【読売新聞】 広島県三原市在住で、インターネットに動画を配信するバーチャル(仮想)ユーチューバー(Vチューバー)のひろこさん(85)が、「メタばあちゃん」の愛称で人気を集めている。昨年末に活動を始めて以来、100本以上の動画を配信し
5日に亡くなった三宅一生さんは2009年7月、広島での自らの被爆体験を米ニューヨーク・タイムズ紙に寄稿していた。「原爆を経験したデザイナー」とレッテルを貼られることを嫌ってそれまで明かしていなかったが、同年4月にオバマ米大統領(当時)の核兵器廃絶を訴えた演説に触発され、過去を語る決意をした。「今こそ、核兵器廃絶への声を一つに集める時だ」と訴え、「未来の核戦争の芽を摘むことが大統領の目標である、と世界中に伝えるには最上の方策」としてオバマ氏の広島訪問を呼び掛けた。寄稿した文章は以下の通り。 「今こそ、核廃絶の声を一つに集める時」 閃光(せんこう)の記憶 本年4月、オバマ米大統領がプラハで行った演説のなかで、核兵器のない世界を目指すと約束されたことは、私が心の奥深くに埋もれさせていたもの、今日に至るまで自ら語ろうとはしてこなかったものを、突き動かしました。 大統領の演説は、私も「閃光」を経験し
「ズッコケ三人組」シリーズや、みずからの被爆体験を踏まえた作品などで知られる児童文学作家の那須正幹さんが亡くなりました。79歳でした。 1942年に広島市で生まれた那須さんは、3歳のときに爆心地から3キロほどのところにあった自宅で被爆しました。 東京でサラリーマン生活を経験したあと広島に戻って児童文学を書き始め、1972年に「首なし地ぞうの宝」でデビューしました。 その6年後に小学6年のハチベエ、ハカセ、モーちゃんを主人公とした「それいけズッコケ三人組」を発表すると大きな人気を集め、2004年に50巻で完結させるまで26年にわたってこのシリーズを書き続けました。 その後もシリーズの人気は衰えず、読者の要望を受けて主人公たちが大人になってからの作品も発表するなど長く愛されました。 那須さんはみずからの被爆体験を踏まえて戦争や原爆をテーマにした作品も多く手がけ、2011年には戦後の広島を力強く
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く