サヨナラゲーム
概説
編集サヨナラゲームにまつわる逸話
編集日本プロ野球
編集本塁打で始まり、本塁打で終わった試合
編集1938年10月24日、後楽園球場での東京セネタース対ライオン軍戦において、初回ライオン先頭打者坪内道則が東京セネタース先発金子裕から初球本塁打を放つ。試合はその裏東京セネターズが1点を返し、そのまま同点で迎えた延長10回裏、東京セネタースの代打浅岡三郎がライオン菊矢吉男からサヨナラ本塁打を放ち4x - 1で東京セネタースが勝利する。先頭打者初球本塁打で始まり、サヨナラ本塁打で終わった最初の事例となった[注 5][9]。
川崎徳次にまつわるサヨナラ記録
編集逆転サヨナラ満塁本塁打で賞金13,200円
編集天覧試合のサヨナラ本塁打
編集ダブルヘッダーで2試合ともサヨナラ負けで敗戦投手
編集自らのサヨナラ本塁打でノーヒットノーラン達成
編集1973年8月30日に行われた阪神対中日戦(阪神甲子園球場)で、阪神の江夏豊は中日の松本幸行と11回まで投げ合い、11回裏に松本から右翼ラッキーゾーンにサヨナラ本塁打を自ら放つという劇的な形で、日本プロ野球史上初の延長戦ノーヒットノーランを達成した。
16年目の初登板で1球サヨナラゲーム
編集敬遠球をサヨナラ暴投
編集サヨナラホームスチール
編集サヨナラインフィールドフライ事件
編集1991年6月5日、横浜大洋ホエールズ対広島東洋カープ戦での出来事。また、ほぼ同一の出来事が2015年5月4日の広島東洋カープ対読売ジャイアンツ戦でも起こった。
サヨナラ本塁打を打った選手に代走
編集敬遠球をサヨナラ安打
編集9回裏に6点差をひっくり返す
編集サヨナラ満塁本塁打転じてサヨナラ適時打
編集球団最後のホームゲームでのサヨナラ勝利
編集サヨナラ打撃妨害
編集プロ初打席でサヨナラ本塁打
編集2008年6月6日の巨人対ロッテ戦(東京ドーム)。巨人の加治前竜一は試合の途中から守備で出場しており、3 - 3の同点で迎えた延長10回裏1死の場面にプロ初打席が回ってきた。ロッテの投手・川崎雄介が投じた3球目を打った加治前の打球は、右翼スタンドへ飛び込むサヨナラ本塁打となった。プロ初打席で本塁打を放ったのは加治前で47人目だが、それがサヨナラ本塁打だったのは日本プロ野球史上初。
コリジョンルール適用でサヨナラ
編集2016年6月14日の広島対西武戦(マツダスタジアム)では、赤松真人の中前打で本塁を狙った広島・菊池涼介と西武の捕手上本達之のクロスプレーが、この年導入されたコリジョンルールの適用で判定が覆され(アウトではなくセーフ)、赤松のサヨナラ適時打となる[16][17]。
クリーンナップ3者連続ホームランによるサヨナラ勝利、およびこれに始まる3夜連続サヨナラゲーム
編集同じ日に複数試合でサヨナラホームラン
編集本拠地でサヨナラ負け
編集史上初2者生還逆転サヨナラ暴投
編集2020年10月29日のソフトバンク対ロッテ戦で9回裏ロッテが3 - 2で1点リード、ソフトバンクが1死二三塁。投手の益田直也の暴投で捕手の田村龍弘がボールを追う間に柳田悠岐、釜元豪の生還を許して3 - 4xで逆転サヨナラ負け。1951年6月3日に国鉄の金田正一が巨人戦の延長11回に2者連続暴投で逆転サヨナラ負けを喫した例があるが、後逸で一気に2人が生還しての逆転サヨナラ負けは史上初[18]。
クライマックスシリーズでのサヨナラ勝ち
編集サヨナラ日本一
編集日本プロ野球における代打逆転サヨナラ満塁本塁打
編集日本プロ野球における代打逆転サヨナラ満塁本塁打は下表の8例が存在する(2020年シーズン終了時点)。
回 | 達成日 | 打者 | チーム | 対戦 相手 |
球場 | 投手 | スコア | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1956年3月25日 | 樋笠一夫 | 巨人 | 中日 | 後楽園 | 杉下茂 | 4x - 3 | 第1号、3点差。 |
2 | 1956年6月24日 | 藤村富美男 | 大阪 | 広島 | 甲子園 | 長谷川良平 | 4x - 1 | 藤村は当時監督兼任 |
3 | 1971年5月20日 | 広野功 | 巨人 | ヤクルト | 福井 | 会田照夫 | 7x - 5 | 自身2本目の逆転サヨナラ満塁本塁打 |
4 | 1984年6月11日 | 柳原隆弘 | 近鉄 | 南海 | 藤井寺 | 山内和宏 | 5x - 2 | 近鉄は2試合連続逆転サヨナラ満塁本塁打 |
5 | 1988年6月18日 | 藤田浩雅 | 阪急 | 南海 | 西宮 | 吉田豊彦 | 10x - 7 | |
6 | 2001年9月26日 | 北川博敏 | 近鉄 | オリックス | 大阪D | 大久保勝信 | 6x - 5 | リーグ優勝決定、3点差 |
7 | 2001年9月30日 | 藤井康雄 | オリックス | ロッテ | G神戸 | 小林雅英 | 7x - 6 | 2死、3点差 |
8 | 2011年10月22日 | 長野久義 | 巨人 | 横浜 | 東京D | 山口俊 | 5x - 2 | シーズン最終戦 |
代打逆転サヨナラ満塁本塁打の第1号
編集1956年3月25日、読売ジャイアンツ対中日ドラゴンズ戦(後楽園)ダブルヘッダー第2試合での出来事。
監督自ら代打逆転サヨナラ満塁本塁打
編集1956年6月24日の阪神タイガース対広島カープ戦で、1 - 0で迎えた9回裏2死満塁、阪神の選手兼任監督だった藤村富美男が自ら「代打はこのワシや」と言って打席に立ち、代打逆転サヨナラ満塁本塁打を決めた。これは藤村の現役最後の本塁打でもある。
2度の逆転サヨナラ満塁本塁打
編集1966年8月2日の中日ドラゴンズ対読売ジャイアンツ戦(中日球場)において、中日の5 - 3のビハインドで迎えた9回2死満塁の場面で、三番広野功が巨人堀内恒夫からセンタースコアボード下に飛び込む逆転サヨナラ満塁本塁打を放っている。広野はその後この時の対戦相手の巨人に移籍しているが、1971年5月20日の対ヤクルトアトムズ戦においても、日本プロ野球史上3人目の代打逆転サヨナラ満塁本塁打を記録している[22]。
2試合連続逆転サヨナラ満塁本塁打
編集1984年、近鉄バファローズは6月9日の対南海ホークス戦において加藤英司が逆転サヨナラ満塁本塁打を放ち勝利しているが、翌日の雨天中止を挟んで、続く6月11日の同カードにおいても、近鉄は2 - 1のビハインドで迎えた9回裏2死満塁の場面で、代打柳原隆弘が南海の山内和宏からパ・リーグ初となる代打逆転サヨナラ満塁本塁打を放ち、2試合続けて逆転サヨナラ満塁本塁打による勝利となった[23]。
1988年6月18日に起きた日本プロ野球史上5人目の2つのサヨナラ本塁打記録
編集1988年6月18日、阪急ブレーブスの藤田浩雅が対南海ホークス戦(西宮)において、9回裏無死満塁の場面で吉田豊彦から日本プロ野球史上5人目となる代打逆転サヨナラ満塁本塁打を記録[24][25]。同日に行われたヤクルトスワローズ対広島東洋カープ戦において、ヤクルトのダグ・デシンセイが同月15日の対巨人戦に続き日本プロ野球史上5人目となる2試合連続サヨナラ本塁打を記録している[26]。
代打逆転サヨナラ満塁釣り銭なし優勝決定本塁打
編集2001年9月26日、大阪近鉄バファローズ対オリックスブルーウェーブ戦(大阪ドーム)での出来事。形容詞(修飾語)を含まず、最も長い肩書の付く本塁打としても有名。
2死・3点差で代打逆転サヨナラ満塁本塁打
編集前述の北川の一打から4日後の2001年9月30日、オリックス対千葉ロッテマリーンズ戦(グリーンスタジアム神戸)でオリックスの藤井康雄が9回裏にロッテの小林雅英から放った本塁打は、「3点差」「2死」「代打」の3つを全て満たした逆転サヨナラ満塁本塁打であり、これは日本プロ野球史上唯一の記録(2020年シーズン終了現在)である。しかし、藤井の記録は、すでに優勝チーム決定後の消化試合であり、さらに同日は読売ジャイアンツの2001年本拠地最終戦であり長嶋茂雄の退任セレモニーと斎藤雅樹・槙原寛己・村田真一の引退セレモニーが大きく報道され、また、高橋尚子がベルリンマラソンで当時の世界最高記録を達成したこともあったため、藤井のこの一打はメディアでほとんど扱われなかった。
以下「3点差」「2死」「代打」のうち1つだけを満たしていない例
上記を2つ以上満たしていない例は多数。
高校野球
編集優勝決定サヨナラ押し出し四球
編集優勝決定サヨナラ本塁打
編集1960年に開催された第32回選抜高等学校野球大会決勝戦、高松商対米子東において、1 - 1で迎えた9回裏、高松商の主将山口富士雄が米子東の宮本洋二郎から春夏通じて決勝戦では初となるサヨナラ本塁打を放ち、優勝を決めている。
1977年に開催された第59回全国高等学校野球選手権大会決勝戦、東洋大姫路対東邦高校で、これまた1-1で迎えた延長10回裏、東洋大姫路高校の主将安井浩二が東邦高校の坂本佳一から春夏史上2本目、夏の甲子園の決勝戦史上初で史上唯一(2020年現在)のサヨナラ本塁打を放ち、優勝を決めている。
サヨナラボーク
編集4季でサヨナラ5試合経験&春夏1年間でサヨナラゲーム三すくみ
編集9回裏2死から9点差を逆転しサヨナラ
編集3試合連続サヨナラゲーム
編集先頭打者本塁打を打った選手が同じ試合でサヨナラ本塁打
編集2019年の第91回選抜高等学校野球大会準々決勝、明石商対智辯和歌山戦の1回裏、明石商の1番打者・来田涼斗が先頭打者本塁打を放ち同点とする。その後、両チーム点を取り合い3 - 3で迎えた9回裏・明石商の攻撃、この回先頭で打席に立った来田は2ボール2ストライクからの5球目を振り抜きボールはライトスタンドヘ。(最終スコア4x - 3)同一選手による同一試合での先頭打者本塁打・サヨナラ本塁打同時達成は史上初。
春夏連続サヨナラ被弾で敗戦
編集この節の加筆が望まれています。 |