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「楢崎龍」の版間の差分

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{{redirect|おりょう|彼女の名を冠した小惑星|おりょう (小惑星)}}

{{Infobox 人物

{{Infobox 人物

|氏名 = 楢崎 龍

|氏名 = 楢崎 龍

|ふりがな = ならさき りょう

|ふりがな = ならさき りょう

|画像 = Narasaki Ryo 1904.JPG

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|画像説明 = 晩年の楢崎龍(西村ツル)。明治37年12月15日に「東京二六新聞」で初めて公表された写真

|画像説明= 晩年の楢崎龍(西村ツル)。1904年12月15日に「東京二六新聞」で初めて公表された写真

|出生名 =

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|生年月日 = [[天保]]12年[[6月6日 (旧暦)|6月6日]]([[1841年]][[7月23日]])

|生年月日 = [[天保]]12年[[6月6日 (旧暦)|6月6日]]([[1841年]][[7月23日]])

|生誕地 = [[京都]]

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|別名 = 西村ツル

|別名 = 西村ツル

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|親 = [[楢崎将作]]、貞(または夏)

|親 = [[楢崎将作]]、貞(または夏)

|親戚 = 妹:光枝、起美(君江)、弟:太一郎、健吉

|親戚 = 妹:光枝、起美(君江)、弟:太一郎、健吉

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|配偶者 = [[坂本龍馬]]→西村松兵衛

|配偶者 = [[坂本龍馬]]→西村松兵衛

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== 生涯 ==

== 生涯 ==

=== 龍馬との結婚まで ===

=== 生い立ち ===

[[File:お龍の実家 楢崎家跡石碑.jpg|thumb|left|190px|お龍の実家 楢崎家跡(京都柳馬場三条下ル)]]

[[ファイル:お龍の実家 楢崎家跡石碑.jpg|thumb|150px|お龍の実家 楢崎家跡(京都柳馬場三条下ル)]]

[[File:お龍2888.JPG|thumb|200px|right|お龍 独身時代寓居跡(京都三条木屋町下ル・{{ウィキ座標|35|00|26.4|N|135|46|12.9|E|region:JP-26_type:landmark|地図|name=お龍 独身時代寓居跡}})]]

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=== 龍馬出会い ===

その後、お龍は七条新地の旅館「扇岩」で働き<ref>{{Harvnb|鈴木|2007|loc=p.36}}</ref>、母・貞は[[方広寺]]大仏殿近くの[[天誅組]]の残党を含めた[[土佐藩]]出身の尊攘派志士たちの隠れ家で賄いをするようになった。龍馬とお龍は[[元治]]元年([[1864年]])頃に出会っている<ref>{{Harvnb|鈴木|2007|loc=p.34}}</ref><ref>『坂本龍馬と海援隊』p.84</ref>。後年のお龍の回顧によると、龍馬と初めて会ったときに名前を聞かれて紙に書くと自分と一緒だと笑っていたという<ref name=book1>{{Harvnb|坂本|2010|loc=p.86}}</ref>。お龍に惚れた龍馬は母・貞に、お龍を妻にしたいと申し入れ、貞も承知した<ref>{{Harvnb|鈴木|2007|loc=p.40}}</ref><ref name=book1/>。

その後、お龍は七条新地の旅館「扇岩」で働き<ref>{{Harvnb|鈴木|2007|loc=p.36}}</ref>、母・貞は[[方広寺]]大仏殿([[京の大仏]])近くの[[天誅組]]の残党を含めた[[土佐藩]]出身の尊攘派志士たちの隠れ家で賄いをするようになった。龍馬とお龍は[[元治]]元年([[1864年]])頃に出会っている<ref>{{Harvnb|鈴木|2007|loc=p.34}}</ref><ref>『坂本龍馬と海援隊』p.84</ref>。後年のお龍の回顧によると、龍馬と初めて会ったときに名前を聞かれて紙に書くと自分と一緒だと笑っていたという<ref name=book1>{{Harvnb|坂本|2010|loc=p.86}}</ref>。お龍に惚れた龍馬は母・貞に、お龍を妻にしたいと申し入れ、貞も承知した<ref>{{Harvnb|鈴木|2007|loc=p.40}}</ref><ref name=book1/>。




6[[]][[]] <ref name=tegami/>[[|]][[]][[99 ()|99]]<ref name=tegami/>[[81 ()|81]]<ref name=otyou>{{Harvnb||2009|loc=pp.48-49}}</ref>

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===寺田屋遭難と薩摩旅行===

=== 寺田屋遭難 ===

[[ファイル:坂本龍馬 お龍「結婚式場」跡 石碑.jpg|thumb|150px|龍馬 お龍「結婚式場」跡]]

各地を奔走していた龍馬は、懇意にしていた[[伏見区|伏見]]寺田屋の[[お登勢]]にお龍を預け、お龍は「'''お春'''」の変名でお登勢の娘分になった。この時期についてお龍は龍馬と2人で歩いていたら[[新選組]]と遭遇し、龍馬が慌てて隠れてしまった話<ref>『千里駒後日譚』({{Harvnb|坂本|2010|loc=pp.101-102}})</ref>や、[[桐野利秋]]に寝床を襲われた話<ref>『反魂香』({{Harvnb|坂本|2010|loc=pp.103-105}})</ref>などを、後年回顧している。また、新選組局長の[[近藤勇]]がお龍に懸想して、櫛や[[簪]]を買って来たという話も伝えている<ref>{{Harvnb|坂本|2010|loc=p.188}}</ref>。




[[]]2[[1866]][[122 ()|122]][[]][[123 ()|23]][[|]][[]]宿<ref>{{Harvnb||2010|loc=pp.111-113}}</ref>[[#.E5.9D.82.E6.9C.AC.E9.BE.8D.E9.A6.AC.E8.A5.B2.E6.92.83.E4.BA.8B.E4.BB.B6|]]<ref>西西2016P39</ref> 2[[124 ()|124]][[|]] <ref>p.237-243</ref>{{Efn|2124<ref>p.257-258</ref>}}



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=== 薩摩旅行 ===

[[ファイル:Amenosakahoko.jpg|thumb|180px|高千穂峰の天逆鉾]]


[[西]][[|]][[34 ()|34]]西<ref>{{Harvnb||2009|loc=p.94}}</ref>

[[西]][[|]][[34 ()|34]]西<ref>{{Harvnb||2009|loc=p.94}}</ref>


48行目: 49行目:



[[]][[]]西[[|]]<ref>p.146</ref><ref name=sinkon/>

[[]][[]]西[[|]]<ref>p.146</ref><ref name=sinkon/>

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File:三十三間堂 南大門.jpg|龍馬とお龍が初めて出会った場所といわれる三十三間堂南大門付近<br />(京都市東山区)

File:坂本龍馬 お龍「結婚式場」跡 石碑.jpg|龍馬 お龍「結婚式場」跡 石碑<br />(京都市東山区)

File:Teradaya Kyoto Japan.jpg|伏見寺田屋。<br />ただし建物は後に再現されたもの。

File:Ryoma no Tegami01.jpg|霧島山登山を描いた龍馬の手紙。<br />([[京都国立博物館]]蔵)

File:Amenosakahoko.jpg|高千穂峰の天逆鉾

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===長崎・下関での生活と龍馬の死===

=== 長崎・下関での生活 ===


6[[|]][[|]][[]]3[[1867]][[210 ()|210]][[|]][[]][[]][[]]<ref>{{Harvnb||2007|loc=pp.74-77}}</ref>

6[[|]][[|]][[]]3[[1867]][[210 ()|210]][[|]][[]][[]][[]]<ref>{{Harvnb||2007|loc=pp.74-77}}</ref>[[528 ()|528]][[|]]<ref>3528p.364-370</ref>9<ref>{{Harvnb||2010|loc=pp.137-139}}</ref>

同年[[5月28日 (旧暦)|5月28日]]、龍馬はお龍へ[[いろは丸|いろは丸事件]]の経過報告とともに彼女を気遣う手紙を送っており、これが現存するお龍宛ての唯一の手紙である<ref>慶応3年5月28日付書簡(『龍馬の手紙』p.364-370)</ref>。お龍と龍馬が最後に会ったのは同年9月に下関に寄港した際であった<ref>{{Harvnb|坂本|2010|loc=pp.137-139}}</ref>。




[[]][[|]]<ref>{{Harvnb||2007|loc=pp.109-110}}</ref>[[]][[]]

[[]][[|]]<ref>{{Harvnb||2007|loc=pp.109-110}}</ref>[[]][[]]
66行目: 59行目:

同年[[11月15日 (旧暦)|11月15日]]、龍馬は京都・近江屋で暗殺された([[近江屋事件]])。

同年[[11月15日 (旧暦)|11月15日]]、龍馬は京都・近江屋で暗殺された([[近江屋事件]])。



=== 龍馬の死 ===


[[122 ()|122]]<ref>{{Harvnb||2007|loc=pp.89-91}}</ref><ref>{{Harvnb||2010|loc=pp.139-140}}</ref>

[[122 ()|122]]<ref>{{Harvnb||2007|loc=pp.89-91}}</ref><ref>{{Harvnb||2010|loc=pp.139-140}}</ref>

=== 龍馬の死後 ===



龍馬の死後、暫くは(寺田屋遭難の際にも龍馬と一緒に行動した)[[三吉慎蔵]]が、お龍の面倒をみていた。また生前の龍馬の意思により、妹・起美が海援隊士の[[菅野覚兵衛]](千屋寅之助)と結婚した。

龍馬の死後、暫くは(寺田屋遭難の際にも龍馬と一緒に行動した)[[三吉慎蔵]]が、お龍の面倒をみていた。また生前の龍馬の意思により、妹・起美が海援隊士の[[菅野覚兵衛]](千屋寅之助)と結婚した。




[[]]4[[1868]]33<ref>{{Harvnb||2005|loc=pp.184-187}}</ref><ref>{{Harvnb||2007|loc=p.245}}</ref>

[[]]4[[1868]]33<ref>{{Harvnb||2005|loc=pp.184-187}}</ref><ref>{{Harvnb||2007|loc=p.245}}</ref><ref>{{Harvnb||2007|loc=pp.193-194}}</ref>

不仲だったのは義兄の権平夫婦で、お龍は後年の回顧談で龍馬に下る褒賞金欲しさに自分を苛めて追い出したと恨み事を述べている<ref>『反魂香』({{Harvnb|鈴木|2007|loc=pp.193-194}})</ref>。



=== 流転 ===

その後、妹・起美の嫁ぎ先である安芸郡和食村(現[[高知県]][[安芸郡 (高知県)|安芸郡]][[芸西村]][[和食 (芸西村)|和食]])の千屋家(菅野覚兵衛の実家)の世話になったが、覚兵衛が[[海軍省]]へ出仕して[[アメリカ合衆国|米国]]へ留学することになって千屋家にも居られなくなり、明治2年([[1869年]])中頃に土佐を出ることになった。出立する際に龍馬からの数多くの手紙は他人に見せたくない二人だけのものとし、すべて燃やすよう依頼しており、このためお龍宛ての龍馬の手紙は1通を残して全て失われてしまった<ref>{{Harvnb|鈴木|2007|loc=pp.121-122}}</ref>。お龍が一時期逗留した芸西村には「お龍と起美の銅像」が建立されている。

その後、妹・起美の嫁ぎ先である安芸郡和食村(現[[高知県]][[安芸郡 (高知県)|安芸郡]][[芸西村]][[和食 (芸西村)|和食]])の千屋家(菅野覚兵衛の実家)の世話になったが、覚兵衛が[[海軍省]]へ出仕して[[アメリカ合衆国|米国]]へ留学することになって千屋家にも居られなくなり、明治2年([[1869年]])中頃に土佐を出ることになった。出立する際に龍馬からの数多くの手紙は他人に見せたくない二人だけのものとし、すべて燃やすよう依頼しており、このためお龍宛ての龍馬の手紙は1通を残して全て失われてしまった<ref>{{Harvnb|鈴木|2007|loc=pp.121-122}}</ref>。お龍が一時期逗留した芸西村には「お龍と起美の銅像」が建立されている。




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[[]][[]]<ref>{{Harvnb||2007|loc=p.127}}</ref>

[[]][[]][[]]<ref>{{Harvnb||2007|loc=p.127}}</ref><ref>{{Harvnb||2007|loc=pp.130-131}}</ref>[[]][[|]][[]][[|]]婿<ref>{{Harvnb||2007|loc=p.131}}</ref>西<ref>{{Harvnb||2009|loc=p.176}}</ref>

元海援隊士の間ではお龍の評判は悪く、維新後に出世した者も少なくなかったが彼女を援助する者は誰もいなかったといわれ<ref>『実話雑誌』({{Harvnb|鈴木|2007|loc=pp.130-131}})</ref>、[[田中光顕]](元[[陸援隊|陸援隊士]]で後に[[宮内大臣]]にまで出世)の回顧談によれば、瑞山会([[武市瑞山|武市半平太]]ら土佐殉難者を顕彰する会)の会合で、お龍の処遇が話題になった際にも妹婿の菅野覚兵衛にまで「品行が悪く、意見をしても聞き入れないので面倒はみられない」と拒否されたという<ref>{{Harvnb|鈴木|2007|loc=p.131}}</ref>。お龍は腹の底から親切だったのは西郷と勝そしてお登勢だけだったと語っている<ref>『反魂香』({{Harvnb|一坂|2009|loc=p.176}})</ref>。



=== 再婚 ===


[[File:2.0.jpg|230px|thumb|<BR/>]]

[[:2.0.jpg|200px|thumb|]]

7[[1874]] [[宿]][[]]<ref>{{Harvnb||2007|loc=pp.132-136}}</ref>使

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<ref>簿//{{Harvnb||2007|loc=pp.128-131}}</ref>24[[1891]]

{{Efn|簿//<ref name="-20230316124510-2"/>}}24[[1891]]


=== 晩年 ===

明治16年([[1883年]])、[[土陽新聞]]に掲載された[[坂崎紫瀾]]の『汗血千里駒』がベストセラーとなり、それまで忘れられた存在だった龍馬の名が広く世間に知られるようになった<ref>『坂本龍馬伝』p.116-117</ref>。だが、同書は伝記としては事実誤認や創作の多い内容で、お龍も「誤謬が多くて口惜しい」と語っている<ref>『千里駒後日譚』({{Harvnb|一坂|2009|loc=p.203}})</ref>。

明治16年([[1883年]])、[[土陽新聞]]に掲載された[[坂崎紫瀾]]の『汗血千里駒』がベストセラーとなり、それまで忘れられた存在だった龍馬の名が広く世間に知られるようになった<ref>『坂本龍馬伝』p.116-117</ref>。だが、同書は伝記としては事実誤認や創作の多い内容で、お龍も「誤謬が多くて口惜しい」と語っている<ref>『千里駒後日譚』({{Harvnb|一坂|2009|loc=p.203}})</ref>。


[[]][[|]]32[[1899]]33[[1900]]32<ref>{{Harvnb||2007|loc=p.250}}</ref>

[[]][[|]]32[[1899]]33[[1900]]32{{Efn|<ref>{{Harvnb||2007|loc=p.250}}</ref>}}


明治30年([[1897年]])に安岡秀峰が訪ねた時にはお龍は横須賀の狭い貧乏長屋で暮らしていた<ref>『雑誌実話』({{Harvnb|鈴木|2007|loc=pp.143-144}})</ref>。


30[[1897]]<ref>{{Harvnb||2007|loc=pp.143-144}}</ref>[[]]<ref>{{Harvnb||2005|loc=pp.196-197, p.200}}</ref>3<ref>{{Harvnb||2007|loc=pp.154-157}}</ref><ref>{{Harvnb||2010|loc=p.151}}</ref>退[[]]<ref>371215{{Harvnb||2007|loc=p.21, 155}}</ref>

[[]]<ref>{{Harvnb||2005|loc=pp.196-197, p.200}}</ref>

夫に先立たれた妹・光枝がお龍を頼るようになり、3人で暮らすようになったが、やがて松兵衛と光枝が内縁関係になり二人でお龍の元を離れて別居してしまう<ref>{{Harvnb|鈴木|2007|loc=pp.154-157}}</ref><ref>{{Harvnb|坂本|2010|loc=p.151}}</ref>。

お龍は退役軍人・[[工藤外太郎]]に保護されて余生を送った<ref>明治37年12月15日「東京二六新聞」({{Harvnb|鈴木|2007|loc=p.21, 155}})</ref>。




[[]]37[[1904]][[|]]<ref> p.147</ref>

[[]]37[[1904]][[|]]<ref> p.147</ref>

明治39年([[1906年]])1月にお龍が危篤に陥ると、皇后大夫[[香川敬三]](元陸援隊士)から御見舞の電報が送られ、[[井上良馨]]大将が救護の募金を集めている。同年1月15日にお龍は66歳で死去した。

明治39年([[1906年]])1月にお龍が危篤に陥ると、皇后大夫[[香川敬三]](元陸援隊士)から御見舞の電報が送られ、[[井上良馨]]大将が救護の募金を集めている。同年1月15日にお龍は66歳で死去した。



== 死後 ==


[[]][[ ()|]][[ ()|]]8[[]]3[[1914]]8西西[[|]]70[[]]

[[]][[ ()|]][[ ()|]]8[[]]3[[1914]]8西[[|]]70[[]]2010115143

2010年1月15日横須賀市の信楽寺にて、龍馬死後143年ぶりに合同慰霊祭が催された。




[[]][[ ()]] 西<ref></ref>

[[ ()|]][[]]西<ref></ref>


== お龍の写真 ==

== お龍の写真について ==


371904[[1215]][[]]331900<ref name=yasuoka>{{Harvnb||2007|loc=p.220}}</ref><ref>3739115[[]]</ref>

[[]]37[[1904]][[1215]][[]][[]]33[[1900]]<ref name=yasuoka>{{Harvnb||2007|loc=p.220}}</ref>{{Efn|3739115[[]]}}


『続反魂香』の末筆で安岡が「現今のお良婦人は、今回を以て初めて写真したるなれば、是おそらく天下の絶品ならむ」<ref name=yasuoka/>と述べていたこともあり、若い時代のお龍の写真は存在する筈がない。


<ref name=yasuoka/>


ところが、昭和54年([[1979年]])に[[近江屋]]井口新助家のアルバム([[中井弘]]旧蔵写真アルバム)から発見された女性の立ち姿の写真が公表され<ref>昭和57年12月22日付[[高知新聞]]</ref>、また、『セピア色の肖像 幕末明治名刺写真コレクション』(井桜直美著、[[朝日ソノラマ]]、2000年)に掲載された椅子に腰かけた女性の写真もお龍の写真とされた。二枚の写真は一見して同一人物のもので、浅草大代地の[[内田九一]]の写真館で撮影されたことが判明している。

ところが、[[昭和]]54年([[1979年]])に[[近江屋]]井口新助家のアルバム([[中井弘]]旧蔵写真アルバム)から発見された女性の立ち姿の写真が公表され<ref>昭和57年12月22日付[[高知新聞]]</ref>、また、『セピア色の肖像 幕末明治名刺写真コレクション』(井桜直美著、[[朝日ソノラマ]]、2000年)に掲載された椅子に腰かけた女性の写真もお龍の写真とされた。二枚の写真は一見して同一人物のもので、浅草大代地の[[内田九一]]の写真館で撮影されたことが判明している。




<ref>{{Harvnb||2007|loc=pp.22-26}}</ref><ref>{{Harvnb||2005|loc=pp.205-212}}</ref>20[[2008]][[]][[]][[]]姿

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8[[1996]]1010[[]]

[[]]8[[1996]]1010[[]][[]]



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姿[[|]]<ref> [[]]20117</ref><ref>--2009</ref>[[]][[]]<ref>{{Harvnb||2010|loc=pp.173-178}}</ref>

姿<ref> [[]]20117</ref>{{Efn|--[[]]2009}}[[]][[]][[]]<ref>{{Harvnb||2010|loc=pp.173-178}}</ref>



25[[2013]][[]]姿<ref>2615[[]]</ref>{{-}}

25[[2013]][[]]姿<ref>2615[[]]</ref>


== 登場作品 ==

== 登場作品 ==

; 映画

映画

* 『[[維新の曲]]』([[1942年]]、演:[[市川春代]])

*『[[海援隊]]』([[1939年]]、演[[市川春代]])

* 『[[海援隊]]』([[1939年]]、演:[[市川春代]])

*『[[維新の曲]]』([[1942年]]、演[[市川春代]])

* 『[[幕末]]』([[1970年]]、演:[[吉永小百合]])

*『[[幕末]]』([[1970年]]、演[[吉永小百合]])

* 『[[幕末青春グラフィティ Ronin 坂本竜馬]]』([[1986年]]、演:[[原田美枝子]])

*『[[幕末青春グラフィティ Ronin 坂本竜馬]]』([[1986年]]、演[[原田美枝子]])

* 『[[竜馬を斬った男]]』([[1987年]]、演:[[久仁亮子]])

*『[[竜馬を斬った男]]』([[1987年]]、演[[久仁亮子]])

* 『[[ゴルフ夜明け前]]』([[1987年]]、演:[[高橋恵子]])

*『[[ゴルフ夜明け前]]』([[1987年]]、演[[高橋恵子]])

* 『[[竜馬の妻とその夫と愛人]]』([[2002年]]、演:[[鈴木京香]])

*『[[竜馬の妻とその夫と愛人]]』([[2002年]]、演[[鈴木京香]])

; ドラマ

ドラマ

* 『[[竜馬がゆく (1965年のテレビドラマ)|竜馬がゆく]]』([[1965年]]、[[MBS]]、演:[[山田浩子]])

*『[[竜馬がゆく (1965年のテレビドラマ)|竜馬がゆく]]』([[1965年]]、[[毎日放送|MBS]]、演[[山田浩子]])

* 『[[竜馬がゆく_(NHK大河ドラマ)|竜馬がゆく]]』([[1968年]]、NHK大河ドラマ、演:[[浅丘ルリ子]])

*『[[竜馬がゆく (NHK大河ドラマ)|竜馬がゆく]]』([[1968年]]、NHK大河ドラマ、演[[浅丘ルリ子]])

* 『[[勝海舟 (NHK大河ドラマ)|勝海舟]]』([[1974年]]、NHK大河ドラマ、演:[[川口晶]])

*『[[勝海舟 (NHK大河ドラマ)|勝海舟]]』([[1974年]]、NHK大河ドラマ、演[[川口晶]])

* 『[[花神 (NHK大河ドラマ)|花神]]』([[1977年]]、NHK大河ドラマ、演:[[島本須美]])

*『[[花神 (NHK大河ドラマ)|花神]]』([[1977年]]、NHK大河ドラマ、演[[島本須美]])

* 『[[葉蔭の露]]』([[1979年]]、[[ABCテレビ|朝日放送]]、演:[[岸恵子]])

*『[[葉蔭の露]]』([[1979年]]、[[朝日放送テレビ|朝日放送]]、演:[[岸恵子]])

* 『[[竜馬がゆく#1982年版|竜馬がゆく]]』([[1982年]]、テレビ東京、演:[[大谷直子]])

*『[[竜馬がゆく#1982年版|竜馬がゆく]]』([[1982年]]、テレビ東京、演[[大谷直子]])

* 『[[幕末青春グラフィティ 坂本竜馬]]』([[1982年]]、[[日本テレビ]]、演:[[夏目雅子]])

*『[[幕末青春グラフィティ 坂本竜馬]]』([[1982年]]、[[日本テレビ]]、演[[夏目雅子]])

* 『[[影の軍団・幕末編]]』([[1985年]]、[[関西テレビ]]、演:[[浅野ゆう子]])

*『[[影の軍団・幕末編]]』([[1985年]]、[[関西テレビ]]、演[[浅野ゆう子]])

* 『[[坂本龍馬 (テレビドラマ)|坂本龍馬]]』([[1989年]]、[[TBSテレビ]]、演:[[名取裕子]])

*『[[坂本龍馬 (テレビドラマ)|坂本龍馬]]』([[1989年]]、[[TBSテレビ]]、演[[名取裕子]])

* 『[[翔ぶが如く (NHK大河ドラマ)|翔ぶが如く]]』([[1990年]]、NHK大河ドラマ、演:[[洞口依子]])

*『[[翔ぶが如く (NHK大河ドラマ)|翔ぶが如く]]』([[1990年]]、NHK大河ドラマ、演[[洞口依子]])

* 『[[竜馬がゆく#1997年版|竜馬がゆく]]』([[1997年]]、[[TBSテレビ]]、演:[[沢口靖子]])

*『[[竜馬がゆく#1997年版|竜馬がゆく]]』([[1997年]]、[[TBSテレビ]]、演[[沢口靖子]])

* 『[[竜馬がゆく#2004年版|竜馬がゆく]]』([[2004年]]、[[テレビ東京]]、演:[[内山理名]])

*『[[竜馬がゆく#2004年版|竜馬がゆく]]』([[2004年]]、[[テレビ東京]]、演[[内山理名]])

* 『[[新組!]]』(2004年、NHK大河ドラマ、演:[[麻生久美子]])

*『[[新組!]]』(2004年、NHK大河ドラマ、演:[[麻生久美子]])

* 『[[篤姫 (NHK大河ドラマ)|篤姫]]』(2008年、NHK大河ドラマ、演:[[市川実日子]])

*『[[篤姫 (NHK大河ドラマ)|篤姫]]』(2008年、NHK大河ドラマ、演:[[市川実日子]])

* 『[[龍馬伝]]』(2010年、NHK大河ドラマ、演:[[真木よう子]])

*『[[龍馬伝]]』(2010年、NHK大河ドラマ、演:[[真木よう子]])

* 『[[時代劇法廷|時代劇法廷スペシャル 被告人は坂本龍馬]]』(2015年、[[時代劇専門チャンネル]]、演:[[岡本玲]])

*『[[時代劇法廷|時代劇法廷スペシャル 被告人は坂本龍馬]]』(2015年、[[時代劇専門チャンネル]]、演:[[岡本玲]])

* 『[[FNS27時間テレビ (2017年)|FNS27時間テレビ にほんのれきし]]』(2017年、フジテレビ、演:[[剛力彩芽]])

*『[[JIN-仁- (テレビドラマ)#キャスト|JIN-仁-完結編]]』(2011年、TBSテレビ、演:[[東風万智子]])

* 『[[西郷どん (NHK大河ドラマ)|西郷どん]]』(2018年、NHK大河ドラマ、演:[[水川あさみ]])

*『[[FNS27時間テレビ (2017年)|FNS27時間テレビ にほのれきし]]』(2017年、フジテレビ、演:[[剛力彩芽]])

*『[[西郷どん (NHK大河ドラマ)|西郷どん]]』(2018年、NHK大河ドラマ、演:[[水川あさみ]])

; アニメ

その他テレビ番組

* 『[[ねこねこ日本史]]』(2016年、[[Eテレ]])

*『[[歴史秘話ヒストリア]] 龍馬が愛した女〜お龍 知られざる素顔〜』(2013年、[[NHK総合テレビジョン|NHK総合]]、演:[[縄田かのん|縄田智子]])

; ゲーム

*『[[古舘トーキングヒストリー]] 〜幕末最大の謎 坂本龍馬暗殺、完全実況〜』(2019年、[[テレビ朝日]]、演:[[橋本マナミ]])

* 『[[龍が如く 維新!]]』(2015年、セガ、演:[[桜庭ななみ]])

アニメ

; 漫画

*『[[ねこねこ日本史]]』(2016年、[[Eテレ]])

* 『[[おい!竜馬]]』(1986年-1996年、[[小学館]]、原作:[[武田鉄矢]]、作画:[[小山ゆう]])

*『[[龍 -RYO-]]』(2013年)

; 小説

ゲーム

* 『お龍』(2008年、[[新人物往来社]]、著:[[植松三十里]])

* 月琴を弾く女 お龍がく』(2010年、[[幻冬舎]]:[[鏡川伊一郎]])

*『[[龍が 維新!]](2015年、セガ:[[桜庭ななみ]])

漫画

* 『[[さなとりょう]]』(2017年、[[太田出版]]、著:谷治宇)

* 『[[おい!竜馬]]』(1986年-1996年、[[小学館]]、原作:[[武田鉄矢]]、作画:[[小山ゆう]])

* 『[[サムライせんせい]]』(2013年-、[[リブレ出版]]、[[黒江S介]])

小説

*『お龍』(2008年、[[新人物往来社]]、著:[[植松三十里]])

*『月琴を弾く女 お龍がゆく』(2010年、[[幻冬舎]]、著:[[鏡川伊一郎]])

*『ゆけ、おりょう』(2016年、[[文藝春秋]]、著:[[門井慶喜]])

*『[[さなとりょう]]』(2017年、[[太田出版]]、著:[[谷治宇]]



==脚注==

== 脚注 ==

{{脚注ヘルプ}}

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=== 注釈 ===

{{Notelist}}

=== 出典 ===

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{{Reflist|3}}



==参考文献==

== 参考文献 ==

;史料

;史料

*『千里駒後日譚』- 楢崎龍の話を[[川田瑞穂]]が聞き書きしたもの

*『千里駒後日譚』- 楢崎龍の話を[[川田瑞穂]]が聞き書きしたもの

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== 関連項目 ==

== 関連項目 ==

* [[信楽寺 (横須賀市)|信楽寺]] - 楢崎龍の墓がある

* [[坂本龍馬]]



== 外部リンク ==

== 外部リンク ==

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{{Commons|Category:Narasaki_Ryo}}

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*[[n:龍馬切手の販売中止、写真無断使用の指摘で|龍馬切手の販売中止、写真無断使用の指摘で]]}}

* {{青空文庫著作者|1587|楢崎 竜}}

* {{青空文庫著作者|1587|楢崎 竜}}



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[[Category:坂本龍馬]]

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[[Category:山城国の人物]]


2023年8月27日 (日) 00:17時点における最新版

ならさき りょう


楢崎 龍
晩年の楢崎龍(西村ツル)。1904年12月15日に「東京二六新聞」で初めて公表された写真
生誕 天保12年6月6日1841年7月23日
京都
死没 (1906-01-15) 1906年1月15日(64歳没)
墓地 横須賀市大津信楽寺
国籍 日本の旗 日本
別名 西村ツル
配偶者 坂本龍馬→西村松兵衛
楢崎将作、貞(または夏)
親戚 妹:光枝、起美(君江)、弟:太一郎、健吉
テンプレートを表示

  12661841723 - 391906115

鹿[ 1]西西

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[]

 
 350026.4 1354612.9

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西218691[33]西

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西[52]

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541979姿[54] 2000

[55][56]202008姿

819961010

[57][58][59][60][ 10]

姿[61][ 11][62]

252013姿[63]

[]




1939

1942

1970

 Ronin 1986

1987

1987

2002



1965MBS

1968NHK

1974NHK

1977NHK

1979

1982

 1982

1985西

1989TBS

1990NHK

1997TBS

2004

!2004NHK

2008NHK

2010NHK

 2015

JIN--2011TBS

FNS27 2017

西2018NHK



  2013NHK

  2019



2016E

 -RYO-2013



 !2015



!1986-1996

2013-S


脚注[編集]

注釈[編集]



(一)^ [1]

(二)^  

(三)^ [3]

(四)^ 99[4]

(五)^ 2124[19]

(六)^ 5

(七)^ 簿//[41]

(八)^ [45]

(九)^ 3739115

(十)^ 2008

(11)^ --2009

出典[編集]

  1. ^ a b 「日本初の新婚旅行は小松帯刀?通説“龍馬”に異論登場」2008年10月16日付読売新聞
  2. ^ 阿井 2005, pp.209-212
  3. ^ 『坂本龍馬歴史大事典』p.98
  4. ^ 『龍馬の手紙』p.142
  5. ^ a b c 慶応元年9月9日付書簡(『龍馬の手紙』p.133-146)
  6. ^ 「続反魂香」(坂本 2010, pp.79-83)
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  12. ^ 『反魂香』(一坂 2009, pp.48-49)
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  16. ^ 『千里駒後日譚』(坂本 2010, pp.111-113)
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  25. ^ 慶応3年5月28日付書簡(『龍馬の手紙』p.364-370)
  26. ^ 坂本 2010, pp.137-139
  27. ^ 『阪本龍馬の未亡人』(鈴木 2007, pp.109-110)
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  29. ^ 『千里駒後日譚』(坂本 2010, pp.139-140)
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  36. ^ 『実話雑誌』(鈴木 2007, pp.130-131)
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  38. ^ 『反魂香』(一坂 2009, p.176)
  39. ^ a b 鈴木 2007, pp.132-136
  40. ^ 安岡秀峰『阪本龍馬の未亡人』(鈴木 2007, p.258)
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  42. ^ 阿井 2005, p.190-191
  43. ^ 『坂本龍馬伝』p.116-117
  44. ^ 『千里駒後日譚』(一坂 2009, p.203)
  45. ^ 『千里駒後日譚』、(鈴木 2007, p.250)
  46. ^ 『雑誌実話』(鈴木 2007, pp.143-144)
  47. ^ 阿井 2005, pp.196-197, p.200
  48. ^ 鈴木 2007, pp.154-157
  49. ^ 坂本 2010, p.151
  50. ^ 明治37年12月15日「東京二六新聞」(鈴木 2007, p.21, 155)
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  53. ^ a b 『続反魂香』(鈴木 2007, p.220)
  54. ^ 昭和57年12月22日付高知新聞
  55. ^ 鈴木 2007, pp.22-26
  56. ^ 阿井 2005, pp.205-212
  57. ^ 『若い日の「お龍さん」写真は本物? 警察庁科警研が鑑定』(2008年5月15日付読売新聞)
  58. ^ 『やっぱりお龍さん? 写真の女性、龍馬の妻の「可能性」』(2008年5月16日付朝日新聞)
  59. ^ 『お龍:異論あった若い写真「別人の根拠なし」』(2008年5月15日付毎日新聞)
  60. ^ 『若き日の龍馬の妻と「同一人の可能性」科警研』(2008年5月15日付産経新聞)
  61. ^ 森重和雄「古写真探偵 龍馬が愛したおりょうさん」(『歴史通』2011年7月号掲載)
  62. ^ 坂本 2010, pp.173-178
  63. ^ 平成26年1月5日付読売新聞

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2005ISBN 4900901563 

2007ISBN 9784404035134 

 : 2009ISBN 9784022733054 

2010ISBN 9784766213386 

2003ISBN 978-4-06-159628-3

2009ISBN 978-4-404-03762-6

202009ISBN 978-4-05-605751-5

2009ISBN 978-4-404-03647-6

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