を捉え、アメリカ自身が核ミサイルの射程外の場合関係ないというアメリカの意識がにじみ出ていると主張した<ref>{{Cite web|date=2002-10-30|url=https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigirokua.nsf/html/kaigirokua/000215520021030002.htm|title=第155回国会 内閣委員会 第2号(平成14年10月30日(水曜日))|publisher=衆議院|accessdate=2013-06-01}}</ref>。 |
[[西村眞悟]]衆議院議員は第155回国会[[内閣委員会]]第2号(平成14年10月30日(水曜日))において、「アメリカは主要都市に核ミサイルが落ちる危険性を覚悟して日本に核の傘を開くのか」と疑念を述べた。またヨーロッパへ向けられたロシアの核についてのアメリカの「シアター・ミサイル・ディフェンス」という発言を捉え、アメリカ自身が核ミサイルの射程外の場合関係ないというアメリカの意識がにじみ出ていると主張した<ref>{{Cite web|和書|date=2002-10-30|url=https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigirokua.nsf/html/kaigirokua/000215520021030002.htm|title=第155回国会 内閣委員会 第2号(平成14年10月30日(水曜日))|publisher=衆議院|accessdate=2013-06-01}}</ref>。 |
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== 日本国内の認識 == |
== 日本国内の認識 == |
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===極東の範囲(昭和35年2月26日政府統一見解 |
=== 極東の範囲(昭和35年2月26日政府統一見解) === |
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[https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/hosho/qa/03_2.html 極東の範囲(昭和35年2月26日政府統一見解 |
以下、外務省公式サイト掲載の「極東の範囲(昭和35年2月26日政府統一見解)<ref>[https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/hosho/qa/03_2.html 日米安保体制Q&A 極東の範囲(昭和35年2月26日政府統一見解)- 外務省]</ref>」 |
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「新条約の条約区域は、『日本国の施政の下にある領域』と明確に定められている。他方同条約は、『極東における国際の平和及び安全』ということも言っている。一般的な用語としてつかわれる『極東』は、別に地理学上正確に画定されたものではない。しかし、日米両国が、条約にいうとおり共通の関心をもっているのは、極東における国際の平和及び安全の維持ということである。この意味で実際問題として両国共通の関心の的となる極東の区域は、この条約に関する限り、在日米軍が日本の施設及び区域を使用して武力攻撃に対する防衛に寄与しうる区域である。かかる区域は、大体において、フィリピン以北並びに日本及びその周辺の地域であって、韓国及び中華民国の支配下にある地域もこれに含まれている。(「中華民国の支配下にある地域」は「台湾地域」と読替えている。) |
「新条約の条約区域は、『日本国の施政の下にある領域』と明確に定められている。他方同条約は、『極東における国際の平和及び安全』ということも言っている。一般的な用語としてつかわれる『極東』は、別に地理学上正確に画定されたものではない。しかし、日米両国が、条約にいうとおり共通の関心をもっているのは、極東における国際の平和及び安全の維持ということである。この意味で実際問題として両国共通の関心の的となる極東の区域は、この条約に関する限り、在日米軍が日本の施設及び区域を使用して武力攻撃に対する防衛に寄与しうる区域である。かかる区域は、大体において、フィリピン以北並びに日本及びその周辺の地域であって、韓国及び中華民国の支配下にある地域もこれに含まれている。(「中華民国の支配下にある地域」は「台湾地域」と読替えている。) |
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=== 識者 === |
=== 識者 === |
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[[時事通信社]]解説委員の[[田崎史郎]]は、[[2017年]][[2月10日]]に行われた日米首脳会談のニュースに触れ、中国が領有権を主張する尖閣諸島を巡っては、安倍晋三首相が首脳会談後の記者会見で、日米安保条約5条の適用対象であると首脳間で確認したと説明した。トランプ氏が会談でどのように発言したかは不明だが、共同声明に﹁日米安保条約第5条が尖閣諸島に適用される﹂と明記したことに対して、日本の防衛において日米安保は無くてはならない条約。日米関係に隙間を空けてはならないと答えた<ref>[https://www.tbs.co.jp/hiru-obi/ TBS﹁ひるおび!﹂] 2017年2月13日</ref>。
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⚫ | 評論家の[[大井篤]]は[[1960年]](昭和35年)の条約改定に当たり、「日米安全保障条約の持つ抑止効果を積極的に追求するべきである」と結論付けた<ref name=mitsui/>。 |
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[[時事通信社]]解説委員の[[田崎史郎]]は、[[2017年]][[2月10日]]に行われた日米首脳会談のニュースに触れ、中国が領有権を主張する尖閣諸島を巡っては、安倍晋三首相が首脳会談後の記者会見で、日米安保条約5条の適用対象であると首脳間で確認したと説明した。トランプ氏が会談でどのように発言したかは不明だが、共同声明に﹁日米安保条約第5条が尖閣諸島に適用される﹂と明記したことに対して、日本の防衛において日米安保は無くてはならない条約。日米関係に隙間を空けてはならないと答えた<ref> |
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⚫ | 元外務省局長の[[孫崎享]]は、「日米安保は日本の利益を守るためにあるのではなく、存在意義は全く無い」と述べている<ref>{{cite news|title=日本外務省元局長:日米同盟の存在意義はまったくない_中国網_日本語|author=環球時報|newspaper=中国網日本語版(チャイナネット)|publisher=中国網|date=2012-07-27|url=http://japanese.china.org.cn/jp/txt/2012-07/27/content_26036576_2.htm|accessdate=2013-06-01|language=日本語}}</ref>。また孫崎は、集団的自衛権について「アメリカが日本を戦闘に巻き込むのが狙い」と述べている。 |
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⚫ | 評論家の[[大井篤]]は[[1960年]](昭和35年)の条約改定に当たり、日米安全保障条約の持つ抑止効果を積極的に追求するべきであると結論付けた<ref name=mitsui/>。 |
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⚫ | 元外務省局長の[[孫崎享]]は、日米安保は日本の利益を守るためにあるのではなく、存在意義は全く無いと述べている<ref>{{cite news|title=日本外務省元局長:日米同盟の存在意義はまったくない_中国網_日本語|author=環球時報|newspaper=中国網日本語版(チャイナネット)|publisher=中国網|date=2012-07-27|url=http://japanese.china.org.cn/jp/txt/2012-07/27/content_26036576_2.htm|accessdate=2013-06-01|language=日本語}}</ref>。また孫崎は、集団的自衛権についてアメリカが日本を戦闘に巻き込むのが狙いと述べている。 |
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=== 世論調査 === |
=== 世論調査 === |
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=== 集団的自衛権との関係 === |
=== 集団的自衛権との関係 === |
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{{See|日本の集団的自衛権}} |
{{See|日本の集団的自衛権}} |
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従来の[[日本国憲法第9条]]解釈と日米安全保障条約では、安保条約第5条で米国に日本防衛 |
従来の[[日本国憲法第9条]]解釈と日米安全保障条約では、安保条約第5条で米国に日本防衛のために米軍兵士に出動してもらうのを借りとして、第6条で日本国内に米軍基地の土地を提供することで返す事を前提に、1960年の安保条約改定時では「人(米軍)と物(日本)との[[物々交換|バーター]]」取引と言われた。安保条約は第5条と6条によって対等な関係とされた。 |
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[[在日米軍|在日アメリカ軍]]が日本を |
[[在日米軍|在日アメリカ軍]]が日本を防衛するのに、日本の[[自衛隊]]はアメリカ軍を守れないから[[集団的自衛権]]を行使するという[[第2次安倍内閣]]の憲法新解釈を、[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]の[[江崎孝]]参議院議員は2014年6月の参議院決算委員会で「集団的自衛権を容認するなら(従来と比べて日本側にとっては)在日米軍の分だけ負担が重くなる」と基地提供を認める安保条約6条の削除を迫ったが、[[安倍晋三]]首相は「条約を変える考えは毛頭無い。」と応えた。<ref>2014年8月27日[[中日新聞]]朝刊11面</ref> |
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== 脚注 == |
== 脚注 == |
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{{notelist2}} |
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=== 出典 === |
=== 出典 === |
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{{reflist |
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== 関連文献 == |
== 関連文献 == |
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<!--著作者名の50音順--> |
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*{{Cite book|和書|author= |
*{{Cite book|和書|author=伊藤貫|authorlink=伊藤貫|year=2006|month=2|title=中国の「核」が世界を制す|publisher=[[PHP研究所]]|isbn=4-569-64868-1|ref={{Harvid|伊藤|2006}}}} |
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**{{Cite book|和書|author=伊藤貫|year=2011|month=2|title=中国の核戦力に日本は屈服する 今こそ日本人に必要な核抑止力|series=[[小学館101新書]]|publisher=[[小学館]]|isbn=978-4-09-825102-5|ref={{Harvid|伊藤|2011}}}} - {{Harvtxt|伊藤|2006}}の改訂版。『[[正論 (雑誌)|正論]]』2011年2月号に掲載された[[田母神俊雄]]との対談を収録。 |
**{{Cite book|和書|author=伊藤貫|year=2011|month=2|title=中国の核戦力に日本は屈服する 今こそ日本人に必要な核抑止力|series=[[小学館101新書]]|publisher=[[小学館]]|isbn=978-4-09-825102-5|ref={{Harvid|伊藤|2011}}}} - {{Harvtxt|伊藤|2006}}の改訂版。『[[正論 (雑誌)|正論]]』2011年2月号に掲載された[[田母神俊雄]]との対談を収録。 |
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*{{Cite book|和書|author= |
*{{Cite book|和書|author=岡崎久彦|authorlink=岡崎久彦|date=1983-08-23|title=戦略的思考とは何か|series=中公新書 700|publisher=中央公論社|isbn=4-12-100700-X|ref={{Harvid|岡崎|1983}}}} |
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*{{Cite book|和書|author=岡崎久彦|coauthors=[[佐藤誠三郎]]・[[西村繁樹]]|year=1991|month=8|title=日米同盟と日本の戦略 アメリカを見誤ってはならない|publisher=[[PHP研究所]]|isbn=4-569-53229-2|ref={{Harvid|岡崎|佐藤|西村|1991}}}} |
*{{Cite book|和書|author=岡崎久彦|coauthors=[[佐藤誠三郎]]・[[西村繁樹]]|year=1991|month=8|title=日米同盟と日本の戦略 アメリカを見誤ってはならない|publisher=[[PHP研究所]]|isbn=4-569-53229-2|ref={{Harvid|岡崎|佐藤|西村|1991}}}} |
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*{{Cite book|和書|author= |
*{{Cite book|和書|author=草野厚|authorlink=草野厚|date=1999-11-18|title=日米安保とは何か その成立から新ガイドラインまで|publisher=PHP研究所|isbn=4-569-60889-2|ref={{Harvid|草野|1999}}}} |
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*{{Cite book|和書| |
*{{Cite book|和書|editor1=マイケル・グリーン|editor1-link=マイケル・グリーン (政治学者)|editor2=パトリック・クローニン|editor2-link=パトリック・クローニン|others=[[川上高司]] 監訳|year=1999|month=9|title=日米同盟 米国の戦略|publisher=[[勁草書房]]|isbn=4-326-30133-3|ref={{Harvid|グリーン|クローニン|1999}}}} |
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*{{Cite book|和書|editor= |
*{{Cite book|和書|editor=国際関係研究会|editor-link=国際関係研究会|year=1982|month=1|title=日米同盟の論理|series=Ohtemachi books|publisher=[[日本工業新聞社]]|isbn=4-8191-0511-6|ref={{Harvid|国際関係研究会|1982}}}} |
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*{{Cite book|和書|author= |
*{{Cite book|和書|author=坂元一哉|authorlink=坂元一哉|date=2000-05|title=日米同盟の絆 安保条約と相互性の模索|publisher=[[有斐閣]]|isbn=4-641-04976-9|ref={{Harvid|坂元|2000}}}} - 第22回(2000年度)[[サントリー学芸賞]](政治・経済部門)受賞。 |
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*{{Cite book|和書|author= |
*{{Cite book|和書|author=田久保忠衛|authorlink=田久保忠衛|date=2001-05-15|title=新しい日米同盟 親米ナショナリズムへの戦略|series=PHP新書|publisher=PHP研究所|isbn=4-569-61615-1|ref={{Harvid|田久保|2001}}}} |
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*{{Cite book|和書|author= |
*{{Cite book|和書|author=豊下楢彦|authorlink=豊下楢彦|date=1996-12-20|title=安保条約の成立 吉田外交と天皇外交|series=岩波新書 新赤版 478|publisher=[[岩波書店]]|isbn=4-00-430478-4|ref={{Harvid|豊下|1996}}}} |
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*{{Cite book|和書| |
*{{Cite book|和書|editor1=西原正|editor1-link=西原正|editor2=土山實男|editor2-link=土山實男|date=1998-02|title=日米同盟Q&A100 全貌をこの1冊で明らかにする|publisher=[[亜紀書房]]|isbn=4-7505-9803-8|ref={{Harvid|西原|土山|1998}}}} |
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*{{Cite book|和書|others=西原正・土山實男 監修|editor= |
*{{Cite book|和書|others=西原正・土山實男 監修|editor=平和・安全保障研究所|editor-link=平和・安全保障研究所|date=2010-06-22|title=日米同盟再考 知っておきたい100の論点|publisher=亜紀書房|isbn=978-4-7505-1007-1|ref={{Harvid|西原|土山|2010}}}} |
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*{{Cite journal|和書|editor=[[日本国際政治学会]] 編|year=1997|month=5|title=日米安保体制 持続と変容|journal=国際政治|publisher=有斐閣(発売)|issue=通号 115|issn=0454-2215 |ref={{Harvid|日本国際政治学会|1997}}}} |
*{{Cite journal|和書|editor=[[日本国際政治学会]] 編|year=1997|month=5|title=日米安保体制 持続と変容|journal=国際政治|publisher=有斐閣(発売)|issue=通号 115|issn=0454-2215 |ref={{Harvid|日本国際政治学会|1997}}}} |
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*{{Cite book|和書| |
*{{Cite book|和書|author1=孫崎享|authorlink1=孫崎享||date=2009-03-20|title=日米同盟の正体 迷走する安全保障|series=講談社現代新書 1985|publisher=[[講談社]]|isbn=978-4-06-287985-9|ref={{Harvid|孫崎|2009}}}} |
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*{{Cite book|和書|author= |
*{{Cite book|和書|author=室山義正|authorlink=室山義正|year=1992|month=2|title=日米安保体制 冷戦後の安全保障戦略を構想する|volume=上(平和憲法制定から沖縄返還まで)|publisher=有斐閣|isbn=4-641-04950-5|ref={{Harvid|室山|1992a}}}} |
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*{{Cite book|和書|author=室山義正|year=1992|month=2|title=日米安保体制 冷戦後の安全保障戦略を構想する|volume=下(ニクソン・ドクトリンから湾岸戦争後まで)|publisher=有斐閣|isbn=4-641-04951-3|ref={{Harvid|室山|1992b}}}} |
*{{Cite book|和書|author=室山義正|year=1992|month=2|title=日米安保体制 冷戦後の安全保障戦略を構想する|volume=下(ニクソン・ドクトリンから湾岸戦争後まで)|publisher=有斐閣|isbn=4-641-04951-3|ref={{Harvid|室山|1992b}}}} |
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*{{Cite book|和書|author= |
*{{Cite book|和書|author=山本皓一 撮影|authorlink=山本皓一|coauthors=[[松本利秋]] 著|year=1996|month=2|title=軍事同盟 日米安保条約|publisher=[[クレスト社]]|isbn=4-87712-036-X|ref={{Harvid|山本|松本|1996}}}} |
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== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
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* [[連合国軍占領下の日本]] - [[連合国軍最高司令官総司令部]](GHQ/SCAP) |
* [[連合国軍占領下の日本]] - [[連合国軍最高司令官総司令部]](GHQ/SCAP) |
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* [[日本国との平和条約]] |
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* [[在日米軍]] |
* [[在日米軍]] |
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* [[日本国憲法]] |
* [[日本国憲法]]・[[日本国憲法第9条|第9条]] |
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* [[日本国とアメリカ合衆国との間の相互防衛援助協定]](日米相互防衛援助協定) |
* [[日本国とアメリカ合衆国との間の相互防衛援助協定]](日米相互防衛援助協定) |
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* [[日米地位協定]] |
* [[日米地位協定]] |
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* [[日米豪印戦略対話]] |
* [[日米豪印戦略対話]] |
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* [[日米関係#日米同盟]] |
* [[日米関係#日米同盟]] |
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* [[対米従属論]] |
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* [[アメリカ合衆国51番目の州]] |
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* [[ANZUS]] |
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* [[AUKUS]] |
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* [[希望の同盟]] |
* [[希望の同盟]] |
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* [[日英同盟]] |
* [[日英同盟]] |
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* [[日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約]] - 1952年(昭和27年)から1960年(昭和35年)まで発効した旧日米安保条約 |
* [[日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約]] - 1952年(昭和27年)から1960年(昭和35年)まで発効した旧日米安保条約 |
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* [[日本国との平和条約]] |
* [[日本国との平和条約]] |
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* [[戦争権限法]] |
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* [[日米防衛協力のための指針]] |
* [[日米防衛協力のための指針]] |
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* [[米韓相互防衛条約]] |
* [[米韓相互防衛条約]] |
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* [[日満議定書]] |
* [[日満議定書]] |
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{{Commonscat|Treaty of Mutual Cooperation and Security between the United States and Japan|日米安保条約}} |
{{Commonscat|Treaty of Mutual Cooperation and Security between the United States and Japan|日米安保条約}} |
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{{Wikisource|日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約|日米安保条約}} |
{{Wikisource|日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約|日米安保条約}} |
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* 日本国[[外務省]] |
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** [https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/hosho/index.html 日米安全保障体制] |
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* [https://www.mofa.go.jp/ |
** [https://www.mofa.go.jp/na/st/page1we_000093.html Japan-U.S. Security Treaty (英語版)] |
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* [https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/hosho/henkaku_saihen.html 日米同盟:未来のための変革と再編(仮訳)] |
** [https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/hosho/henkaku_saihen.html 日米同盟:未来のための変革と再編(仮訳)] |
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* [ |
* [[東京大学東洋文化研究所]] [[田中明彦]]研究室 |
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* [https://worldjpn. |
** [https://worldjpn.net/documents/texts/docs/19600119.T1J.html 日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約](現行安保条約、日本語条文) |
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* [https://worldjpn. |
** [https://worldjpn.net/documents/texts/docs/19600119.T5J.html 日米地位協定] |
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** [https://worldjpn.net/documents/texts/docs/19781127.O1J.html 日米防衛協力のための指針(旧ガイドライン、日米安全保障協議委員会が了承した防衛協力小委員会の報告)、1978年(昭和53年)11月28日閣議了解] |
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* [https://worldjpn. |
** [https://worldjpn.net/documents/texts/docs/19970923.O1J.html 日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)、1997年(平成9年)9月23日] |
||
* [https://worldjpn. |
** [https://worldjpn.net/documents/texts/docs/19510908.T2J.html 日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約](旧安保条約、日本語条文) |
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* [http://anpohaiki.news.coocan.jp 安保破棄中央実行委員会] |
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{{日本の条約}} |
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{{現行の軍事同盟・安全保障条約・集団安全保障}} |
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[[Category:日米二国間条約]] |
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[[Category:在日米軍]] |
[[Category:在日米軍]] |
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[[Category:日本の軍事]] |
[[Category:日本の軍事]] |
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[[Category:アメリカ合衆国の軍事]] |
[[Category:アメリカ合衆国の軍事史]] |
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[[Category:戦後日本の外交]] |
[[Category:戦後日本の外交]] |
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[[Category:アメリカ合衆国の国際関係 (1945年-1989年)]] |
[[Category:アメリカ合衆国の国際関係 (1945年-1989年)]] |
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[[Category:1960年の条約]] |
[[Category:1960年の条約]] |
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[[Category:岸信介]] |
[[Category:岸信介]] |
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[[Category:ワシントンD.C.の歴史]] |
2024年6月20日 (木) 06:49時点における最新版
日本国とアメリカ合衆国との間の 相互協力及び安全保障条約[1] (日米安全保障条約) Treaty of Mutual Cooperation and Security between Japan and the United States of America (Japan-U.S. Security Treaty) | |
---|---|
外務省外交史料館(東京都港区)で展示されている署名 | |
通称・略称 | 日米安保条約 |
署名 | 1960年(昭和35年)1月19日 |
署名場所 | アメリカ合衆国 ワシントンD.C. |
発効 | 1960年(昭和35年)6月23日 |
締約国 | 日本、 アメリカ合衆国 |
文献情報 | 昭和35年6月23日官報号外第69号条約第6号 |
言語 | 日本語、英語 |
主な内容 | 日本とアメリカ合衆国の安全保障について |
関連条約 | 旧安保条約、日米地位協定 |
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条約について[編集]
1960年︵昭和35年︶1月19日、アメリカ合衆国のワシントンD.C.で締結された。いわゆる日米同盟︵にちべいどうめい︶の根幹を成す条約である[注 1]。条約の第6条の規定に従って﹁日米地位協定﹂︵にちべいちいきょうてい︶が締結されており、これには別の条約である﹁合意議事録﹂が付随している。 形式的には1951年︵昭和26年︶に署名され、翌1952年︵昭和27年︶に発効した旧安保条約を失効させて新たな条約として締約・批准されたが、実質的には安保条約の改定とみなされている[注 2]。この条約に基づき、アメリカ軍の日本駐留を引き続き認めた。60年安保条約、新安保条約︵しんあんぽじょうやく︶などとも言われる。なお、新・旧条約を特段区別しない場合の通称は日米安全保障条約︵にちべいあんぜんほしょうじょうやく︶、日米安保条約︵にちべいあんぽじょうやく︶である。概要[編集]
条文[編集]
内容[編集]
(前文にて、条約を締結することの意義について説明する。また、個別的及び集団的自衛権についても言及している。) 第1条 国際連合憲章の武力不行使の原則を確認し、この条約が純粋に防衛的性格のものであることを宣明する。 第2条 自由主義を護持し、日米両国が諸分野、とくに経済分野において協力することを規定する。 第3条 日米双方が、憲法の定めに従い、各自の防衛能力を維持発展させることを規定する。 第4条 ︵イ︶日米安保条約の実施に関して必要ある場合及び︵ロ︶我が国の安全又は極東の平和及び安全に対する脅威が生じた場合には、日米双方が随時協議する旨を定める。この協議の場として設定される日米安全保障協議委員会[注 3]の他、通常の外交ルートも用いて、随時協議される。なお、いわゆる﹁事前協議﹂の制度はこの規定とは関係がない。 第5条 両国の日本における、︵日米︶いずれか一方に対する攻撃が自国の平和及び安全を危うくするものであるという位置づけを確認し、憲法や手続きに従い共通の危険に対処するように行動することを宣言している。 第6条 在日米軍について定める。細目は日米地位協定などに規定される。 第7条、第8条、第9条 他の規定との効力関係、発効条件などを定める。 第10条 当初の10年の有効期間︵固定期間︶が経過した後は、1年前に予告することにより、一方的に廃棄できる旨を規定する。いわゆる自動延長方式の規定であり、この破棄予告が出されない限り条約は存続する。なお、代わる国連の措置が有効になったと両国が認めれば、この条約は終了するとしている。本質・諸解釈など[編集]
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日米安全保障条約の本質の変化[編集]
日本抑止論[編集]
1971年︵昭和46年︶7月、中国を訪問したヘンリー・キッシンジャーとの会談で、周恩来首相が日本には﹁拡張主義的傾向がある﹂と指摘したのに対し、キッシンジャーは同意して日米安保関係がそれを防いでいる、と述べた。これは現在の記録で確認できる、米中首脳が最初に日米安保﹁瓶の蓋﹂論を共有した瞬間とされる[21]。 1990年︵平成2年︶3月、在沖縄アメリカ海兵隊司令官ヘンリー・スタックポール︵Henry C. Stackpole, III︶少将は﹁アメリカ軍が日本から撤退すれば、既に強力な軍事力を日本はさらに増強するだろう。我々は ﹃瓶のふた﹄ のようなものだ﹂と発言し、日本を抑止する必要があるとの見解を示した[22]。 1999年︵平成11年︶のアメリカの世論調査では、条約の目的は何かという質問への回答が、﹁日本の軍事大国化防止﹂が49パーセント・﹁日本防衛﹂が12パーセントとなった[23]。第5条共同対処宣言︵義務︶に関する解釈[編集]
この条約の第5条では日米両国の﹁共同対処﹂宣言が明記されており、アメリカが集団的自衛権を行使して日本を防衛する義務を負うという根拠とされている[24]。日本の施政下においては、日本はもちろん﹁在日米軍に対する武力攻撃﹂であっても﹂﹁日米が共同して対処すること﹂となる[25]。この際、日本はあくまで﹁日本への攻撃﹂に対処すると考えるられるため、日米安保に基づいた行動を行う場合も集団的自衛権ではなく、自国を守るための個別的自衛権の行使に留まるとの解釈が過去になされた[26]。 また第5条では﹁日本の施政下の領域における日米どちらかへの攻撃﹂についてのみ述べられており、在日アメリカ軍基地・在日アメリカ施設などは含まれていない。しかし、日本の領土・領空を侵害せずにこれらに対する攻撃を行うことは不可能であるため、アメリカの施設に対する攻撃であっても日本への攻撃と同等と見做して同様に対処を行う[27]。その他に、日本を防衛するために活動を行っているアメリカの艦艇に関しても、第98回国会の衆議院予算委員会にて谷川防衛庁長官︵当時︶が﹁︵前略︶アメリカの艦艇が相手国から攻撃を受けたときに、自衛隊が我が国を防衛するための共同対処行動の一環としてその攻撃を排除することは、我が国に対する武力攻撃から我が国を防衛するための必要な限度内と認められる以上、これは我が国の自衛の範囲内に入るであろう﹂と答弁しており[28]、自衛隊による防護が可能となっている。 2012年︵平成24年︶11月29日、米連邦議会上院は本会議で、尖閣諸島問題を念頭に日本の施政権についての米国の立場について﹁第三国の一方的な行動により影響を受けない﹂﹁日米安保条約第5条に基づく責任を再確認する﹂と宣言する条項を国防権限法案に追加する修正案を全会一致で可決した[29][30]。 2013年︵平成25年︶1月2日、前月20日に米下院・翌21日に米上院で可決された尖閣諸島が日米安全保障条約第5条の適用対象であることを明記した条文を盛り込んだ﹁2013年会計年度国防権限法案﹂にバラク・オバマ大統領が署名して法案が成立した。尖閣諸島の条文には﹁武力による威嚇や武力行使﹂問題解決を図ることに反対するとしている[31][32]。米国下院で「日本側に有利過ぎる」と批判された日米安保条約[編集]
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米軍が日本に駐留し続ける事の意義[編集]
アメリカの核の傘を否定する発言[編集]
日本側の﹁核の傘﹂に対する疑問[編集]
西村眞悟衆議院議員は第155回国会内閣委員会第2号︵平成14年10月30日︵水曜日︶︶において、﹁アメリカは主要都市に核ミサイルが落ちる危険性を覚悟して日本に核の傘を開くのか﹂と疑念を述べた。またヨーロッパへ向けられたロシアの核についてのアメリカの﹁シアター・ミサイル・ディフェンス﹂という発言を捉え、アメリカ自身が核ミサイルの射程外の場合関係ないというアメリカの意識がにじみ出ていると主張した[35]。日本国内の認識[編集]
極東の範囲︵昭和35年2月26日政府統一見解︶[編集]
以下、外務省公式サイト掲載の﹁極東の範囲︵昭和35年2月26日政府統一見解︶[36]﹂ ﹁新条約の条約区域は、﹃日本国の施政の下にある領域﹄と明確に定められている。他方同条約は、﹃極東における国際の平和及び安全﹄ということも言っている。一般的な用語としてつかわれる﹃極東﹄は、別に地理学上正確に画定されたものではない。しかし、日米両国が、条約にいうとおり共通の関心をもっているのは、極東における国際の平和及び安全の維持ということである。この意味で実際問題として両国共通の関心の的となる極東の区域は、この条約に関する限り、在日米軍が日本の施設及び区域を使用して武力攻撃に対する防衛に寄与しうる区域である。かかる区域は、大体において、フィリピン以北並びに日本及びその周辺の地域であって、韓国及び中華民国の支配下にある地域もこれに含まれている。︵﹁中華民国の支配下にある地域﹂は﹁台湾地域﹂と読替えている。︶ 新︵安保︶条約の基本的な考え方は右の通りであるが、この区域に対して武力攻撃が行われ、あるいはこの区域の安全が周辺地域に起こった事情のため脅威されるような場合、アメリカがこれに対処するため執ることのある行動の範囲は、その攻撃又は脅威の性質如何にかかるのであって、必ずしも前記の区域に局限される訳では無い。 しかしながらアメリカの行動には、基本的な制約がある。すなわちアメリカの行動は常に国際連合憲章の認める個別的又は集団的自衛権の行使として、侵略に抵抗するためにのみ執られることになっているからである。またかかるアメリカの行動が戦闘行為を伴うときはそのための日本の施設の使用には、当然に日本政府との事前協議が必要となっている。そして、この点については、アイゼンハウァー大統領が岸総理大臣に対し、アメリカは事前協議に際して表明された日本政府の意思に反して行動する意図の無いことを保証しているのである。﹂沖縄県[編集]
識者[編集]
時事通信社解説委員の田崎史郎は、2017年2月10日に行われた日米首脳会談のニュースに触れ、中国が領有権を主張する尖閣諸島を巡っては、安倍晋三首相が首脳会談後の記者会見で、日米安保条約5条の適用対象であると首脳間で確認したと説明した。トランプ氏が会談でどのように発言したかは不明だが、共同声明に﹁日米安保条約第5条が尖閣諸島に適用される﹂と明記したことに対して、日本の防衛において日米安保は無くてはならない条約。日米関係に隙間を空けてはならないと答えた[38]。 評論家の大井篤は1960年︵昭和35年︶の条約改定に当たり、﹁日米安全保障条約の持つ抑止効果を積極的に追求するべきである﹂と結論付けた[7]。 元外務省局長の孫崎享は、﹁日米安保は日本の利益を守るためにあるのではなく、存在意義は全く無い﹂と述べている[39]。また孫崎は、集団的自衛権について﹁アメリカが日本を戦闘に巻き込むのが狙い﹂と述べている。世論調査[編集]
内閣府が2010年︵平成22年︶1月に実施した世論調査では、同条約が日本の平和と安全に﹁役立っている﹂との回答が76.4パーセント・﹁役立っていない﹂との回答が16.2パーセントとなった。また﹁日本の安全を守るためにはどのような方法をとるべきだと思うか﹂との問いには﹁現状通り日米の安全保障体制と自衛隊で日本の安全を守る﹂との回答が77.3パーセント・﹁日米安全保障条約をやめて、自衛隊だけで日本の安全を守る﹂が9.9パーセント・﹁日米安全保障条約をやめて、自衛隊も縮小または廃止する﹂が4.2パーセントとなった[7]。集団的自衛権との関係[編集]
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
関連文献[編集]
●伊藤貫﹃中国の﹁核﹂が世界を制す﹄PHP研究所、2006年2月。ISBN 4-569-64868-1。 ●伊藤貫﹃中国の核戦力に日本は屈服する 今こそ日本人に必要な核抑止力﹄小学館︿小学館101新書﹀、2011年2月。ISBN 978-4-09-825102-5。 - 伊藤 (2006)の改訂版。﹃正論﹄2011年2月号に掲載された田母神俊雄との対談を収録。 ●岡崎久彦﹃戦略的思考とは何か﹄中央公論社︿中公新書 700﹀、1983年8月23日。ISBN 4-12-100700-X。 ●岡崎久彦、佐藤誠三郎・西村繁樹﹃日米同盟と日本の戦略 アメリカを見誤ってはならない﹄PHP研究所、1991年8月。ISBN 4-569-53229-2。 ●草野厚﹃日米安保とは何か その成立から新ガイドラインまで﹄PHP研究所、1999年11月18日。ISBN 4-569-60889-2。 ●マイケル・グリーン、パトリック・クローニン 編﹃日米同盟 米国の戦略﹄川上高司 監訳、勁草書房、1999年9月。ISBN 4-326-30133-3。 ●国際関係研究会 編﹃日米同盟の論理﹄日本工業新聞社︿Ohtemachi books﹀、1982年1月。ISBN 4-8191-0511-6。 ●坂元一哉﹃日米同盟の絆 安保条約と相互性の模索﹄有斐閣、2000年5月。ISBN 4-641-04976-9。 - 第22回︵2000年度︶サントリー学芸賞︵政治・経済部門︶受賞。 ●田久保忠衛﹃新しい日米同盟 親米ナショナリズムへの戦略﹄PHP研究所︿PHP新書﹀、2001年5月15日。ISBN 4-569-61615-1。 ●豊下楢彦﹃安保条約の成立 吉田外交と天皇外交﹄岩波書店︿岩波新書 新赤版 478﹀、1996年12月20日。ISBN 4-00-430478-4。 ●西原正、土山實男 編﹃日米同盟Q&A100 全貌をこの1冊で明らかにする﹄亜紀書房、1998年2月。ISBN 4-7505-9803-8。 ●平和・安全保障研究所 編﹃日米同盟再考 知っておきたい100の論点﹄西原正・土山實男 監修、亜紀書房、2010年6月22日。ISBN 978-4-7505-1007-1。 ●日本国際政治学会 編︵編︶﹁日米安保体制 持続と変容﹂﹃国際政治﹄通号 115、有斐閣(発売)、1997年5月、ISSN 0454-2215。 ●孫崎享﹃日米同盟の正体 迷走する安全保障﹄講談社︿講談社現代新書 1985﹀、2009年3月20日。ISBN 978-4-06-287985-9。 ●室山義正﹃日米安保体制 冷戦後の安全保障戦略を構想する﹄ 上︵平和憲法制定から沖縄返還まで︶、有斐閣、1992年2月。ISBN 4-641-04950-5。 ●室山義正﹃日米安保体制 冷戦後の安全保障戦略を構想する﹄ 下︵ニクソン・ドクトリンから湾岸戦争後まで︶、有斐閣、1992年2月。ISBN 4-641-04951-3。 ●山本皓一 撮影、松本利秋 著﹃軍事同盟 日米安保条約﹄クレスト社、1996年2月。ISBN 4-87712-036-X。関連項目[編集]
- 連合国軍占領下の日本 - 連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)
- 日本国との平和条約
- 在日米軍
- 日本国憲法・第9条
- 日本国とアメリカ合衆国との間の相互防衛援助協定(日米相互防衛援助協定)
- 日米地位協定
- 横田空域
- ソ連脅威論
- 中国脅威論
- 冷戦
- アメリカ帝国
- 覇権主義
- 日米安全保障協議委員会
- 日米合同委員会
- 日米豪印戦略対話
- 日米関係#日米同盟
- 対米従属論
- アメリカ合衆国51番目の州
- ANZUS
- AUKUS
- 希望の同盟
- 日英同盟
- 平和安全法制
- 事件
- 条約・法律・機構
- 日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約 - 1952年(昭和27年)から1960年(昭和35年)まで発効した旧日米安保条約
- 日本国との平和条約
- 戦争権限法
- 日米防衛協力のための指針
- 米韓相互防衛条約
- 在韓米軍地位協定
- ソ朝友好協力相互援助条約
- 中朝友好協力相互援助条約
- 台湾関係法(旧米華相互防衛条約)
- 米比相互防衛条約
- 太平洋安全保障条約
- 日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に伴う刑事特別法
- 日本国における国際連合の軍隊の地位に関する協定の実施に伴う刑事特別法
- 北大西洋条約機構
- 中央条約機構
- ワルシャワ条約機構
- 安全保障協力に関する日豪共同宣言
- 日本国とインドとの間の安全保障協力に関する共同宣言
- 日満議定書