物流とモンゴルに関するlaislanopiraのブックマーク (2)
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人類のグローバリゼーションは海の道と草原の道を結んだクビライ治下のモンゴル世界帝国で最初のピークを迎えた、と一般には考えられているが、モンゴル帝国の創始者・チンギス・カンについては意外とその治績が知られていない。本書は、長年モンゴルで発掘を続けてきた考古学者が描く等身大のチンギス像である。 遊牧民は放浪するのではなく、ある程度決まった場所を1年かけて季節移動する。﹁千戸制﹂を基本とする人々の集まりをモンゴル語ではウルスと呼ぶが、ウルスは季節移動する固有の領域を持っていた。人と土地のウルスを結ぶのがジャムチ︵駅伝制︶だ。これがモンゴルの国制の基本的な仕組みである。そして、ジャムチ制を巧く機能させるためには、治安が保たれていることが前提となるのだ。 著者が発掘したアウラガ遺跡は、今日ではチンギスの都跡︵ヘルレン大オルド︶であったことがほぼ確実視されているが、宮殿は思いのほか小さく質素で商店もそ
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ソ連の崩壊により北アジア・ユーラシアの考古学研究は九〇年代後半から二〇〇〇年代にかけて様々な発見が相次ぎ非常に大きく進歩している。本書は、日本人として現地に赴きモンゴル史上の様々な発見をリードしている著者が、近年の様々な研究成果を盛り込み、あらためてチンギス・カンと彼の打ち立てたモンゴル帝国草創期についてまとめた、非常に面白い一冊だ。 これまでヴェールに包まれていたチンギス・カン以前のモンゴル史に始まり、モンゴルの軍事・政治・社会・生活・信仰、そして様々な遺跡からわかるモンゴル帝国の実情まで広く深く描かれているが、やはり面白かったのは﹁ヘルレンの大オルド﹂と伝わるチンギスの都としてほぼ確実視されているアウラガ遺跡の話だろう。 ﹃アウラガ遺跡はモンゴル中東部、ヘルレン河上流のヘンティ県デリゲルハーン郡にある十三世紀の集落跡で﹄︵P85︶、1967年に発見されていたが、本格的調査が進んだのは九
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