仮名手本忠臣蔵

日本の人形浄瑠璃および歌舞伎の演目

17488[1]
大石内蔵助こと大石良雄家紋「二つ巴」。この紋のことは『仮名手本忠臣蔵』二段目にも記されている。大石家の紋については暁鐘成著の『雲錦随筆』に詳しい[3]

はじめに

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14151701 - 1703

姿51740[2]

16[3]16鹿


主な登場人物

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内容の大略

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この項では、複数の段にわたるエピソードについて簡略に述べる。各エピソードの詳細及びここにあげないエピソードについては段ごとの「あらすじ」と「解説」を参照。

時は暦応元年(1338年)二月、塩冶判官高定は、足利尊氏の代参として鎌倉鶴岡八幡宮に参詣する足利直義の饗応役を命じられる。しかし塩冶判官は指南役の高武蔵守師直から謂れのない侮辱を受け、それに耐えかねた判官は殿中で師直に斬りつけるが加古川本蔵に抱き止められ、師直は軽傷で済む。判官は切腹を命じられ塩冶家は取り潰しとなる(大序、二段目、三段目、四段目)。判官切腹の際に高師直を討てとの遺命を受けた家老の大星由良助は、浪士となった塩冶家の侍たちとともに師直への復讐を誓い、それを計画し実行する(四段目、十段目、十一段目)。

この他に複数の段にわたるエピソードとして、早の勘平のエピソードと加古川本蔵のエピソードがある。

塩冶家譜代の侍である早の勘平は、刃傷事件の際に腰元のおかると逢引をしていてその場に立ち会えず、おかるの故郷の山崎に、おかるとともに駆落ちする(三段目)。おかるの父与市兵衛のもとで猟師として暮らす勘平は、山崎街道で猪と間違えて人を撃ち殺してしまう。勘平が撃ったのは、与市兵衛を殺して金を奪った斧定九郎であった。暗闇の中で勘平は自分が殺したのが定九郎であることに気付かず、定九郎のふところの金を奪う(五段目)。与市兵衛の遺体が見つかり、与市兵衛の女房や塩冶浪士の千崎弥五郎、原郷右衛門から与市兵衛を殺して金を奪ったと責められた勘平は切腹する(六段目)。一方、京都祇園の遊郭に売られたおかるは一力茶屋で由良助と出会い、おかるの兄寺岡平右衛門は仇討ちへの参加が認められる(七段目)。

加古川本蔵は塩冶判官とともに直義の饗応役を命じられた桃井若狭之助の家老である。本蔵の娘小浪は由良助の息子力弥とは刃傷事件の前に婚約していた。小浪は力弥に嫁入りするため、本蔵の妻戸無瀬とともに東海道を歩いて力弥のいる京の山科に向かう(八段目)。小浪と戸無瀬のあとを追って山科に現れた本蔵は、判官を抱き止めたことで師直は軽傷にとどまり、判官は切腹塩冶家はお取り潰しになったことを後悔しており、わざと力弥に討たれて師直館の絵図面を由良助に渡す(九段目)。

大序・鶴岡の饗応

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『仮名手本忠臣蔵』は、以下の文章を以って始まる。

嘉肴(かかう)有りといへども食せざれば其の味はひをしらずとは。国治まってよき武士の忠も武勇もかくるゝに。たとへば星の昼見へず夜は乱れて顕はるゝ。例(ためし)を爰(ここ)に仮名書きの太平の代の。政(まつりごと)

どんなにおいしいといわれるご馳走でも、実際に口にしなければそのおいしさはわからない。平和な世の中では立派な武士の忠義も武勇もこれと同じで、それらは話に聞くだけで実際に目にすることが無くなってしまうのである。だがそんな世の中でも、立派な忠義の武士は必ずいる。それはたとえば、星は昼には見えないが夜になれば空にたくさん現われるのと同じように、普段は見えなくても忠義の武士は、あるべきところには確かに存在するのだ。そんな武士たちの話をわかり易いように仮名書きにして、これから説明することにしよう…という大意で、要するにこれから「忠」も「武勇」も備わった「よき武士」、すなわち大名塩冶家に仕えた者たち(赤穂浪士)のことについて語ろうということである。

あらすじ(大序)

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殿
 
  





殿


解説(大序)

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 218497

4[4][5]





姿西








二段目・諫言の寝刃

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あらすじ(二段目)

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「忠臣蔵 二段目」 塩冶判官の使者として、大星由良助のせがれ力弥が若狭之助の館を訪れた。使者の役目を終え帰ろうとする力弥、それを見送る加古川本蔵の娘小浪。後ろの衝立の陰からは、母の戸無瀬がその様子を見守る。画面中央奥には、本蔵が松の枝を切って若狭之助に差し出す場面が描かれる。広重画。

力弥使者の段)足利直義が鶴岡八幡に参詣した翌日のこと。時刻もたそがれ時、桃井若狭之助の館ではあるじ若狭之助が師直から辱めをうけたと使用人らが噂している。若狭之助の家老加古川本蔵はそれを聞きとがめる。そこへ本蔵の妻戸無瀬と娘の小浪も出てきて、若狭之助の奥方までもこの噂を聞き案じていると心配するので、本蔵は「それほどのお返事、なぜとりつくろうて申し上げぬ」と叱り、奥方様を御安心させようと奥に入る。

塩冶判官の家臣大星由良助の子息である大星力弥が、明日の登城時刻を伝える使者として館を訪れる。いいなづけの力弥に恋心を抱く小浪は本蔵や戸無瀬が気を効かせ、口上の受取役となるがぼうっとみとれてしまい返事もできない。そこへ主君若狭之助が現れ口上を受け取り、力弥は役目を終えて帰った。

松切りの段)再び現れた本蔵は娘を去らせ、主君に師直の一件を尋ねる。若狭之助は腹の虫がおさまらず師直を討つつもりだと明かす。ところが本蔵は止めるどころか、若狭之助の刀をいきなり取って庭先に降り、その刀で松の片枝を切り捨て「まずこの通りに、さっぱりと遊ばせ」と挑発する。喜んだ若狭之助は奥に入る。見送った本蔵は「家来ども馬引け」と叫び、驚く妻や娘を尻目に馬に乗って一散にどこかへ去っていく。

⇒(三段目あらすじ

解説(二段目)

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殿殿

姿

使

三段目・恋歌の意趣

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あらすじ(三段目)

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殿姿
 
  

退

殿

殿



退

殿

姿殿



鹿

調

    






 
  


 
 218056姿



退




解説(三段目)

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姿殿鹿鹿姿

殿殿殿姿

鹿 

[6]

姿姿姿姿姿姿姿姿


道行旅路の花聟

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『道行旅路の花聟』 二代目尾上松緑の鷺坂伴内。

 使4188332︿1773




蜂の巣の平右衛門

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『道行旅路の花聟』が初演されたときに同じく三段目の「裏」として出されたのが、通称『蜂の巣の平右衛門』である。ただし近年では上演を見ない。内容は、塩冶家の足軽寺岡平右衛門が鎌倉から国許へ書状を届ける途中、近江の鳥本宿の茶店に立ち寄り休む。そこで巣にいた蜂がよそから来た蜂と争うのを見るなどして胸騒ぎを覚え、鎌倉へ引き返そうとするが、蜂の争いとは塩冶判官が師直へ刃傷に及ぶ兆しであったというもの。これも三升屋二三治の作であった。平右衛門は五代目海老蔵で、海老蔵はこの平右衛門を『道行旅路の花聟』の前に演じ、次に勘平へと早替りして出た。『蜂の巣の平右衛門』は『日本戯曲全集』第十五巻に台本が収録されているが、「四段目裏」となっている。

四段目・来世の忠義

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あらすじ(四段目)

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使使使使

使使
 
  調使



使


 
  

使


解説(四段目)

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使使姿



1



2

五段目・恩愛の二つ玉

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あらすじ(五段目)

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鹿宿
 
  




 
  

殿
 
  

婿






解説(五段目)

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西西


 
 



78調





姿




 

姿姿 ()

使5︿1785



使調


六段目・財布の連判

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あらすじ(六段目)

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婿









殿
 
  

殿殿

殿


 
 

調

殿殿




解説(六段目)

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綿調

調

七段目・大臣の錆刀

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あらすじ(七段目)

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調

鹿


 
  

鹿


 
 





 

殿

殿


解説(七段目)

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「七段目」 八代目尾上芙雀のおかる (左) と、十三代目守田勘彌の大星由良助。明治43年(1910年)11月、東京市村座。



6



姿




 



1747︿  



617945姿

八段目・道行旅路の嫁入

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あらすじ(八段目)

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「忠臣蔵 八段目」 戸無瀬と小浪は京山科に居る力弥のもとへと、東海道を歩いて向う。広重画。

道行旅路の嫁入〈みちゆきたびじのよめいり〉)由良助のせがれ力弥と加古川本蔵の娘小浪はいいなづけであったが、塩冶の家がお取り潰しになったことにより、その婚儀も本来流れるはずであった。力弥と添い遂げられないことを悲しむ娘を見て、母の戸無瀬はこの上は改めて娘小浪を力弥の嫁にしてもらおうと、供も連れずに母娘ふたりで、鎌倉から由良助たちのいる京の山科へと向う。

⇒(九段目あらすじ

解説(八段目)

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︿18304

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九段目・山科の雪転し

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あらすじ(九段目)

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︿



殿

殿









殿殿

殿
 
 



殿退

殿婿

婿殿
 
  

婿使


解説(九段目)

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殿

婿婿

611986

殿



姿



殿

本蔵下屋敷

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九段目の前の話として、『増補忠臣蔵』という作者不明の義太夫浄瑠璃が明治に入ってから出来ている。通称『本蔵下屋敷』。内容は、本蔵が師直に賄賂を贈ったことを若狭之助が怒り、それにより本蔵は自宅とする桃井家の下屋敷で蟄居している。そこに若狭之助が来て本蔵を手討ちにしようとするが、じつは力弥に討たれたいとの本蔵の真意を悟り、師直館の見取り図と虚無僧の使う袈裟編笠を渡して暇乞いを許すというもの。ほかに若狭之助の妹三千歳姫と、若狭之助を毒殺しようとする敵役の井浪番左衛門が出てくる。歌舞伎にも移され古くは度々上演されたが、現在ではほとんど上演を見ない。

十段目・発足の櫛笄

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あらすじ(十段目)

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使


 
  



使

退殿



殿





殿


解説(十段目)

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調26



婿


十一段目・合印の忍び兜

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あらすじ(十一段目)

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使



退退

解説(十一段目)

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 218497







29

その後の上演

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81411退

2

12122655616315

12028016511︿1840


 
1928

319288112048

GHQGHQ[7]2019451115GHQ12[8]

22(1947)711



























GHQ

現行の歌舞伎での上演形態

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(一)

(二)

(三)

(四)

(五)

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刊行本

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『仮名手本忠臣蔵』の本文は近代以降に活字本として出版されたものも多い。以下はその本文を収めた刊行本について、後述の参考文献と重なるものも多いが掲げておく。現在の公立図書館や一般の書店で目にしやすいと見られるものに限った。

浄瑠璃本
  • 日本古典文学大系』51(岩波書店) : 『浄瑠璃集 上』
  • 新潮日本古典集成』(新潮社) : 『浄瑠璃集』
  • 新編日本古典文学全集』77(小学館) : 『浄瑠璃集』
  • 岩波文庫』(岩波書店) : 『仮名手本忠臣蔵』 ※1937年初版のものを2013年に復刻したもの(リクエスト復刊)。付録として『古今いろは評林』を収録する。
歌舞伎脚本
  • 名作歌舞伎全集』第二巻(東京創元社) : 丸本時代物集一
  • 歌舞伎オン・ステージ』8(白水社) : 『仮名手本忠臣蔵』 ※注釈付き。

こぼれ話

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使









  





姿使使姿

1920071




ギャラリー

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登場人物の実説との比較

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以下、参考として『仮名手本忠臣蔵』の主な登場人物と、それに当て嵌まるとされる実説上の人物について示す。あくまでも実説との比較なので、与市兵衛やその女房といった創作上の人物は省く。また四十七士についてもその全てを掲げるのは煩瑣なので、由良助、力弥、郷右衛門、弥五郎、平右衛門を除きそれらも省いた。

登場人物 登場する段 人物設定 モデル・備考
おおぼし ゆらのすけ よしかね
大星由良助義金
四・七・九・十・十一 塩冶家家老 赤穂藩浅野家筆頭家老大石内蔵助(良雄)。「ゆらのすけ」は「由良之助」と書かれることが多いが原作に拠る表記は「由良助」。
えんや はんがん たかさだ
塩冶判官高定
一・三・四 伯耆国の大名・直義の饗応役 赤穂藩主・浅野内匠頭(長矩)。史実の塩冶判官からは、その名と事件の発端となる逸話を借りる。「塩冶」は赤穂藩の名産物「赤穂の塩」にひっかけている。なお本来は「高貞」であるが、原作では「高定」となっている。また「塩冶」が「塩谷」と書かれることも多い。
こうの もろのう
高師直
一・三・四・十一 武蔵守・幕府執事 高家肝煎吉良上野介(義央)。史実の高師直からは、その名と物語の発端となる逸話を借りる。「高」は吉良上野介が「高家」だったことにひっかけている[9]
あしかが ただよし
足利直義
将軍足利尊氏の弟 京から下向して饗応を受けるとすれば、史実の勅使柳原資廉らにあたるが、通常は五代将軍徳川綱吉に擬えられている。
かおよ ごぜん
かほよ御前
一・四 塩冶判官の正室 浅野内匠頭正室・阿久利(瑤泉院)。『太平記』に記される塩冶高貞の妻からは、事件の発端となる逸話を借りる。ただし『太平記』では高貞の妻の名については記していない。高貞の妻の名を「かほよ」とするのは、『狭夜衣鴛鴦剣翅』(並木宗輔作、元文4年〈1739年〉初演)など先行作に例がある。
おいし
お石
大星由良助の妻 大石内蔵助の妻・りく(香林院)
おおぼし りきや
大星力弥
二・四・七・九・十・十一 大星由良助の嫡男 大石内蔵助の嫡男・大石主税(良金)。「力弥」は「主税」を「ちから」と読むことにひっかけている。
もものい わかさのすけ やすちか
桃井若狭之助安近
一・二・三・十一 塩冶判官と相役の直義の饗応役 大田南畝は『半日閑話』で元禄11年に勅使饗応役になった津和野藩主・亀井茲親がモデルだと指摘している。亀井茲親の官位は、はじめ能登守、のちに隠岐守で、「若狭之助」は若狭国能登国隠岐国の中間に位置していることにひっかけている。
かこがわ ほんぞう ゆきくに
加古川本蔵行国
二・三・九 桃井家家老 大田南畝は『半日閑話』で津和野藩亀井家留守居役の角頭一学がモデルだと指摘しているが、名前の類似性から同じく津和野藩亀井家の家老・多胡外記(真蔭)がモデルだとも考えられる[10]。ただし浅野長矩を松の廊下で抱きとめた梶川与惣兵衛を当てる事もある。
おの くだゆう
斧九太夫
四・七 塩冶家家老 赤穂藩浅野家家老・大野九郎兵衛(知房)
おの さだくろう
斧定九郎
四・五 斧九太夫の嫡男 大野九郎兵衛の嫡男・大野群右衛門
はやの かんぺい しげうじ
早の勘平重氏
三・五・六 塩冶家家臣 赤穂藩士萱野三平(重実)。「はやの」は「早野」と書かれることが多いが、原作の表記では「早の」である。
おかる 三・六・七 百姓与市兵衛の娘で早の勘平の女房、のち一文字屋抱えの遊女 大石内蔵助の妾・二文字屋おかる
はら ごうえもん
原郷右衛門
四・六・十一 塩冶家諸士頭 赤穂藩足軽頭・原惣右衛門
せんざき やごろう
千崎弥五郎
四・五・六・七・十一 塩冶家家臣 赤穂藩徒目付神崎与五郎
てらおか へいえもん
寺岡平右衛門
七・十一 おかるの兄で、塩冶家足軽 赤穂藩足軽・寺坂吉右衛門(信行)
あまがわや ぎへい
天河屋義平
塩冶家に出入りの廻船問屋 赤穂浪士を支援したと伝わる天野屋利兵衛
やくしじ じろうざえもん
薬師寺治郎左衛門
塩冶判官に対して非情な上使 幕府大目付庄田三左衛門(安利)
いしどう うまのじょう
石堂右馬之丞
塩冶判官に対して同情的な上使 幕府目付多門伝八郎(重共)。「石堂」は「多門」を「おかど」と読むことにひっかけている。

脚注

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(一)^  1927106[1]

(二)^ (1964) p156

(三)^ 16101985

(四)^ 4329[2]

(五)^ 1997486

(六)^  12311563-64

(七)^  GHQ 2008122

(八)^ 817/20 199415 201212 GHQ 200884 

(九)^ :西22016/: 2019

(十)^ (1964) p159

参考文献

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   1928

   1928 

  1929 89

  1943  5

  ︿51 1960 ISBN 978-4000600514

1964ASIN B000J8T3SI 

 1968

 ︿1985ISBN 978-4106203701  

  26 1985

   123115 1986

 ︿3 1988

  1990 

    1992 

  1992

  ︿91 1993 

 ︿8 1994

  ︿56 1997

  1999

  1999

調調 .423 132 2000

  GHQ 2008

調調 .541 271 2010

 in 2011

︿ 2013 

 

関連項目

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外部リンク

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