ごま @g_z_m_z 学生さんたちが「サブカル界隈は昭和がまだ強いですよね」というので「みんなが昭和だと思っているものの半分は平成前半だと思うよ、セーラームーンとか平成だよ」とお伝えしたところ、「平成は私たちの時代」的な感覚を持っていたであろう学生さんたちがちょっとバグった奇声をあげていて面白かった。 2022-12-23 10:42:50
ごま @g_z_m_z 学生さんたちが「サブカル界隈は昭和がまだ強いですよね」というので「みんなが昭和だと思っているものの半分は平成前半だと思うよ、セーラームーンとか平成だよ」とお伝えしたところ、「平成は私たちの時代」的な感覚を持っていたであろう学生さんたちがちょっとバグった奇声をあげていて面白かった。 2022-12-23 10:42:50
新元号が4月1日発表される。明治を皮切りに大正、昭和、平成と歩んだ沖縄県内男性最高齢の津波蒲戸(かまど)さん(110)=読谷村=は、五つめの元号に突入する。平成が終わるまであと1カ月。心境を聞くと「余計ジョートー! ジョートー」と笑った。(中部報道部・篠原知恵) 【たくましく戦後を生き抜いた】“青い目の子”が見た沖縄 「むのーみーらん(ものが見えない)」。入所する地域密着型介護老人福祉施設「紅華の森」に27日、蒲戸さんの歌声が響いた。白内障で視力をほぼ失い、ものが見えないことをユーモアたっぷりな歌にしていた。職員の支えで歩くときも、軽快なリズムに乗せて「ハイ! ヤー! ハイ!」。張りのある声は、階下にまで響くほどだ。 発熱で2日点滴した昨年11月から体調不良は一度もなし。大正生まれの後輩入所者には「神様」に映るという。又吉光子さん(93)は「神様はごはん食べないけど、蒲戸さんは箸やスプーン
平成も残すところ1年。バブル崩壊や大規模災害の一方、ITの発達で世界中の人とやりとりできる時代になった。「国の内外にも天地にも平和が達成される」と願いが込められた時代。それぞれの世代はこの30年に何を感じ、どう生きたのか。 「あら、お父さんの名前じゃない」。1989(昭和64)年1月7日、埼玉県鴻巣市の自宅でテレビを見ていた平(たいら)洋子さん(76)は思わず声が出た。小渕恵三官房長官(当時)が、翌日からの新元号として「平成」と掲げていた。 夫は平成さん(77)。「たいら・しげる」と読む。成さんは当時、紳士服卸売会社の営業所長として大阪に単身赴任中。社員全員で新年の抱負を書いていた営業所で、知らされた。えらいことになったなと思ったが、抱負はこう締めくくった。「これからは私の時代。頑張ります」 ■バブルを体験、時代は変化…
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